特別編 年越しの一幕
幼き頃の、まだミーナと出会う前のセシリーにとって年越しというものは家のために奔走する日という認識でしかなかった。
そこに楽しいなんていう感情が生まれることはなく、パーティーで笑顔を貼り付けて客人の対応をするだけの無機質な時間だけが流れるのみだったのだ。
公爵家のご令嬢としての役目を果たすだけの存在。それだけでしかなかったセシリーの人生が変わったのは間違いなくミーナとの出会いがあったからだろう。
ーーー☆ーーー
『魔の極致』に属していた魔族の力を再現、あるいは拡大解釈した性能を発揮する『ベルゼクイーン=レプリカ』なんてものが気軽に手に入る新たなる時代において国と国どころか大陸間の移動さえもちょっと散歩でもしよう程度で可能となっていた。
そんな時代であるからか、多くの人間や他種族による大陸間の移動に伴って文化の混在も容易く発生していた。
ゆえに魔法だの魔族だのが蔓延る『この大陸』に年越しそばなんて文化が流れており、巡り巡って物珍しさからセシリーは手打ちそばに挑戦していた。
……そば生地を(布でカバーした上で)素足でふみふみしている様子にミーナが肩に羽織ったメイド服がはだけまくるほどに身悶えているのだが、初の手打ちそばに興奮気味なセシリーは気づいていなかった。
と、そんな深夜の一幕。
深き森の奥に佇むセシリーとミーナの家の壁がド派手に吹き飛んだ。
「きゃは☆ お邪魔するわよぉっ!!」
「よくよく考えると、魔王の居城に土足で踏み込むだなんて昔からは考えられぬことであるな」
女王アリス=ピースセンス。
『魔の極致』第九席ミュウ。
一国の女王や七十以上もの悪魔を使役する魔族の登場に、しかしそば生地ふみふみ中のセシリーは恐怖するどころか慌てることなく『こんばんはでございます』と挨拶していた。
今のセシリーにとって女王や魔族が壁をぶち破って突撃してくることは日常の一幕でしかないのだ。……この状況を日常と捉える図太さこそがミーナのような怪物さえも愛したセシリーの本質なのだろう。
「……何しにきたんですか?」
「それはもちろん避難しによねぇ」
「うぬう、視線が冷たいであるぞ。ここで見捨てられたら本格的に終わりだから助けて欲しいのであるぞーっ!!」
つまりはいつものことなのだろう。
事情なんて聞くまでもないと内心無感動に切り捨てるミーナであったが、そんなこと気づきもしていない似た者同士な二人がベラベラと語るによると、
「ちょろっと惑星の裏側の大陸に出向いていた時に気に食わないクソッタレな悪党どもを粉砕しただけで別に『現地妻』などつくる気はなかったのにぃ、あいつらときたらあんなに怒らなくてもいいよねぇ。いやまあわっちも子持ちでハッスルしすぎたとも思わなくともないけどぉ、ここで屈してはわっちの母親としての威厳が崩れるよねぇ!! というわけで今回は断固として立ち向かうんだからぁっ!!」
「あやつら、聖夜からまだ日が経っていないというのに『年越しでってのはロマンチックよね』とか何とか言い出しおってえ!! 喧嘩しないように『みんな一緒に』とあたかも綺麗事のようでいて、妊娠・帝王切開式出産を『みんな一緒に』、それでいて短期間で終わらせるだなんてグロテスクでサイケデリックでしかないのであるぞ!? 悪魔流一日子作りクッキングは普通に死にそうになるから勘弁なのだぞお!!」
やはりいつものことであった。
大陸の各地どころか惑星全土に『現地妻』盛りだくさんなアリスやすでに各悪魔ごとに十人は娘ができている(なおかつその全てがミュウにゾッコンという悪魔らしく倒錯しまくっている)ミュウにとっては三日に一度はあるいつものことなのだ。
だから。
先程吹き飛んだ壁とは逆の壁が砕け、彼女たちが雪崩れ込んできたのも驚くようなことではなかった。
「アーリースーさぁんっ! やあっと見つけたのお!!」
「げぇアイラぁ!?」
「いい加減気軽に女の子を口説くのはやめるのお!!」
「い、いやぁ、わっちは単に気に食わないクソッタレ野郎どもをぶっ飛ばしただけで別に女の子を口説くために戦ったわけじゃないんだってぇ。そもそも女の子を口説くためだけに堕天使だの人類必滅の理だの邪龍だのに喧嘩を売るほど命知らずじゃないしねぇっ」
「じゃあ、海を超えてやってきたあの娘たちに抱きつかれてまんざらでもなさそうにしていたのは? 本気で下心が一切なかったって言えるの?」
「…………………………、きゃは☆」
「アリスさんのっ、ばかあ!!!!」
元男爵令嬢に思いっきりビンタされたアリスが次から次に乗り込んでいた元『クイーンライトニング』の兵士長や元アリシア国の第五王女や元『勇者』にしこたまフルボッコにされて連れていかれるのも、
「レッツ子作りたーいむ、ですっ!!」
「ひぎぃっ!? まさかの初手から頭の中をいじくり回す触手であるか!? せめて最初はスライムくらいマイルドにいってほしいのであるが!!」
「ふふっ、くふふっ。お母さんったらまさか逃げられるとでも思っていたのかなー?」
「うぬう!? 娘が巨大な尻尾で丸呑みしようとするであるぞお!?」
「私たち親の教育の賜物でっすね☆」
「こんな娘に育てるつもりはなかったのであるのにい!!」
七十以上の悪魔からそれぞれ生まれた十人以上の子、つまりは単純計算で七百を軽く超える悪魔っ娘たちに厨二全開なちんちくりん魔族が連れていかれるのもいつものことだった。
ーーー☆ーーー
ふみふみの後は綺麗に切り分けての湯での行程である。あつあつな鍋の中を踊るそばを待ち遠しそうに眺めるセシリーの耳に天井をぶち抜く轟音が届いた。
降り立ったのは髪も目も真っ赤な魔族、つまりは元『魔の極致』第二席キアラだ。
かつて国も大陸も惑星さえも真っさらに吹き飛ばした、文字通り世界を滅ぼしかけた最悪の存在……だったのだが、
「ぐすん」
まさかの涙目であった。
アリス=ピースセンスや『勇者』を殺し、人類滅亡を成し遂げて、あの『魔王』相手に真っ向から喧嘩を売った暴虐の化身の面影なんてどこにもなかった。
「キアラさん、どうしたでございますか?」
流石にこの状況をいつものことで流すわけにもいかず、そばが踊る鍋から視線を外したセシリーが優しく問いかけた。
『魔の極致』第二席、ミーナ以外の誰もが忘れているとはいえ世界滅亡寸前に至るまで暴れまくったバケモノを涙目にまで追い込んだ理由は、
「ミアラに嫌いって言われた……」
「は? そんなことで泣いているんですか???」
「そんなこと、だって? これがどれだけ重大なことかミーナはわからないわけ!? ワタシとミケの愛の結晶から嫌いと言われたのよ!?」
「は、はあ」
前提を確認しよう。
この全身真っ赤な女は六百年前に大陸を鮮血と死で埋め尽くした『魔の極致』の堂々たる一角であり、十数年前にはアリスや『勇者』をはじめとして多くの命を経験値として取り込み、レベルアップを積み重ね、ついには『魔王』に並ぶスキルを獲得して国も大陸も惑星さえも抹消したバケモノである。
それが、ミアラという実の子供に嫌いと言われて涙目で震えていた。かつて死闘を演じた者たちが今の彼女を見ればあまりのギャップに唖然とすることだろう。
だが、これが紛うことなき今のキアラなのだ。
どこぞのネコミミが特徴的なグラマラスな少女と出会ったからこそ、キアラというバケモノは『こう』なった。
それを弱くなったと断じる者もいるだろう。
それを糾弾する者だって。
だけど、それでも、やはりキアラはどこまでいってもクソッタレなバケモノなので今胸の中で暖かく光る幸せを大事に抱える以外の道を選ぶつもりはなかった。
その大事に抱えた温かなものに今まさに突き刺されてのたうち回っているのだが。
「キアラさん。どうして娘さんから嫌いと言われたのでございましょう?」
「どうしてって……だって、最近ミアラがメリーの話ばかりするからっ、少しキツく当たってしまったのよ……」
メリーとはアリス=ピースセンスと『その妻たち』の娘である。誰の、という点を深掘りすると漏れなく大陸全土を巻き込んだ戦争が勃発するので決して触れてはいけない禁忌だったりする。
「あのキアラが思春期の人間みたいなこと言っているですよ」
「なによなによっ! 昔はワタシのこと大好きって笑ってくれていたのに、最近はメリーメリーって楽しそうに話すのを聞かされるワタシの身にもなってよ!! どれだけ身を引き裂かれる思いがすることかっ!!」
「母親になるっていうのはあのキアラさえもここまで骨抜きにするものなんですね」
どこまで言っても最愛『のみ』を大事にするミーナには理解できない心境であった。そういう点で言えばキアラはすでにミーナとは異なる領域に足を踏み入れているのだろう。
「わたくしには子供がいないので的確な助言はできませんが、それでもこれだけは断言できます。キアラさんは娘さんに幸せになって欲しいのでございますよね?」
「当たり前よ! ミアラの幸せのためなら世界だって滅ぼしてやるんだから!!」
……全然まったくこれっぽっちも比喩でも何でもないのだが、キアラの本質を知らないセシリーは微笑ましいものを見るように目元を柔らかく緩めていた。
「であれば、何をやるべきかはわかるでございますよね? 大切な子供が自分の手を離れていくのは寂しいものでありますけど、それでもそれ以上に幸せになって欲しいと望んでいるのですから」
「うっ」
「それに、心配はいらないでございますよ。おそらくは売り言葉に買い言葉で嫌いなどとおっしゃられたようですが、娘さんは本気でキアラさんを嫌いになったわけではないはずですから。昔と同じように独占できなくとも、『好き』の種類は違えども、娘さんがキアラさんを想う気持ちに変わりはないのでございますから」
「……どうしてそう言い切れるのよ?」
おそるおそると、鮮血も死を感じさせない、弱々しい問いにセシリーは笑顔である場所を指差し、こう答えた。
「もしも娘さんがキアラさんのことを嫌いであれば、こんなところまで迎えには来ないでございますよ」
途端にどたばたっ! とキアラの後方で物音が響いた。そちらに視線を向けると、どこか慌てた様子で隠れようとしている真っ赤でありながらネコミミが特徴的な少女の姿があった。
ミアラ。
キアラとミケの娘はどこか照れ臭そうに頬を掻きながら、
「その、ごめん、色々と言い過ぎた」
「ミアラあーっ!!!!」
「にゃっは!? 待って待って見られているからいきなり抱きつくのは待ってよっ!!」
ーーー☆ーーー
年も越す間際、真夜中であるというのに騒がしい乱入者が続いていたが、ようやくの二人きり。
ほくほく笑顔でおそばをすするセシリーを見つめながら、ミーナは口元を緩めていた。……内心についてはドロドロぐちゃぐちゃ砂糖を煮詰めてはちみつをぶっかけたように愛が荒れ狂っているのだが、もちろん心を読むだのといった超常とは無縁なただの人間であるセシリーが気付くわけもなかった。
そう、そんな普通の人間がこうして『魔王』と向かい合ってそばをすすっているとは何とも数奇な状況だった。
ほんの少し何かが違えばこの結末を招くことはできなかっただろう。おそらく何度物語を繰り返そうが『こう』なることはほとんどなく、本当に奇跡の連続がセシリーとミーナが共に過ごす結末を導いたのだ。
「ミーナ」
「はい、なんですか、セシリー様?」
「幸せでございますね」
静かに、何ともなく漏れたその言葉に。
無表情にして無感動に言葉を返すのが常のミーナが僅かに、ほんの僅かとはいえ表情を崩して、セシリーにしか許すことはない表情を見せた。
それは。
鮮血と死の象徴であった『魔王』では決して見せることはなかった、この世界が辿った物語がどんなものかを示す、そんな表情であった。
「そうですね」
そうして世界は新たな年を迎えていく。
森の奥深く、ほとんどの人間が知らない小さな家で穏やかな時間が流れるほどに何事もなく、幸せを包み込んで。




