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『通信の鳩、食料の鳩 〜戦国の兵糧から米相場、大正の災害まで。鳥の「愛」とフンで日本を救った4代の歴史〜』  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第10話:天下統一の足音】

第10話です。

戦国時代の終わりが見えてきました。

武功が評価されない時代に、統真が仕掛けるネクストビジネスとは?

時代の転換期を生き抜く内政の智慧が光ります。

──カン、カン、カン、カン。 


遠くの街道から、規則正しい馬のいななきと、

荷車の軋む音が響いてくる。 


かつて地鳴りのような砲声と兵たちの怒号に包まれていた小田原の城下町は、

いまや諸国を行き交う商人たちの活気に満たされていた。


「……随分と、静かな空になったもんだな」 


鳩小屋の縁側に腰掛け、荒木弦介がぽつりと呟いた。

無精髭の混じった顎をなでるその手には、どこか力が抜けている。 


織田信長、そして豊臣秀吉による天下統一の事業は急速に進み、

日本中を震撼させていた大規模な城塞戦は目に見えて減少していった。


それは紛れもない静謐の訪れであったが、

同時に、武功による出世だけを信じて刀を振るってきた者たちにとっては、

己の居場所を失うことを意味していた。


「なあ、梛木。お前が首を懸けて守ったこの鳥どもも、ついに終わりかねえ」


「終わり、とは?」 


小屋の奥で、諸国の街道が描かれた大地図を広げていた梛木統真が、

静かに顔を上げた。


「言葉の通りよ。

戦がなくなれば、敵の包囲網を破る『胃袋の密書』も、

嵐を突く『救援の合図』も必要ねえ。


武将どもはみんな、鳥の恩なんて綺麗さっぱり忘れて、

これからは槍や鉄砲の数を減らすことばかりに躍起になる。


やはり、戦が終われば鳥は用済みか。

……大飯を食らうだけのこいつらを、いつまで養ってやれるか分からねえな」 


弦介は寂しげに笑い、手元にいた灰色の鳩の頭をそっと撫でた。

かつて深手を負い、三人の執念で生き長らえた

初代『疾風(ハヤテ)』の血を引く、見事な若鳥だ。


「ふふ、相変わらず心配性だね、親父どのは」


 天井の梁から、お初が音もなく飛び降りてきた。

忍び装束ではなく、町娘のような小袖を着流している。


「うちはむしろ、せいせいしてるけどね。

泥を這い回る忍び働きより、

うして美味い果物でも齧ってる方が性に合ってる」


「お初、お前なぁ……」


「しかし、荒木殿」


 統真が地図の上に一本の筆を置き、二人の前に歩み出た。

その瞳には、かつて籠城戦の極限状態で敵の裏をかいたときのような、

冷徹で、しかし凄まじい熱量を秘めた光が宿っていた。


「私は全く異なる行く末を描いているよ。

戦が終わるということは、破壊が終わり、

新たなる国造りが始まるということだ」


「国造りだと? 何を創るってんだ、軍配者様よ」


「天下の『新しい伝路』だ」


 統真は広げられた大地図の、

東国へ下る東海、東山の街道筋、

そして大坂へと続く太い線を指先でなぞった。


「戦がなくなれば、今度は諸国の商いや、

天下の政の知らせがにわかに盛んになる。


大名たちは領地の勝手を気にし始め、

商人たちは一刻も早く上方の物価を知りたがる。


……だが、現在の地上の伝路はどうだ? 


飛脚がどれほど俊足であろうとも、

大井川の川止めに遭えば何日も足止めを食らい、

関所の検問を受ければ書状の一通を届けるのにも時を費やす。


人の足による報せには、自ずと境があるのだ」


「それは、そうだが……。それが鳥とどう繋がるんだ?」 


弦介が怪訝そうに眉をひそめる。

お初もまた、統真の言葉の先を促すように小首を傾げた。


「人間が走る飛脚よりも、空を飛ぶ鳩の方が圧倒的に速い。

川の水量も関係なければ、地上の関所に遮られることもない。


……荒木殿、お前が仕込んでくれたあの『低空の山谷ルート』の技、

解き放つ『鳩の継所(つぎしょ)』の仕掛けを使えば、

上方の商いの直(ねだん)を、

その日のうちに関東へ届けることすら夢ではない。


私は、この平時における街道の伝路開拓を、天下の規模で行う算段だ」


「……おいおい、正気かよ」 


弦介の目が、驚愕に大きく見開かれた。


「戦の道具だった伝書鳩を、今度は商人の商売や、

お上の政の道具に使うってのか?」


「さよう。これこそが、この鳥たちの命と血統を、

100年先まで絶やさずに守り抜く唯一の道だ」


「なるほどね……。軍配者様の頭の中は、本当に退屈しないや」 


お初が不敵に口元を緩め、ぽんと統真の肩を叩いた。


「面白そうじゃん。地上の飛脚どもが泥にまみれて走ってる上を、

うちらの鳥がひと飛びで追い抜いていくんだ。

その仕掛け、うちも一枚噛ませてよ」


「ああ、お前の足で、全国の街道に信頼できる継所の番人を置いていってほしい」


「任せときな。風のように飛び回ってあげるから」


 ──されど、胸に描いた図通りにはいかぬのが世の常であった。 

統真はそれからの数ヶ月間、

着古した直垂をまとい、

各大名家の留守居役や、大坂や堺の巨大な大棚の門を叩き続けた。


「梛木殿、お話は分かったが……さすがに突飛が過ぎる」 


大名家の老臣の一人が、

統真の差し出した書状を一瞥し、鼻で笑った項目。


「鳥が文を運ぶなど、戦場の極限状態だからこそ使えた奇策よ。

平時における公の書状を、そのような生身の獣に預けられるか。

万が一、途中で鷹に食われでもしたら、誰が申し開きをするのだ」


「戦の道具を商売に使うなど、いささか卑しき仕業(しわざ)」 


ある大商人の主も、冷ややかに首を振った。


「我ら商人は、古くから確実な飛脚宿を信用しております。

空を飛ぶ鳥の速度など、にわかには信じがたい。

申し訳ないが、無駄金を使うつもりはございませんな」


 行く先々で、冷遇と拒絶の嵐が統真を襲った。

周囲の武士たちからは

「戦が終わったというのに、過去の武功にしがみつき、

鳥を使って一儲けしようと企む落ちぶれ軍配者」と、陰口を叩かれる日々。 


どれほど有用性を説いても、

新しい時代の足音に気づかぬ者たちは、

古き習わしという名の殻に閉じこもり、

統真の言葉をただの戯言と切り捨てた。


 ある日の夕暮れ。疲れ果てて鳩小屋に戻ってきた統真の前に、

弦介が黙って一杯の白湯を差し出した。


「どうだった、梛木。

今日も全滅か」


「……ああ。

誰も、空を見上げようとはしない。

地上の道しか見えていないのだ」 


統真は悔しさに唇を噛みしめ、拳を強く握りしめた。


「ハハハ、上等じゃねえか」 


弦介が、無骨な手を統真の肩にどさりと置いた。


「お前が首を懸けて衣笠の旦那に挑んだときも、

最初は誰も信じちゃいなかった。

あの籠城の夜だって、みんなお前を『鳥の阿呆』と笑っていたはずだ。

それがどうだ? 

最後には、あの強情鳥の疾風が、

すべての鼻をへし折ってやったろうが」


「荒木殿……」


「あいつらが馬鹿なのは今に始まったことじゃないよ、軍配者様」


 梁の上で足を揺らしながら、お初が不敵に微笑んだ。


「人間はね、実際に目の前で『奇跡』を見せつけられないと、

自分の間違いに気づけない生き物なんだよ。


だったら、また見せつけてやればいい。

地上の飛脚がどれほど無力で、

うちらの鳥がどれほど偉大かってことをさ」


 二人の言葉が、統真の冷えかけたつむじ風に、

再び鮮烈な炎を灯した。

 

そうだ。

拒絶されたからといって、諦めるわけにはいかない。

戦が終わろうとも、人と鳥の絆の本質は変わらないのだ。


「……そうだ。あいつらが信じないのなら、

信じざるを得ないほどの圧倒的な結果を、この手で創り出すまでだ」


 統真は立ち上がり、夕日に照らされる若き『疾風』の瞳を見つめた。

その黒い瞳は、かつて初代が大嵐を睨みつけていたときと同じ、

圧倒的な気高さを宿していた。


「新しい時代は、もうすぐそこまで来ている。

織田も豊臣も、やがて次の世へと移り変わるだろう。


その時、この国の情報の命脈を握るのは、

地上の権力者ではない。

私たちが育てる、この小さな翼だ」


 統真の静かな、しかし確信に満ちた声が、薄暗い鳩小屋に響き渡る。

 

弦介が満足げに笑い、お初が楽しげに小刀を弄んだ。 

周囲がどれほど嘲笑し、時代遅れと見下そうとも、

彼らは新しい世の足音を誰よりも正確に聴き取っていた。


天下統一の足音が地響きを立てて迫るなか、

梛木統真たちは、密かに全国規模の巨大な計画

──空の伝路の網の目を、歴史の裏側で着実に、

そして完璧に張り巡らせ始めていたのだった。

戦がなければ情報ビジネスを始めればいいじゃない、

という統真の先進的な思考。

格好いいですね。

次回、日本の歴史の最大の合戦「関ヶ原」の裏で、鳩たちが暗躍します!

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