第4話 秘密
「それで?」
翌朝。
ミリアは腕を組んでいた。
レオンはパンを食べていた。
「何です」
「何です、じゃないでしょう」
「朝食ですけど」
「見れば分かるよ」
「じゃあ何ですか」
「黒魔術」
レオンはパンを噛んだ。
固い。
王都を出て二日目。
教会のパンから解放されたと思ったら、軍の携行食はさらに固かった。
「忘れてなかったんですね」
「黒魔術なんでしょう?」
「分類上は」
「じゃあ合ってるじゃない」
「黒魔術って呼び方が良くないんですよ。何かこう、人を呪い殺したり、死体を起こしたりするみたいで」
「しないの?」
「俺はしません、できますけど」
ミリアの顔が引きつった。
「できるんだ……」
「理論上は」
「やったことある?」
「ないです」
「本当に?」
「ない」
「人に使ったことは?」
「ないです」
「動物」
レオンは少し黙った。
ミリアの目が細くなる。
「あるんだ」
「鼠」
「何したの」
「二匹の魔力経路を一時的に接続しただけです」
「それ、鼠はどうなったの?」
「元気でしたよ」
「本当に?」
「片方は」
ミリアが立ち上がった。
「待って待って、嘘です。両方生きてます」
「最低」
「今のは冗談でしょう!」
「冗談で言うことじゃないよ!」
周囲の兵士がこちらを見る。
レオンは声を潜めた。
「だから大丈夫ですって」
「大丈夫じゃないから禁止されてるんじゃないの?」
「それは別問題です」
「どう別なの?」
レオンは残ったパンを置いた。
説明するのは面倒だった。
だが昨夜、全部説明すると約束してしまった。
正確には、説明させられた。
「魔術って何だと思います?」
「急に何?」
「いいから」
ミリアは少し考えた。
「魔力を使って、火を出したり、傷を治したりするもの」
「半分正解」
「半分?」
「魔術は、元々人間のものじゃない」
ミリアが黙った。
これは子供でも知っている話だった。
昔。
まだ人間が術式というものを知らなかった時代。
魔族はすでに魔力によって自然へ干渉していた。
火を起こす。
風を操る。
肉体を変える。
人間には、それが何をしているのか理解できなかった。
だから呼んだ。
魔法。
「人間は魔族の魔法を真似した」
レオンは指先に小さな光を灯した。
「でも、そのままじゃ使えなかった。身体も違う。魔力の流れ方も違う。そもそも魔族自身、どうやって魔法を使ってるのか人間に説明できなかった」
「それで術式を作った?」
「そう」
指先の光が消える。
「観察して、分解して、再現する。何百年もかけて、人間が使える形へ組み直した。それが魔術です」
「それは知ってる」
「なら話が早い」
レオンは水を飲んだ。
「今の魔術は、その中でも安全で、再現性が高くて、教えやすいものだけが残った体系です」
「黒魔術は?」
「捨てられた方」
ミリアが眉を寄せる。
「危ないから?」
「それもある」
魂。
死。
精神。
他人の魔力。
生命そのもの。
現在の魔術師が扱う魔術の多くは、自分の魔力を自分で制御して外界へ作用させる。
黒魔術は違う。
境界を越える。
自分と他人。
生者と死者。
一人の魔力と別の人間の魔力。
「例えば、昨日使ったのは接続術です」
「接続?」
「俺の魔力経路と魔導器の魔力経路を、一時的に繋いだ」
「それで中を見たの?」
「見たというより、流れを写した」
「普通の解析魔術じゃ駄目なの?」
「駄目」
「どうして?」
「警報が鳴るから」
「やっぱり悪いことしてるじゃない」
「そこは今関係ないでしょう」
「あるよ」
「術式の話してるんですよ!」
また周囲の兵士が見る。
レオンは咳払いした。
「……普通の解析魔術は、外から魔力を当てて反応を見る。でも接続術なら、魔導器自身の魔力経路の一部として潜り込める」
「だから気づかれない」
「そう」
「何でそんな術が禁止されてるの?」
「人間にも使えるから」
ミリアの表情が変わった。
レオンは自分の胸を指した。
「例えば俺とあなたを繋ぐ」
「嫌だけど」
「例えばです」
「嫌」
「何もしてないでしょう」
「続けて」
「俺の魔力をあなたへ送れる。逆もできる」
「それだけなら治療に使えそう」
「使えますよ」
「じゃあ――」
「相手の魔力を勝手に抜くこともできる」
ミリアが黙った。
「大量にやれば?」
「死ぬ可能性がある」
「……だから黒魔術」
「そういうことです」
「じゃあ禁止でいいじゃない」
「だから禁止そのものに文句はないです」
「研究してるけど?」
「研究と使用は違う」
「危ない人はみんなそう言うわよ」
「俺を何だと思ってるんですか」
「夜中に軍の魔導器を勝手に分解して、黒魔術を使ってた人」
反論できなかった。
*
「でも」
しばらくして、ミリアが言った。
「昨日、何が分かったの?」
レオンの表情が変わった。
「……あれは、変です」
「どう変?」
レオンは地面へ小枝で円を描いた。
「これが使用者」
もう一つ。
「これが魔導器」
二つを線で結ぶ。
「普通は、使用者から入った微弱な魔力を魔導器内部で増幅、整流して、術式を発動する」
「うん」
「少なくとも、そういうことになってる」
「なってる?」
レオンは魔導器からもう一本、線を引いた。
円の外へ。
「これがある」
ミリアが線を見る。
「どこに繋がってるの?」
「分からない」
「他の魔導器?」
「可能性はある」
「軍の通信網とか」
「それなら説明がつく機種もあります。でも昨日見たのは防御魔導器ですよ。通信機能はない」
「じゃあ何?」
「だから分からない」
レオンは枝を折った。
「しかも、あの構造は昔からある」
「昔?」
「俺が勇者パーティにいた頃から」
ミリアが顔を上げる。
「それが、追放された理由?」
「理由の一つ」
「これを調べてたから?」
「そう」
「誰かに言った?」
「何度も」
「何て?」
「問題ないって」
「誰が?」
「技術局」
「じゃあ、本当に問題ない可能性は?」
レオンは答えなかった。
ミリアは遠慮なく続けた。
「レオンが知らないだけで、ちゃんとした理由があるとか」
「ありますよ」
即答だった。
ミリアが少し驚く。
「あると思ってるの?」
「当然でしょう」
レオンは折れた枝を放り捨てた。
「俺が知らないことなんていくらでもある」
「……意外」
「何です、その顔」
「いや」
「ただ」
レオンは続けた。
「分からないなら、分からないと言えばいい」
その声には、少しだけ棘があった。
「技術局はそうしなかった。安全だ。問題ない。管轄外だ。それだけだった」
昔の部屋。
三人の大人。
机の上の資料。
――君は技術局員ではない。
「だから気に入らない」
「魔導器が?」
「違う」
レオンは前を見た。
街道では兵士たちが出発の準備をしている。
荷車。
剣。
杖。
大量の魔導器。
「分からないまま、分かったことにされてるのが」
*
行軍が再開した。
昨日の襲撃で予定より半日ほど遅れている。
警戒も強化された。
街道の左右には斥候。
上空には小型の索敵魔導器。
レオンはそれを見上げた。
鳥のような形をした金属器。
魔力を周期的に放ち、周囲の反応を拾う。
「先生!」
前方から声。
カイだった。
肩には包帯。
昨日レオンが治した傷だ。
「重い物持つなって言いましたよね」
「持ってません!」
背中に大きな荷袋。
「それは?」
「軽いです」
「下ろせ」
「大丈夫ですよ」
「傷、開きますよ」
「治してくれるでしょう?」
「有料にしますよ」
「軍が払うんで」
「十倍取ります」
「ひどい横暴だ!」
カイは笑いながら荷袋を下ろした。
その様子を、少し離れた場所からガレスが見ている。
「珍しいな」
「何がです」
「同年代と喋ってる」
「昨日知り合っただけです」
「お前、昔から年上にばっかりくっついてたからな」
「周りに同年代がいなかったんですよ」
「いたぞ」
「馬が合わなかった」
「それを世間では友達がいなかったと言う」
「油と喧嘩のセットを売りにきたんですか?」
ガレスが笑う。
カイが首を傾げた。
「先生、この竜人の人、誰です?」
「昔の知り合い」
「ガレスだ」
「カイです」
二人が握手する。
ガレスがカイの腰を見る。
「新型か?」
「身体強化ですか? はい」
「使いやすい?」
「かなり。前の型より起動が速いです」
「へえ」
ガレスは素直に感心している。
レオンが横目で見る。
「何だ」
「別に」
「魔導器嫌いだと思ってたか?」
「あなたもクビになった側でしょう」
「だからって道具を恨んでどうする」
ガレスは歩きながら言った。
「剣に仕事奪われた槍兵が、剣を折って回るか?」
「そういう奴もいるでしょうね」
「いるだろうな」
ガレスは笑った。
「でも俺はやらん」
カイが少し気まずそうに二人を見る。
「……魔導器で、仕事がなくなったんですか?」
「まあな」
ガレスは軽く答えた。
「宮廷で結界と攻撃術をやってた。俺一人雇う金で魔導器兵が何人置けるとか言われてな」
「すみません」
「何でお前が謝る?」
「いや……」
「便利なんだろ、それ」
ガレスがカイの魔導器を指す。
「はい」
「なら使え」
「でも」
「ただし」
ガレスの指がカイの額を軽く叩いた。
「道具持っただけで魔術師になった気になるなよ」
「はい?」
「昨日見た。剣も下手。間合いも下手。敵に突っ込みすぎ」
「先生にも言われました」
「だろうな」
「頭突きは褒められました」
「褒めてないぞ」
レオンが割り込んだ。
ガレスが笑った。
「じゃあ伸び代だらけだな」
「はい!」
カイはなぜか嬉しそうだった。
レオンは二人を見る。
何となく面白くない。
「先生」
「何」
「何で不機嫌なんです?」
「不機嫌じゃない」
「顔」
「お前までそれか」
*
昼を過ぎると、景色が変わり始めた。
畑が減る。
代わりに、放棄された農地が増える。
焼けた家。
壊れた柵。
街道を反対方向へ歩く人々。
最初は数人だった。
やがて十人。
二十人。
荷車を引く家族。
老人。
子供。
家畜。
「避難民だ」
ガレスが言った。
誰も喋らなくなった。
幼い女の子が、兵士たちの列を見上げている。
母親の手を握っている。
その反対の手には、人形。
片腕がなかった。
「どこからです?」
カイが近くの老人に訊いた。
「リューデン村」
「ここから?」
「歩いて二日だ」
「何があったんです」
老人は答える前に、少し迷った。
「魔族だ」
周囲の兵士が反応する。
「襲われた?」
「夜にな」
「軍は?」
「来なかった」
老人はそれだけ言うと、地面に痰を吐いて歩いていった。
カイが黙る。
ガレスも何も言わない。
レオンは遠ざかる避難民を見る。
「魔族軍?」
ミリアが訊いた。
「分かりません」
「でも魔族だって」
「魔族と魔族軍は違います」
「じゃあ何?」
「分からない」
また、その言葉だった。
分からない。
最近、そればかりだ。
レオンは嫌いだった。
*
夕方。
一行は小さな宿場町へ到着した。
町の周囲には簡易な柵が築かれていた。
兵士がいる。
避難民もいる。
家々の窓には板。
広場には負傷者。
前線が近い。
空気で分かった。
王都とは違う。
人間が戦争の話をしているのではない。
戦争の方が、人間の生活へ入り込んでいる。
「救護班!」
到着するなり声が飛んだ。
ミリアが走る。
レオンも反射的についていく。
「負傷者は?」
「礼拝堂!」
「何人」
「二十……いや、もっとだ!」
扉を開ける。
血の匂い。
レオンの顔つきが変わった。
床に人が並べられている。
兵士。
村人。
子供。
老人。
「重傷者から!」
レオンが叫ぶ。
「歩ける奴は外! 出血してる奴を先に! ミリア、右!」
「分かった!」
仕事が始まる。
考える時間はなくなった。
一人目。
腹部。
深い。
止血。
二人目。
火傷。
後。
三人目。
腕。
切断。
まだ間に合う。
「これ持って!」
近くの兵士へ切断された腕を押しつける。
「えっ」
「落とすなよ!」
「はい!」
魔力を流す。
血管。
神経。
骨。
接続。
レオンの額に汗。
「先生」
「喋るな」
「俺……」
「死にません」
「でも」
「黙れ」
兵士が黙った。
一時間。
二時間。
外が暗くなる。
魔力が減る。
頭痛。
それでも続ける。
最後。
少女。
十歳くらい。
背中に裂傷。
浅い。
問題ない。
「痛い?」
「……うん」
「正直で偉い」
「治る?」
「治ります」
「魔術?」
「そう」
「お兄ちゃん、魔術師?」
レオンの手が止まりかけた。
「そうです」
「すごい?」
「すごいですよ」
ミリアが横から睨む。
「何です」
「別に」
少女が少し笑った。
レオンは傷を閉じる。
「終わり」
「もう?」
「もう」
少女は背中へ手を伸ばそうとする。
「触らない」
「痛くない」
「でも触らない」
「ありがとう」
「どういたしまして」
少女の母親が何度も頭を下げた。
二人が礼拝堂を出る。
レオンは壁にもたれた。
「疲れた」
ミリアが水を渡す。
「お疲れさま」
「魔力、半分くらい使った」
「休んで」
「まだいる?」
「重傷者はいない」
「ならいい」
水を飲む。
冷たい。
「レオン」
「何です」
ミリアが少し離れた寝台を見ていた。
一人の兵士が眠っている。
「どうした?」
「昨日から気になってたんだけど」
ミリアが近づく。
兵士の腕には軍用魔導器。
「この人も」
「何が?」
「魔力の流れ」
レオンの表情が変わった。
「分かるんですか?」
「あなたほどじゃない。でも治療してると、なんとなく」
ミリアは兵士の腕へ触れないよう指を近づける。
「ここ」
「……」
「変じゃない?」
レオンがしゃがむ。
目を閉じる。
通常の治癒診断術。
身体内部の魔力経路を読む。
「……何だ、これ」
細い痕跡。
腕から。
肩。
胸。
心臓ではない。
魔力器官。
そこから外へ向かって。
何かが引かれたような。
「昨日治療した兵士にもあった」
ミリアが言う。
「何で言わなかったんです?」
「魔導器兵ってこういうものなのかと思ったから」
レオンは別の兵士を見る。
「ちょっと」
「寝てるよ」
「診るだけです」
手をかざす。
ある。
別の兵士。
ある。
三人目。
ある。
「全員……」
「魔導器使ってる人?」
「たぶん」
レオンの心臓が速くなる。
昨夜見た術式。
使用者から。
魔導器へ。
そして。
その先へ。
「レオン」
ミリアの声が低くなった。
「これ、何?」
「分かりません」
「危ない?」
「分からない」
「また?」
「分からないものは分からないんです!」
思わず強く言った。
ミリアは黙った。
レオンは息を吐く。
「……すみません」
「うん」
「でも」
眠っている兵士の魔導器を見る。
「調べないと駄目だ」
*
その夜。
レオンは眠れなかった。
礼拝堂の外へ出る。
町は静かだった。
遠くで見張りの兵士が歩いている。
魔導灯が街道を照らしている。
一つ。
二つ。
三つ。
魔導器。
どこにでもある。
王都。
村。
軍。
家。
工房。
鉱山。
学校。
人間の社会そのものへ、すでに入り込んでいる。
そのすべてに。
あの術式があるのか。
「考えすぎだ」
小さく呟いた。
証拠はない。
ただの共通規格かもしれない。
同期用。
安全装置。
自分の知らない新技術。
いくらでも説明は考えられる。
背後で扉が開いた。
「また何か分解してる?」
ミリアだった。
「してません」
「ならいい」
隣へ立つ。
二人で町を見る。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
遠く。
山の向こうで。
光が上がった。
赤。
一つ。
続けて二つ。
三つ。
レオンが立ち上がる。
「何、あれ」
ミリアが訊く。
答えるより早く。
町の鐘が鳴った。
一回。
二回。
激しく。
宿舎から兵士たちが飛び出してくる。
「起きろ!」
「敵襲か!?」
「違う!」
伝令が馬で広場へ飛び込んできた。
馬が泡を吹いている。
男は鞍から転げるように降りた。
「前線より急報!」
広場が静まる。
「第三砦が落ちた!」
誰かが息を呑んだ。
伝令は続けた。
「魔族軍、国境を越境!」
レオンは山の向こうを見る。
赤い光。
あれは火だった。
一つの砦が燃えている。
そして。
そのさらに向こう。
夜の地平線に。
もう一つ。
火が上がった。




