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次の旅

誰も、しばらく動かなかった。


中央装置の表示だけが光っている。


《第三経路――遮断》


その文字が、何度か明滅した。


ユリウスは動かない。


ミリアは胸元に手を置いたまま、俯いていた。


もう治癒の光は出ていない。


レオンも、その場に座り込んでいる。


左脇腹が熱い。


痛いはずなのに、あまり感じなかった。


視線だけが、ユリウスから離れない。


「……レオン」


ミリアが言った。


返事はしなかった。


「傷」


「あとで」


「あとじゃない」


「あとでいいです」


「よくない」


ミリアの声が少し強くなる。


レオンはようやく顔を上げた。


「まだ終わってない」


ミリアは何か言おうとして。


やめた。


中央装置を見る。


確かに。


終わってはいない。


第三経路は切れた。


だが、装置そのものは残っている。


六百年前の設備。


そこへ追加された黒い部品。


配管。


制御盤。


何がまだ生きているのか分からない。


ボルグはすでに立ち上がっていた。


「カイ」


「はい」


「その黒い管、まだ触るな」


「分かりました」


「ガレス」


「何だ」


「出口側を見てくれ。外の設備がどうなったか確認したい」


「分かった」


ガレスが走り出す。


ハーゲンは壁際に座り込んだまま、肩で息をしていた。


「……歳じゃな」


「まだまだ現役ですね」


カイが返す。


「うるさい」


そう言いながら、ハーゲンは立とうとした。


膝が震える。


カイが支えた。


「無理しないでください」


「まだそんなこと言われたくないわ」


「体は年寄りでも心は若いままってやつですか」


「お前、レオンと過ごしすぎて悪い影響を受けとるぞ」


いつもの調子だった。


だが誰も笑わなかった。


レオンは立ち上がる。


脇腹が引きつった。


「っ……」


ミリアがすぐ腕を掴んだ。


「だから言った」


「歩けます」


「歩けるかどうかじゃない」


「三分だけ」


「駄目」


「二分」


「交渉しないで」


「一分」


「レオン」


その呼び方で、諦めた。


レオンは座る。


ミリアが脇腹へ手を当てる。


白い光。


遅れて痛みが戻ってきた。


「……痛い」


「当たり前」


「もっと優しくできません?」


「できるけど、しない」


「何でです」


「腹が立ってるから」


「俺に?」


「今はね」


レオンは黙った。


ミリアもそれ以上言わない。


傷口が少しずつ塞がっていく。


その間もレオンは中央装置を見ていた。


ボルグが制御盤を開いている。


古い金属板。


その隣に、明らかに材質の違う黒い箱。


六百年前の設備ではない。


表面に細い溝。


王国の魔導器でよく使われる規格に似ている。


だが。


少し違う。


「ボルグ」


「なんじゃ」


「その黒い箱、外せますか」


「外す」


「壊さずにですよ」


「注文が多い」


「証拠になります」


ボルグが鼻を鳴らす。


「分かっとる」


工具を差し込む。


固定具を一つずつ外していく。


古い装置と黒い箱の間から、細い金属線が何本も伸びている。


レオンは治療を受けながら目を細めた。


「やっぱり」


「何が?」


ミリアが訊く。


「構造が違う」


「分かるの?」


「古い方は魔力を束ねるためのものです。でも黒い方は」


一度言葉を切る。


「流れを制御してる」


「吸う方向に?」


「そうです」


ハーゲンがこちらを見る。


レオンは続けた。


「本来の返還経路を塞いで、外へ流す方向だけ残してる」


「つまり」


カイが言う。


「六百年前の装置を、そのまま使ったんじゃない」


「ええ」


レオンは頷いた。


「改造した人間がいる」


ボルグが工具を止めた。


「人間とは限らんぞ」


「はい」


レオンは黒い箱を見る。


「でも、少なくとも現代の誰かです」


ボルグが最後の留め具を外す。


黒い箱が浮いた。


「重いぞ」


カイが両手で受け取る。


「うわっ」


「落とすなよ」


「先に言ってください!」


「今言った」


「遅いですよ! 長命種の感覚ですか!?」


黒い箱は床へ置かれた。


その下。


古い金属板に、焼けた跡が残っている。


レオンの表情が変わった。


「待って」


立ち上がる。


ミリアが睨む。


「まだ終わってない」


「これだけ」


「本当にこれだけ?」


「本当に」


近づく。


焼け跡。


ただの過熱ではない。


細い線が何本も一点へ集まっている。


レオンは指先を近づけた。


触れない。


魔力だけを流す。


反応。


ごく弱い。


「……切断痕」


ボルグが顔を上げる。


「何?」


「さっき俺たちが切った場所じゃない」


レオンは線を追う。


黒い箱から先。


王国側へ伸びていた経路。


その途中で。


何かが断たれている。


「向こう側から切られてる」


ミリアが眉を寄せた。


「向こう側って」


「接続先です」


「王国?」


「多分」


レオンは首を振る。


「いや」


違う。


正確には。


王国側へ繋がる途中。


そのどこか。


「第三経路が100%になったあと、一度だけ流れが変わった」


ボルグが思い出すように言う。


「逆流が始まる前か?」


「はい」


「確かに」


ボルグは計器を覗き込む。


「一瞬だけ、負荷が落ちた」


「それです」


レオンは焼け跡を見る。


「こっちが止める前に、誰かが反対側から接続を切った」


カイが息を止める。


「じゃあ、誰か見てた?」


「可能性は高いです」


「この装置を?」


「少なくとも接続状態は」


ミリアの表情が硬くなる。


「助けたってこと?」


レオンはすぐ首を振った。


「分かりません」


「でも切ったんでしょ?」


「俺たちを助けるなら、もっと早く切れたはずです」


沈黙。


レオンは黒い箱を見る。


「100%になるまで繋いでおいて、危なくなったから切った」


「自分たちまで巻き込まれるから?」


カイが訊く。


「かもしれません」


レオンはそう答えた。


それ以上は言えない。


証拠がない。


だが。


あの黒衣の魔族。


教会。


目が合った夜。


頭の奥に浮かぶ。


今は口にしなかった。


足音。


ガレスが戻ってくる。


「外、生きてるぞ」


ボルグが振り向く。


「全部か?」


「見た範囲じゃな」


「鉱山設備は」


「止まってた」


全員が黙る。


「どれくらいです」


レオンが訊いた。


「短い」


ガレスが答える。


「一分もないと思う。灯りが落ちて、搬送機が止まった。予備系に切り替わる前に戻った」


「怪我人は?」


「今のところ聞いてない」


レオンは息を吐いた。


少しだけ。


だが。


王国側は。


「通信設備は?」


ボルグが訊く。


「一部戻ってる」


「王国方面へ繋げるか」


「試してる」


そのとき。


奥から別のドワーフが走ってきた。


息を切らしている。


「ボルグ!」


「何じゃ」


「北側の中継所から報告!」


全員が見る。


「王国方面の魔導器網で、一斉停止があった!」


レオンの顔が固まった。


「範囲は?」


「まだ分からん!」


「時間は?」


「向こうの記録だと……」


ドワーフが紙を見る。


「三十秒前後!」


誰も声を出さなかった。


三十秒。


短い。


だがゼロではない。


「人的被害は」


レオンが訊く。


「まだ報告なし!」


「まだ、ですね」


「……ああ」


レオンは目を閉じた。


三十秒。


ユリウスが望んだもの。


王国が。


魔術師なしでどこまでやれるか。


本当に。


止まった。


「これで」


カイが小さく言った。


「繋がってたって証明にはなりますね」


「ええ」


レオンは答えた。


喜べない証明だった。


ボルグが計器の記録板を外す。


「残すぞ」


「全部お願いします」


「言われんでもやる」


別の記録板。


流量。


接続率。


逆流。


第三経路。


100%。


王国側停止の時刻。


全部が繋がる。


レオンは黒い箱を見る。


「これも」


「ああ」


「配管も」


「外す」


「工事記録も全部」


ボルグが面倒そうに顔をしかめる。


「お役人みたいなことを言うな」


「嫌なこと言わないでください」


「褒めたんじゃ」


「もっと嫌です」


少しだけ。


空気が緩んだ。


ほんの少し。


そして。


レオンの目が、床へ向く。


ユリウス。


そのままになっている。


笑いは消えた。


「……」


ハーゲンも見る。


「運ぶか」


レオンはすぐには答えなかった。


「はい」


「ここには置けん」


「分かってます」


「どうする」


その問いの意味は分かった。


埋めるのか。


王国へ連れて帰るのか。


ここで弔うのか。


レオンは考える。


「連れて帰ります」


ミリアが見る。


「王国へ?」


「少なくとも、ここには置いていけない」


「……そう」


レオンはユリウスのそばへ行く。


屈む。


顔を見る。


眠っているようには見えなかった。


死んでいる。


当たり前のことが。


今になって、はっきり見えた。


レオンは手を伸ばす。


ユリウスの杖が床に落ちている。


拾った。


血がついていた。


「これは」


カイが言う。


レオンは杖を見る。


「証拠じゃないです」


それだけ言った。


自分の荷物へ置く。


ハーゲンは何も言わなかった。


しばらくして。


ボルグが声を上げる。


「出たぞ」


「何がです」


「黒い追加部品の搬入記録」


レオンが振り返る。


「残ってたんですか」


「全部じゃない」


紙束。


古い帳簿。


そこに新しい紙が挟まれている。


「名義は?」


「王国側の行政発注」


「部署は」


ボルグが目を細める。


読み上げる。


「王立魔導技術局」


レオンの表情が変わった。


カイも。


ミリアも。


「本物ですか」


「知らん」


ボルグは紙を机へ置く。


「印章はある」


「偽造かもしれない」


「そうじゃな」


「でも」


レオンは紙を見る。


番号。


発注形式。


搬入経路。


現場責任者。


一つずつ。


「調べられる」


ボルグが頷く。


「王国へ戻ればな」


その言葉に。


レオンは少しだけ黙った。


王国へ戻る。


逃亡犯として出た場所へ。


ユリウスを殺して。


証拠を持って。


今度は自分から。


「……戻ります」


レオンが言った。


ミリアが見る。


「王都へ?」


「はい」


黒い箱。


記録板。


搬入記録。


そして。


ユリウスの遺体。


「ここまで来たら」


レオンは紙束を取った。


「戻らない理由がない」


ハーゲンが鼻を鳴らす。


「今さら怖気づいたら殴っとったわ」


「さっきもう限界って言ってませんでした?」


「杖なら振れる」


「元気じゃないですか、早く仕事してくださいよ」


「このクソガキが……」


ハーゲンは笑わなかった。


ただ。


レオンを見る。


「王国へ帰るなら勝手にしろ」


「はい」


「じゃが」


声が低くなる。


「こっちを巻き込んだ以上、結果くらいは知らせろ」


レオンは頷いた。


「必ず」


「あと」


ハーゲンが指を立てる。


「エルフの金属片」


レオンの顔が止まる。


「……忘れてました」


「忘れるな」


「返します」


「絶対じゃぞ」


「はい」


ボルグがため息をつく。


「まずはここを片付けるぞ」


「そうですね」


レオンは中央装置を見る。


古い部分。


黒い部分。


二つが無理矢理繋がれている。


六百年前の後悔。


現代の誰かの意図。


魔術師を捨てた時代。


その全部が。


ここに重なっていた。


レオンはもう一度、ユリウスを見る。


何も言わなかった。


ただ。


王国へ戻る。


そのことだけを決めた。

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