用心棒
低い振動が、少しずつ大きくなっていた。
第三経路――98%。
表示の下を走る細い光が、ゆっくりと右へ伸びている。
99へ。
レオンは杖を構えたまま、ユリウスを見る。
残る結界は一層。
その向こうに中央装置。
あと数歩。
それだけなのに、届かない。
「……邪魔です」
「知ってる」
ユリウスも杖を上げる。
先に動いたのはレオンだった。
床を蹴る。
今度は小細工をしない。
結界の前まで一直線。
ユリウスが杖を振った。
石の壁がせり上がる。
レオンは止まらない。
「《破砕》!」
壁の中央が砕ける。
破片の中を抜ける。
光弾。
首を振って避ける。
二発目。
杖で弾く。
三発目だけが、胸元を狙っていた。
防ぐ。
その瞬間、床が傾いた。
「っ!」
レオンの身体が横へ流れる。
ユリウスが足元を変えた。
転ばせるためではない。
中央装置から遠ざけるため。
レオンは杖を床へ突き刺し、勢いを殺した。
「本当に……!」
腕一本で身体を引き戻す。
「人を苛つかせる人です」
「用心棒としては最高の褒め言葉だな」
ユリウスが術式を放つ。
床を走った光が、レオンの杖へ絡みついた。
引かれる。
レオンは手を離した。
杖が宙を飛ぶ。
ユリウスの目が右手へ向く。
無杖へ切り替える。
それを待っている。
だからレオンは右手を動かさなかった。
代わりに走る。
「――っ」
ユリウスの反応が、一瞬遅れた。
レオンの拳が顔面へ入る。
鈍い音。
ユリウスがよろめく。
続けて腹。
脇腹。
さっきハーゲンに打たれた場所。
「ぐっ……!」
ユリウスの身体が折れる。
レオンはその肩を押し退けた。
結界まで二歩。
一歩。
手を伸ばす。
「レオン!」
背後から声。
振り返らない。
そのまま結界へ触れる。
魔力を流し込む。
構造。
固定点。
薄い。
さっきまでの八層とは違う。
これなら。
「《解――》」
背中に衝撃。
視界が白くなる。
レオンは結界へ叩きつけられた。
「……っ!」
肩越しに振り向く。
ユリウスが左手を伸ばしていた。
杖は落ちている。
無杖魔術。
レオンは歯を食いしばった。
「使えるようになったんですね」
「五年もあれば覚えるさ」
レオンは笑えなかった。
すぐに床を蹴る。
ユリウスも前へ出た。
魔術ではない。
二人の肩がぶつかった。
掴む。
押す。
肘。
拳。
狭い場所で、互いに術式を組む余裕がない。
レオンの方が若い。
速い。
力もある。
だがユリウスは、崩し方を知っている。
腕を引かれた。
足を掛けられる。
身体が浮く。
床へ落ちる寸前、レオンはユリウスの服を掴んだ。
二人まとめて倒れた。
「っ……!」
ユリウスの頭が床へ当たる。
その上へレオンが乗る。
腕を押さえる。
「もう終わりです」
「何がだよ」
「あなたが」
レオンは右手を上げる。
指先に魔力が集まる。
攻撃術式。
ユリウスの喉元。
撃てば終わる。
ユリウスはそれを見た。
それでも、笑った。
「撃てないだろ」
レオンの指が止まった。
「……」
「お前は、そういう奴だ」
次の瞬間。
ユリウスの膝が腹へ入った。
「がっ……!」
身体が浮く。
ユリウスがレオンを蹴り飛ばす。
レオンは転がりながら受け身を取った。
すぐに起き上がる。
ユリウスも立つ。
二人とも息が上がっていた。
レオンは腹を押さえた。
「……昔の俺なら、そうだったかもしれませんね」
ユリウスの顔から、少しだけ表情が消えた。
「何だよ、それ」
「そのままです」
「平気で人を殺せるようになったって?」
「そういう意味じゃない」
レオンは落ちた杖を拾った。
「俺だって、色々ありました」
「知ってるよ」
ユリウスが言った。
「だから腹が立つんだ」
レオンが眉を寄せる。
そのとき。
中央装置が鳴った。
それまでの低い駆動音とは違う。
金属を無理に捻るような、甲高い音。
ボルグが振り向く。
「まずい!」
床が跳ねた。
全員の身体が浮いた。
「きゃっ!」
ミリアが壁へ手をつく。
天井から石片が落ちる。
ガレスがカイの襟を掴み、引き寄せた。
「頭下げろ!」
次の振動。
今度はさらに大きい。
中央装置から青白い光が噴き上がった。
結界が揺らぐ。
レオンもユリウスも、反射的に装置を見る。
「ボルグ!」
「待て!」
ボルグが叫んだ。
「今、誰も触るな!」
「何が起きてるんです!」
「流量が上がった!」
ボルグが表示へ駆け寄る。
「第三経路が王国側を掴み始めたんじゃ!」
数字が点滅した。
98。
一瞬消える。
再び表示。
99%。
誰も喋らなかった。
その数字だけが、地下空間に浮いていた。
「……あと、どれくらいです」
レオンが訊いた。
ボルグは答えない。
「ボルグ!」
「分からん!」
怒鳴り返す。
「一分かもしれん! 三分かもしれん! こんな装置、六百年前の設計じゃぞ!」
再び振動。
今度は足場の一部が崩れた。
レオンとユリウスの間へ石が落ちる。
大量の粉塵。
視界が塞がれる。
レオンは口元を袖で覆った。
すぐには動かない。
向こうも同じだった。
粉塵が少しずつ落ちる。
崩れた床。
割れた石。
その向こうにユリウスが立っている。
距離が開いていた。
数秒だけ。
戦闘が止まった。
ユリウスは中央装置を見た。
99%。
その顔を、レオンは見ていた。
喜んでいない。
笑ってもいない。
ただ見ている。
「……満足ですか」
レオンが言った。
ユリウスがこちらを向く。
「何が」
「もうすぐですよ」
レオンは装置を指した。
「あなたの望み通り、王国の魔導器が止まる」
「そうだな」
「死人が出るかもしれない」
「……」
「病院の魔導器が止まるかもしれない。工場も。水も。灯りも」
ユリウスの表情が硬くなる。
「それでも?」
「数分だ」
「それで済む保証はないでしょう!」
レオンの声が響いた。
「この装置が何をするか、全部分かってない! あなたも分かってない!」
「だから止めるのか?」
「当たり前です!」
「王国を守るために?」
レオンが黙る。
ユリウスが小さく笑った。
「ほらな」
「何がです」
「お前は、結局そっち側なんだよ」
レオンの眉が寄る。
「意味が分かりません」
「まだ子どもだ。分かんねえだろうな」
ユリウスは杖を拾った。
だが構えない。
ただ、握っている。
「お前はいいよな、レオン」
「……何がです?」
「魔術師がいらなくなっても、お前だけはいらなくならない」
レオンの目が細くなる。
「俺だって追放されました」
「ああ」
「勇者パーティから切られて、資格もほとんど使えなくなった」
「ああ」
「王都にも戻れない」
「それでもだよ!」
ユリウスの声が跳ねた。
レオンが止まる。
「それでもお前は教会で治癒師になれた!」
地下に声が響く。
「どこへ行ったって仕事がある! 戦える! 治せる! 魔導器も分かる!」
「……」
「冒険者でも兵士でも技術者でも、何だってできる!」
ユリウスが一歩進んだ。
「俺たちは違う!」
拳を握る。
「俺たちは魔術しかなかったんだよ!」
レオンは何も言えなかった。
ユリウスの声が、さらに低くなる。
「国に言われた」
杖を握る指が震えている。
「魔術を学べって」
一歩。
「資格を取れって」
一歩。
「国の役に立てって」
一歩。
「だからやった」
レオンとの距離が縮まる。
「何年もやった」
ユリウスの目は、もう装置を見ていない。
レオンだけを見ている。
「お前ほどじゃない」
「……」
「でも俺だって、馬鹿じゃなかった」
ユリウスは笑った。
乾いた笑いだった。
「ちゃんと勉強したよ」
「ユリウス」
「術式も覚えた。資格も取った。仕事もした。国の依頼だって受けた」
その笑みが消える。
「で?」
沈黙。
「魔導器ができた」
中央装置が唸る。
「便利だから」
ユリウスは言った。
「安いから」
99%。
「誰でも使えるから」
光が伸びる。
「もうお前らはいらない」
レオンは口を開こうとした。
だが、言葉が出る前にユリウスが続ける。
「それで戦争になったら?」
ユリウスの目が鋭くなる。
「今度は人手が足りねえから戻ってこい」
「……」
「魔術が使えるんだろ?」
「……」
「国のために戦え」
その声が震えた。
怒りなのか。
笑いなのか。
レオンには分からなかった。
「平和な時はいらない」
ユリウスが言った。
「戦争になったら死んでこい」
沈黙。
「ふざけるなよ」
小さな声だった。
その一言だけが、妙に重かった。
レオンは何も返せない。
思い当たる顔がある。
王都を出る前に見た魔術師たち。
仕事を失った者。
店を畳んだ者。
冒険者へ流れた者。
軍へ戻った者。
自分は知っていた。
知っていたはずだった。
でも。
教会には仕事があった。
治癒魔術が使えた。
ガレスがいた。
ミリアがいた。
カイがいた。
そして今も、自分にはやるべきことがある。
「お前はいいよな」
ユリウスがもう一度言った。
今度は静かだった。
「俺たちと同じ顔して、同じ側にいるみたいに言えるんだから」
「……俺は」
「お前は捨てられてない」
その言葉が刺さった。
レオンの口が止まる。
「追放された?」
ユリウスが鼻で笑う。
「それが何だよ」
「……」
「お前はどこへ落としても価値がある」
一歩。
「王都が捨てても、教会が拾う」
一歩。
「教会がなくても、軍が欲しがる」
一歩。
「軍がなくても、誰かが金を払う」
ユリウスが目の前まで来る。
「俺たちは違った」
レオンは杖を握りしめた。
「それでも」
声が低くなる。
「それでも、これは違う」
「何が?」
「あなたが捨てられたことと、ここにいる人たちを巻き込むことは別です」
「王国の連中だぞ」
「だから何です」
「俺たちを捨てた国だ!」
ユリウスが叫んだ。
「俺たちを捨てた王国を、なんでお前が助けるんだよ!」
地下空間が静まった。
ミリアも。
カイも。
ガレスも。
誰も口を挟まない。
レオンはユリウスを見る。
答えを探した。
王国のため。
国王のため。
人間のため。
正義のため。
どれも違った。
少なくとも今は、そんな大きな言葉ではない。
「王国のためじゃない」
ユリウスの眉が動いた。
「じゃあ何のためだ!」
レオンは中央装置を見た。
99%。
どこか遠く。
この地下からは見えない場所。
眠っている人。
働いている人。
治療を受けている人。
魔術師を嫌っている人もいるだろう。
魔導器を歓迎した人も。
自分を知っている者も。
知らない者も。
「そこにいる人たちは」
レオンは言った。
「関係ないでしょう」
ユリウスの顔が歪む。
「綺麗事だ」
「そうかもしれません」
「お前は何も失ってないから言える!」
「失いましたよ!」
レオンの声も大きくなった。
ユリウスが止まる。
「俺だって、失いました!」
勇者パーティ。
居場所。
国王への信頼。
自分が積み上げてきたもの。
「でも」
レオンは一度息を吸う。
「だからって、他の人から奪っていい理由にはならない!」
言ってから、自分でも驚いた。
ユリウスも黙った。
レオンは続けた。
「俺が今、そうすると決める」
喉が乾いている。
それでも言葉を止めなかった。
「王国が俺を必要とするかどうかなんて、今はどうでもいい」
ユリウスの目が僅かに揺れる。
「必要とされるために助けるんじゃない」
その言葉が出た。
レオン自身にも、まだ完全には分からない。
ただ。
口にした瞬間。
胸の奥に何かが引っ掛かった。
ずっとあったものに、初めて触れたような感覚。
「俺が」
レオンは杖を構える。
「止めると決めたから止めます」
ユリウスはしばらく何も言わなかった。
やがて息を吐く。
「……そうかよ」
杖を上げる。
レオンも構える。
もう互いに笑わない。
「なら」
ユリウスの周囲に術式が浮かんだ。
一つ。
二つ。
三つ。
「俺も決めてる」
レオンの周囲にも光が集まる。
そのとき。
ボルグが叫んだ。
「レオン!」
二人の視線が一瞬だけ表示へ向いた。
99%。
その下に、小さな文字が現れる。
《最終接続工程》
ボルグの顔から血の気が引いた。
「次で繋がる!」
ユリウスが動いた。
レオンも同時に床を蹴る。
光が衝突した。
轟音。
最後の結界が大きく揺れる。
レオンは押す。
ユリウスが受ける。
「どけ!」
「嫌だ!」
「ユリウス!」
「レオン!」
互いの術式が砕ける。
レオンが一歩入る。
ユリウスが杖で止める。
押し合う。
中央装置まで、あと数歩。
レオンはユリウスの目を見る。
分かった。
退かない。
どれだけ傷つけても。
腕を折っても。
足を潰しても。
意識がある限り、止めに来る。
そして。
ユリウスも分かっている。
レオンがまだ、致命傷だけを避けていることを。
「まだやるのか」
ユリウスが息を切らしながら言った。
「何をです」
「殺さずに済ませるつもりか?」
レオンの手が止まりかける。
ユリウスの術式が爆ぜる。
レオンが押し戻される。
表示が明滅する。
99%。
《最終接続工程》
レオンは体勢を立て直した。
ユリウスの胸を見る。
その奥。
心臓。
そこを貫く術式なら。
一瞬で終わる。
考えた。
考えてしまった。
そのことに、自分で気づいた。
ユリウスも気づいた。
二人の目が合う。
「やっと」
ユリウスが言った。
「こっちを見たな」
レオンは何も答えなかった。
右手に、魔力が集まり始めた。




