第5話 第三砦
「反対です」
司令部へ入って、三分。
レオンは言った。
机を挟んだ向こうで、ヴァルナー大佐が眉間を押さえた。
「まだ説明の途中だ」
「途中まで聞けば十分です」
「俺は十分じゃない」
「じゃあ続けてください。聞いたあとでも反対しますけど」
「お前は――」
「レオン」
隣からガレス。
「黙って聞け」
「でも」
「聞いてから喧嘩しろ」
「喧嘩する前提?」
「お前の場合はな」
大佐がため息をついた。
机。
地図。
第三砦。
その南方に、現在の人間軍。
「夜明けと同時に進軍を開始する」
大佐が続ける。
「本隊は街道を北上。第三砦南方二キロで展開する」
駒が動く。
「特殊魔術中隊は先行」
「ほら」
「黙れ」
ガレスに止められる。
「西側から接近し、砦周辺の敵戦力を確認。可能なら西門を確保」
「可能なら?」
レオンが訊く。
「無理なら撤退」
「敵が追ってきたら?」
「本隊が援護する」
「本隊との距離は」
「最大二キロ」
「遠い」
「だから魔術師を出す」
大佐がレオンを見る。
「通常の偵察部隊では、魔族の魔法攻撃に耐えられん」
「魔導歩兵は?」
「本隊」
「また?」
部屋の空気が変わった。
ガレスが横を見る。
大佐は動かない。
「何が言いたい」
「魔導歩兵、昨日も温存しましたよね」
「右翼防衛だ」
「ほとんど戦闘してない」
「結果論だ」
「今日は?」
「本隊の火力として必要だ」
「じゃあ俺たちは必要じゃない?」
「逆だ」
大佐の声が低くなる。
「お前たちだから任せる」
レオンは黙った。
「特殊魔術中隊は、単独で攻撃、防御、偵察、撤退ができる。魔導器兵は装備への依存が大きい。補給なしで長時間動かせん。森や砦内部では大型装備も使えない」
全部。
説明がつく。
合理的だった。
「……分かりました」
ガレスが横目で見る。
大佐も少し驚いた。
「行くのか」
「命令なんでしょう」
「そうだ」
「なら行きます」
レオンは地図を見る。
第三砦。
「ただし、無理だと思ったら勝手に撤退します」
「命令違反だぞ」
「じゃあ最初から俺を呼ばないでください」
「お前な」
「俺、これで一回クビになってるんで。今さらです」
ガレスが吹き出した。
大佐はしばらくレオンを睨んだ。
やがて。
「部下は置いていけ」
「はい?」
「お前が勝手に死ぬのは知らん。中隊を巻き込むな」
「死にませんよ」
「その自信はどこから来る」
「実績ですかね?」
「出ていけ」
*
外。
ガレスが笑っていた。
「何が面白いんです?」
「お前、ほんと変わらんな」
「さっきは成長したって言ったでしょう」
「撤回する」
「早い」
ガレスは歩きながら言った。
「でも、あの大佐」
「はい」
「口減らし側には見えんな」
レオンも同じことを考えていた。
「少なくとも、俺たちを殺したがってるようには見えない」
「だろ?」
「というか」
レオンは振り返る。
司令部。
「俺たちが一番適任ではある」
「そうだ」
「だから言ったでしょう」
「でも四回目」
レオンの顔が曇る。
「……はい」
ガレスが頭を掻く。
「嫌な話だ」
「何が」
「現場の命令が全部まともでも、結果だけ見たら口減らしになることはある」
レオンは少し考えた。
「上から編成の段階で?」
「かもしれん」
「元魔術師を集めた奴と、俺たちを前に出してる奴が別なら」
「大佐は単に、手元にいる便利な駒を使ってるだけ」
「……」
「合理的だろ?」
今度はガレスが言った。
レオンは答えなかった。
*
夜明け。
四十二人。
特殊魔術中隊は北へ向かった。
昨日より二人増えている。
負傷者の代わりに補充。
減った人数は戻らない。
白髪の老人はいなかった。
さすがに治療班が止めたらしい。
ダグはいる。
ガレスも。
カイも。
「何でお前はいるの」
「偵察兵だからです」
「昨日も聞いたな」
「昨日も答えました」
「怪我は」
「ほぼ治りました」
「ほぼって言ったか?」
「九割」
「帰れ」
「先生が治したんでしょう!」
「治した側が言ってるんだから帰れ!」
「うるせえぞ!」
前方の兵士に怒鳴られた。
二人とも黙る。
ガレスが笑っている。
「次笑ったら置いていきますよ」
「俺、お前よりは足速いぞ」
「竜人てのはずるいな」
「種族差別か?」
「身体能力への嫉妬」
「今度言ったら差別発言で軍法会議行きにしよう」
「もう俺は軍人じゃないですよ」
街道を外れる。
森。
昨日と似た道。
ただし、もっと北。
第三砦へ。
*
一時間。
敵はいない。
二時間。
いない。
カイの索敵魔導器も沈黙。
「おかしくない?」
カイが言った。
「何が」
「昨日あれだけいたのに」
「撤退したんじゃないですか」
「砦を捨てて?」
「分からない」
「先生、それ最近多いですね」
「何が」
「分からない」
「分からないものは分からないんだからしょうがないでしょう」
「昔から?」
ガレスが口を挟む。
「昔は分からなくても喋ってた」
「喋ってません」
「喋ってた」
「いつ」
「十二歳の時、俺の術式に――」
「それは俺が正しかったでしょう」
「ほら」
「何が」
「今も変わってない」
カイが笑う。
「先生、十二歳からこんななんですか」
「違います」
「もっと昔から、もっとひどかった」
「ガレス」
「はいはい」
その時。
先頭が止まった。
拳。
停止の合図。
全員がしゃがむ。
「何」
小声。
前方から伝令。
「砦が見えた」
レオンの顔が変わる。
*
丘。
その向こう。
第三砦。
石造り。
高い外壁。
四隅の監視塔。
中央塔。
軍旗。
ない。
「……誰もいない?」
カイが呟く。
静かだった。
煙もない。
魔族もいない。
人間も。
ただ西門が開いている。
「罠か」
ダグ。
「可能性はあります」
レオンは魔力感知を広げる。
何も。
いや。
微弱。
砦の中。
大量の残留魔力。
戦闘があった。
それは分かる。
「敵影なし」
別の偵察兵。
「魔導器も反応ありません」
中隊長が指示。
「十名、前へ。残り待機」
レオンが立つ。
「俺行きます」
「俺も」
ガレス。
「僕も」
カイ。
「お前は待て」
レオン。
「偵察兵です!」
「死にたい?」
「仕事です!」
「……頭突きはナシだぞ」
十人。
丘を下る。
門。
近づく。
レオンの鼻に匂い。
血。
焼けた木。
鉄。
「止まって」
全員停止。
門の横。
壁。
黒い跡。
「魔法?」
カイ。
レオンが触れないよう近づく。
「たぶん」
「何属性?」
「分からない」
「また」
「うるさい」
壁の石が。
溶けている。
火ではない。
熱なら周囲も焦げる。
ここだけ。
表面が削られたように消えている。
「こんなの見たことあるか?」
ガレス。
「ない」
レオンが答える。
「魔術では?」
「少なくとも普通の体系にはない」
「魔法なら?」
「あり得る」
「魔族が砦を落とした証拠?」
「それだけなら」
レオンは立つ。
門を見る。
「何で門が開いてる?」
*
中。
死体。
最初の一人。
人間兵。
うつ伏せ。
次。
壁際。
二人。
三人。
「……ひどいな」
カイの声。
レオンは黙る。
死んでいる。
昨日の宿場町とは違う。
治療する相手ではない。
進む。
中庭。
さらに。
十。
二十。
人間兵。
「魔族の死体は?」
誰かが言った。
ない。
一体も。
「回収した?」
ガレス。
「昨日もそうでした」
レオン。
「でも」
しゃがむ。
人間兵の死体。
胸。
傷。
剣。
「これ、魔法じゃない」
「剣傷?」
「はい」
「魔族も剣を使うだろ」
「使います」
別の死体。
槍。
別。
火傷。
別。
首。
「普通の戦闘じゃないか?」
「……」
レオンは地面を見る。
足跡。
多い。
人間の軍靴。
魔族の足跡。
入り乱れている。
おかしくない。
砦が襲撃された。
戦った。
人間が負けた。
魔族が撤退。
それだけ。
「先生」
カイ。
「これ」
地面。
壊れた魔導器。
軍用。
防御型。
レオンが拾う。
「触るな」
「先生が触ってるじゃないですか」
「俺はいい」
「何で」
「俺だから」
「ずるい!」
ガレスが横から覗く。
「壊れてるな」
「完全に」
中心部。
魔石が割れている。
回路も焼損。
「戦闘で壊れた?」
「かもしれない」
レオンは裏返す。
手が止まる。
「……違う」
「何が」
「これ」
小さな蓋。
整備口。
開いている。
「開けられてる」
「敵に?」
「分からない」
「何か取られた?」
レオンは内部を見る。
ない。
全部ある。
ただ。
「切られてる」
「何が」
例の経路。
使用者から魔導器。
魔導器から。
どこかへ伸びる。
あの不可解な接続部分だけが。
物理的に破壊されている。
「偶然?」
カイ。
「こんな正確に?」
「じゃあ誰かが壊した?」
「たぶん」
「何で」
「分からない」
カイはもう何も言わなかった。
*
中央塔。
指揮所。
扉が壊れている。
中。
机。
地図。
通信魔導器。
死体。
五人。
そのうち一人。
高級将校。
「砦司令官だ」
ガレスが階級章を見る。
レオンは通信魔導器へ。
「触るなよ」
ガレス。
「まだ何もしてません」
「お前のまだには意味がない」
「見るだけ」
「昨日も聞いた」
レオンはしゃがむ。
通信魔導器。
外傷なし。
「壊れてない?」
カイ。
「見た目は」
起動。
反応なし。
「魔力切れ?」
「違う」
内部。
レオンが蓋を開ける。
「また」
例の経路。
切断。
今度は偶然ではない。
刃物。
あるいは細い工具。
人為的。
「誰かが」
レオン。
「通信を切った」
「魔族だろ?」
ガレス。
「普通なら」
「またそれか」
「だって」
レオンは周囲を見る。
司令官。
将校。
死体。
「これを知ってないと切れない」
「どれを」
「この経路」
「通信魔導器を壊すだけなら全部壊せばいい」
「そう」
レオンは指差す。
「なのに、ここだけ切ってる」
カイが覗く。
「ここって?」
「通常の通信回路じゃない」
「じゃあ何」
「俺がずっと調べてるやつ」
ガレスの表情が変わる。
「外に繋がってる?」
「そう」
「じゃあ」
「誰かが」
レオンは切断面を見る。
「これが何なのか知ってた」
*
「生存者!」
外から声。
全員が振り返る。
「生きてる奴がいるぞ!」
走る。
中庭。
倉庫。
地下への階段。
兵士たちが集まっている。
「どけ!」
レオンが割り込む。
地下。
暗い。
血。
一人。
人間兵。
若い。
壁にもたれている。
呼吸。
ある。
「生きてる!」
レオンが膝をつく。
腹部。
深い。
出血。
「いつから?」
「分からん!」
「水!」
「はい!」
「ミリアはいないのかよ……」
手を当てる。
治癒。
魔力。
少ない。
昨日使った。
まだ戻り切ってない。
「先生」
カイ。
「黙って」
集中。
血管。
腸。
腹膜。
閉じる。
兵士が咳。
血。
「大丈夫」
レオンが言う。
「死なせない」
また。
昨日と同じ言葉。
魔力を流す。
「……っ」
頭痛。
「レオン」
ガレス。
「平気」
「顔白いぞ」
「元から」
「そういう白さじゃない」
「黙って」
五分。
十分。
出血。
止まる。
呼吸。
安定。
レオンが息を吐く。
「……よし」
倒れそうになる。
ガレスが肩を掴む。
「平気です」
「座れ」
「まだ」
兵士。
目が開く。
「……誰」
「味方です」
レオンが顔を近づける。
「第三臨時混成軍団。砦を奪還に来ました」
兵士の目が動く。
「砦……」
「何があった?」
ガレス。
「今聞くな」
「重要だ」
「死にかけてるんですよ」
兵士がレオンの袖を掴んだ。
弱い。
「……違う」
「何が?」
「魔族……」
息。
「魔族が?」
「違う」
「何が違う?」
兵士の目に恐怖。
「最初……」
咳。
レオンが支える。
「ゆっくり」
「最初に……攻撃したのは……」
全員が黙る。
「誰」
兵士が言った。
「俺たちだ」
レオンの表情が止まった。
「……何?」
「命令が……来た」
「どんな」
「北へ……越境して……」
ガレスが息を呑む。
「魔族領へ?」
兵士が頷く。
「集落を……」
「どこの?」
レオンが言った、半ば答えを知りつつ。
兵士の目が大きく開く。
「カルナ……」
レオンは答えない。
捕虜の言葉を思い出す。
――人間軍の偵察部隊が魔族領内で集落を焼いた。
「誰の命令です?」
兵士が首を振る。
「司令部……」
「どこの」
「分からない……」
「命令書は?」
「司令官が……」
「見た?」
「俺は……」
兵士の呼吸が荒くなる。
「もういい」
レオンが止める。
「休んで」
「でも」
「あとで聞きます」
兵士が目を閉じる。
「先生」
カイが小さく言った。
レオンは返事をしなかった。
*
地上。
誰も喋らなかった。
第三砦。
人間側は。
魔族の侵攻を受けて落ちた。
そう聞いていた。
だが。
「人間が先に越境した」
ガレスが言う。
「捕虜の証言と一致する」
レオン。
「集落名まで」
「カルナ」
「はい」
ダグが顔をしかめる。
「じゃあ何だ。こっちが戦争始めたのか?」
「分からない」
レオンが言う。
ダグが苛立つ。
「何が分からねえんだよ!」
「命令を出した奴が分からない!」
声が大きくなった。
「人間軍が攻撃した。それはたぶん事実です。でも王国が命令したのか、現地司令部なのか、誰かが命令を偽造したのか分からない!」
「結果は同じだろ!」
「同じじゃない!」
レオンは言い返す。
「全然違う!」
沈黙。
自分の声だけ響く。
レオンは息を吐いた。
「……すみません」
ダグも黙る。
ガレスが言う。
「本隊に報告するか」
「当然」
「捕虜の話も?」
レオンが止まる。
「……」
「レオン」
「生存者の証言は報告する」
「捕虜は」
「まだ」
「なぜ」
レオンは中央塔を見る。
切断された魔導器。
「誰が信用できるか分からない」
ガレスが黙る。
「命令がおかしいのは魔族側だけじゃない」
レオンは言う。
「人間側も」
風。
砦の上。
旗のない旗竿。
「だから」
レオンは続けた。
「情報を全部渡す相手は、選びたい」
*
その時。
カイが声を上げた。
「先生!」
「何」
「これ!」
中庭。
死体の近く。
小さな金属片。
拾う。
黒い。
「何です?」
「分からない。でも」
カイが裏返す。
刻印。
レオンの顔が変わる。
見たことがある。
王都。
昔。
技術局。
軍用魔導器の開発資料。
「……嘘だろ」
「知ってる?」
ガレス。
レオンは金属片を受け取る。
王国軍の魔導器部品。
それ自体は珍しくない。
問題は。
型番。
「これ」
「何だ」
「試作部品です」
「試作?」
「量産されてない」
「じゃあ何でここに」
「分からない」
レオンは刻印を見る。
製造番号。
そして。
その下。
小さな工房印。
七年前。
自分が何度も出入りした場所。
「王立魔導技術局」
ガレスが言う。
「王国の?」
「はい」
「砦にあっても普通じゃないのか」
「これは普通じゃない」
レオンは金属片を握る。
「この型は」
記憶。
書類。
地下工房。
追い出された日。
「俺が追放される直前に」
喉が乾く。
「開発中止になったはずです」
遠く。
角笛。
本隊到着の合図。
レオンは顔を上げた。
丘の向こう。
王国軍の旗が見える。
味方。
そのはずだった。
なのに。
初めて。
レオンはその旗を見て。
少しだけ安心できなかった。




