捕虜
翌朝。
戦闘でひどく疲れていたにも関わらず、レオンは寝不足だった。
原因は明確だった。
簡易牢。
捕虜。
魔族語。
――王の命令ではない。
――私たちは騙された。
あの二言が、頭から離れない。
「顔ひどいよ」
朝食を食べながら、ミリアが言った。
「いつも通りです」
「いつもより三割くらい性格悪そう」
「顔で性格測るクセ、やめてもらえます?」
「寝てない?」
「寝ました」
「何時間」
「二時間」
「寝てないじゃん」
「二時間は睡眠です」
ミリアがため息をつく。
「昨日あれだけ魔力使って、骨までひび入れて、それで二時間?」
「治ったでしょう」
「治したからって、疲労まで消えるわけじゃないの」
「分かってます」
「分かってない人の返事」
レオンはパンをちぎる。
また固い。
「軍の飯って全部こんななんですか」
「話逸らした」
「逸らしてません。純粋な疑問です」
「何かあった?」
「何も」
「嘘」
即答だった。
レオンが顔を上げる。
「なんで?」
「あなた、隠し事すると急にどうでもいい話し始めるから」
「……そうですか?」
「そう」
嫌なところを見ている。
「別に大したことじゃないです」
「じゃあ言えるね」
「言いたくない」
「大したことあるじゃん」
「論理が雑ですよ」
「あなたに言われたくない」
レオンは黙った。
ミリアも無理には聞かなかった。
それが少し助かった。
*
午前。
捕虜の尋問が始まった。
場所は宿場町の役場を臨時転用した一室。
捕虜は椅子に縛られている。
向かいには軍務官。
通訳が一人。
レオンは呼ばれていなかった。
だから。
廊下にいた。
「何してる」
ガレスが来た。
「散歩」
「扉に耳をつけながら?」
「音響調査」
「便利な言葉を知ってるな」
「静かにしてください」
「まったくお前は……」
中から声。
通訳。
拙い魔族語。
レオンの眉が寄る。
「下手」
「何が」
「通訳」
「分かるのか」
「語順が人間語寄りすぎる。あと南部訛りを無視してる」
「お前はどこで覚えた」
「昔」
「勇者時代?」
レオンは答えない。
中。
捕虜が何か言う。
通訳が訳す。
「……『我々は第三砦を攻撃する命令を受けた』」
レオンが小さく舌打ちする。
「違う」
「何が」
「そんなこと言ってない」
「じゃあ何て?」
レオンは声を落とした。
「『第三砦の方向へ進めと言われた』」
ガレスが眉を上げる。
「違うのか?」
「全然違う」
中で軍務官が訊く。
『命令者は魔王か』
通訳。
捕虜。
短い返事。
通訳が言う。
「『はい』」
レオンが扉を見る。
「違う」
「また?」
「『分からない』って言った」
ガレスの顔から笑みが消えた。
「通訳が間違えてるのか」
「間違えてるだけならいいですけど」
「どういう意味だ」
レオンは答えない。
尋問は続く。
『所属部隊は』
捕虜。
通訳。
『魔王軍東部第三軍』
レオンは黙る。
これは合っている。
『指揮官は』
捕虜が名前を言う。
通訳が聞き返す。
もう一度。
「発音すら取れてない」
レオンが呟く。
「お前入った方がいいんじゃないか」
「だから今は嫌なんですよ」
「なぜ」
「俺が魔族語を話せると分かったら」
扉を見る。
「以後、全部正式な通訳役にされる」
「それが嫌?」
「それだけじゃない」
中。
尋問。
軍務官。
『なぜ越境した』
捕虜が長く答える。
通訳が困った顔。
一部だけ訳す。
『人間軍が先に攻撃したため、反撃した』
レオンの目が細くなる。
「……そこは合ってる」
「人間が先?」
「そう言ってる」
ガレスも扉を見る。
「聞いてないぞ」
「俺も」
中。
軍務官の声が強くなる。
『虚偽を言うな』
捕虜が何か返す。
激しい。
通訳。
『人間軍の偵察部隊が魔族領内で集落を焼いたと言っています』
廊下。
沈黙。
ガレスが低く言う。
「本当か?」
「知らない」
「あり得る?」
「戦争なら」
「でも今は、向こうが攻めてきたって話だろ」
「話は」
レオンが言った。
「そうなってます」
*
尋問は一時間続いた。
結論は出なかった。
軍務官は捕虜の証言を「混乱している」「責任逃れの可能性」と記録した。
通訳の誤訳については。
誰も気づかなかった。
レオン以外は。
部屋から捕虜が連れ出される。
目が合う。
捕虜が止まりかける。
兵士に押される。
その瞬間。
小さく。
魔族語。
――今夜。
レオンは表情を変えない。
捕虜は連れていかれた。
ガレスが横を見る。
「何て?」
「何でもない」
「またか」
「今夜って」
「言うんじゃねえか」
「あなたがしつこいからでしょう」
「で?」
「それだけ」
「今夜、何だ」
「分からない」
ガレスがため息。
「便利だな、その言葉」
「本当に分からないんだから仕方ないでしょう」
*
昼。
損害の整理が続いていた。
遺体。
負傷者。
装備。
魔導器。
兵士たちが忙しく動く。
レオンは救護所で治療。
ミリアが隣。
「次」
腕。
裂傷。
閉じる。
「次」
火傷。
洗浄。
冷却。
治癒。
「次」
若い魔導器兵。
脚。
骨折。
「どうした」
「逃げる時に転びました」
「戦闘じゃないのかよ」
「戦闘中です!」
「じゃあ名誉の転倒ね」
「馬鹿にしてます?」
「ちょっと」
「先生!」
ミリアが横から言う。
「患者さんを煽らない」
「元気そうだから」
「元気でも骨折は骨折」
治す。
兵士が立つ。
「おお」
「走るな」
「分かりました!」
走った。
「おい!」
ミリアが笑う。
「若いね」
「俺も同い年くらいですけど」
「そうだった」
「忘れるなよ」
次。
老人。
あの白髪の結界術師。
「またあんたか」
「嫌なら他行ってください」
「最近のモンは口の利き方がなっとらん」
「昨日大口たたいて死にかけた人に言われたくない」
「死んどらん」
「俺が止めたからでしょう」
「わしが耐えたからじゃ」
「はいはい」
「何じゃその返事」
腕の傷を見る。
深くはない。
だが魔力経路が荒れている。
「しばらく術式使わないで」
「無理じゃ」
「何で」
「今日も配置がある」
レオンの手が止まる。
「どこ」
老人が言う。
「前衛」
レオンが顔を上げる。
「また?」
「何が」
「結界術師ですよね」
「そうじゃ」
「昨日中央で死にかけて、今日も前衛?」
「命令じゃ」
「誰の」
「知らん」
老人は平然。
レオンだけ苛立つ。
「断れば」
「軍で何言っとる」
「でも」
老人がレオンを見る。
「昨日言ったじゃろ」
「何を」
「わしらを役立たずにするな」
レオンは黙る。
老人は笑った。
「魔導器より便利じゃない。金もかかる。老いぼれじゃ」
「そんなこと」
「事実じゃ」
「……」
「それでも、まだ使える」
老人は自分の手を見る。
「なら使う」
レオンは治療を続ける。
何も言えなかった。
*
夕方。
新しい命令が出た。
特殊魔術中隊。
前方陣地補強。
夜間警戒。
敵襲時、第一線維持。
「三回目」
ガレスが言った。
レオンは紙を見る。
「まだ三回」
「そうだな」
「前線に魔術師を置くのは普通です」
「そうだな」
「魔導器は夜間だと魔力供給効率が落ちる機種もある」
「そうだな」
「だから」
「俺ァ何も言ってないぞ」
「顔が言ってる」
ガレスが笑う。
「お前、ちょっとずつ気づいてるだろ」
「何に」
「自分が必死に擁護してることに」
レオンは紙を折る。
「擁護してません」
「じゃあ何だ」
「決めつけたくないだけです」
「それは正しい」
予想外だった。
レオンが見る。
ガレスは真顔。
「疑うのと、決めるのは別だ」
「……珍しくまともなことを」
「殴るぞ」
「暴力反対、平和主義大賛成」
「でもな」
ガレスが続ける。
「疑う材料が増えてるのに、ずっと合理的で済ませるのも、決めつけと同じだ」
レオンは返せなかった。
*
夜。
雨が降った。
弱い。
地面が濡れる程度。
見張り交代。
兵士が歩く。
簡易牢の周囲も警戒がある。
レオンは離れた建物の陰にいた。
「来ると思った」
声。
ガレス。
「何でいるんです」
「お前が夜中にこそこそしてると、ろくなことない」
「帰って」
「嫌だ」
「邪魔」
「見張りをする」
「誰の」
「お前の」
「相変わらず保護者面か」
「過去の実績よ」
レオンは諦めた。
「静かにしててください」
「はいはい」
牢の裏。
壁。
窓。
小さい。
鉄格子。
捕虜は中。
一人。
レオンが声をかける。
魔族語。
「聞こえるか」
捕虜の身体が跳ねる。
顔を上げる。
驚愕。
「……話せるのか」
「少し」
人間語。
ガレスが横で小声。
「少し?」
レオンが睨む。
捕虜が近づく。
「昼、なぜ黙っていた」
「通訳が信用できなかった」
「なぜ」
「間違えてた」
捕虜の目が細くなる。
「わざとか?」
「分からない」
捕虜が続ける。
「私は嘘を言っていない」
「確認する」
レオンは壁にもたれる。
「お前たちは誰の命令で越境した」
「東部第三軍司令官、ヴァルザ」
「魔王直命?」
「違う」
「命令書は」
「見ていない」
「口頭?」
「中隊長から」
「内容」
捕虜が息を吸う。
「人間軍が国境を越えた。集落が焼かれた。報復作戦を行う」
レオンが訊く。
「どの集落」
「カルナ」
「場所」
捕虜が説明。
ガレスには分からない。
レオンは頭の中で地図。
国境北東。
人間軍が普通に行くには遠い。
「いつ」
「五日前」
「第三砦攻撃は?」
「我々の部隊ではない」
「じゃあ誰」
「知らない」
「魔王軍だろ」
「軍旗は見た」
「どこの」
捕虜が黙る。
「言えない?」
「分からない」
レオンが少し驚く。
「自軍の旗が?」
「古い旗だった」
「古い?」
「戦争前の」
「どれくらい前」
「二十年以上」
レオンの表情が変わる。
ガレスが訊く。
「何て?」
「古い軍旗」
「意味は」
「まだ分からない」
捕虜が鉄格子を握る。
「魔王様は、人間との全面戦争を望んでいない」
「根拠は?」
「二年前から和平交渉を続けている」
「知ってる」
「知ってる?」
「勇者だったんですよ、俺」
「……」
捕虜の目。
レオンの顔。
もう一度。
「まさか」
「今はそこはどうでもいい」
「レオン・アルヴェイン?」
ガレスが吹き出す。
「有名人だな」
「うるさい」
捕虜が後ずさる。
「《砕きの童》――」
「その呼び方はやめろ」
見張りの兵士が遠くで振り返る。
レオンとガレスが黙る。
「今なんて言われた?」
ガレスが小声で問う。
「昔のあだ名です」
「何て?」
「言いません」
数秒後、レオンが小声で捕虜に語る。
「次それを言ったら尋問はやめます」
「分かった」
捕虜はまだ驚いている。
「お前がなぜここに」
「召集された」
「人間はお前を追放したと」
レオンの顔が止まる。
「……何で知ってる」
「有名だった」
ガレスが肩を震わせる。
「笑ったら殺しますよ」
「笑ってない」
「震えてる」
「寒い」
捕虜が言う。
「我々の間でも噂になった。人間は強者を捨てるのかと」
「いいから話を戻す」
レオンは苛立つ。
「魔王が戦争を望んでないなら、なぜ軍が動いてる」
「分からない」
「東部軍が勝手に?」
「可能性はある」
「そんなことができる?」
捕虜の顔が曇る。
「最近、命令系統がおかしい」
「どう」
「上から来る命令が増えた」
「上って」
「本来の司令官を飛ばして」
レオンの目が細くなる。
「誰から」
「分からない」
「また?」
「本当に知らない」
捕虜が苛立つ。
「封印された命令書が来る。中隊長も中身を全部知らない」
「魔王印?」
「似ている」
「似ている?」
「違う」
「何が」
捕虜は声を落とす。
「紋章の角が一本多い」
レオンが止まる。
「何だそれ」
「古い王家の紋章だ」
「どれくらい古い」
「現魔王の即位前」
「つまり」
「先王派」
ガレスがレオンを見る。
意味は分からなくても、空気で察した。
レオンが訊く。
「まだ存在するのか」
「公にはない」
「じゃあ裏で」
「知らない」
捕虜は首を振る。
「ただ」
「ただ?」
「最近、軍の中で言う者がいる」
「何を」
捕虜の目が暗くなる。
「人間との和平は、魔族を弱くする」
沈黙。
雨音。
「魔王は臆病だ」
捕虜が続ける。
「人間を滅ぼせる時に滅ぼさなかった」
レオンが言う。
「強硬派」
「そう呼ぶなら」
「多い?」
「分からない」
「お前は」
「違う」
「そう信じられる根拠は?」
「戦争で家族を失った」
レオンは黙る。
捕虜が続ける。
「人間も嫌いだ」
「……」
「だが、また戦争をしたいわけではない」
レオンは鉄格子の向こうを見る。
若い。
魔族は長命種なので実年齢はわからないが、自分とそう変わらないようにみえる。
「最後」
レオンが言う。
「腕輪」
捕虜の顔が変わる。
「何だ」
「それ、何」
「軍支給品」
「用途」
「魔力安定」
「いつから」
「半年前」
「全員?」
「東部軍では多い」
「誰が作った」
「知らない」
「人間の魔導器に似た構造がある」
捕虜が眉を寄せる。
「魔導器?」
「人間の道具」
「知らない」
「その腕輪、外せる?」
「命令なしでは」
「物理的に」
「外せる」
「貸して」
「嫌だ」
「何で」
「軍装備だ」
「捕虜なのに頑固だな」
「お前に言われたくない」
ガレスが笑いを噛み殺す。魔族語が多少わかる程度でも伝わってくる。
レオンは手を伸ばす。
「少し見るだけ」
「断る」
「じゃあ勝手に見る」
「おい」
接続術。
使おうとした瞬間。
捕虜が腕を引いた。
「やめろ!」
声が大きい。
見張りが動く。
「何だ!」
レオンがすぐ人間語。
「寝言です!」
「誰がだ!」
ガレスが小声。
見張りが近づく。
「そこで何してる!」
「散歩」
「こんなところで?」
「雨が好きで」
「戻れ!」
「はい」
レオンたちは離れる。
牢から遠ざかる。
「馬鹿か」
ガレスが言った。
「何が」
「最後」
「見たかった」
「欲望に忠実すぎる」
「研究者ですから」
「犯罪者の言い訳だ」
*
宿舎へ戻る途中。
ガレスが言った。
「で」
「何」
「何が分かった」
「魔王が命令してない可能性」
「本当なら大事だな」
「あと、向こうでも命令系統がおかしい」
「人間側もおかしい」
「……そうですね」
「両方で?」
レオンは歩きながら考える。
人間。
元魔術師の召集。
危険任務。
魔導歩兵の温存。
魔導器。
謎の接続。
魔族。
古い軍旗。
先王派。
強硬派。
偽装された可能性のある命令。
腕輪。
同じ接続。
「偶然にしては」
ガレスが言う。
レオンが止まる。
「まだ」
「まだ?」
「繋げるには早い」
「慎重だな」
「当然でしょう」
「昔ならもう断定してた」
レオンが見る。
ガレスが笑う。
「少しは成長したか」
「殴りますよ」
「暴力反対じゃなかったのか」
「物事には例外がつきものです」
その時。
前方から兵士が走ってきた。
「レオン・アルヴェイン!」
「はい」
「司令部へ!」
「何で」
「命令だ!」
レオンとガレスが顔を見合わせる。
「今?」
「今すぐ!」
レオンが訊く。
「何があった」
兵士は息を整える。
「明朝」
「はい」
「特殊魔術中隊を先行させる」
ガレスの顔から笑みが消えた。
「どこへ」
兵士が答える。
「第三砦奪還」
レオンは何も言わなかった。
三回目。
いや。
ガレスが昨日言った。
次も見よう。
次は。
四回目だった。




