第二話
センウーロの支流、南へと延びるスキエド川から半日ほど行軍すると、ケメル領が見えてくる。
国境などというものは石や街道で仕切られた曖昧なものであるのが世の常ではあるが、ウーロニアとケメルの間には現在、強固な線が敷かれている。
ウーロニアはドワーフとゴブリンが掘り進めた塹壕、ケメルではオークとトロールが積み上げた土嚢が、荒れ果てた無人地帯を挟み両国の神経を昂らせている。
ダン・ベルディグリは、肥溜めのようなぬかるみに身を屈めながら、寒さを凌ぐには薄すぎるマントの端に巣くったシラミを、一匹づつ泥の噛んだ爪の先で潰すのに夢中になっている。
「隊長。ほじういんが到着しました」
連絡用のゴブリン穴から、舌足らずな訛りの抜けないアーフが黄ばんだ目と牙を覗かせる。
「今回の補充員はどんなやつらだ」
「ゴブリンさんにん、ドワーフひとり、ヒューマンいない」
ダンはアーフを下がらせると、乾き切ったブーツを思いきり泥に沈める。
移動用の縦穴の入り口まで赴くと、背嚢が三つ、のそのそとこちらに向かって歩いてきていた。
身を屈め地面と荷物の隙間を見ると、今にも押しつぶされそうな足取りで3人のゴブリンが走り回った後の犬のように、長い舌をぎざぎざに尖った歯が伸びている口元からだらりと垂れ下げ、1週間分の食料を運んできていた。
「よーし、点呼だ」
ダンの声が壕に響くと、ゴブリンは枯れ枝のような耳をピクリと動かすと、荷を投げ捨て整列する。
いつの間にか足元に現れていたワーフがゴブリン語でキーキーと鶏を絞め殺すときのような音を喉奥から鳴らす。
「バム」
「ブーム」
「カブーン」
息の合った連携で名前を伝えると3人は名前を伝えたまま微動だにしない。
ダンに言わせればこの世で信用できる種族といえばゴブリンだ。
目上の者に絶対に逆らわない従順さは、一瞬の判断の遅れで生死が決まる戦場では何よりも代えがたいものだ。
この蛮勇な小さき地底の住民を蔑むものはいつかその報いを受ける。
するとゴブリンの後ろからがちゃりがちゃりと金属音を立てながら、大樽のような塊がやってくる。
「ケメルはあったけえとは聞いてたが、ここは山の上くらいに冷え込んでやがるな」
ゴブリンの後ろから現れたドワーフは、そういって口から噛みたばこを茶色い水たまりの中へ吐き捨てる。
「ケメルの平原は冬は風が吹きっ晒すのさ。ようこそ最前線へ」
ギトギトとした長い髭を撫でまわしながらドワーフが名乗る。
「おれはワゲンってんだ。ワゲン・コッパ―」
「おれはダン・ベルディグリだ」
ワゲンは磨き上げた黒曜石のような眼をさらに丸くする。
「ワンダ!おめえさんドワーフみてぇな名前しやがって」
たいていのドワーフは自分の生まれた山から採れるものが苗字になる。
ここでアイアンシールドだとかゴールデンハンマーなどという勇ましい名前が付いてるものは、戦争専門の家の生まれで、それ以外は山師か鍛冶屋である。
ダンはドワーフの養子であった。
長く続くこの戦争で寡婦となった母はまだ乳飲み子だったダンを連れ、山から出稼ぎに来ていた装具士の父と結ばれた。両親の仲は良好でダンもドワーフらしく粗野に育っていった。
ダンの父はどうしても鍛冶屋の息子が欲しかったそうだが、手先の器用さは人並みだった。
そうなれば他の仕事といえば小作人か冒険者しかない。もちろん彼が選んだの後者だ。
大昔の秘密主義の魔法使いが残していった迷宮回虫の這いまわる穴蔵を必死の想いで踏破して、金貨の2~3枚を手に入れるけちな仕事であった。
ダンは日銭を稼ぎながら山に戻って穴掘りの手伝いでもするかと考えていると、始まったのが後に第4次ウーロニア・ケメル戦争と呼ばれる戦いである。
ウーロニアはもともと千年王国とも呼ばれたエルフの王国が、周辺国を吸収して生まれた共和国であった。しかし、それを快く思わなかったのがオークたちであった。
ケメルは人間とオークが多数を占める国であった。経典と司教を中心としたこの国家は、建国の経緯からしてエルフとは敵対的であった。
オークとは不死性を失ったエルフの末裔であり、ケメルはエルフと敵対関係にあるものたちの寄り合い所帯であった。
もっとも当時を知るエルフに言わせれば、オークがウーロニアから出ていった経緯は些細な口論がきっかけであったそうだ。
時のオークの豪族の長が、エルフに騎乗用の大鹿を贈呈しようとした際に、どういった手違いか馬を用意してしまったことから、オーキッシュという単語は、馬と鹿もわからぬやつという意味で定着してしまった。
全てを記憶しているエルフには過去の笑い話だが、居住まいの悪さからウーロニアを離れたオークの子孫たちには、そんなくだらないことで移民をしたなどという事実は受け入れがたかった。
行動規範を示しただけの素朴な経典は、いつの間にかエルフへの憎悪をかき立てる言葉で彩られていった。
しかし理由はどうあれ、争い事があればいくらかの金は動くもので、ダンもそのご相伴に預かろうと、手に持った悪漢の手配書や宝の地図を売り払い、対ケメルへの戦列に加わったのであった。
それに、彼にとっては亡き父の敵討ちといった面もあり、悪臭漂うダンジョンの探索よりも、名誉ある戦争のほうがやりがいを感じられたのであった。
ダンは自分の山の話や今まで巡ったダンジョンの話をいくつか新任の4人伝えると、ワゲンが腹と髭をゆさゆさと揺らしながら真っ黄色な歯を見せる。
「なるほど、あんたみたいな隊長なら心強いわな」
「それじゃあ荷解きをしたらここのしきたりを教えてやるよ」
アーフも加わりこれから起こる不名誉で腐臭に塗れた賭けの前の興奮が、冷たい最前線の壕に狂気の熱火を灯す。




