8話#裏切りを君に
人払いされ、静寂に包まれた廊下を歩く者たちがいた。赤いラインが施された特別仕様の燕尾服を来た男………執事の後ろにはベールで顔を隠した女性がついていく。女性の腕には2歳になったばかりの子供が不安げに周囲を見渡しながら、母親にしがみついていた。それを守るように屈強な護衛4名が囲むように移動していた。
廊下は何度も不規則に角を曲がり、1度や2度では覚えられそうになく、簡単に目的地に着かないよう何らかの魔法も施されているのは明らか。女性もベールの影では、その幾重にも張り巡らされた守りの厳重さに目を見張っていた。
「こちらでございます」
執事が胸ポケットから懐中時計を取り出し、突き当たりにあった扉に重ねると、ガチャリと音をたてて自動で開いていく。そこは森に迷い込んだと思わせるように広がる温室に繋がっていた。
「わぁ~」
視界いっぱいに広がる緑の楽園に子供は目を輝かせた。子供には分からないが、女性にはただの緑ではないと知っている。一般的なものから希少なものまで、世界中のあらゆる薬草が大きなガラス造りの温室の中で生い茂っていた。
「行きましょう」
「はい」
護衛は扉の外に待機させ、執事の後ろを再びなぞる。太陽の光を浴びて煌めく小さな川は眩しく、蝶たちが歓迎するようにワルツを披露する。薬草の間を抜けるように落ち着いた暖かみのある白い石畳の上を歩いていると、持ち主の性格を表したような世界に女性の緊張も和らいでいった。
緑のアーチを抜けると、緑の中に一輪だけ薔薇が咲いたような赤を身に纏う男が、仮面を外して微笑みながら待っていた。今日を心待ちにしていたのが伝わるような笑顔で、新しい同居人を出迎えた。
「やぁ、リタ。アシュレイ君も僕の住みかにようこそ」
「ネイ………じゃなくて、セブン。お招きありがとう。アシュレイ、ご挨拶は?」
「………………」
緊張のせいか、アシュレイは頭だけ下げ、恥ずかしげにリタの肩に顔を埋めた。
「ごめんね。アシュレイったら、もう………」
「ははは、気にしないで。それより、ここまでの感想は?」
「驚きの一言よ。守りにも、この温室にも………ナンバーズって本当にすごいのね。ここまでとは思わなかったわ」
ゼブンの問いにリタは素直に感嘆の感想を述べる。するとここまで案内してきた執事が先ほどまでの凛とした態度を崩して、ため息がちに話に加わる。
「これだけナンバーズが貴重ということです。リタ様も早くこの保護下に入ったことを自覚して、セブン様にきっちり教えてあげてください」
「………教える?」
ネイト時代からレイグル王子につけられた従者は、そのままセブンになっても執事として側を離れず支えた。セブンにとっては大切な一回り年上の友人となっており、貴族出身の彼は要人としての振る舞いをセブンに教える指導者でもある。
「国王陛下はスペアのいる自分よりも、替えの利かないナンバーズに価値をおいております。だからこそ、この手厚い対応。なのに………セブン様はまだ平民気分が抜けきっておりません。人の目を盗んでは芝生で寝てみたり、自分で台所に立ったり、掃除を始めたりと………」
「良いじゃないですか、息抜きですよ」
「息抜きに雑巾がけで廊下を四つん這いで走るナンバーズの姿は見たくありません」
「家の中くらい好きにさせて下さいよ~」
「セブン様は出会った頃はそれはそれは素直でしたのに………はぁ」
「ふふふ」
ゼブンの反抗的な態度に、執事は批判の視線を投げかけ、セブンはぷいっと顔を逸らす。リタはその主従関係には見えない、気安い関係の二人の姿が面白く笑いが溢れる。
(良かったわ………ネイトが一人ぼっちではなくて)
人見知りのネイトはナンバーズになるために、数少ない貴重な友人たちと絶縁しなければならなかった。リタは自分がその一端の原因にもなっていたため、彼を孤独に追い込んでしまったのでは?………と気がかりだったのだ。それが杞憂に終わり、胸を撫で下ろした。そして心の中で執事に“私も同じ事をすると思います”と先に謝罪した。
「もう、本当に終わったのね………」
奪還作戦の日から頭では分かっていても、悪夢が本当に終わったのかとどこか現実味を感じられないままリタは過ごしていた。このセブンの屋敷に来る前の2ヶ月間、王宮の一室でずっとカウンセリングを受けながら療養し、頭で分かっていたはずだったのだけれど………。しかし、ようやく久々に心が温まったように自然と笑え、明るい愛する彼が側にいて………ようやく足が地についたようだった。これが嘘で夢ではありませんようにと願いながら呟いた。
「そうだよリタ。もう彼は陽の下には出てこない。反省したラングール王国に任せておけば大丈夫。ニルヘイヴもしっかり見張ってるよ」
あの日マインラートの魔力は爆発して屋敷を破壊し、近くにいたセブンたちを巻き込んだ。しかしセブンたちはファイブが盾となり、レイグル王子も対勇者用に備えていたお陰で軽症で済んだ。
酷かったのは建物の崩壊に巻き込まれた何も知らぬ使用人たちだ。爆発後すぐ馬車の中へ保護された治癒師リタの代わりに、その者たちを救ったのはセブンが用意したポーションだった。
勇者マインラートは瓦礫の上で気を失っていた。そのままラングール国王太子と連れてきた騎士たちによって拘束および魔力封じをされ、連行されていった。レイグル王子によると王城の地下にて生涯幽閉となった、とセブンたちは知らされている。
しかしラングール国は今回の件でニルヘイヴに大きな弱味を握られた。以前より討伐における虚偽報告の疑惑については、エリクサーの存在と併せて秘密裏に知らされてはいたのだ。しかし勇者と聖女の存在はラングール国の切り札だった。勇者と聖女の存在を利用し各国に強気な態度で外交していた国王は失うこと恐れ、長い間調査を先伸ばしにしていた結果………更に国の損失を招いた。
世界からの非難と孤立を免れるために、ラングール王国はニルヘイヴ王国に提示されたいくつもの要求を飲まざるえなかった。お金関係の話だけでも………勇者の悪行の口止め料。事件の調査費用に損害の賠償など、今回使用されたエリクサーの費用も含まれており、請求された総額の高さはラングール国王の顔色を失わせる程だった。その上リタとアシュレイの死亡を認めさせられ、ニルヘイヴ王国に引き渡しとなった。お金も平和の人柱も失った国王の怒りは凄まじく、原因となったマインラートはただの幽閉で済むことはないだろう。
また、勇者家族が生きていたことを伏せ、教会の最高責任者である教皇には内密に真実が報告された。しかし、勇者の悪行は最終的には政治的理由で公にはされなかった。
命をかけて平和のために魔王を倒したのは事実で、世界の多くの民はそれを誇りに思い、神は存在するのだと希望を見出していた。悪行が公表されれば、何も悪くない人々の心を傷つけることとなる。痴情のもつれと言っていいのだろうか………ただでさえ死亡の発表で動揺した民衆がいる。個人的な問題でこれ以上世界を混乱に招くことはリタも望まぬ事だった。
「─────っ」
リタはマインラートを思い出し、自分を守るようにアシュレイを抱き締めて震えた。マインラートが死んだとされても、リタが生きている限り世界から望まぬ“勇者の妻”、“勇者のこども”として見られる。もし死亡扱いの権利を取れなかったらと思うと今でも体の震えが抑えられない。
「ごめん。話題に出すべきじゃなかったね」
「セブンは悪くないわ。もし助けられなかったら………という悪い未来を想像しちゃっただけ」
「やぁーらぁー」
「アシュレイごめんね」
リタの抱き締める力が強かったのか、アシュレイは腕の中から抜け出そうと体を捩る。謝るように開放し、地面に置くとそのまま側を離れて温室の奥へ走り出してしまった。
「アシュレイ、待って」
「リタ様、私が見ておりますのでご心配ならずに。元気なことは素晴らしいことです」
執事はそう言い残し、アシュレイを追いかけていった。執事の言うとおり、数ヵ月前まで不治の病で弱っていたとは思えないほど、アシュレイは見たこともない植物に目を輝かせ元気に走り回っている。アシュレイと執事の姿が見えなくなると、リタはセブンに改めて頭を下げた。
「セブン………アシュレイのこと受け入れてくれてありがとう。あなたにとっては憎い人の子供なのに」
魅了の洗脳から解放され安堵したと同時に、リタには洗脳されていた時の記憶が呪いのように残った。できるだけマインラートに関わっていた時の存在からは避けたいのが本音。でも、それでも手放せなかった唯一がアシュレイだった。申し訳なさのあまりリタは顔を伏せてしまうが、ポンと頭の上に暖かみのある手が乗せられる。
「当たり前でしょう?リタの自分の子供を愛する心は本物だ。憎い人の子供以上に、僕にとっては愛する人の子どもだよ」
ニルヘイヴは国の管理下の孤児院に入れることを勧めた。誰の子でもない子供の一人にしようと。でもリタは手離せなかった。お腹を痛めてようやく出会えたときの喜び、出来ることが増えてきたときの成長の嬉しさ、純粋無垢に向けてくれる子供の愛情は偽物とは思えなかった。
セブンはリタの気持ちを理解し、全てを受け入れ、責任をもってリタと一緒に引き取ると申し出た。自分が作ったエリクサーのせいで、偽りとはいえ幸せな生活を送っていた記憶をトラウマにしたのだ。この数年を偽りの生だと受け止めるのは酷なこと………その中でたったひとつの真はリタの支えになっていた。
「セブン………」
「それにね」
乗せていた手で思い切りリタの髪をかき混ぜるように撫でる。リタは止めてと言いたげな視線を向けるが、彼の嬉しそうな顔に文句も言えやしない。
「何より僕は孤児院出身だよ?血が繋がらなくても家族になれることは経験済みさ。子供は無条件で可愛い!アシュレイ君と仲良くしたいなぁ~協力してくれよ?」
「セブン………っ。ありがとう。そうね、大家族だったものね。ふふふ、懐かしいわ。あと両親のこともありがとう。内密に生きてるって知らせてくれて」
涙を浮かべて笑う今は幸せそうなリタの姿に、セブンはホッと胸を撫で下ろす。
「両親にはリタの動向を探ってもらう協力をしてもらったから、僕は陛下に相談しただけ。お礼は最終的に陛下を頷かせてくれたレイグル様に直接言ってあげて。あの人のことだから午後にでもサボって………じゃなくて巡回にここへ来るよ。あ、お菓子隠さなきゃ」
「あら、どうして?殿下がいらっしゃるならおもてなししなきゃ」
「あのね、レイグル様がここで寛ぎ過ぎて、補佐の人に怒られるの何故か本人じゃなくて僕なんだよ。酷いよね?」
「ふふふ、そうなの?それだけレイグル殿下はセブンを気に入っているのね。諦めなさいよ」
今は笑えているが、奪還作戦の日からしばらくリタの笑顔は消えていた。苦痛の記憶のせいなのか、まわりに迷惑をかけた罪悪感なのか、未来への不安なのか、それとも全てなのか………リタが壊れてしまいそうで、自分のせいでリタがリタでなくなってしまうのではとセブンは心配でならなかった。何故エリクサーは心の苦痛は治してくれないのかと何度思ったことか………。
「そうだ。リタ、僕にお願い事とか………他に聞きたいことはある?」
マインラートに心で向き合えと言ったのに、エリクサーに頼ろうとした自分に渇を入れ、リタにそっと優しく聞く。今の自分ができる事といえば聞くことしかできない。討伐に向かうリタを見送り、あの頃のようにただ待つことはもうしたくない。どこまでも側に寄り添って、できることを精一杯やろうと決めていた。
リタはきょとんとセブンを見上げると、少し悲しげな表情を見せる。
「そうね………何でも良いの?」
「いいよ」
「あなたは今、何も後悔していない?私のせいであなたは………………」
リタはセブンに負い目を感じていた。争い事が嫌いで、妬みや恨みから遠く、ひたすら穏やかな彼を辛い世界に巻き込んでしまった事に罪悪感を感じていた。
セブンは泣いてしまいそうなリタを守りたくて、指先をそっと触れるように握る。
「大丈夫。僕に後悔はないよ」
「あなたは優しすぎる………本当?嘘は言わないで。私には本音を教えて」
手を強く握り返され、懇願するようにセブンを見つめながら言葉を続ける。
「本当に良いの?私は偽物の聖女だったのよ………しかも傷物で、貴方の重荷にしかなれない。影の英雄であるあなたに私は釣り合ってないって、そう思ってしまうの」
「リタは聖女だよ。きちんと戦ってきたじゃないか。それにリタは僕の心を癒してくれる、僕のだけの聖女だ………むしろ」
「むしろ………?」
今の彼女は偽りのものを酷く拒絶する。彼女の心を守るためなら敢えて隠し事はしてはいけないと………セブンは1度目を瞑り、覚悟を決めたようにリタを見下ろした。
「君こそ僕で良いのか?僕は君の大切な人を殺した。君が危険を知らせ、守ろうとしていたことを分かっていながら裏切り、存在を葬ったんだ。僕は彼じゃない………君の想う、争い事から遠い穏やかな存在じゃないんだ………」
セブンが抱いていた不安を懺悔する。リタが自分のどんなところを好きだったか昔から知っている。だけど自分は変わってしまった。マインラートに誘われがままに嫉妬に身を焦がし、恨みを力にして、争いに飛び込んだ。そして目的を達成した今も以前と違う自分に戸惑っている。
「リタを取り戻すことが出来たから後悔はないよ。だけどこれから今の自分を知られて、リタに嫌われることがとてつもなく怖い。君の知るネイトじゃないのであれば受け入れられないと、拒絶されるのが………ネイトと比べられるのが───」
「セブン!」
迷子のように視線を揺らすセブンが見ていられず、握られていた手を振りほどき、ゼブンの顔を両手で包んだ。そして視線と視線が重なるように、伏せられてしまっていた顔を上げた。
「そうね。あなたは裏切り者よ」
「────っ」
リタの真剣な眼差しに、セブンは続きの言葉が怖くて体を強ばらせる。
「あなたはいつも何より私の気持ちを汲んでくれて、優先してくれた。だから生きて欲しいと私は願ったから叶えてくれると思ったのに、なのに貴方はメッセージの意味を知ってて、私を裏切った。洗脳されていても本当に悲しかったわ………」
「ごめん………」
「でもね、内気で人見知りの人が強い仲間を集める事ができるなど、誰が想像できるかしら?戦えない人が勇者に挑むなんて、誰が予想できたかしら。私のために死んで蘇ってくれる人がこの世にいるなんて……………こんな嬉しい裏切り、私は知らなかったわ」
「リタ………」
本当に困ったわ、と言いたげなリタの青い瞳に悲壮感はなく、むしろ顔を包み込んでくれている両手と同じ温かさがある。冷えてしまっていたセブンの心もリタの言葉で温度が戻っていく。
「洗脳から目が醒めたとき、一番側にいたのが貴方でどれだけ心強かったか分かる?危険を省みず、私をいつものように最優先して飛び込んでくれる貴方は私の好きな貴方のままよ。優しい貴方は何も変わってない」
「僕が変わってない?」
「私はそう思うわ。変わったんじゃないの、新しい感情を知っただけ………でしょ?」
そう言われ、ストンと胸の中の引っ掛かりが取れた。今まで感じたことのなかった感情との付き合い方が分からず怯えていただけだと………自分の感情にまで人見知りを発揮していたのだと気付いた。
「そっか………知っただけか」
なんだか情けなくて、でも納得できたことで気が緩み、強ばっていた表情も緩んだ。
「ははは、さすがリタ様には敵わないなぁ」
「うんうん!分かれば良いのよ!ふふふ」
離れていた時間の関係を取り戻すように、懐かしい雰囲気が二人を包む。平和しか知らなかったあの時と同じようで、少し違う距離感。それは悪いものではなく、お互いに成長して背が伸びて、慣れない距離感を探るような感覚。
その雰囲気を惜しみながらゆっくり深呼吸をひとつして、セブンは背筋を正して向き直る。リタも合わせるように背筋を伸ばした。
「リタ………世界の聖女は死んだ。顔の知られている君はこれからずっとこの箱庭で生きることになる。旅行にも連れていけない」
「分かってるわ。大丈夫、ここには素敵な庭がある」
「僕は何かと狙われる存在になってしまった。君を危険に巻き込むかもしれない。きっと苦労をかけるよ」
「覚悟している。次は私にあなたを支えさせて」
「もう友人たちとは会えない。気軽に話せる相手も、相談できる相手もいなくて寂しい思いをさせるだろう」
「あなたも、アシュレイもいる。月に1度はお父さんお母さんにも会えるから大丈夫」
セブン質問に覚悟をもってリタは気丈に答えていく。どれもセブンがリタより先に通ってきた道。ひとつ答える度に一生ここで生きていくのだと、実感が増してくる。
「前に思い描いていた幸せな新生活とは言えないと思う」
「そうね、そのまま言葉を受けとると私は不幸な新生活になりそうね」
そしてリタは愛しい人に悪戯な笑みを浮かべて聞くのだ。
「でも………あなたなら裏切ってくれるんでしょう?」
セブンは一瞬目を見開いたあと、本当は不安なくせに強気なそんなリタが健気で愛しくて………決意をさらに固くした。
魔王が現れ、リタを見送ってから4年半の月日が経つ。はじめは不安を募らせ、寂しさを積み重ねた。勇者にリタを奪われ絶望と苦悩を味わい、憎しみを知った。耐え続けた日々に別れを告げる日がようやく来たのだと………残るのはリタの不安だけ。
そして僕は聖女を裏切った。一緒に幸せになるための最初の小さな裏切り。
「あなたを愛しています。リタ、僕と結婚してください」
セブンは地に膝をつき、愛する人に両手を差し出した。指輪も花束もない。差し出した手は僅かに緊張で震え、耳は赤く染まっている自覚はあった。でもネイトやセブンではなく、ただのありのままの“僕”の気持ちを伝えたかった。
思いもよらぬ愛する人からの真剣な2度目のプロポーズに、リタの瞳からは宝石よりも輝く涙が溢れていく。
「はい、喜んで───っ!」
差し出された手をすり抜け、リタは胸へと飛び込む。二人はお互いの肩を濡らした。ようやく訪れた平和を噛み締めながら──────
無傷とはいきませんでしたが、これにてハッピーエンドのIF版は完結です。最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございます。