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最終話 求め続けた安息

 ひたすら走った。


 道端の石ころに足を取られ、無様に地面に倒れても立ち上がり、ロルフはただ走っていった。


 淡い月あかりが、焼かれた建物の石壁を照らす。煤の匂いが辺りに充満しロルフの鼻を刺激する。


 教会を離れた当初は静かなものだったが、次第に怒号が聞こえ始めてきた。ロルフとシスを探す声だ。殺せ。などと物騒な声も聞こえてくる。


 まだ騒ぎは教会の周りだけだ。このまま走り続ければ、間もなく城壁の門へとたどり着くだろう。ガンベルツを出てからシスを探せばいい。シスが脱出していることを願う。

 たいまつを持った門兵が何人かうろついている。すでにこの街を守る兵にはロルフたちのことが通達されているのかもしれない。


 ロルフは駆ける。逃げる。


 門が見えてきた。西の門だ。

 十人ほどの門兵が固まり、入り口を塞いでいた。その後ろには、戦争終結以降、降ろされることのなかった強固な鉄柵がロルフを阻んでいる。


「くっ……そ!」


 この様子では、東側の入り口も同じように塞がれているだろう。

 どうする? さすがに鉄柵は押し通ることはできない。門兵も数が多すぎる。


 このままでは……。


「ロルフさん」


 突然名前を呼ばれ、足がもつれてしまう。勢いのついていた体つんのめり、地面に手をつきようやく止まった。


「お前は……」


 ロルフの疑問に声の主は何も答えない。深くフードをかぶっているため、表情はわからなかったが、声の感じから男のようだ。

 男は手招きをすると、お世辞にも立派とは言えない建物の中に入っていった。


 罠だろうか? 


 そんな疑問が頭にちらつく。それに……。


 ロルフは男に導かれるまま、建物の中に入っていった。

 建物の中は、以前見たルイーゼ商会の倉庫と同じように、様々な品物が山のように置かれていた。建物の老朽化具合とは裏腹に、品物には埃の積もっている様子もなく管理は行き届いているようだ。


「誘っておいてなんですが、よく怪しまず入ってこられましたね?」


 薄暗い建物の中で、男はランタンに火を灯した。フードを取る。


「思った通りだ。この街で俺の名前を知っているのはほとんどいないからな」


「なるほど。まだ冷静ではあるようですね」


 ランタンに照らされた顔は、何度かルイーゼ商会でロルフたちを案内した男だった。


「リヒャルト・ルイーゼと申します。お見知りおきを」


「ルイーゼ……」


「ルイーゼ商会の商館長でございます」


 ルイーゼは深々と頭を下げた。その顔には商人の笑みが張り付いていた。


「あの女の子……シスさん、と言いましたか? この建物の地下からガンベルツの城壁を抜けて先に行っていますよ」


 ルイーゼが床に目を向ける。そこには、地下へと続く穴がぽっかりと開いていた。


 シスが無事に逃げることができた?


 安堵に胸が躍るが、張り付いたような笑顔を見せるルイーゼに対しては疑問も残る。


「なぜ、俺たちを助ける?」


「あなた達がこの街の住人に殺されたりでもしたら、私……ルイーゼ商会が困るのですよ」


 ルイーゼは全く表情を崩さない。乱れぬ笑顔にロルフの背筋に冷たいものが走る。


「ガンベルツという街は、戦時中は城塞都市として機能していました。まあ、あの時はひどいものでした。駐屯している兵士による品物の強奪や破壊。あんなことは二度とごめんですよ」


 穏やかに話してはいたが、表情の裏には表に出ないどす黒い怨嗟が見えるようだ。


「ルイーゼ商会は、私の祖父の代からガンベルツと共にあります。血なまぐさいことはもう御免です」


 ルイーゼはどこからどう見ても商人ではあるが、自分の生まれ育った街には思い入れはあるのだろう。いや、この街が混乱し商売が成り立たなくなるのを恐れているのかもしれない。


 ルイーゼは床に置いてある革でできた鞄を持つと、ロルフに渡す。


「あなたの荷物です。旅に必要な食材や路銀などを少しですが、入れておきました」


 荷物を受け取ると、ずしりとした重みがあった。


「つまり、俺とシスにはさっさとこの街を出て行ってもらいたい、と?」


「はい。その通りでございます」


 一切の後ろめたさもなくルイーゼはそう言い放った。


 ロルフはそんなルイーゼを尻目に、地面に開かれた地下へと続く通路に体を滑らせた。ご丁寧にルイーゼはランタンをロルフに手渡した。


「足元は滑りますので、お気をつけください」


 こんな時まで、ルイーゼは商人の表情を崩さなかった。


「ああ、言い忘れるところでした。アルマのことはお気になさらずに」


 その名を出されて、ロルフは足を止めた。


「アルマのこと……知っているのか?」


「元奴隷、ということですか? もちろんです」


 ルイーゼは当たり前だ、という風に首を傾げた。


「ばれることはないでしょう。それに、アルマはルイーゼ商会に莫大な利益を残しています。あの子が望むのであれば、この街で幸せになれるでしょう」


 一見、利益だけを追求する商人のようにも思えたが、ロルフには仲間への思いやる言葉に感じられた。


「そうか」


 ロルフはそれだけを言い残すと、地下へと潜っていく。

 暗闇を削り取るランタンの淡い光。吹けば飛んでいってしまいそうな光を頼りに、ロルフは街の外に向かい歩いて行った。




 長い地下通路を通り、外へ出ると穏やかな風がロルフの頬を撫でた。真っ暗な空に薄く張り付く雲と、煌々と光る星が遠くに見える山々を淡く照らしていた。

 なだらかな丘を登り切ったところで、背後を見るとガンベルツの街に焚かれている松明の明かりが目に入った。


 今は混乱の渦中にいるガンベルツではあるが、数日もたてばいつもの商人の街に戻るだろう。大量の物資と人間が街に出入りし、活気に満ちる。陽が沈めば皆で酒を飲みかわし、たわいもない話で盛り上がるのだ。そして、家族の元へと帰り眠りにつく。


 未練はないが、心なしか寂しさは残る。


 ガンベルツの景色を振り払い、ロルフは先を見る。

 視界の先。暗い草原をとぼとぼと歩く二つの影が見えた。小走りに走っていくと、二つの影はロルフを一目見た後、同じように小走りで遠ざかっていく。


「おい、シス。俺だよ」


 そう声をかけるが、構わずに走っていってしまう。


 と、シスが何かにつまずき、ぺたんと前のめりに倒れてしまった。そばにいた紅い羊が心配そうにシスをのぞき込む。


「こんな刈り込んでもいない草原で走るからだ。それに、なんで逃げるんだよ」


 ロルフが手を差し出すと、シスは頬を膨らまし自分一人で立ち上がった。紅い羊の頭をひと撫ですると、ぷいっと顔を逸らし歩き出してしまう。


 ロルフはシスの両肩を掴むと、わきを抱え持ち上げる。それでもじたばたと暴れる。そんなシスの目には泣きはらしたような跡がついていた。


「シス。寂しい思いさせたな」


 シスは恨みがましい目でロルフを見ると、目にいっぱい涙をため口をへの字に曲げる。涙が頬を伝う。


「何で来たんだ! ロルフはあの街で幸せに暮らすはずだったのに……! 私がバカみたいじゃないかっ!」


「バカ? 何でそう思うんだ」


 暴れるのをやめたシスをロルフは地面に降ろす。シスは手の甲で涙を拭くと、何度かぐずぐずと鼻を鳴らした。


「ロルフが奴隷の烙印を消せば、あの街で暮らせるのに。友達ができて、寂しくないのに」


 堰を切ったようにシスの口からは次々と言葉が出てくる。赤い羊が鼻先をシスの瞳に近づけると涙を舐めた。


「んー……。元奴隷だとばれちゃったからなぁ」


 ロルフは空を見上げながら、ぽりぽりと首筋を掻く。


「それにさ」


 シスの頭を撫でてやる。シスは怒ることなく、ロルフの手の温もりを確かめるように目を細めた。


「魔術師だとばれたら二人で逃げよう、って言っただろ?」


 シスの頬に赤みが差す。手を大きく広げると、シスは倒れ込むようにしてロルフの胸に顔を埋めた。ううううう、と泣いているのかうなっているのか分からないうめき声を上げている。


 腹の辺りにじんわりと温もりが広がる。いつまでも離れないシスにロルフは照れを感じていた。


「あっ。そうだ」


 思い出した。


 ルイーゼに持たされた荷物の中に、いくらか食料が入っているはず。いつまでも離れてくれないシスを引きずりながら、荷物を確認すると、


「おおっ。すごいな」


 膨らんだ荷物の中には、保存食である干し肉やライ麦のパン。それに生の食材である、ジャガイモやキャベツなども入っていた。


「ずいぶん重いと思ったら……」


 荷物の中身を見て感心していると、シスが臭いをかぎつけたのか、鼻をヒクヒクさせ、ロルフの胸から離れた。


 紅い羊も一緒になり寄ってきてしまった。


「おい、そう言えば紅い羊はどうするんだ?」


「どうするって……一緒に連れて行くに決まってるじゃないか」


 紅い羊は小さな目でロルフを見ると、頬をぺろりと舐めた。


「……非常食か?」


 頬を拭いながらそう言うと、紅い羊は頭を下げ、ロルフのわき腹を角でつつく。


「おい。やめろよ! 刺さる」


「ばーか。非常食なんて言うからだ」


 シスは紅い羊のそばで、胸を張った。紅い羊も得意げに自慢の角をロルフに見せびらかしていた。


「……仕方ないなぁ」


 思わぬ旅の仲間が増えてしまった。でも、まあ、いいだろう。寒い日は暖かそうだ。


「さて、とりあえず飯でも食うか? これだけ野菜があれば、お前が食い損ねたジャガイモとキャベツのスープが食えるぞ」


 シスの目が輝いた。紅い羊もなんだか嬉しそうだ。


 少し歩き、風を遮る大きな木の下で、食材と鍋を取り出す。川で水を汲み、食材と香辛料を入れコトコトと煮込む。


 すると、シスがロルフの首筋に着ていた自分の外套をかぶせた。


「ロルフ。首筋……隠れてない」


 シスが心配そうにロルフの顔をのぞき込む。


「シス。それはもういいよ」


 ロルフはローブを取ると、シスに渡してやる。シスはきょとんとした表情でロルフを見ていた。


「でも、奴隷の烙印を見られたら……」


 この時ばかりはシスも不安そうな顔をしていた。


「いや。奴隷の烙印があったって……もちろん、シスだって人間なんだからさ。堂々と生きてやるよ」


 シスはそれでも、ロルフの言葉を飲み込めず、紅い羊と顔を合わせていた。

 そんなシスを見ていると、ロルフの顔に笑みが浮かぶ。


「まあ、いいや。ロルフ。それでこれからどうするんだ?」


 シスは鍋の中を気にしつつロルフに尋ねる。


「……うーん。そうだなぁ」


 探し続けた安息は目の前にある。


 空を見る。


 いつも通り、一面埋めつくすように星空が広がっている。こんな広い星空に、ちっぽけな二人と一匹。明日はどんな空になっているだろうか。


「とりあえず、飯を食ってから考えるか」


 シスの満面の笑みに、ロルフの胸は穏やかな幸せが広がっていった。

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