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第十五話 商人の笑顔

 朝……というほど朝ではなく、もう数時間もすれば太陽が真上に上り、シスが腹減ったと喚きだす時間だ。


 ロルフとシス、アルマは先ほど屋台で購入した小麦のパンに、豚の塩焼きを挟んだものを朝食代わりに頬張っていた。

 とくに、シスは小麦のパンは初めて食べたらしく、必死に食らいついている。


「昨晩はお楽しみだったみたいだな」


 アルマは残りのパンを口の中に放り込み、咀嚼しながらロルフたちを見た。


「だからあれはそういうのじゃないって」


「へっ」


 アルマは納得ができないといった表情で、革袋の葡萄酒を喉に流し込んだ。


 ほんの数時間前。ロルフのベッドに眠るシスを見てアルマは目を丸くしていた。寝相が悪いシスは、ゆったりとした寝巻をはだけさせほぼ全裸になっていた。それを見たアルマが勘違いするのも仕方ないと思う。

 真顔になったアルマは勢いよく扉を閉め「すぐに行くぞ! 馬鹿野郎!」とどなり声を上げた。その後、すぐに出かける準備をして部屋を出たら、アルマが腕を組んで睨んできた。なにかぶつぶつ言っていたような気がする。


 朝、アルマが来ると、ロルフは藍色に染めた丈の長いチュニックを着せられた。シスも裾や袖に美しい刺繍が施された服を半ば無理やり着せられた。ついでにシスの長い乳白色の髪はこめかみ辺りで編み込まれていた。どうにも気になるらしく、何度も髪を解こうとしていたが、そのたびにアルマに頭を小突かれ、不満げな表情を見せていた。


 荷馬車と人が激しく地面を踏み鳴らしている。商人街を抜け、ロルフたちは教会へと足を運んでいた。

 荒々しくも活気のある商人街とはちがい、教会のある区域に入れば聖職者や巡礼者などがよく目につくようになる。


 ガンベルツはさほど大きな面積がある街ではないが、住民や商人、聖職者がそれぞれ区域のようなものを作っている。

 とくに区域分けに決めごとは無いが、もめ事も起こることなく街が機能している。

 比較的古い町で、昔からの取り決めが住民に行き届いているのだろう。新しい町では、取り決めが入植してきた人間に行き届いていないことが多く、もめ事が絶えないと聞く。

 この地域は異教徒も少なく、教会も異教徒討伐の必要が無いため比較的穏やかなのだと言う。異教徒が多い地域だと、討伐や異教徒狩りのため殺伐としているところもあるらしい。


「……ところで、今からバール商会に行くんじゃないのか?」


 前を見ると、いくつもの建物の向こう側に教会が見える。中心の建物は背が低く、両側には高い建物が二つある。てっぺんには十字架がその存在を鼓舞していた。

 紅い羊を所有しているバール商会。ルイーゼ商会からほど近い位置にバール商会がある。てっきりそこに行くかと思ったが……。


 アルマはいまだぶすっとした顔をしており、ロルフの話を聞いているのかもわからない。

 それでもアルマはロルフの顔をちらりと見ると、


「教えてやらねぇ」と、つぶやいた。


「おい……」


 アルマはフンと鼻を鳴らすと、不満を吐きだす様に大きく深呼吸をした。


「今から行くのは、ガンベルツの教会だ。今はそこで公開されている。紅い羊は聖書の物語にも出てくる神が人間たちに送った羊とされているからな。自分たちの商館に置いておくよりは、神のお膝元に置いておく方が都合はいいんだろうよ」


「神の羊として、教会に守ってもらうためか」


「そうだな。魔術を帯びた羊とはいえ、今のままじゃどこにでもいる普通の羊だ。紅い羊にするには魔術師の力を注ぎこむ必要がある。それまでは教会に守ってほしいと考えている。今頃バール商会も必死になって魔術師を探しているんだろうよ。目の前にいるってのにな」


 シスはようやく豚肉を挟んだパンを全て食べ切り、手に付いた肉の脂を舐めている最中だ。


「教会に盗みに入る罰あたりなんていないからな。今が絶好の機会なんだよ」


 そんな罰あたりが三人。街の商区の喧騒がうそのような静かな道を歩いていると、ようやく教会に辿り着いた。

 遠くから見るとそうではなかったが、ずいぶんと年季の入った建物だ。


 外壁の煉瓦には所々黒い煤がこびりついており、戦火をくぐりぬけた建物だということが分かる。

 しかし、みすぼらしい印象は無く、むしろこの地域の信仰を担うにふさわしい重厚な雰囲気を醸し出している。


「人があまりいないな。一般公開されているんじゃなかったか?」


「今のままじゃ外見は普通の羊と変わらないと言っただろ。そこいらにいる羊と変わらないなら、住民の興味も薄れる。この羊がバール商会の物だと認識させられれば良いんだよ」


 教会の入り口には、厚みがあり、さすがに正面からの侵入は目立ってしまうだろう。

 アルマが重い扉を開ける。半分ほど開けたところで、アルマがロルフを見やる。


「ここから見る全てを覚えておけよ」


 そう言い、扉を開けはなった。


 そこは確かに神に祈りをささげるに足る場所だった。

 まず目に飛び込んできたのは、荘厳な装飾のステンドグラス。陽の光を十分に取り込み、色の違うガラスの一枚一枚が見事なまでに輝いている。

 ステンドグラスから入った光が照らす礼拝堂には、中央の通路を挟み椅子が並んでいる。

 塵一つ落ちていないことを見ると、信仰のほどが窺える。


 シスも呆けた顔をして辺りをキョロキョロしてため息を漏らしている。


 静かなもので靴が石畳を叩く音が、教会内に響いている。そんなロルフたちの足音と混ざり、何組かの足音が礼拝堂の奥から聞こえてきた。教会の人間ではない。なめし皮で作られた比較的上等なチュニックと、長旅にも耐えられそうな靴をこちらに見せつけるようにして床を踏みしめていた。


「アルマさん。今日はどのようなご用件で?」


 ロルフたちの前に現れたのは三人。そのうち、一番歳をとっていそうな壮年の男が顔に柔和な笑顔を張り付け、アルマに話しかけてきた。

 今日の夜にはこの教会に忍び込もうとしているのだ。良く通る品の良い声にロルフは飛び上がってしまいそうだった。


 アルマはその人物からロルフとシスを隠す様に、前に立ちふさがった。


「やあ、これはバール商会の……こんな昼間から羊の世話ですか? 暇なんですね」


 話しかけてきた男の脇には二人の男。ロルフと同じ歳くらいの若者だ。

 バール商会の男はアルマの皮肉を受け流す様に、少々薄くなりかけた髪を払うと商人特有の張りついた笑顔を返した。


「そうですね。紅い羊を奪いに来る輩がどこにいるかわかりませんから」


「商人なら商人らしく帳簿を睨んでいればいいでしょう? 商談もせず昼間に商人が出歩いているのは滑稽だ」


「その言葉、あなたにそっくりお返ししますよ」


 一歩も引かずにアルマとバール商会の男は舌戦を繰り広げている。しかし、その声色に怒気は含まれていない。ある意味、商売敵のあいさつのようなものなのだろう。

 シスはロルフの足元にしゃがみ唸り声を上げている。


「私は仕事中ですよ。後ろにいる二人はルイーゼ商会のお得意様でね。ガンベルツの観光案内をしています」


 バール商会の男はロルフとシスを舐めるように見た。その間も柔和な表情はまったく変わっていなかった。


「それはそれは、失礼いたしました。バール商会の誇る紅い羊。ごゆっくりご覧になってください。そうだ。私が案内をいたしましょうか?」


「いえ。ルイーゼ商会のお得意様をバール商会に取られては叶わない。お構いなく」


 アルマはこちらに近づくバール商会の男を手で制した。


 バール商会の男についている二人の若者は、時折アルマの挑発ともいえる言葉に、眉根を引きつらせていたが、こちらに何かをしてこようという気はないようだ。ただ、じっとぎこちない笑顔を張り付かせている。

 これが盗賊ならすでにこの教会は、チリ一つない床が血で汚れていたのかもしれない。これが商人同士の戦いなのだろう。


「それは重ね重ね失礼を。それではごゆっくり」


 バール商会の男は深々とお辞儀をすると、その場を去っていった。

 ロルフは大きく息を吐いた。


「全く……商人って言うのはみんなあんな感じなのか? 俺にはあの張りついた笑顔は好きになれないな」


「まあ、商人って生き物は金さえ稼げればある程度のことはできる奴らだ。笑顔くらいで相手を安心させることができれば安いもんさ」


「俺には薄気味悪いとしか思えないけどな」


「お前……私に喧嘩売ってんのか?」


 アルマも商人だ。

 ロルフはしまったと思い口をつぐんだ。


「まあ、違いない」


 アルマはロルフの顔を一瞥すると先へと歩きはじめた。


「そんなことより行くぞ。紅い羊は向こうだ」


 アルマについて歩きはじめると、ロルフは足元を引っ張られていることに気がついた。

 シスがしゃがみ込んでロルフの足の裾を掴んだままだった。

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