第十四話 夢想
「ああ……すまない」
ナイフから手を離し、両手を頭の後ろで組み、敵意が無い事を示した。
アルマはロルフの腰からナイフを引きぬき、部屋の隅に放り投げる。
自分のナイフは持ったまま、アルマは椅子を自分のもとへ引き寄せ、いらだちを見せつけるように乱暴に座った。足を組み、ロルフを睨んだ。
「少しは落ち着いて私の話を聞け。まったく。その血走った目をなんでさっき見せないかな」
アルマはぶつぶつ文句を言っている。呆れたような目をしながら顎で小瓶を指す。
「奴隷の烙印を消すにはあれだけじゃ足りねぇよ。全く、お前よっぽどだな」
本当にアルマの言うとおりだ。紅い羊の体液を見せつけられ、気が動転していたとはいえ、アルマを殺して奪い取ろうという考えになってしまうとは……。
「本当にすまない。どうかしていた」
アルマは一度大きなため息をつき、
「まあ、私も見せつけるようなまねをして悪かったよ。手っ取り早く、見せた方が早いと思ったんだ」
アルマはロルフから視線を外し、窓の方を見ながら申し訳なさそうに言った。
「それにしてもアルマ……。お前、元奴隷だったんだな」
「ああ、そうだ」
アルマは視線を戻さずにそう言った。
「四、五年前になるな。なんとか、行商人として食っていけるようになった頃、ここよりもっと北の国。スワニーよりももっと北だ。その国の貴族がこれを持っていたんだ」
アルマはそう言いながら、小瓶を見た。
「紅い羊は権力の象徴として、貴族には絶大な人気がある。その貴族は紅い羊こそ所有してなかったが、体液だけは方々まわって入手していたらしい。私はどうしても体液が欲しかった。奴隷の烙印を消すためにな」
「やっぱりお前も、俺と同じように……」
アルマはロルフの言葉には答えず、ただ、一度鼻を鳴らした。
「私はその貴族から紅い羊の体液を譲り受けたんだ」
「よくもらえたな。体液だけでも高価なものなんだろ? 奇特な貴族もいたもんだ」
アルマは引きつったような笑みを浮かべ、
「この体をそいつにくれてやった」
そう言いながら、アルマは両手を広げ、自傷気味な表情を浮かべた。
「……っ」
「貴族ってのは好色家が多いからな。喜んで私を受け入れたよ。そこの小瓶に入っている体液はその時の残りだ」
「そうか……」
「まあ、そういうことだ。とにかく紅い羊の体液があれば、お前の奴隷の烙印は消える。晴れて人間に戻れるってわけだ……そろそろ聞かせてもらおう。仕事を受けるか?」
視界の隅にある部屋の窓からは、街の様子が見える。商館が多いこの辺りでは灯っている明かりは少ない。皆一日の仕事を終え、家路についているだろう。家族の元へ、恋人の元へ。友人と酒場で盛り上がっている者もいるだろうか。
風もあまり吹かず、静かな夜だ。
少し体をよじるだけで、衣擦れの音が辺りに響く。心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。
「……やろう」
八年前。ロルフはまだ畑を満足に耕す事も出来ないような子供の頃から旅をしてきた。
死にかけたことは一度や二度ではない。今まで生きてきたのはこの日のためだったのかもしれない。
アルマは顔をくしゃくしゃにほころばせ、ロルフの手をしっかりと握ってきた。
「受けてくれると思った。やっぱり私の気にいった男だ」
アルマはそう言いながら、ロルフの肩を強めに何度も叩いた。まるで、職人の親方が、よくできた弟子をねぎらうように叩くさまは、細い腕から繰り出されているとは思えないほど痛かった。
その後は、仕事の成功を祝うという名目で、残った葡萄酒を二人で飲みほした。
上質な酒だったので悪酔いすることは無かったが、ひどくふらついた足取りで部屋に戻った時には、酒場も閉まるような夜更けになっていた。
どういう経路で、どのように盗むかの相談は明日、現地で説明するようだ。さすがに酒のまわった頭で説明を受けても明日には忘れてしまうだろうから。
世界がゆがむほど酔いがまわっていたが、頭ははっきりしていた。
……人間に戻れる。
その事実だけが、ロルフの頭に別種の酔いをもたらしていた。
だから部屋の扉を開け、銅製の水差しから水を飲もうとするまで、部屋に差し込む月明かりに照らされているシスに全く気がつかなかった。
ゆったりとした寝巻を身に付けたシスはベッドに尻をぺたんと付け、シーツを自分の元に手繰り寄せている。それを両手で胸のあたりに抱き、顎を乗せロルフを恨むような目で睨んでいる。時折、すんすんと鼻をすする音が聞こえてくることから、泣いているのだろうか。
「……シス。どうした?」
夜はアルマのところに行くというのは言ってあったはずだ。起きたら一人だったので、不安になってしまったのだろうか。
シスに近づいてみると、顔には魔術師の文様が浮かび上がっていた。
はっとして周りを伺って見るがこんな夜更けの上、ここは二階だ。見られることはないだろう。
ロルフはシスに近づき親指の腹でシスの涙を拭う。シスは猫のように鼻を俺の手に近付けふんふんと匂いを嗅いでいる。
「……甘いにおいがする」
アルマの付けていた乳香の香りが移ったのだろう。あそこまで体を密着すれば当たり前だ。
「けだもの」
ぽつりとそう言うと、シスはすぐにシーツを頭からかぶった。
「おおーい。シス。何考えてるのか知らないけどさ。今お前が思ってるようなことはしてないからな」
「――っ! ……う」
シーツの塊が、ぴくぴく動く。
「それと、俺の奴隷の烙印を消す方法も聞いてきた」
ひと際大きくシーツが揺れた。そして、シーツの端から顔だけ出して琥珀色の瞳でロルフを見つめてくる。
「ほんと?」
「ああ、本当だ。明日から忙しくなるぞ!」
一瞬嬉しそうな表情を見せたシスだったが、すぐに不機嫌な顔に戻り、再びシーツの中に戻っていった。
「さみしかったか? なんなら、俺の横で一緒に寝るか?」
シーツの中のシスが一度大きく跳ねたが、返事は無い。こんなことを恥ずかしげもなく言ってしまえるのは、酔いがまわっているせいだろうか。しかし、割と本気だ。子供っぽいシスの体はなんだか気持よさそうだったからだ。
ロルフも自分のシーツを頭からかぶり体をベッドに横たえた。
明日、教会の鐘が鳴り皆が働き始めるころ、部屋にアルマが迎えに来てくれることになっている。
しこたま飲んだ酒が明日に残らなければいいな、と考え目を瞑る。
体は疲れているはずなのに、妙に目がさえて眠れない。
……人間に戻れたら、何をしよう?
まず、定住する街を見つけよう。ガンベルツのように活気がある街がいい。仕事も見つけないといけない。漁師? 大工? 鍛冶職人なんかも面白そうだ。できれば人の役に立つ仕事がいい。体は丈夫だし、ある程度の仕事ならこなせる自信がある。
それで、友人を作ろう。酒場で、どうでもいい事を笑い合えるような友人だ。バカみたいなことで騒いで、酒を酌み交わして……たまに喧嘩もするけど、次の日にはまた酒場でどうでもいい事を言い合う友人だ。
「……ぇ……。……ルフ?」
金が貯まったら、小さくてもいいから家が欲しい。友人たちを家に呼んで、朝まで馬鹿騒ぎしていたい。
「……寝たの? ……フ?」
そうだ、嫁さんも貰おう。特別美人じゃなくてもいい。気立てが良くてたまには俺を叱ってくれて、それでもいつも笑顔を向けてくれる人がいい。
ロルフの頭に将来のことばかりが浮かぶ。これがしたい。あれがしたいと考えていると、願望がどんどん膨れ上がっていく。
そんな時、シーツがめくれ上がり、なにか小さくて柔らかい物がロルフのベッドに入り込んできた。
体を曲げていたので、その空間にもそもそと何かが収まっている。
糸職人が最高の品質の素材と、最高の腕で紡いだような髪の毛がふわりとロルフの顔に当たった。
シスはロルフの胸に顔をうずめて、大きく息をして、吐いた。
柔らかさと心地よさに、反射的にシスの体を抱きしめてしまった。
シスは小さく、「う」と呻き、体を硬くしていたが、ロルフを突っぱねることはせずされるがままになっている。
すぐに、ふっと力が抜けロルフの体のぬくもりを確かめるように、顔を押し付けてきた。
シスの肩も体も、ほんの少し力を込めれば折れてしまうほどに細い。
この細い体の中にどんなつらい経験を貯めこんできたのだろうか?
シスの頭を撫でると、「うう」と怒っているような、恥ずかしがっているような、感情が読み取れないうなり声を出している。
今回の仕事にはシスの人生もかかっている。絶対に成功させて人間の生活を手に入れなければいけない。
柔らかなぬくもりに眠気を誘われ、瞼を閉じた。
すでに夜は明け初め、東の空が白み始めていた。




