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第十三話 飢えた獣

 熱く、柔らかい。


 唇を当てられている辺りが熱を持ち、それが体全体に広がっていった。筋肉が硬直し指一本動かせない。

 アルマは唇を離し艶っぽい声で一言、


「お前、女を知らないだろ?」


 体中に広がった熱が発火したような熱量を感じた。ロルフはアルマの肩を持ち引き離そうとした。

 しかし、そうする前にロルフの体はベッドに倒され、アルマに押し倒される形になってしまう。アルマの潤んだ青い瞳がロルフを見つめる。


「銀貨一枚でいいよ。私がお前にいろいろと教えてやる」


「……な……にを」


 喉がひりつき、言葉がうまく出せない。口の中もカラカラに乾いている。

 アルマがフフ、と笑う。


「これが女の武器だ。数少ない女の行商人の中には、男に負けないように限界以上の荷物を持って行商してるやつもいるが、ありゃあ駄目だ。体力じゃ男には逆立ちしたって敵わないからな。生まれもった自分の武器をしっかりと認識しないとだめだ」


 アルマはそう言いながら、ロルフの胸に顔をうずめ体をしっかりと密着させる。


「や……めろ」


 乳香の甘い香りと、柔らかなアルマの肢体に意識が飛びそうになる。


「……あのお譲ちゃんに義理を果たしてんのか?」


 アルマはロルフの胸に顔をうずめたまま、少し非難の混じった声を出した。


「そういうわけじゃない」


「ま……ったく。元奴隷にしちゃ、純粋すぎる奴だな」


『元奴隷』という言葉が、耳を通りゆっくりと脳に浸透していった。ロルフは体を起こしアルマの顔を直視した。

 よほど驚いた顔をしていたのであろう。アルマは一瞬、唇を震わせた。しかし、すぐに表情を戻すと、


「おっと、口を滑らせた」


 と、天井を仰ぎとぼけた。


「やっぱりお前……俺が元奴隷だと?」


「当たり前だろ? 馬鹿か? 自分の今までの行動を思い返してみろよ。後ろに人が通るたびに首筋を気にするそぶりを見せてりゃ、すぐに気がつくぜ」


 無意識に行っていた自分の行動に、驚きを隠せない。そんなロルフを無視しアルマは突然大きな声を上げた。


「ああー! ヤメだ。ヤメだ。馬鹿らしい」


 そう憤慨し、肩に乗ったままのロルフの手を強引に引きはがす。


「私そんなに魅力ないか? おぉ?」


「あ、イヤ。そんなことは無い。魅力的だった」


 アルマはロルフのそんな言葉を予想していなかったのか、顔を赤くさせ口をパクパクさせている。正直な感想を述べただけだったが、なんとか一矢報いることができたようだ。

 アルマはめくれ上がったチュニックの裾を気にする風でも無く、胡坐をかき、頭をガリガリと掻いた。


「正直な話、あのお譲ちゃんからお前を奪ってみたくなった」


「え?」


 アルマはベッドから降りると、テーブルに置いたままの葡萄酒を水のようにぐびぐびと喉に流し込んだ。


「ふぅ。で? 聞きたいことあるんだろ?」


 自分が呼んでおいて……という気持ちはあったが、ここで、文句をいったら、話がこじれそうだ。ロルフは意を決する。



「俺の奴隷の烙印を消す方法はあるのか?」

 アルマはもう一度、葡萄酒を喉に流し込み、腕で乱暴に口を拭った。


「ああ、ある」


 あまりにあっさりとした答えに、拍子抜けしてしまう。


「それはどういう?」


「羊に魔術の力を入れた後、紅い羊が生まれる。それは覚えているよな?」


「ああ。もちろんだ」


「紅い羊が生まれる際、少量だがある体液が取れる。それがお前を人間に戻す薬になる」

「薬? それは一体……」


 アルマは微笑を浮かべたかと思うと、ロルフに背を向けた。そして、薄いチュニックを無造作に脱ぎ捨てた。


「お、おい。アルマ……」


 過酷な旅を続ける行商人に似合わず、傷一つなく流れるような背中だった。


「もう少し、近づいてみろ」


 肌を晒してはいたものの、先ほどまでの悩ましい声とは違い、ただ、淡々と支持するような声色だった。

 ロルフはアルマに近づき、その白い背中を見た。


「背中……が、どうした?」


「分からないか? 目を凝らしてよく見てみろ」


 アルマはいつも明確な理由は話さない。相手をおちょくっているのか、本当に重要な目的があるのか、分からなくなる。相手の反応を楽しんでいるようにも見える。

 しかし、言われた通り目を凝らしてみた。そこには、ロルフの想像を超える物が見えた。


「これは……!」


 アルマの背中には、首から腰のあたりにかけて薄い膜のようなものに覆われていた。さらによく見てみるとわずかにだが、凹凸がある。

 火傷……と言われればそれまでだが、わざわざロルフにそんなものを見せる理由が見当たらない。


「奴隷の烙印だ。私も元奴隷なんだよ」


 と、つぶやいた。


「奴隷……の烙印……!」


 背中の膜はほとんど皮膚と同化し、境目はあるもののよほど近づかないと分からない。

 奴隷の烙印はただ、焼けた鉄の棒をあてただけの火傷ではない。

 奴隷は鷹の爪を模した、鉄製の器具を背中に押しつけられる。三又に加工したその器具は背中に食い込み、一生消えることのない傷を背中に残すのだ。


 触るとさらりと指が滑り、言われるまではこれが奴隷の烙印だとは気がつかない。


「ひあっ……!」


そんな甲高い声が聞こえ、ロルフは我に返った。


「触んじゃねぇよ! 金取るぞ!」


「あ……ああ、すまない」


 ロルフは両手を上げ、身をすくませた。


 信じられない。


 二度と消す事が出来ない奴隷の烙印。それが完璧にではないが、これほどまでに消えている。アルマが元奴隷だったと言う事実よりも、傷をここまで消す事が出来るとは……。

 ロルフの思考が正常に戻る前に、アルマはチュニックを身につけ向き直っていた。


「紅い羊の体液を体に塗ると、薄い膜が傷を覆う。正確に言うと、直す薬ってわけじゃねぇが、見えなくなりゃ問題ないだろ? これがお前を人間に戻す方法だ」


 手が震える。足はさっきから細かく床を叩いている。歯の奥がカチカチと音を立てる。恐怖ではなく歓喜。頭の後ろがじんわりと痺れる。紅い羊の体液。これがあればロルフは人間になることができる。


「そして、これが紅い羊の体液だ」


 アルマはベッドの下に手を伸ばし、動物の皮で作られた鞄の中から、親指ほどのガラスの瓶を取り出した。

 小瓶の中には、白濁した液体が入っている。


 アルマは紅い羊の体液が入った小瓶を、ロルフに見せつけるように振って見せる。粘液性の液体は小瓶の内側に張り付き、ゆっくりと下に流れていく。

 目の前で見せつけられる何の変哲もない液体。ロルフを救う神の手。


 欲しい。


 後頭部に感じた痺れは、次第に体全体に広がりロルフから正常な思考を奪っていく。


「あ、あああ、あああ」


 まるで幾日も水を飲んでいないかのような渇望。ロルフは震える腕を小瓶に伸ばす。

 アルマはひょい、とロルフから小瓶を離す。


 ロルフは腰に備え付けられたナイフの留め金を外す。手のひらにじっとりと汗がにじむ。


「ロルフ……お前、危ない目してるぞ」


 目の前にいたアルマはいつの間にか後ろへ回り、ロルフの首筋に自分のナイフを押し当てていた。刃から伝わる感触は雪解け水のように冷たい。


「あ、あ……」


「まず、ナイフから手を離せ」


 アルマの声は、地の底から聞こえてくるように、低く冷たい。

 ロルフはその声に頭を冷やされ、少しばかり冷静になった。

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