エピローグ
(ここ・・どこかしら)
体を横たえているのはドルマの部屋のものではないベッドだ。
ドルマはゆっくり体を起こしてみた。
見知らぬ天井と窓の景色は、だが第六の要塞からの景色だ。消毒液の匂いと白いノリの利いたシーツ。おそらくここは第六要塞の医務室なのだろう
ドルマはマティアスを繕った後、その後、高熱を出してその場で倒れて意識を失った、という所までは、覚えている。
何日か眠り続けていたのだろう。口がカサカサに乾燥していて、頭が痛い。
ぎい、と錆びついた扉が開く音がした。
ドルマが扉の方を振り向くと、部屋に、大きな体の男が入ってくる所だった。
大きな体の男は、黄色い水仙の花束を手にした、見知った紺色の瞳を持つ男だった。
男はドルマと目があうと、信じられないといった顔をして、口を押さえた。
(私・・間に合ったのね)
ドルマが全てを理解したその次の瞬間、黄色い水仙は男の体から離れて宙を舞い、ドルマのベッドに大きな体と銀色の髪が勢いよく飛び込んできた。
そして、えんえん、と銀の髪の持ち主はベッドにすがって子供のように泣きじゃくっているではないか。
よかった、よかったと壊れたレコードのように繰り返す男の涙に濡れた顔をドルマはそっと上げて、人差し指で伝う涙をぬぐってやった。
一頻り泣きじゃくり終わると、落ち着きを取り戻したらしい。
この美しい男は、己の頬をなでるドルマの人差し指をそっと手にとって、愛おしそうに頬ずりをしながら、だが憮然とすねてドルマにそう言った。
「・・あの時に開けてくれてもよかったのに」
ドルマは思わず笑いがこみ上げてくる。
(開口一番が、これだなんて)
確かこの男は、辺境のユキヒョウと呼ばれた立派な辺境最強の騎士で、広い辺境を束ねる辺境伯の尊い嫡子だったはず。だというのに、子供のように頬まで膨らませて拗ねている目の前の男に、笑いを噛み殺してドルマは言った。
「・・私、扉を開けました。そしてあなたの元にやってきました」
これがドルマの、マティアスへの答えだ。
ドルマの言葉を理解したマティアスはそうか、そうか、と噛みしめるように言って、眩しそうにドルマを見つめた。
「君は勇気を出して扉を開けてくれた。そしてその力を使って俺の命を繕ってくれたおかげで、止血が間に合った。治療魔法団が到着するまでどうにか俺の命は持ちこたえたんだ。君は俺の命の恩人だ。ありがとう」
「マティ様、そうだ!! 魔獣は、スタンピートは・・」
慌ててベッドから起き上がろうとするドルマをそっと抑えて、マティアスは窓の外を指さした。
窓の外では穏やかに人々が行きかい、洗濯物が舞っている。
子どもたちの甲高い声が響き渡っている。第六の日常が、帰ってきている。
マティアスはゆっくりと言葉を紡いだ。
「もう心配ない。スタンピートは平定した。君はあの後力を遣い過ぎて倒れてしまって、そのまま一週間も眠っていたんだ。君が眠っている間に第六には各要塞から応援が到着して、スタンピートは無事に平定された。俺は治療魔法団の到着後、治療魔法ですぐに回復して、戦闘に復帰したほどに無事だ。・・・・ねえ、ドルマ。・・俺の事、もうこわくないか」
こわごわと、そう聞いてきたマティアスは、ずっとドルマの手を握って離さないでいる。
少し前までのドルマであれば、恐ろしくて恐ろしくて震えていただろう。ドルマは答えた。
「・・こわくないわ。マティ様の為であれば私・・私、扉の外にでても、怖くなんかなかったもの」
ドルマはそう言って、少しはにかんで俯いた。
マティアスは子供のように大きな笑顔になると、俯いていたドルマの顎をあげた。
そして、そっと、触れるようなキスを交わした。
二人はじっと見つめ合い、そして笑い合った。
やっと、二人の心が通じたのだ。
マティアスはようやく恋人と心が通じた嬉しさが隠せない様子で、だが悔しそうに言った。
「くそう、それにしても君がこんなに可愛い顔をしているんだったら、もっと早く姿を見せてくれたらよかったのに。カイルの野郎、ひょっとしたらドルマちゃんは外見に問題ありで、人に姿をみせるのが怖くてひきこもっているのかもしれないなんて脅かしてたんだぜ。
いや君の外見がどんなものでも俺には何も関係はないけれど、やっぱりオークみたいな外見よりも可愛い方がいいなあ・・って、ちょっとあの日、扉の向こうでドキドキして君を待っていたんだ」
「うふふふ、オークみたいな外見かもしれないのに、それでも私を好きでいてくださったのね」
ドルマは抑えきれなくなって、声を立てて笑った。
屈託なく無邪気に笑うドルマの大きな笑顔を見て、マティアスは、ぽうっと見惚れて言った。
「えくぼだ・・」
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コンコン
制服管理室の扉を叩く音がする。
「はーい」
「ドルマちゃん繕いお願いー!」
ついほんのこの前に、100年に一度という規模の大スタンピートが発生した事など、夢の世界の出来事のように、いつも通りの第六の日常が帰ってきた。
大スタンピートは次期辺境伯であるマティアスの迅速で的確な指揮下、被害は最小限に抑えられた。
しばらく第六はマティアスの管轄に置かれ、マティアスは第一から第六に活動拠点を移した。
今回のスタンピートで最も大きな被害が発生したのは牧場や養鶏所だが、被害を受けた地域には国から手厚い保障が約束された。ただ、見舞いとお礼と称して毎日毎日山のようにマティアスの部屋にテムジンの実家の牧場から直接牛乳が届くようになり、ずいぶんとマティアスを悩ませるようになったのは別の話。
この大スタンピートで最も凄惨な戦闘を経験したはずの第六の騎士達に、重症者は発生すれど、死者は辛うじて発生しなかった。
失恋の痛みから、ドルマの繕ったものを何一つ戦場に持っていかなかったマティアス以外の第六の皆は、未曾有の大スタンピートを前に、昔にドルマに繕ってもらって今はもう着られないようなシャツやら手袋やらなんやらを、こっそりそれぞれ新品の制服の下に着用していたのだ。
おかげでみなかなりの重症は負ったものの、命を失うものは出てこなかった。
いつもの日常を取り戻した第六だが、少しばかり変わった事がある。
ドルマと、そしてドルマを取り巻く第六の人々だ。
「ねえドルマちゃん、これをお願いできる? ちょっと良縁にめぐまれるように願かけて繕ってほしいのよ。もうすぐ私もドルマちゃんみたいに、マティアス様みたいないい人に出会いたいのよね」
繕いが必要なエプロンを手にした若いメイドが、気軽にドルマにそう声をかけた。
「おい、ドルマちゃんの能力はあんまり使うと大変なんだ。ドルマちゃんに願をかけて繕ってもらうなら、ちょっとだけだ、あとは自分でいい男を見つけろ、わかったな」
繕いの順番待ちの先客の騎士達が、繕いをお願いしにきたメイドにそう注意した。
「わかってるわよ。ドルマちゃんが力を遣いすぎるとあんなに体が大変だっただなんて・・今まで気軽にお願いして悪かったって、みんな反省してたのよ。でもちょっとだけ!」
「しょうがねえなあ・・そういえば書記官してる俺の兄貴が今度書記官の慰労飲み会開くらしいけど、独身の男連中ばかりらしいからお前も呼んでやるよ」
「え! 要塞の書記官!! いくいく、やった! ドルマちゃん、繕いは今度でいいわ、ありがとう!」
ドルマはあれから、固く閉じていた制服管理室の扉を開けて、人とほんの少しだけ、話しができるようになったのだ。
あの日実際に目の当たりにしたドルマの持つ力と、そして、その力を使うという事が、どれほどドルマに負担なのかを知った第六の人々は、ドルマへの認識を変えた。
恐ろしい力を持っている。だが己の持つ大きな力に翻弄され、対人恐怖に至った親切な娘であるドルマを理解し、深い感謝と共に、その力と共存する方法を模索しはじめたのだ。
命からがら大スタンピートを生き延びた第六の騎士達は、ドルマに殊の外感謝を示した。
今までのように、お人好しのドルマが全員の分を引き受けてしまわないように、自主的にドルマにお願いする繕いものの数を自分たちで制限しはじめたのだ。
しばらくしてから、ドルマが寝間着に繕いを施した子供の母から、丁寧な見舞いの手紙がドルマの元に届いた。運命は変えられないけれど、命の最後に子供とお別れの時間が持てたのは、あなたのおかげだった、そう感謝が手紙には綴られてあった。
コンコン
かちゃり
また制服管理室の扉を叩く音がして、銀のノブが回った。
かつてドルマをあれほどまでに怯えさせた銀のノブに、ドルマはもう怯えない。
扉が開いて、ドルマの大好きないたずらっぽい紺色の瞳が見えた。
ドルマはあれからも、まだ対人恐怖が治っているわけではない。
制服管理室の扉を開けて、少しだけ、ほんの少しだけ人と話すようになっただけ。
人を前にすると動悸がするし、外に出る時は勇気がいる。
でも、ドルマはもう一人ではない。孤独でもない。
「ねえドルマ、さっき演習で黄水仙の花畑をみつけたんだ。そうっと裏から抜けて、見に行こうよ」
「わあ、素敵。そうね、でも誰かに鉢合わせるのは怖いわ。でも・・・」
「でも?」
マティアスは、ニッコリと笑った。もうドルマの答えを知っているのだ。
ドルマは大きな笑顔で、えくぼを見せてマティアスに言った。
「私、黄水仙の花畑に行ってみたいわ!」
了




