2-21 試験の終わり
定期テストが近づき、図書室を利用する生徒が黙々と勉強をしているなか、ベルローズはちらりと目の前に広がるノートから視線を上げた。
ベルローズと向かい合うようにして座っているルシウスはベルローズの視線に気づいていないようで、教科書に視線を落としたままスラスラとノートに文字を書き進めている。
学園に復帰してから放課後に勉強を教えてくれるようになったルシウスは、定期テストが2日後に迫っているというのに自分の勉強と並行してベルローズの勉強を手伝い続けてくれていた。
レインの「基本なんでもできる」という言葉通り、全科目でとびきり優秀な成績を修めているルシウスのおかげで苦手意識があった教科以外も理解が深まり、ベルローズは感謝してもしきれないわ……と思う。
「……ベル? わからないところでもあった?」
ノートに書き進める作業が一段落したのか、小さく息を吐きながら顔を上げたルシウスはベルローズが自分を見ていることに気づき、声を抑えながら首を傾げる。
「あ……いえ、今のところ大丈夫です」
「そう。わからないところがあったらいつでも聞いて」
「ありがとうございます」
ルシウスにお礼を言ったベルローズは再び自分のノートに視線を落として勉強に戻った。
***
「そろそろ帰ったほうがいい、ベル」
「そうですね。もう暗くなってる」
ルシウスの言葉にハッとしてベルローズが窓の外を見ると、いつのまにか日が落ちていた。ガチガチに身体が固まっていたので、一度だけぐーっと伸びをしたベルローズは机に広がるノートやら参考書やら教科書やらを閉じる。
閉じたノートらをまとめて鞄に詰めるベルローズをルシウスはぼーっと眺めている。フェルメナース邸に帰るベルローズと違い、ルシウスは寮で生活しているので時間を気にする必要がない。おそらくベルローズが帰ったあとも図書室に残って勉強をするのだろう。彼と同じように寮で生活している生徒の何人かが未だに図書室には残っていた。
ベルローズの準備が整ったことを確認したルシウスは椅子から立ち上がって口を開く。
「馬車まで送るよ」
「……ありがとうございます」
ルシウスの提案に素直に応じたベルローズは彼と共に図書室を出る。
廊下には照明があるものの、やはりどこか薄暗い。
人気のない廊下をルシウスとベルローズは静かに歩いていく。
「明日も今日と同じ感じで大丈夫?」
「はい、お願いします……でもほんとうに大丈夫なんですか?」
「なにが?」
「テストも近いのに、毎日付き合わせてしまっていますし……」
「あぁ、問題ないよ。ベルの質問に答えてる以外の時間は僕自身の勉強もしてるし」
さらりと返すルシウスに納得しきれないベルローズだが、彼の教え方はほんとうにわかりやすいので結局頼りたくなってしまい、「明日もお願いします」とだけ返した。
(優しい人……よね)
それは乙女ゲームのルシウスと彼を重ねる前からなんとなくわかっていたことだが、ルシウスとこうして向き合うことによってより感じたことの一つである。
ルシウスは優しい。
誰にでも優しい、というわけではないのだろうが、レインやベルローズなど一度懐に入れた者にはほんとうに優しいのだ。
レインによると、成績優秀なルシウスにも生徒会の誘いは来ていたらしいが彼はそれを「生徒会の仕事は面倒だから」と言って断っているらしい。
それにも関わらず、レインが生徒会の仕事に追われていると守秘義務がない仕事は手伝ってくれるのだとか。レインは「なかなか他人を懐に入れないけど、一度受け入れてしまえば結構情に厚い奴だよ、ほんとうにありがたい」と言っていた。
ベルローズに勉強を教えてくれている間も、ベルローズがわからないと言っていない時でも、ベルローズの表情を見て躓いていると察してヒントを出してくれることが何度もあった。
レインのときもベルローズのときも、二人が助けを求めていなくても、困っていると察してさらりと手助けしてくれるのだ。きっと洞察力がとても高いのだろう。
(お兄様が言う通り、ほんとうにありがたいわ)
しみじみとルシウスのありがたさを実感したベルローズは心のなかでそう呟く。
「ベル?」
「あ! すいません、ぼーっとしていて」
「大丈夫だよ、かなり勉強してたから疲れたんだろう。そういえばベルが前好きだって言ってた推理小説作家の新作が出たらしいね」
「そうなんです。テスト期間が終わったら早速買いに行こうと思ってて……」
ルシウスの言葉にベルローズは心を踊らせる。
前世から推理小説が大好きなベルローズは、今世でもお気に入りの作家が何人かできて、そんな作家たちの作品は全部持っている。
うきうきとしていたベルローズは不意に足を止めた。
「ベル?」
「……」
今さっき当たり前のようにベルローズの好きなことの話をしたルシウスは、急に立ち止まったベルローズに不思議そうに呼びかけた。
(私、ルシウス様が好きなことなんて一つも知らないわ……何年も付き合いがあるのに……)
ベルローズは愕然とした。
もうかれこれ10年近く交流があるというのに、ベルローズはルシウスが好きなことや好きなものを一つも知らない。強いて言えば甘いものが嫌いではない、ということぐらいは知っているが。
それほどまでにベルローズはルシウスを遠ざけてきたということだ。彼がベルローズに執着していたので疎遠になることはなかったが、交流はいつも一方通行だった。
衝撃の事実に固まったベルローズの口から小さく言葉が漏れ出る。
「……ウス様の…………んですか?」
「え? ごめん、うまく聞き取れなくて」
「ルシウス様の好きなことはなんですか?」
「……」
ベルローズの質問に、ルシウスは大きく目を見開く。確かに唐突すぎる質問だ。
「……僕の好きなこと?」
「はい」
「んー……あまりないかも」
ルシウスは苦笑しながら言う。
それでもベルローズがじーっと彼を見つめていると、ルシウスはしばらくの間考え込むように首をひねったあと、口を開いた。
「……冒険小説を読むのは、割と好きかもしれない」
「冒険小説ですか?」
「そう。レインは冒険小説が好きだろう? 影響されて小さい頃から読むことが多かったんだ。今考えてみると、好きなのかもね」
「そうなんですね……」
ルシウスから質問の答えをもらったベルローズは再び歩き始める。
その後は会話もなく、二人はフェルメナース伯爵家の馬車の前に着く。
「それじゃ、気をつけて。また明日ね」
「あ、ルシウス様!」
ベルローズを馬車まで送り届けてその場を去ろうとするルシウスをベルローズは慌てて止めた。
(ルシウス様をちゃんと見るってことは、彼を知らなきゃいけないわよね……だから__)
「テストが終わったら、一緒に街に行きませんか?」
「え?」
「本屋、行きましょう! ルシウス様のおすすめの冒険小説、教えてください」
ベルローズの突然すぎる誘いに、ルシウスはこぼれんばかりに目を見開いていた。
考えつくままに言葉にしてしまったベルローズだが、ルシウスの表情を見て(焦りすぎたかも……!)と慌てる。
「あ、その。お忙しいようでしたら、また別の機会に__」
「行く。行くよ」
「え、あ……ありがとうございます……?」
尻込みしたベルローズの言葉を遮るようにルシウスは頷く。
約束を取り付けたベルローズは謎のお礼を言ってしまう。
「初めてだ」
「初めて?」
「ベルが僕のことを誘ってくれたの、熱病以来初めてだよ」
ルシウスはそう言って嬉しそうにふわりと笑う。
彼は目元と耳を少し赤く染めていて、彼の美貌が相まってその様子はかなり心臓に悪い。
「あ……それじゃぁ、また明日もよろしくお願いします!」
なぜだか急に恥ずかしくなったベルローズは、顔に熱が集まっていることを感じ取り、ルシウスにそれだけ言い残してすぐさま馬車に乗り込む。
(なんでこんなに顔が熱いの……?)
馬車のなかで熱を宿した頬に触れたベルローズはパタパタと両手で風を仰ぐが、効果はなく彼女の顔は真っ赤なままだった。
そうして定期テストが過ぎ去っていくのだった。
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