2-18 ひとつひとつはじめから
ぼんやりと光が差し込む部屋のなか、ベルローズは薄っすらと目を開けた。
初めに視界に飛び込んできた天井はベルローズがよく知るフェルメナース邸の自室のものではなく、まったく知らない天井だった。
身体のあちこちが痛むなか、ベルローズはどうにかして上半身を起こす。
「ベル……?」
低く掠れた声が部屋に響いて、ベルローズがそちらを向くといつもはサラサラなミルクティー色の髪をボサボサにして眼の下にはくっきりと隈ができているルシウスがいた。
ルシウスはベルローズが眠っていたベッドの直ぐ側で椅子に座っていたのだろうが、今は腰を上げている。
「……ル、シウス様」
目が覚めたばかりだからかうまく声が出なかったベルローズだが、ルシウスは自分が怯えられていると捉えたのかサッと顔をそらしてベッドから離れ、部屋の扉へと向かう。
「レイン、ベルの意識が戻った」
「ほんとうか!?」
廊下に出たルシウスがそう呼びかけ、レインの声が廊下に響いたかと思えば両親と一緒に室内に入ってくる。
「ベルローズ! 良かった、意識が戻って……ほんとうに良かった」
「お母様……」
伯爵夫人は涙声で言いながらベルローズをギュッと抱きしめた。
伯爵とレインはベルローズの様子を見て、安心したように表情を緩めている。
「私、階段から落ちて……」
「そう。それでリオネさんがユリアデナ邸に運んで、お医者様を呼んでくれたのよ」
「それじゃ、ここはユリアデナ邸なの?」
「えぇ、そうよ」
ベルローズの質問に夫人の代わりに答えたのは扉からひょこっと顔を出したリオネだった。ベルローズが起き上がっている様子を見てリオネはほっとしたように笑った。
「でもここがユリアデナ邸ならなんでルシウス様が?」
「彼とリオネさんと私たちで代わる代わる貴方の側にいたの」
「代わる代わる……?」
ベルローズの訝しむような表情に夫人は眉尻を下げながら口を開いた。
「貴方2日間ぐらい意識が戻らなかったのよ」
「そんなに経っているの!?」
夫人の言葉にベルローズは目を見開いて驚く。
窓の外が明るいのでかなり時間は経っていると思っていたベルローズだが、まさか2日間も意識がなかったとは思わなかった。
「馬車で連れて帰ろうにも、どうしたって馬車は揺れてしまうからユリアデナ邸にずっと泊めてもらっていたの」
「そうなのね……ありがとうございます、お義姉様」
「いいえ、私が気分転換に街に誘ったりしたからこうなってしまったのだから……」
「お義姉様のせいじゃありません! 私が注意を怠ったからで、それにお義姉様と出掛けることができてほんとうに嬉しかったですし……!」
ベルローズの大きな声に驚いたように目をパチクリとさせたリオネは泣きそうな顔で笑って、部屋のなかに入ってくる。
リオネと入れ替わるように部屋を退出したレインを疑問に思いながらも、ベルローズはベッドの側に寄ってきたリオネと話を続けるのだった。
***
「ベルローズ、今少しいいか?」
「お兄様? えぇ、もちろん大丈夫よ」
医者に診てもらったベルローズは大事を取って明日フェルメナース邸に帰ることになり、両親は「仕事があるから」と言って一足先に名残惜しそうに帰宅した。
リオネもルシウスもレインも学園を休んでいたらしいが、ベルローズの意識が戻ったのでリオネとレインは明日は普通に登校するらしく、ルシウスは今日中に寮へ戻るらしい。
胃に負担のない軽い昼食を食べ終えて、ベルローズがぼーっと過ごしているとレインが部屋に入ってきてベッドの側に置かれた椅子に腰掛けた。
「ベルローズが階段から落ちた日。ルシウスに建国祭のときのことを聞いた」
「……」
「ルシウスとの関係。ベルローズはどうしたい?」
静かながらも真っ直ぐとベルローズを見据えて問いかけるレインに、ベルローズは定まらない自分の気持ちを吐き出した。
それはきっとルシウスの親友でもあるレインが相手だからできたことだった。
「ルシウス様に『ちゃんと見て』って言われたの……」
「あぁ」
「ルシウス様をちゃんと見ていなかったことは理解できた……けどこの先どうすれば良いのかはわからないわ」
「あぁ」
「ルシウス様と向き合いたいとは思うけれど、どうすれば向き合えるのかがわからない」
レインはベルローズが吐き出す言葉を否定するでも肯定するでもなく、ただただ頷いてベルローズの言葉を促す。
「……お兄様はどうすればいいと思う?」
「……」
弱々しくレインに尋ねたベルローズに、レインは一瞬黙り込んだあと口を開いた。
「はじめからやり直せばいいんじゃないか?」
「はじめから?」
「あぁ」
ベルローズがレインの言葉を繰り返すと、レインは苦笑しながら窓の外を見た。
レインの視線を追うようにベルローズも窓の外を見ると、とても陽気な天気で窓の直ぐ側にある木々には鳥が何羽か止まっている。
「ルシウスにも言ったが……お互いすれ違ってるんだよ。いや、それは多分ベルローズも薄々気づいているか」
「えぇ……」
「ベルローズだけが悪いとは思わないさ。確かにベルローズはルシウスをちゃんと見ていなかったが、だからといってルシウスは焦って性急に距離を詰めすぎた」
「……」
レインの言葉にベルローズは沈黙を返した。
レインは窓の外から視線を外し、ベルローズのほうを見る。
「ルシウスにもベルローズのペースに合わせろって言っておくから……ベルローズにはルシウスのことをちゃんと見てやってほしいんだ。割と面倒なところもあるが、良い奴なんだ」
「お兄様……」
呆れたように笑うレインにベルローズは思わず呟く。
リオネやリアがベルローズを守ろうとするあまり、ルシウスを敵視するなか、レインは『我関せず』を突き通していた。
ルシウスのことは親友であるがゆえに一番よく知っているからだろう。
「ひとつひとつはじめから、ベルローズのペースでやり直せば良い」
「......えぇ。ありがとう、お兄様」
レインの言葉にベルローズは微笑みながら返した。
兄の助言でベルローズのゴチャゴチャにこんがらがっていた頭の中はすっきりと整理されたようだ。
妹の感謝に少し照れくさそうに僅かながら口角を上げたレインは「ルシウスと話してくるよ」と言って部屋から出ていく。
一人きりになった部屋のなかでベルローズはレインとの会話を反芻する。
「ひとつひとつはじめから……」
ベルローズがぼそっと呟いた言葉が、陽気な午後の日差しが差し込む部屋のなかに溶けていったのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
2章の折り返しまで来ることができました。2章で一度完結する予定なので、引き続き応援していただけると嬉しいです!




