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1-17 母ではないナニか

(……寝てしまってたわ……)



 薄暗い部屋のなか、することもなく座っているだけ。

 眠くなりそうだと最初に感じたベルローズは、思った通り寝てしまっていたことに気づいた。


 部屋に差し込む陽の光は健在なので、長時間は寝ていないと信じたいベルローズはルシウスが眠るベッドの側の小さなテーブルにのせられた時計を覗き込む。

 時計が示す時間は昼の12時を過ぎたぐらいで、かなり寝てはいるがまだ許容範囲だろうとベルローズはほっとする。


 眠っているルシウスは先ほどと変わらず苦しそうだ。

 彼の額に浮かんだ汗がツーっと流れ落ちる瞬間を目にしたベルローズは、そこでようやくあることに気づいた。



(こんなに汗をかいているのに、汗を拭くものが一つもないわ……もらってきたほうがいいかしら)



 どう考えても彼はかなり辛そうで汗も沢山かいているのに、ベルローズが前世を思い出す前に経験した熱病のときに額にのせてもらっていたような冷却と汗を拭う役割を果たす手ぬぐいがルシウスにはのせられていない。

 使用人に言ってもらってきたほうがいいかもしれない、とベルローズが立ち上がろうとしたその時、扉を隔てた向こう側の廊下がなにやら騒がしくなった。


 一体どうしたのだろうかとベルローズが耳を傾けると、先ほどの執事がこちらに向かってくる誰かを止めようとしていた。



「お待ち下さい、ルシウス様は今体調を崩されていて……!」

「関係ないわ、お退き!」



 扉のすぐ近くでそんな会話が聞こえたと思った次の瞬間、バンっと音がして扉が荒々しく開き部屋のなかに廊下からの光が一気に差し込む。

 急に光が増えたことで思わず目を細めたベルローズは、眩しさでよく見えない目をこらして扉の前に立つ人物を捉えた。


 そこに立っていたのはゴテゴテと派手なドレスと数多いアクセサリーで身を飾る小柄な女性だった。彼女はどう考えても機嫌が悪そうで、苛立たしげに部屋のなかに入ってくる。



「奥様、お待ち下さい!」

「お前はお黙り! 体調を崩しただなんて、どうせ嘘よ!」



 小柄なのにドスドスと音を立てながらルシウスが眠るベッドへ近づいて来る女性がルシウスの母親であることを執事の言葉からベルローズは理解する。

 理解したのに、ベルローズの頭にはどこか違和感が残った。

 突然の出来事にぼーっとしてしまい、座ったままのベルローズの存在に女性が気づく。



「お前は誰!?」

「え? あ……すみません」



 女性に荒々しく声をかけられたことでようやく自分が座ったままであることに気づいたベルローズは、慌てて立ち上がってカーテシーをする。



「初めまして。ベルローズ・フェルメナースといいます。ルシウス様の体調が優れないと聞いて、お見舞いに……」




 カーテシーを終えた身体を元の姿勢に戻して女性の顔を見たベルローズは、派手派手しいメイクが施された彼女の顔に浮かぶ憎悪にも似た表情に思わず言葉を失う。

 

 

「こいつが本当に体調を崩しているわけないじゃない。お前は馬鹿なの?」

「え……?」



 憎々しげにルシウスのほうを見ながらベルローズをせせら笑う女性に、ベルローズは言葉を漏らした。

 そんな言葉でさえも鬱陶しいというような顔をした女性はルシウスのほうへ手を伸ばそうとする。



「あ、お待ち下さい! ルシウス様、ほんとうに苦しそうなので起こさないほうが……!」



 咄嗟に彼女の腕を掴んだベルローズにバッと女性が振り返る。



「なに? 邪魔をするの? この私を!?」

「ちが……そうではなくって」



 ヒステリックな声を上げた女性は強くベルローズを睨みつけ、ベルローズを見定めるように視線を動かした。



「お前、さっきフェルメナースと言ったわよね!? 名門一家の娘だからって私を馬鹿にしているわけ!?」

「そんなわけありません……!」



 あまりにも飛躍している女性の発言に、顔を青ざめたベルローズは必死に反論する。

 けれど怒りで興奮している彼女にはベルローズの必死な言葉ははねのけられ、ベルローズには女性の怒りが増したように思えた。



「そんなわけない? 嘘おっしゃい! お前みたいな生粋の貴族は、そう言いながらずっと私を馬鹿にしているのよ!」



 髪を振り回しながら激昂する女性に恐怖を抱いたベルローズは、なにか反論しなくてはならないとわかっているのに喉がひりついて言葉が出なかった。

 その間にも彼女の怒りは募っていく。その怒りはおそらく過去に味わった屈辱を、理不尽にベルローズへと向けたものだった。



「気に入らないわ、なにもかも! お前みたいな奴が一番嫌いなのよ!」



 大声で叫びながらバッと腕を振り上げた女性に、ベルローズは自分が殴られそうになっていることに気づいた。

 彼女の指には廊下からの光を反射する指輪がいくつもはめられていて、あんな手に叩かれたらさぞ痛そうだ、とベルローズは見当違いなことを考える。ベルローズの身体はまったく動かないのに、周りの景色だけがゆっくりと動いているように見えた。


 ゆっくりとした動きで振り下ろされる女性の手に、女性を止めようと後ろから「奥様!」と言いながら駆け寄ろうとする執事。


 その執事の制止がおそらく間に合わないであろうことに気づいたベルローズはギュッと目を閉じた。


 バシッと手のひらが人を殴る音が部屋中に響いたのに、痛みが訪れないことを不審に思ったベルローズがゆっくりと目を開けるとベルローズを庇うように誰かが立っていた。



「はっ! ほらね、体調なんて悪くないじゃない!」



 ベルローズの前に立ち、母親である女性に殴られたのは先ほどまで苦しそうに眠っていたルシウスだった。


 ルシウスが間に入ったことに驚いたように目を丸くした女性は、すぐに嘲り笑うように言葉を発して殴ったほうの自分の手をさする。



「ルシウス様! 大丈夫ですかっ?」



 少しの間呆然としていたベルローズはようやく自分の代わりに病人のルシウスが殴られたことに気づいて、慌てて彼をぐいっと引っ張りながら尋ねる。

 殴られた頬のほうの半身をベルローズに引っ張られるまま傾けたルシウスにベルローズははっと息を呑む。


 彼の頬は赤くなっていた。そしておそらく指輪のせいだろう。彼の頬は皮膚が切れていて、そこから真っ赤な血が流れていた。

 しかしベルローズが驚いたのはそこだけではない。

 先ほどから苦しそうにしていたルシウスは、今現在だって殴られたことも相まって辛いに決まっているのに、彼はなんともないかのように思えるほど平気そうな表情でただじっと母親である女性を見ていた。



「……殴っても痛がりやしない。ほんとうに気味の悪い奴だわ、おぞましいったらありゃしない」

「そんな言い方っ……!」



 ルシウスに向かって嫌悪感をあらわにしながらそんな罵詈雑言を述べた女性に、ベルローズは思わず叫ぶ。

 しかしそんなベルローズを制すように、さっとベルローズがいるほうの腕をあげたルシウスは無表情のまま女性に向かって口を開いた。



「……奥様。他家のご令嬢がいるなかでこのような愚行、ヴェリアンデ家の人間として許されるものではありません。お立ち去りください」

「なぜ私が去らなければならないの? そいつを追い出せばいいわ。お前に用があってわざわざこんな陰気臭い部屋まで来たのよ?」



 ルシウスの冷たい言葉に、はんっ! と鼻で笑いながら女性は返す。

 そんな様子に表情を変えることなくルシウスは言葉を続けた。



「立ち去っていただけないのなら、当主様に報告するまでです。当主様はあなたにかなりの自由をお与えになっていますがヴェリアンデ家の評判に関わるとしたら、話は別です。どうか賢明なご判断を」



 ルシウスの言葉にチッと舌打ちをした女性は、ぎろりとルシウスとベルローズを睨みながら踵を返して部屋を出ていった。

 執事は申し訳なさそうに深くお辞儀をして女性の後を追って部屋を出る。

 バタンと音がして部屋の扉が閉まるが、執事が去り際に照明の電源を点けていったので部屋は明るいままだった。


 ベルローズは女性と執事が去っていった扉を見つめながら、一体今さっき何が起こったのかを把握しようとする。

 けれどどうしたって先ほどの出来事は情報量が多すぎるのに、それらの情報が理解できないものでしかなくて呆然と突っ立っていることしかベルローズには出来なかった。


 母親であるはずなのに病気にかかっている息子の頬を打ってなお、謝ることはおろか心配することすらせず憎々しげに怒りをあらわにする女性。

 母親である女性を奥様と呼び、父親である人間を当主様と呼んだ無表情のルシウス。


 ベルローズには理解できないことばかりがせき止められていた水が流れ込むように立て続けに起こったのだ。

 そして、呆然と佇むベルローズを振り返ったルシウスの瞳にうっすらと悲しみが滲んでいたことにベルローズは気づかないのだった。


お読みいただき、ありがとうございました。

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