1-15 彼の手
「やぁ、ベルローズ」
「……ルシウス様。ごきげんよう」
今日も今日とてルシウスに会うことになったベルローズは、憂鬱な気持ちを前面に出して彼に挨拶を返すが、彼はそんなことはどこ吹く風とばかりに笑っている。
「レインがいないとは知らずに押しかけて、すまないね」
全くすまないとは思っていなさそうな声音でルシウスは言う。
レインに__ついでにベルローズに__会いに来たルシウスだが、生憎レインは昼頃に急用ができて出払っている。
「お兄様もいないですし、お帰りになられては?」
にこにこと笑うルシウスにベルローズが冷たく言うと、周りの使用人の空気がガラリと変わる。
ベルローズのほうを窺う彼らの気持ちは『ほんとうにお嬢様がヴェリアンデ侯爵令息を袖にしている!?』といったところだろうか。
「……そうだね、レインがいないなら今日は帰ろうか……」
「ルシウス」
屋敷の玄関を入ってすぐのところでルシウスとベルローズが話していると、屋敷の扉が開き王宮に出かけていた伯爵が帰ってきてルシウスの名を呼ぶ。
くるりと振り返ったルシウスは伯爵の存在に気がつき、伯爵に向かって礼儀正しくお辞儀をした。
「こんにちは、伯爵。お邪魔しています」
「あぁ……帰るのか?」
「えぇ、そのつもりです。レインはいないですし」
「……」
ルシウスの言葉に黙り込んで彼をじっと見据える伯爵に、ルシウスは首を傾げた。
「どうかしましたか、伯爵?」
「……ベルローズ。ルシウスに温室に新しく植えた花は見せたのか?」
「え? 見せてないけれど……」
ルシウスの疑問にこたえないで、彼の方を見ながらベルローズに声をかけた伯爵にベルローズがそう返すと、やっと伯爵はベルローズのほうを見た。
「じゃぁ、案内してきたらいい」
「お父様!?」
あっさりとした様子で言う父親にベルローズは思わず大きな声を上げる。
大声を上げたあと、ベルローズがバッとルシウスのほうを見ると彼は目を見開きながら伯爵を見ていた。
「客人はもてなさなきゃならないだろう」
「でも……」
「私はこのあとも仕事があるから、今この屋敷でもてなせるのはお前だけだ」
ベルローズはためらうように伯爵を見たが、伯爵は真剣な目でベルローズを見据えていた。時折頑として譲らないことがある伯爵のそんな目を見たベルローズは諦めて、「わかったわ」と頷く。
そんな娘の様子に少しだけ微笑んだ伯爵は「頼んだぞ」とだけ言って執務室へと去っていった。残されたベルローズはルシウスのほうに視線を戻した。
「行きましょうか。お母様がマトリカリアという花を新しく植えたんです」
「そうなんだ……ありがとう」
ルシウスからの感謝に「いえ」と小さく返したベルローズは温室へ向かう。そしてその後ろにルシウスが続いた。
温室へと続く廊下をベルローズとルシウスは歩いているが、二人の間に会話はない。
とうとうなんの会話もないまま温室に到着した二人はガラスで出来た扉を開けて、温室のなかに入る。
「……この花です」
「綺麗だね。あまり見たことがない花だ」
「花好きのお母様がわざわざ取り寄せたものですから」
伯爵夫人が新たに植えた真っ白な花の側でルシウスとベルローズはそんな言葉を交わす。
しかし花を見せてしまえばもうそれ以上話すことなど存在しないので、またしても二人の間に沈黙が流れる。
ルシウスはそんな沈黙も意に介していないようだが、ベルローズは先ほどから居心地の悪い思いをしていた。
「この花の花言葉をお母様から教えていただいたんです」
沈黙に耐えきれなくなったベルローズはとっさに口を開いた。
花を見ていたルシウスがベルローズに意識を戻し、視線で言葉の続きを促す。
「……”集う喜び”や薬草として使われてきたことから”鎮静”という意味もあるそうで……あとは”深い愛情”などがあるらしいです」
「そうなんだ」
視線を彷徨わせながら伯爵夫人に教わった花言葉を並べたベルローズを見つめながらルシウスは相槌を打つ。
「お嬢様。お茶の準備が整いました」
(やっぱりそうなるわよね……)
後ろに控えていた侍女がベルローズに告げた言葉と彼女が指し示したガゼボにティーカップが二人分並べられていることから、温室の案内はやはり温室でのティータイムもセットだったのだと気づいたベルローズはハァーっと心のなかでため息をつく。
ルシウスのほうへ振り返り、ベルローズは口を開いた。
「もしよろしければお茶を飲んでいかれませんか?」
「あぁ、もちろん」
ベルローズの言葉に爽やかな微笑みを返したルシウスとともに、ベルローズはガゼボに置かれた繊細な飾りがついた椅子に腰掛けたのだった。
***
ティータイムが終わり、もうすぐ夕方になる頃にルシウスが「そろそろ帰るよ」と言ったことでやっとベルローズはほっと胸を撫で下ろした。
「屋敷の玄関までご一緒しますわ」
ルシウスにそう告げたベルローズはさっさと彼を見送りたいのでいそいそと温室を出ようとした。
ベルローズが温室の扉に手をかけたその瞬間。
「……っ!」
パシッと音がして、後ろに立つルシウスがベルローズの腕を軽く握っていた。
思わず息を呑みながらパッと振り返ったベルローズは自分より少し高い場所に位置する彼の顔を見る。
そこにはいつもの完璧な微笑みではなく、どこかゆらゆらと不安定に揺れているような笑みを浮かべた表情があった。
彼のそんな顔を初めて見たベルローズは目を見開きながら困惑する。
ルシウスのしなやかな手は思ったよりも温かく、その温度がベルローズをより一層混乱に導いた。
「ルシウス様……?」
「……ありがとう、ベルローズ」
絞り出すような声を出したルシウスはその後すぐにベルローズの腕を放し、サッと温室の扉を開く。
「見送りは大丈夫だよ。それじゃ、またね」
温室の外に出てベルローズを振り返ったルシウスの顔には、いつも通り完璧な微笑みがのっていた。
ひらひらと軽く手を振ったルシウスは屋敷の玄関へと歩いていく。
そんな彼の後ろ姿をベルローズは戸惑った気持ちのまま見つめていたのだった。
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