第八十八話「黒竜」
力を回復しきっていないアルベルトにとって、半ば自棄にも近い捨て身の攻撃だったのだが、功を奏したのは間違いない。それというのも体の内側から、何者かが力を貸してくれるように、邪悪を封じる力が湧き出て来るのが分かったからだ。
「ぐっ……大人しく、滅びろ!」
アルベルトが邪悪を封じる剣にて悪魔の動きを封じているものの、しかし相手は依然暴れようと足掻いていた。今の彼では悪魔の力と動きを封じるのに精いっぱいで、倒し切るまでの余力はない。
周囲を見ても、仲間の魔法士であるディディエが様々な魔法で攻撃を仕掛けているが、決定打にはなっていない。ユウリの仲間であるエルフの女が使う魔法も、似たような状況であった。
では「巨人殺し」の二人はどうかと言うと、彼らの常識を超えた攻撃力を以ってしても、悪魔に片膝を突かせることすら出来ずにいる。人型に近い為、恐らく頭の付近が弱点なのだろうが、刃が届かないのだ。
クレストが何度も、ソニックスラッシャーというスキルで遠距離攻撃を仕掛けてはいるが、決定打には程遠かった。
「畜生! どんだけぶん殴ってもこの悪魔、ちっとも態勢を崩しやしない!」
「サイクロプスの首を刎ねた俺のとっておきを、まともに喰らっても平然としてやがるとか、どんだけバケモノなんだアイツは!?」
悪魔と唯一まともに戦えている「巨人殺し」の二人は、悪態をつきながらも攻撃の手を緩めはしない。寧ろ周りから見れば、全く疲れた様子すら見せずに戦っている二人に畏怖すら覚えているのだが、気付く余裕もないのは仕方のない事だろう。
彼らが決め手に欠けたまま戦っているところへ、漸くユウリが戻って来た。
「ごめんっ! 皆大丈夫!?」
「ユウリッ、アンタこそ大丈夫なんだろうね!?」
「……まあ予想通り、ピンピンしてるようで何よりだ」
暴れる悪魔の攻撃を完璧に受け止め、防ぎながらユウリは仲間たちの方を見る。どうやら無事らしく、ステラ達の方も軽く頷いて無事である事を伝えてくれていた。
「しかし、どうやってコイツを仕留める? あの勇者の坊主が悪魔を止めてくれているが、こっちの攻撃じゃトドメを刺せるだけの威力が足りないぜ」
「僕が……僕が少しでも本気を出せたらいいんだけど」
そう言って俯くユウリだったが、不意にヘルガが彼の頭を乱暴に撫でた。
「他に被害を出さないようにしてるんだから、アンタは間違ってないし、自分にやれるだけの事はやってる。この私が文句なんて言わせないよ」
そう言って笑ってくれる彼女に、少しだけ救われたような気がして、ユウリも少しだけ微笑む。だがこの状況を打破するだけのアイディアがあるわけでもなく、ただ時間だけが流れていく。
「ユウリ、テュポーン様が!?」
何か手は無いかと悩んでいたところへ、ステラが叫ぶ声が聞こえた。そちらの方を向くと、黒く小さなトカゲが、彼のすぐそばまで飛んできていたのだ。
「テュポーン、どうしたのさ!?」
『お前こそ、何時まであんな雑魚に構っている。あの程度の相手、物の数ではないだろう?』
「そうかもしれないけど、ここで本気を出せるわけないだろ!?」
周囲には逃げ遅れた人や、傷ついて動けない人も大勢いる。闘技場の外にも人々は居て、迂闊に本気を出せばそれら全てに被害が出てしまいかねないのだ。
自身の力の大きさを自覚したユウリだからこそ、例え目の前の敵を倒すためとはいえ、本気を出す訳にはいかなかった。
『……つまり、気兼ねなくあの塵を、滅ぼせればいいんだろう?』
「気軽に言わないでくれるかな?」
『造作もないことを、何をうだうだ悩んでやがる。お前の相棒は、どこの誰だ。言ってみろ? ……ああ、見てる奴なら気にするな。あの程度の【目】、たった今潰しておいたからな』
「テュポーン……?」
『周りが気になるってんなら、周りを気にせずに済む場所まで、運んでやるよ!』
テュポーンがそう吼えた瞬間。黒が、視界を埋め尽くした。
誰もが死を覚悟した。誰もが、滅びを免れないと確信した。
夜の闇よりも深く、他の色を決して許さぬ「黒」が、この場に居る全ての者の眼前を覆い尽くしたのだ。
勇者アルベルトさえも、その「黒」の圧に思わず悪魔を封じる力を緩めそうになったのだが、寸でのところでなんとか踏みとどまれたのは、奇跡に近い。
何が起こったのか誰も分からず、しかしその何かは、確かに自分達のすぐそばに在る。
「な、な……なんだ、アイツは……こんなの、もうどうしようもないじゃないか」
ノルバロの震えた声が聞こえた。彼はいち早く「黒」の正体に気付いたようで、だからこそ誰よりも絶望している。
「こんな……嘘でしょ。あり得ない」
「そんな、アレは……ドラ、ゴン?」
シャルロッテとディディエは、「黒」の圧に耐え切れずに尻もちをついており、フィルは敏感に相手との力の差を感じ取ったようで、二人に縋りつきながら泣きわめいていた。
この場の誰もが恐怖に慄き、そして絶望に叩き落とされている。それはヒトの力ではどうにもならない、奇跡でも起きない限り、どうしようもない滅びが待っていることに。それは悪魔の比ではない。本能がそう叫び、確信させるのだ。
くじけそうになるアルベルトは、それでも己の使命を全うするべく、悪魔を封じ続けている。そうしろと、何者かが頭の中に囁いており、それが有無を言わせぬ力があったお陰でもあった。
「一体、どうすりゃいいんだよ!」
思わず悪態をつくが、しかし自身の役割を捨てる訳にもいかない。様々な葛藤と生殺しに合うような感覚は、とても長かったようでもあり、ほんの一瞬の出来事のようでもあった。
悪魔を、「黒」が掴み上げるまでは。
「なっ!?」
「アルベルト、そいつを倒す為に一緒に来て!」
驚く間もなく、自分を揺さぶる何者かが居た。視線を向けるとそこには無傷で元気そうに立っているユウリが居て、場違いながらも彼が無事であったことに、少しだけ安堵する。
「一緒にって、どうするんだい!?」
「アイツを、空の上まで連れて行く。大丈夫、テュポーンがやってくれるってさ」
テュポーンがなんなのか、それさえも説明されずユウリに手を引かれ、アルベルトは一緒に走り出す。そこには巨大な「黒」の手らしきものが待ち構えている。
ユウリは軽々と飛び上がってそこに乗ると、アルベルトに来るように促す。一瞬戸惑ったものの、しかし現状を打破するにはこれしかないと覚悟を決めて、思い切って飛び乗った。
「テュポーン。いいよ!」
『任せろ相棒。暴れられないのは癪だが、見せ場は作ってやる』
「ドラゴンが……いや。先ほど貴方は、貴方が俺に、悪魔を封じ続けろと言ってくれたんですね?」
『……細かいことは気にすんな。俺が手を放してコイツを自由にしたら、すぐに動きを封じろ。ユウリ、しくじるんじゃねえぞ?』
先程頭の中で、誰かが囁いた。それは陽光神より賜った啓示とは全く違う、しかし自分を鼓舞してくれる声だった。その声の主が、目の前の黒いドラゴンであると確信したアルベルトは、力強く頷く。
ゆっくりと、天に昇る。黒竜はあっという間に、しかし周囲への被害を最小にするよう、空へと浮かび上がった。
あらゆる物理法則を無視した動きだが、その程度の事はテュポーンにとっては朝飯前だ。古竜の中でも最強種である、【純色の鱗】の【純なる黒の竜】なのだから。
そもそもこの図体で飛べるのだから、最初から物理も何もあったものではない。
街が小さくなるほど、上空へと至った。凍るような風が吹きすさび、気を抜けば吹き飛ばされそうなほど。アルベルトは何とか両足で立ったまま、その時を待つ。
『さあ、これで終わらせろ』
「邪悪なる者よ。その力をここに封じる。偉大なる太陽よ、御照覧あれ!」
竜の巨大な腕に握り潰されかけていた悪魔は、不意に緩んだ拘束から必死に抜け出し、翼を広げる。敵わぬと知ったからこそ、逃げを打とうとしたその時だった。
アルベルトは手にした剣を突き出し、最後の力を振り絞って邪封剣を放つ。光が悪魔の翼を捉えて刺し貫くと、悪魔は再び身動きを取るのが難しくなった。
宙づりのまま藻掻き苦しむ悪魔は、何とか抜け出そうと必死に足掻く。
「ユウリ、アイツを何とか出来るんなら、早く!?」
アルベルトが叫んだ。彼の力も限界が近いようだ。徐々に光はか細くなっていくのが肉眼でも分かる。
「……うん。大丈夫だよ、アルベルト。あとは僕に任せて」
ユウリが両腕で大剣を掲げる。次の瞬間、目を開けていられないほどの光が、大剣から迸った。
「これで終わりだっ、アンサラー!」
裂帛の気合を込めて、力強く剣を振り下ろす。
放たれたのは、ユウリが振るう神剣、光神輝剣フラガラッハの固有ウェポンスキル。何よりも速く、全てを断ち切る斬撃。
ロクセイル山でネメアンライオンを屠った時のような、片腕で軽く放ったものではない。明確に相手を倒す。滅ぼすと決めて放たれた、【ウォーロード】による絶対の一撃。
全力でこそないものの、空に向かって放たれた光の剣閃は、天を裂き、雲を割り、風を両断して全てを斬る。それは悪魔も例外ではなく、左肩から右の脇腹へとかけて、袈裟斬りにされ真っ二つになった。
間違いなく致命傷となったのか、断末魔の叫びを上げながら悪魔の肉体は煙のように霧散していき、小さくなりながら地上へと落ちていく。
その圧倒的な力に驚愕しつつも、力を使い果たしたアルベルトは荒い息を吐きながら膝をつき、堕ちていく悪魔の最期を見送った。
ちらと視線を上げると、少しだけ悲しそうにしているユウリがいる。だが決してそれだけではない、揺らぐことのない巨山のような気配を漂わせている姿に、どこか神聖な気配を感じつつも、彼には絶対に敵わないのだと思い知らされるのであった。
「相変わらずとんでもないね。あの子は……」
遥か上空から放たれた光は、地上からでもはっきりと見ることが出来た。そして悪魔の、断末魔の叫びも。誰もが奇跡のような光景に目を奪われ、しかし同時に空に浮かぶあの漆黒の竜が、こちらに降りてこないように祈っている。
そんな周囲の様子に仕方が無いと諦めつつも、ヘルガはユウリが戦いを終わらせてくれたことに、ホッと安堵の息を零すのであった。
隣に視線を向けると、クレストが呆けたような表情で固まっている。それが妙におかしく見えた。
「ああ、アンタはテュポーンの本当の姿を見るの、初めてだっけ?」
「……ヘルガ。お前、知っていたのか?」
「そりゃあ、あのドラゴンの背に乗ってこの国に来たんだから、当然だろ?」
「あの小さな姿でも、とてつもない力を感じさせていたってのに、本来の姿があれかよ……いや、寧ろ納得した。あれは、ヒトがどうこう出来る次元の相手じゃない。ユウリの坊主は何者なんだ?」
「それは私が聞きたいくらいさ……だからこそ、あの子が何をするのか気になるんじゃないか」
そんな風に、悪戯が成功した子供のように笑うヘルガを見て、クレストは毒気を抜かれたような気分になった。はあ、と大きく息を吐いてしまうと、今までの緊張やら何やらが一気に抜けていき、硬直していた思考も正常な働きを始めていく。
周囲を見渡し、仲間たちの様子が心配になっていると案の定、アイリスとルナが腰を抜かしていたのが見えた。
「……あの子等も、あの竜の本当の姿を見るのは、初めてだったね。諦めて慣れてもらうしかないから、放っておこうか」
「そう言う問題じゃないだろ!?」
「それよりまずは、やる事あるだろ? 特に神官様は、怪我人の世話をしたりしてやんな」
「さらっと無茶を言うなっ。こっちだって、奇跡はもう品切れだっつうの。エルフじゃねえんだから、そんなポンポン魔法が使えてたまるか!」
「何言ってんだい、アンタならまだ余裕なの、知ってるんだからね。それに本当に品切れだとしても、どうせヒールポーションやマジックポーションの一つや二つ、隠し持ってるんだろ? さっさと怪我人を助けてやんな」
「あーあー、知らねえな。俺の奇跡はもう打ち止めでーす」
そんなことを言い合いながら、二人はステラ達と合流すべく歩き出す。ちらと勇者の仲間たちの方に視線をやれば、彼らはまだ目の前で起こった出来事のショックから、戻って来れないようだ。当然の事ではあるが、少しばかり気の毒に思うクレストであった。
ついに決着。
本当に長かった。実は二章のラスボスが変更になったこともあって、やや迷走気味だったので、漸く一段落と言ったところでしょうか。
本来予定していたラスボスは扱いが大きく変わったので、今後どうなるのやら。




