第七十七話「予兆」
神殿の裏手にある小さな川は、デムルの森から王都メイージュの南側を流れるメイザ川から分かれた細く小さな川で、あちこちに曲がりくねってメイージュに入ってきており、再びメイザ川に合流している。
ユウリとマットはクレストに連れられ、風呂の代わりに水浴びをする為に、この小さな川に来ていた。
万神殿の中では男女で分かれて行動することが多く、寝泊まりする部屋も分かれている為、男だけで何かをするというのは、ユウリにとってはとても新鮮だ。
「今は暖かいからいいけど、これ、冬とか凄く寒いんじゃ……」
「そんな時期は、流石に湯くらい沸かすさ。ただ下の者に回ってくる頃には、すっかり冷めてるがな」
「うえ~、おれやだよ~」
ユウリが言う様に日中は暑いくらいなので、夏場の水浴びはとても気持ちがいいだろう。だが冬場に寒中水泳は御免被りたい。クレストが一応のフォローは入れるものの、マットは嫌だと顔をしかめ、ユウリも同じような表情になった。
また野外で、しかも人目のある場所で素っ裸になるのには抵抗があったが、周囲は気にしてないようだし、誰一人股間を隠そうともしていない。周囲には隠れられそうな場所どころか、衝立のような物さえなく、見ようと思えばどこからでも見えるほどなのだから、気後れするなと言うのは難しいだろう。
「どうしたユウリ? 恥ずかしがってないで早く来い。あんまり遅いとアレが小さすぎて見せられないのかと、変な興味を持たれるぜ?」
「なっ!? クレストさんは僕のなんて何度も見てるでしょ!?」
「ここに居る奴らは、そんなこと知らねえよ」
クレストから笑いながらそんな事を言われ、ユウリは顔をしかめる。既に二人は裸になって川に入っている。ユウリは少し躊躇した後、意を決して裸になった。
衣服は専用の籠が用意されているので、そこに入れる。神殿の者が見張ってくれているので安心だ。
川は意外と浅く、ユウリの膝より下くらいだ。泳ぐには物足りないが、体の小さいマットには寧ろ十分だろう。また周りでは、先に来ていた孤児院の子達が、裸で大はしゃぎしている。様々な種族の子供たちが一緒に遊んでいる光景はとても微笑ましく、そこに混じりに行ったマットを見て、ユウリも思わず笑みが浮かぶ。
他にも神殿の見習いをしている年の近い子がいて、まだまだ遊びたい年頃らしく一緒になって遊んでいるところを、先輩に注意されている姿が見えたが、見ないフリをしておく。
意外だったとユウリが思わず注目したのが、獣人の子供だった。ヘルガくらいしかまともに裸を見た事も無かったため、幼い内は胸から股間、尻の周りにかけては殆ど毛が無いことに驚いたのだ。
全体的に毛は薄く、うっすらとはあるのだが、殆ど地肌と変わらないように見えるほど。付いているモノも人間のそれと殆ど変わらず、今更ながらここが異世界なのだという事を再確認する。
流石にここでは男女で分かれての水浴びとなり、ユウリは少しだけ胸を撫で下ろしていた。毎日のように混浴していたとはいえ、ユウリも一応は年頃の少年なのだ。たまに遠慮なく裸の胸に顔を押し付けられるのは、非常に困る。主に痛いほど自己主張をする、己の一部分が。
「はあ……。ヘルガさん達、全然遠慮がないから……」
「ま、坊主はまだまだガキンチョだしな。それに裸の一つや二つで、驚くやつの方が珍しい」
「……なんでなのさ?」
女性陣が惜しげも無く、美しい女体を堂々と晒して来ることに未だ納得できないユウリは、不服そうにクレストに聞く。今までこのような話題を相談できる相手がいなかったので、少しだけ有難いとも感じていた。
「川や水場で洗濯してる所とか、見たことないか? ついでに自分の体を洗うことも多いから、裸になってる奴も少なくないぜ。うっかり手を出そうものなら、周りの奴らから袋叩きに合うがな」
「な、なるほど」
「洗濯や水浴びは、複数で固まってやるのが鉄則だ。まあ世間話をするって理由もあるし、悪い奴に狙われない為だけじゃない。洗った物を盗まれないよう、互いに監視する意味もあるんだ」
「へ~……」
クレストが説明する理由を聞いて、ユウリは心底感心したように何度も頷いた。隣で聞いているマットも、釣られたように頷いているのだが、ちゃんと理解しているのかは怪しいところだ。
つまりヘルガ達が混浴を止めないのは、この習慣の延長上にあるからだということになる。元の世界の男性からすれば羨ましい事この上ないのだろうが、ユウリにはそこまで素直に幸運だと思える事ではないように思えた。
「ま、さっさと体を洗ってすぐに戻るぞ。もうすぐ日も落ちる。暗くなったら一気に冷えるからな」
そう言ってクレストは、一足先に川から上がってしまう。まだ遊びたそうにしているマットも、ユウリに手を引かれて渋々水から出て、乾いた布で身体を拭くのであった。
ローヴィス教会は今、誰もが慌ただしく駆けまわっていた。それというのも想定よりも早くに、勇者アルベルトとその一行が姿を現したからだ。
ガリオン王国にあるローヴィス教の総本山、聖庁が認めた存在。信徒の誰もが憧れ、聖者ローヴィスの再来として、人類の守護者である事を期待される者。
前々から準備は整っていた。だがこの不意打ちに心の準備が出来ておらず、誰もが浮足立っているのだ。
勇者一行は既に奥の部屋へ通されており、今はマクシム司祭と面会している。
「勇者アルベルト。貴方達の来訪、我ら信徒一同、心から歓迎します」
「ありがとうございます、マクシム司祭様。此度の修行も、より良き成果を聖庁に持ち帰り、必ずや来たるべき聖戦に役立てることを、聖者ローヴィス様の名において誓いましょう」
「ええ、ええ。貴方様は我々、全ての人間の希望。必ずや応えてくれると、信じておりますよ」
この二年ですっかり慣れた、何時もの似たようなやり取り。アルベルトは少しだけうんざりしているのだが、自分は勇者だからと己を律し、決して顔には出さない。しかし何時もと違うのは、司祭や神官以外の人間がここに居ることだ。
「……それで、そちらの方は?」
アルベルトが視線を向けると、そこには教会の者が纏う衣とは違う、普通の服装の人間がいた。どうにも部外者のようであり、自分達が来たことで話を中断せざるを得なかったのかもしれないと、アルベルトは考える。
「これは申し遅れました。私はこの街で商売を営んでいる、ロッコと申します。司祭様には何時もお世話になっておりまして、先程まで色々とご相談をさせて貰っておりました」
「それは……申し訳ありません。自分達が来たことで、ロッコさんのお邪魔をしてしまったようですね」
「いえいえ、とんでもありません! 私も敬虔な信徒の一人。伝説に謳われたローヴィス様の再来である、勇者様にお目に掛かれるなど、望外の喜び以外の何ものでもありません」
大袈裟な身振りで語るロッコに対して、アルベルトは聖印を取り出し、小さく聖句を口にする。
「マクシム司祭様。このような貴重な場に同席させて頂いた事、末永く語り継ぐことをお約束いたします」
「これもきっと、ローヴィス様のお導きなのでしょう。今日と言う日に我々がここに居る事は、何か意味があるのでしょうから」
興奮したように捲し立てるロッコに、苦笑しつつもマクシム司祭は鷹揚に頷く。そんな時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。すぐに迎えが来たと伝えられ、二人は静かに頷く。
「ああ、もう馬車が来てしまったようです。司祭様」
「ええ。勇者アルベルト、そして勇者を支える聖戦士たち。この場所を我が家と思い、ゆっくりと旅の疲れを癒しなさい。先約があるので私は少し出かけますが、すぐに世話係の者が来るので、後はその者に任せると良いでしょう」
そう言ってマクシム司祭はロッコを伴って、部屋を出ていく。碌に挨拶も出来ぬまま、アルベルト達は呆然と彼らを見送るしかなかった。
部屋を出た先にはカスパル、バート、レーヴィの三人が控えていた。マクシム司祭は小さく頷くと、早足に歩き始める。ロッコの方も人の好い笑みを湛えたままでついていくが、それを見た三人は男の感情の読めない表情に不気味さを覚え、眉根を寄せた。
「バート、レーヴィ。お前達は残って、勇者様達のお世話と他の皆の手伝いを。マクシム司祭のお供は、俺だけでいい」
「カスパル兄さん……? いえ、わかりました。どうかお気を付けて」
「は、はい! こっちは任せてください、カスパルお兄さん」
そう言ってカスパルは二人を置いて、マクシム司祭の後を追う。すぐに他の聖兵も加わり、そのまま馬車で出かけて行ってしまうのだった。
今まさに忙しい時だというのに、それでも外せない用だということで、巡り合わせが悪かったと神官や他の司祭たちが溜息をつく中、バートとレーヴィは言い知れぬ不安を覚えるのであった。
夜も遅い頃。早くに床に着いたはずのユウリだが、どうにも寝付けなかった。木製の床の上にシーツを敷いただけの粗末な寝床は、快適な安眠を約束する柔らかい寝具に慣れ親しんだ少年には、どうしても寝づらく感じてしまうのだ。
最近やっと少し眠れるようにはなったのだが、体力的には平気でも寝不足なのは否めない。何度目かの寝返りを打つと、そこへ隣で寝ているマットも同じように、寝返りで転がって来た。
小さな身体が器用にユウリの上に登り、しかし全く気付いてもいないのか、豪快な寝相のまま寝息を立てているのだから驚きである。
しかしそんな感想も、こちらに近付く気配の前に霧散してしまう。同室のクレストも眠ったままなので、ユウリは静かにマットの寝相を直してから、ゆっくりと上半身だけ起き上がった。
「こんな時間に、何の用?」
『チビユウリが眠れてないようだから、話し相手になってやろうかと思ってな』
上半身を起こしてユウリが小声で呟くと、少年の頭の中にそんな言葉が返って来た。そして闇の中から溶け出すように、ユウリの目の前に現れたのは、小さな黒い竜。少年の相棒である、テュポーンの仮の姿だった。
「余計なお世話。最近あんまり寝てないんだから、邪魔しないでよ……」
うんざりとしたように口を尖らせる少年を見て、黒竜は全く悪びれた様子も無く呵々と笑う。
『睡眠なんざその気になれば、アイテムで幾らでも無効化できるだろうが。オレ様も最近は暇してるんだ、少し付き合え』
「……もう。少しだけだからな?」
『別に長話をしようってわけじゃねえ。ちょっとした忠告をしに来ただけだ』
「忠告? 何かあったの?」
『今のところは何もない。ただ暫らく前に、妙な気配がした。こっちを見ていたようだが、すぐに興味を失ったらしい。気になるなら、面倒に巻き込まれる前にさっさと移動するか、邪魔なら滅ぼしてしまえ。いいな』
「なんだよそれ……訳わかんないよ」
突拍子もない話に、困惑するなと言う方が無理だろう。ユウリは呆れたように呟くが、テュポーンは気にした風でもなく、小さくギャアと鳴いた。
『この街全体に、何かが潜んでいる。それが何かまでは知らねえが、な』
久々に出てきたテュポーンが語る、何者かとは?




