第五十九話「消月の女」
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「なにしてるの?」
「……!」
不意に掛けられた声。深い青の瞳にくすんだ短い金髪の女性は、驚いたように振り向いた。星の光以外に光源の無い夜の闇の中で、声をかけた少年にはその者の姿がハッキリと映っている。
武装はしていないようだが、冒険者のような風体の女で、その所作に隙は無い。しかしユウリは特に警戒する訳でもなく、その女性にゆっくりと近付いていく。
「そこで止まりな坊や。あー、私は冒険者でね。近くで野営をしているんだ。坊やは何者だい?」
「…………ヘルガさん、何してるの?」
「だ、誰だいそれは?」
慌てたように見知らぬはずの女性は止まるように言うが、ユウリは迷うことなく彼女の事をヘルガと呼んだ。余りにも非常識な態度だからか、女の顔は若干引きつっているようにも見える。
「その服ヘルガさんのだし、腰のポーチは僕があげたヤツだよね?」
「うっ……い、いや、なんのことだい?」
「僕のこのゴーグル、闇の中でも昼間のようにはっきりと見えるんだ。だからその服もそのポーチも、僕は良く覚えてる」
堂々とした自信溢れるユウリの言葉に、女は何も答えない。暫し、二人の間に沈黙が流れる。女は強く警戒するように、ユウリの事を半ば睨みつける様な視線をぶつけていた。
「ヘルガさん、ライカンスロープでしょ? ワータイガーの。今日は消月の夜だって、ステラさんが言ってたから。変身、上手く維持できないんじゃないかなって。ライカンスロープの変身能力は、月の影響を受けるそうだから」
「なにを根拠に……!」
「手だよ。ヘルガさんは細くて長い、人間みたいな指をしてるよね。獣人って普通は太くて短めの指なんだけど、ライカンスロープは人間のような指をしてるのが特徴で、見分ける時は手を見るんだ」
「なっ……」
かつてベルンで出会った猫の獣人のダグも、メイージュの獣の小道亭で出会った狐の獣人の主人も、年老いた獅子の獣人である鍛冶屋のレガントも、皆短く太めの指をしていたのだ。
だがヘルガは違う。まるで人間のような細く長い、しなやかな指をしていた。
「…………最初から、知っていたのかい?」
諦めたように、覚悟を決めたように、普段の強気で闊達な彼女とはかけ離れた小さな声で、女性──ヘルガはそう聞くしかなかった。
「うん、知ってた。でも何も言わなかったのは、事情があったんでしょ?」
「気持ち悪いと、思わないのかい?」
ライカンスロープは人間でも獣人でもない、しかし二つの姿を持つ種族だ。恐れ忌避されるのは当たり前。良くても異物を見るような、奇異の眼差しは免れない。そのはずだった。
「気持ち悪いって、何が?」
「私は、人間でも無ければ、獣人ですらない。どちらの姿も本当で、でもどちらの種族ですらないんだ」
「うーん。よくわからないけど、ライカンスロープってそういう種族だから、僕にはそれが当たり前だと思うんだけどなあ」
当たり前。そんな言葉は、今まで聞いたことが無かった。しかし当たり前とまでは言わなかったが、かつて自分を受け入れてくれた人は確かに居たのだ。だからヘルガは恐る恐る、一歩だけユウリに近付く。
それを受けてユウリは更に一歩、ヘルガとの距離を縮める。二人の距離はどちらかが手を伸ばせば届くような、そんな短い距離で向かい合った。
「僕は背が低い人も背が高い人も、肌の色が白かったり黒かったりする人も、みんな同じだって教わったよ。全部その人だけの個性なんだって。だから人間もリリルトもエルフも獣人も、そしてライカンスロープも、他の種族だって、全部おんなじ「人」なんだ」
ユウリにとって、ゲーム中でプレイヤーが選べた種族の一つでしかなく、だからこそ見慣れていたし、種族が違う為に起きるトラブルや得手不得手も多く見聞きして来ていた。そしてこの世界で本当の種族として生きる彼らもまた、ゲームの時と同じで、彼らも自分と変わらぬ「人」であると確信している。
だからヘルガはどちらの姿であっても、ヘルガなのだと言い切れた。それが彼女の個性なのだと、認められるのだ。
「……本当に、アンタって子は」
どこまでも驚かさせられる。危ういほどに純粋で世間知らず。しかし相手が誰であっても、見た目だけでは判断しない、そんな真っ直ぐな眼を持った者など、この世界にどれほどいるものか。
「大丈夫だよ。ステラさんや皆だって、分かってくれると思うよ?」
「……いや、流石にそれは難しいと思うけどね」
ユウリの言葉は有り難いが、そうではない現実という物をヘルガは知り過ぎている。今後も秘密にするほかないと、寂しそうな微笑みを浮かべた。
「見損なわないで欲しいものね。驚きはしたけど、姿が変わるくらいで軽蔑するほど、恩知らずなんかじゃないわよ」
突然声が聞こえた。二人は慌てて周囲を見回すが、誰も居ない。するとユウリの後ろの像が揺らいで、声の主が現れる。それはよく見知った相手。エルフのステラだった。
「うわっ、びっくりした!?」
「い、いつの間に……?」
「ふふ。勘のいい貴方たちでも、話に夢中になってて気付かなかったのね。驚いてもらえたなら、姿隠しの魔法まで使った甲斐があったわ」
悪戯が成功した子供のように、ステラが笑みを浮かべる。そんな彼女にヘルガだけでなく、ユウリまでもが珍しく呆れたように笑うのだった。
「たまたま目が覚めて水を飲もう起きたら、ユウリが外に出て行くところが見えたのよ。一応大丈夫だとは思ってたんだけど、心配だったからついて来たってわけ」
「全然気付かなかった……ずっとヘルガさんの気配を気にしてたから」
「私もユウリに見つかって、完全に焦ってたからねぇ。ちょっと不用心過ぎたか」
そんな風に笑い合った後、そのまま三人で暫く語り合った。
星々の瞬きが夜空を鮮やかに彩り、今にも音が聞こえてきそうな美しい夜。その景色を楽しむように、静かに時間は過ぎて行った。
翌朝、いつも通り優雅に朝食を摂った後、話があると食後のお茶を飲みながらヘルガが口を開いた。昨夜三人で話し合った結果、ヘルガの事は他のメンバーにも話す事を決めたからだ。
一通り自身の種族を説明した後、皆の前でヘルガは虎から人の姿となる。
深い青の瞳にくすんだ短い金の髪。鋭い目つきなどからは、虎の獣人姿の彼女の面影がどことなく見て取れた。体つきは女性的ながらも、よく鍛えられたしなやかな筋肉が見て取れ、町娘にはない精悍さがある。また体が若干縮んでしまったからか、衣服が体よりも少し大きく見えるせいで、それが逆に可愛らしくも見えた。
それを見たマットは面白いとヘルガに駆けよって、どうなってるのかと無遠慮に彼女に触れている。ルナも驚いたようだが、小さな声で「いいなぁ」と目を輝かせていたのを、ステラがしっかりと目撃していた。
「そういう種族のヒトが居るんですか……なんていうか、便利そうですね」
「便利って……そんな風に言われたのも初めてだよ」
自身が猫の半獣人であるからか、アイリスは人間と獣人双方の姿を選べるライカンスロープを、便利だと評した。彼女も普段はフードやマントで体を覆い、特徴的な耳と尻尾を隠す事で一見して人間のように見せかけている。混血である為どちらにも所属できず、苦労して来たからだ。
「いやでも、普段は人間で通せますし、戦う時は獣人の力強さを使えるなんて、大分狡いと思いますよ?」
「場合によっちゃあ、悪い事もできるだろうね。だからこそ正体を知られれば警戒されるし、根も葉もない噂だって立つ」
「なるほど……そう言われればそうですね」
メリットとデメリットを天秤にかけ、アイリスは思案する。ヘルガの言う通り、変身の前後で姿が全く変わるのであれば、様々な犯罪行為に手を染めたとしても、慎重に行動していればバレる事はない。だが一度でも変身出来る事がバレた瞬間、自分がやっていない事さえも自分のせいにされてしまうと言うリスクは、無視できるようなものではない。
例え自分がそれまで、どれだけ清く正しく生きていたとしても、変身できると言うだけで、疑惑の目がこちらに向けられると言う事なのだ。これではヒトの社会で生きていくのはとても難しい。
「それに変身だって、そんなポンポン気軽に出来る訳じゃない。消月の夜だと上手く獣人になれないし、満月、特に二つの月が揃って満ちる夜なんて、否が応でも獣人の姿になってしまうんだ。完全に制御不能な日があるから、人間として偽って生きるよりは、普段から獣人として生きてた方が、私はリスクが少なかったんだよ」
人間と偽って他の種族を見下すよりも、獣人として自分らしく生きる方がマシだったのだと、ヘルガは言う。冒険者になったのも、暗く鬱屈したスラムのような場所から、外の世界に飛び出すため。
自らの実力で道を切り開き、面白おかしくとまでは行かないが、太く短く生きてやろうと思っていたと、ヘルガは語る。
「ま、それが何の因果か、とんでもない使命を背負った坊やと出会って、今に至るってわけさ」
「ふむふむ。つまり、今まで殆ど誰とも組んでいなかったのは……」
「そうだよ。正体を知られるのが嫌だったから、ってのが一番の理由さ」
人狼や人虎はヒトを襲う怪物である。などというトンデモな言い伝えがある村があったりする程度には、人々から種族として正しく認識されていない。だからこそひっそりと暮らすしかなく、正体を知られる事は死と同義なのだ言う。
「ああ、納得しました。それで、噂の【剛剣】さんはやっぱり……?」
「……なんでそんな時ばっかり勘がいいんだい、アンタは!?」
「乙女の直感ってやつですよ。つまりこう、そういうことなんですね!?」
「ノーコメントだ!」
二人の楽しそうなやり取りを横目で見ながら、ユウリがふとステラの方に視線を向ける。不意に目が合って彼女から微笑みかけられ、少年は何となく気恥ずかしくなるのを誤魔化すように、マグカップに残っていた飲み物を一気に飲み干した。
「それはそれとして、ワタシ達にまで正体を明かして、良かったのですか?」
「思うところが無い訳じゃないけど、ユウリとステラにバレたのなら遅かれ早かれ、気付かれてた可能性の方が高いからね」
肩を竦めながら、ヘルガは苦笑する。アイリスとしてはある程度の信頼は勝ち得る事が出来たと言う意味で、秘密を明かしてくれたのはとても有難くもあった。しかしそれはそれとして、先程彼女が語ったように変身できることを知られると言うのは、とても大きなリスクなのだ。
可能な限り隠すべきではなかったのかと、逆に心配になってくる。
「まあ、人間の姿にもなれるってだけで、普段は何時ものままなんだ。たまに見たらラッキー程度に思ってくれればいいよ」
「……それでいいのかと、思うところもないわけではないのですが。我々が口を出すべき事ではないと心得ているので、そのようにします。それにヘルガさんの実力なら、どこに行っても生きていけそうですしね」
そう言ってアイリスは呆れたように、苦笑いを浮かべるのであった。
ヘルガの設定については、最初からずっと温めて来ていた物でした。
前々から指に関してはアピールしていたので、勘のいい方は気付いたかもしれませんね。




