第三十三話「迷いと覚悟」
「私を置いていこうなんて、随分と強気じゃないのさ」
ヘルガはそう言って、咆哮が聞こえた方角へ向かおうとしていたダグ達一行に、不敵な笑みを向ける。
「ヘルガ、あのな……」
「今は時間の方が惜しい、だろう? 問題ないよ、ここはこの子等に任せておけばさ。ノービスプレートのステラはあいつ等の怪我の看病をして、ユウリとマットの二人がその護衛だ。ステラの魔法で傷が癒えれば、そいつらも熟練の冒険者だ。あとを任せるには丁度いい。それにまさか、シルバープレートであるこの私を置き去りにして、遊ばせておくつもりかい?」
「……すまねえ」
「お互い様ってもんさ。こっちこそ、感謝している」
ヘルガはゆっくりとユウリ達の方を向いて、優しく微笑む。これはユウリを気遣っての選択だ。ダグ達もユウリが血に慣れていない事には気付いている。
家柄と才、そして師に恵まれて腕を磨き続け、高みに至っていても、命を懸けて戦う事と生き残る事の過酷さを知らぬままでは、戦場では役に立たなかったという話は、意外にもよくある事だ。
温室育ちの若者ほど、本当の「死」と言うものに触れた時に取り乱し、己の実力を発揮することなく、あっけなく死ぬ。それは「恐怖」を知らなかったから。死と言う恐怖に直面した時、自分を制御できずに心が乱れたままでは、折角磨いた腕も碌に動かす事は出来ない。待っているのは無様な終わり。
ダグ達から見た今のユウリは、まさにその典型だった。だからこれから先の戦いに連れて行っても、犬死するだけだと判断せざるを得ない。この少年はまだ冒険者に成りたてのノービスプレートで、ヘルガと言う師を得て、これからなのだ。
理不尽な出来事など、そこら中に転がっている。それでも自分達の手の届く範囲でくらい、大人として先達として、格好つけて道を整えてやりたいと思うくらいには、彼らは善良な冒険者だった。
ヘルガもそんな彼らの心情を理解しているからこそ、放って置く気はない。少なくとも新たな力を得た自分なら、相打ちになったとしても、誰かが生き残れる可能性は大きい。
「じゃあアンタ達。悪いけど、ここは頼んだよ」
「……ええ。必ず戻ってきなさいよ、ヘルガ」
「ハハッ、それじゃあ精一杯、足掻いて見せないとね」
何でもないように笑い飛ばすヘルガを見て、ステラはそれ以上なにも言おうとはしない。
短いやり取りを終えて、ダグ達とヘルガは戦いの場へと赴いて行った。
彼らが去った後、その場に残されたユウリ達。不思議そうに視線を向けるマットに、ステラは水を汲んでくるように頼んで、彼が素直に向かったのを見届けた後、そっとユウリに寄り添った。
「……僕、は……」
「ユウリ。わたし達は、ここを任されたの。だから気にしてはいけないわ。それぞれの役割を全うするのも、必要な事よ」
「でもっ」
ただ魔物と対面し、戦うだけならば、ユウリはいつも通りの実力を発揮できる。だが血の臭いを充満させ、死を撒き散らした後の場所ではどうなのか。それは獣や魔物ではなく、ヒトの死なのだ。
食い下がろうとするユウリの目を真っ直ぐ見つめ返して、ステラは心配するような声で、再び口を開いた。
「今あの場所に貴方が行って、ちゃんと戦えるの?」
「……っ」
今、魔物の居る場所まで行けば、犠牲となった者を直接見ることになるだろう。その時ユウリ自身が、冷静に敵と戦えるのか。足手まといにならずにいられるのかと、そう問われたのだ。
現実と言うものに直面したばかりのユウリには、まだ時間が必要なのだ。その事をステラも、そしてユウリ達を置いて戦いに赴いたヘルガ達も、それをよく理解しているからこそだった。
どれほど優れた技や武具を持とうとも、普段通りに揮えないのであれば、無用の長物でしかない。それはユウリ自身だけでなく、パーティ全体をも危険に晒すことになるのだ。
「僕は……ぼく、は……っ」
「無理をしないで。ユウリ。貴方は悪くないわ。死に慣れてはいけないの」
先程ヘルガがしたように、ステラはユウリの頭を優しく抱きしめた。
思わず、眼から涙が零れそうになる。自分の不甲斐なさに対して。そして皆の優しさが、有難いと思えてしまって。
今は彼女の優しさに甘えるのが、精一杯だった。
鬱蒼と生い茂る森の中を、ヘルガたち五人の冒険者が進んでいる。小柄な犬の獣人であるノノラを先頭に、ヘルガとアランが並び、その後ろにダグとキールが続く。
目的地はハッキリと判っている。否が応でも理解させられるほどの圧力が、森の奥から発せられているのだ。それはこちらを誘う様に、挑発するように己の存在を主張している。
「しかしやっぱり、想定通りになったか」
「……何のことだい?」
アランの呟きに疑問を持ったヘルガが問う。すると彼は苦笑しながら、誤魔化すことなく続けた。
「ノービスプレートの子たちをどうにか安全な場所に置いて、ボク達だけで本命と向かい合う。ってのがこちらが最初に想定していた状況さ。まあ、予想外の戦力もあったから期待はしてたんだけど、やっぱりノービスに期待しちゃ駄目だよね」
「……そういうことかい」
「そ。あのユウリ君ならいけるかと思っていたんだけど、やっぱり予想通りと言うか、当たり前って言うか」
アランがそこまで言うと、続きを背後のダグが引き継ぐ。
「ここまで一緒に旅してきた時点で、元はいいとこの坊主だってのは分かってたしな。他人の血を見て動揺するくらいは、想定内だ」
「全部お見通しだったって訳かい。気を使わせてばかりで、申し訳なくなるよ」
思わずヘルガが肩を竦める程度には、彼らはキチンとこちらのパーティを観察していた。駆け出しのノービスプレートを連れて行く以上、駆け出しを使い潰そうとするか、守り通そうとするかは、組んだ冒険者次第。
彼らは後者を選んだ。そんな善良な彼らだからこそ、ヘルガもダグ達と組むことを承諾したのだ。
幾ら腕っぷしが強くても、死に対する恐怖まではどうしようもない。自分だけならまだどうにかなる者も少なくないが、他人の命が関わるとなれば、そのプレッシャーに耐えるのは至難の業であろう。それをあのような子供に期待すること自体が無茶なのだ。
だからダグ達は最初から、どれほどユウリ達が優秀だったとしても、心構えと覚悟が出来ていなければ、即戦力外として扱うと決めていた。
だから彼らを置いて来た。そして打算ではあるが、ヘルガの性格ならきっと一緒に行くと言うだろうと、期待していなかったわけじゃない。
実際、今回の混成チームにおいてはヘルガこそが、最大最強の戦力だと誰もが考えている。亜人でありながらシルバープレートへと上り詰めた、実力と経験。それはベルンの冒険者全てが、彼女こそが街で最強の戦士であると理解しているからだ。
ユウリがスキルを使えた事で、本気ではないヘルガが不意を突かれ、後れを取ったのだろうと言うのが、ダグ達の見解だ。実際に現場を見ていないのだから仕方がないが、ヘルガの実力はそのように認識されている。
「みんな、話はそこまで。……近いよ」
ノノラの言葉に、全員が足を止めた。遥か前方からは、誰かが争っているような怒鳴り声が聞こえてくる。標的は近いと、誰もが気を引き締めた。
「ああ、既に他のパーティと戦い始めてるようだね。こりゃ厄介だ。ヤバそうなのだけじゃない、さっきと似た気配、多分オークが居る。急いだほうがいいよ」
「だから、なんで斥候のワタクシより、詳細に分かるんですか……!?」
先を行くノノラよりも詳しい状況を把握したヘルガに、誰もが舌を巻く。だが今はそんなことを問答している暇はない。
「それはシルバーとアイアンの差、って事にしておくれ。先に来てた奴らの為にも、ここからはちょっと派手に行こうじゃないか」
「よしお前ら、ヘルガに後れを取るんじゃねえぞ!」
ヘルガとダグが武器を構えると同時に、他の仲間たちも「応!」と声を張り上げ、走り出した。
これは威嚇だ。敵に自分達の存在を報せ、他の冒険者に応援が来たことを示す為の。そうすることで敵の注意を散漫にし、味方の士気を上げる事で、一人でも生存者を増やすための常套手段。
自分達に敵の意識が向くことで奇襲は出来ず、敵にはこちらを迎え撃つ態勢を取らせてしまう危険な行為ではあるのだが、誰一人としてそれを拒む者はいなかった。
雄たけびを上げながら、彼らは敵の居る方へと雪崩れ込むように突撃していく。ヘルガはそんな中、ユウリと共に磨き上げた気功スキルを発動させ、強烈な威圧を解き放つ。
「さあて、それじゃあ暴れようかね!」
誰よりも速く、全身に漲るオーラを迸らせながら、ヘルガはまずは一撃と近くに居たオークを数匹、まとめて叩き潰す。その凶悪な姿に、苦戦を強いられていた他の冒険者はぎょっとした表情を浮かべていたが、すぐに援軍だと理解して胸を撫で下ろしたようだった。
そんな周囲の様子を気にも留めず、ヘルガは先へと進む。進路上にいるオークを薙ぎ払い、叩き潰し、血風を纏いながら、彼女はただ一点を目指した。
それはこの奥で悠然と構える、一頭の獅子。獣の獅子よりも二回り以上大きい、見た事もない化け物だとはっきりわかる。顎の位置はヒトの頭より、少し高いくらいだろう。まず戦う事自体が困難な相手だ。
「アレは私が行く。ダグ達は他の奴らを援護しな!」
「わかった。無理はするなよ!?」
言いながらまた一匹オークを叩き潰し、ヘルガは走る。そんな彼女の道を切り開かんと、ダグ達がサポートする中をヘルガは駆け抜けていく。
獅子はヘルガから視線を外さなかった。オークどもを薙ぎ倒し、一切寄せ付けることなく自分の元まで、真っ直ぐ突き進んで来る虎の姿をした相手。自身と相対するに相応しいと見定め、獅子は高揚を、周囲を薙ぎ倒すほどの咆哮として放った。
木々を薙ぎ倒し、他の冒険者やオーク達までも吹き飛ばしていく程の力を放出する。ただ吼えるだけで、これだけの破壊を撒き散らせることに、その場に居た誰もが恐れ戦く。誰もアレには敵う筈が無いと。
「くっ……はあっ!」
襲い来る力に抗う様に、ヘルガは全身に気を巡らせ、外側へと放出する。襲い来る咆哮の見えない衝撃を相殺し、敵も味方も、木々さえも倒れ伏す中、彼女はただ一人、その場に立っていた。
ヘルガは相手の力が強大である事、自身を上回っているだろう事は認識していても、慄く価値すらない事に気付く。ユウリと戦った時に見たあのオーラの放出、その少年が連れている小さい黒き竜が内包する力の強大さを知ってしまえば、なんと矮小でつまらないものか。
真の高みを垣間見たからこそ、目の前の相手が見せつけて来る力など、恐怖するに値しない。
「……ハッ。私も色々と感覚がマヒしちまってるね。これじゃあ常識がないなんて、あの子達を笑えないよ」
そんな自嘲の言葉を零し、ヘルガは愛用のモールを両手で構える。眼前に居る巨大な獅子はまだ動かない。珍しいものを見るように、ヘルガの事を値踏みしているのだと直感した。
大抵の相手は今の咆哮だけで弾き飛ばされ、死ぬか逃げ出すのだ。自身に真正面から向かってくる者など居るはずがない。そう思い込んでいたところに、咆哮をものともせずに受け止めた存在が現れた。
獅子は生まれて初めて、身を低く構える。四肢に力を込め、何時でも動けるように。今まで味わった事のない、「戦い」が出来るのだと本能的に気付いたのだ。
「そっちも用意はいいようだね? じゃあ、殺し合おうじゃないか!」
ヘルガの全身から、見えない力が膨れ上がっていく。ここにユウリが居れば初めて戦った時とは違う、洗練された白い輝きを纏う彼女の姿を目にすることが出来たであろう。
獅子は吼えた。怒りとも歓喜ともつかない声で、自らの前に立つ愚か者を迎え撃つために。




