第三十二話「現実」
一行は足早に下山し、仮のキャンプ地としていた場所まで無事に到着していた。太陽はまだ中天を少し過ぎた程度で、抜けるような青空が広がっている。
道中何事もなく戻って来られたことに安堵し、一行は少し遅い昼食の準備を始めるのであった。
食事の用意はユウリ達のパーティがやると言う事で、周辺の警戒と他に戻ってきている冒険者パーティが居ないか、連絡役を請け負ったダグ達。やはりというか、まだ戻ってきている他の冒険者はおらず、仕方ないとキャンプ地に引き返してきた。
「何にしても、すんなり戻れたのはラッキーだったな」
「そうだね。しかし今でも、夢を見ているような気分だよ。本物のスキルを、この目で見ることが出来たんだから」
「アラン。お前本当に、浮かれてんな」
その時に交わした会話で、ダグは思わず顔が引きつった。しかしアランに言わせれば、それは彼がユウリの戦いぶりを見ていないからだと言うことになる。
ダグがヘルガの一撃を見ても何とも思わなかったのは、彼女がそういうものだと思っていたからだ。格上とは言え女性に対して、なかなか失礼な感想であろう。
「ん、美味しそうな匂いがしてきたよ。いやあ、ステラさんが料理上手だから、助かるね」
「ああ。仕事の最中に美味い飯にありつけるなんて、それだけでもチームを組んだ甲斐があるってもんだぜ。この仕事が終わったら、他の連中にも自慢してやろう」
「はははっ、そりゃあいいや。……いやでも、ボクは遠慮しておくよ。そこの怖い虎に、叩き潰されたくはないからね」
アランが笑った直後、ダグの背中にゾッとするような冷たい気配を感じた。恐る恐る後ろを振り向くと案の定、虎の凄みを利かせた表情のヘルガが、そこに立っている。
「アンタら、ほんっとうに懲りないね」
鈍く硬い音が、虚しく空に響いた。二人の男性が、頭に大きなコブを作って地面に突っ伏している姿を残して。
ステラが作った食事は、干し肉などが入った簡単な、冒険者定番のスープであった。しかし何時ものような、やや塩辛いだけのスープになっているのではなく、しっかりと肉の旨味が出ていて、塩加減も絶妙だ。村で購入していた野菜を入れたお陰もあって、栄養満点の一品だろう。
それを定番とも言える、長期保存に重きを置いたカチカチの黒パンを浸してふやかし、火で炙ったチーズを載せて食べれば、充分な満足感が得られるものだった。
当然保存食中心なので、ちゃんとした食事処のものと比べれば数段落ちるものの、それでも彼ら冒険者にとっては流し込むだけの食事が、味わって食べられると言うだけでも全然違う。
本来ならこのように、時間をかけて食事を摂る事は滅多に無い為、彼らにとっては贅沢をしている気分に浸れた。若干名、頭にコブを作った者が混じっているが、誰もそれには触れることなく、遅い昼食は穏やかに過ぎて行く。
和気藹々と気分よく昼食を済ませた後、彼らは再び話し合いをしようと焚き火を囲んでいた。そんな中、ステラはユウリとマットを連れて、調理に使った鍋や食器を、近くの小川で洗ってくると席を外している。
「オークの事はまあ、退治したから問題ないとしてだ。奴らが下山を阻まれていたかもしれないって言う、より強大な魔物が居るかどうか、なんだよな」
「少なくともあのルートには居なかった、と判断して良いだろう。我らはそこで偶然ヤツらとかち合い、襲撃を受けた」
「正直なところ、上位種のオークが居て、その上で数を揃えて罠を張って襲ってくるほどの脅威ってだけでも、もう十分なほどの成果を出していると、言いたいんですけどねぇ……」
「それで納得してもらえるか、怪しいと言えば怪しいんだけどね。ヘルガはどう思う?」
ダグ達のパーティが口々にそう言いながら、アランが無言のまま成り行きを見守っていた、ヘルガに意見を求めた。
「あのルートには居ないだろうっていう、キールの意見には賛成だね。ただノノラの言う成果ってヤツには、まだ足りないと私は考えているよ」
「なるほど。理由は?」
「期待しているところ悪いけれど、タダの女の勘ってやつさ」
真剣に注がれる視線の中、ヘルガは勘だと言い切って肩を竦める。これには一瞬、ダグ達のパーティは目を丸くしたが、しかしすぐに真面目な表情を取り戻した。
「勘、ね。いや、冒険者ならばこそ勘は大事だし、分からなくもないんだよな。だけど」
「だけど根拠として足りない、だろう? しかしこればかりは、私からこれ以上説明する事は出来ないんだよ。諦めておくれ」
ヘルガはそう言うが、根拠はある。彼女は気付いていたのだ。ユウリが山から下りる直前、森の一点へと注いでいた視線を。今のヘルガには窺い知れない気配を、より正確に把握できるであろうユウリが注目していたということは、恐らく本命と呼べる獲物が、別に存在しているのだろうと考えているのだ。
ダグ達のパーティにはこれ以上説明するわけにもいかず、女の勘で押し切ろうかと思っていたのだが、やはりそう上手く誤魔化されはしなかった。
幸い、ダグ達は他の冒険者達とも情報のすり合わせをしたいと考えているので、彼らが戻り次第、ヘルガの勘が当たるかどうかお手並み拝見といった空気なのは有り難い。
そして事が起こったのは、ヘルガがダグ達に気付かれぬよう、小さく息を吐いたその時だった。
「ヘルガねえちゃんっ。大変、たいへんだー!」
「マット! 何があったんだい!?」
ただならぬ様子でこちらへ駆けて来るリリルトの少年の方へ、ヘルガも思わず駆け出す。
よく見れば彼から随分遅れて、ユウリとステラが歩いてくるのが見える。不思議に思う間もなく、すぐに理由が分かった。誰かを抱えているのだ。
怪我をしているのであろう抱えられた者達は、同じようにこの山を探索しに来た冒険者であろう。何者かに襲われ、命からがら戻って来れたところで、ユウリたちに出会ったと考えるのが自然だ。
「こりゃあ、ヘルガの勘ってやつが当たったのかもな」
「当たって欲しくなかったんですけどね。根拠のない勘なんて」
思わずそうぼやくダグ達を尻目に、ヘルガは急いでユウリ達の手伝いに向かう。怪我人は二人。ユウリが一人で抱えていて、ステラは歩きながら少しずつ、精霊の力を借りて怪我人に治癒の魔法を施していたのだ。この為二人は急ぐことが出来ず、マットが先行して報せに来たのである。
「おい、大丈夫か!?」
彼らの姿から追手は無いと判断したが、念の為アランもユウリ達に駆けよって、周囲を警戒する。キールやダグもその場から動かないまま、周囲に魔物の気配が無いかを探り、ノノラは怪我人を受け入れる為の準備を進めていた。
彼らがキャンプ地に戻って来ていたお陰で、怪我をしていた冒険者達は命拾いしたと言えるだろう。そして彼らが持ち帰った情報こそが、今のチームにとって最も必要なもの。
怪我をした冒険者は、全身が血塗れだった。しかし見た目ほど出血量は多くなかったのか、ステラの魔法ですぐに傷は治療され、今は気を失って横になっている。五体満足だったのは、非常に幸運だったと言えるだろう。
そんな冒険者の姿にショックを受けたのか、ユウリの顔は青褪めており、彼の様子に気付いたヘルガは、そっと少年の頭を抱きしめてやった。
ハッキリと、血の臭いがする。ねっとりとした生温かい液体は赤く、これは間違いなく現実なのだと、語り掛けてくるようであった。血が流れ出る度に、背負った体から徐々に体温が失われていく感覚に襲われる。今まで感じた事のない、この手から命が零れ落ちてしまいそうな恐怖を、少年は初めて体験していた。
「酷い顔だよ。慣れろとは言わないけど、表面上くらいは誤魔化せるようになっておくべきだからね」
「…………うん。あの人、気を失う前に、戻ってこれなかった、仲間がいるって、言ってた。誰かが、死んだってこと?」
「冒険者はそういう仕事で、よくあることさ。理不尽な死なんて、そこら中に転がっている。旅をするのなら、これから嫌ってくらい、似たような光景を見ることになるよ」
優しくも厳しく、ヘルガはユウリにだけ聞こえるように囁く。
今まで考えようともしなかった、人が怪我をすると言う事。この世界で戦うと言う事は、本物の「死」が訪れるのだと言う事を、ユウリは血塗れの冒険者を見て、漸く思い至ったのだ。
これまでゲームの中では、ユウリはまだキッズフィルターを通してしか見ておらず、リアリティ設定で可能な、血が出たりするような場面を見る事は出来なかった。平和な世界で暮らしてきた少年には耐性も覚悟もなく、今の彼が非常に不安定な状態になっているのも当然だろう。
ヘルガは、そして一緒に怪我人を運んでいたステラも、ユウリの抱える危険性を敏感に感じ取っていた。余りにも歪で、不安定な精神。戦う事を遊びのように考えていた少年が、現実を目の当たりにして、簡単に崩れ落ちる脆さ。
がくがくと膝が震えているものの、まだちゃんと自分の両足で立っているのだから、褒められてもいいくらいだろう。安穏とした優しい世界で、悲惨なものを知らずに、大切にされて生きてきたであろう少年が、初めて受け止める世界の真実。
だが世界は、少年が現実を受け入れるだけの猶予を、与えてはくれない。
獣の咆哮が聞こえた。
それは衝撃を伴う、異常な力。ユウリ達の元に届く頃には大きく減衰し、足元の草が揺れる程度のもの。しかし腹の奥底、内臓にまで届くような音の衝撃を感じ、至近距離で受ければタダでは済まないであろう事を感じさせる。
その咆哮が聞こえた途端、気を失っている冒険者達が、うなされ始めた。恐らくはこの声の主こそが、彼らの怪我の元凶であろう事は想像に難くない。
「どっちみち、今のバカでかい声の主は確認しなきゃならんし、それでも気を失ってるこいつらを放置するって、選択肢はねえな」
まるで散歩にでも行くような口ぶりで、ダグが歩き出す。
「……ですね。まあ、ここはチームを分けましょうか」
当然であると言わんばかりに、ノノラは短い脚で跳ねるように、ダグの後を追った。
「分けると言っても、元のパーティに戻るだけだけどね」
そう言ってアランは茶目っ気たっぷりに、ウインクをしながら笑う。
「先の咆哮を聞いて、アレに向かう冒険者は他にも居るだろう。それなら、駆け出しを連れて行くよりは現実的だな」
口数の少ないキールが珍しく、饒舌になる。愛用の棒を軽やかに揮う姿は、とても鮮やかだった。
悲観はなく、ただそれが自分達のやるべき事であると、正体不明の魔物が居る方に向かっていく。その姿はユウリにとって、とても気高く、とても眩しく映った。
自分はまだ冒険者では無いと、思い知らされながら。




