第三百二十八話「不測の事態」
西へと天空城を移動させている間、地上の様子は惨憺たる有様であった。
まず妖魔帝国の指導者たる妖魔王四体が全て戦死し、更に裏で糸を引いていた悪魔もほぼ全滅している。これにより残された妖魔や魔物たちは、統率を失った事で暴走しはじめる事は必然と言えた。
まだ暫くは生き残っている王級の妖魔たちによって、魔物や妖魔が散り散りになって暴れるなどと言う危険はないだろうが、かと言ってのんびりはしていられないだろう。
だがこの戦いに参加した国々の多くは既に疲弊しており、まともな戦力はそう残っていない。
そもそもこれから、空を赤黒く染めるおぞましい何かと対峙しなければならず、その戦いの結果によっては世界が滅びかねないのだ。
やらなければならない事は山積みであり、されど人手は多く残されていない。それでも未だに立ち向かおうとする者達は、奇跡を願うしかなく。
その奇跡とは、プレイヤーと呼ばれる人物の活躍に他ならない。
【蒼黒の竜剣士】ユウリ。人語を介する黒竜を従える、ルグト王国にて神々からアダマンタイトプレートを与えられた稀代の冒険者。
妖魔帝国との戦においても神々から天空城を託され、各国の結束を強める事に成功し、そして勝利に導いた最高の冒険者と呼べる存在。
各地の聖剣使いがあの地に集うことが出来たのは、まさしく彼の功績であり、奇跡の体現者と言えるだろう。
苦しい状況なのは、依然として変わらない。それでもまだ希望は残されていると、この城に残る誰もが確信していた。
「……朝だね。外はどうなってるんだろう?」
昨夜は遅くまで起きていたため、眠い目を擦りながらユウリは何とか、使い慣れない豪奢なベッドから起き上がった。天空城が十分に機能するようになってから、ユウリ達【ユグドラシル】一同は、セーフハウスカードの使用をやめている。
それというのも、セーフハウスカードは外界から遮断されるため、緊急時に互いに連絡が取れない上に、中からも外の状況が分かりづらい事が多い。故にトイレを含む上下水道の事情が改善されてすぐに、新しくそれぞれの寝室を設けていたのだ。
「お目覚めですか、ユウリ様。今朝は赤黒い空もなく、美しく晴れ渡っているようです」
「おはよう、レムリアさん。ってことは……クロくん、成功したんだ?」
当たり前のように自室の中で待機していたのは、メイド姿のドール・サーバントのレムリア。
彼女は城主であるユウリによって、この城での多くの権限を与えられているため、城内のどこからでも大まかな情報を掴むことが可能なのだ。その権限を活用することで、日々彼らの補佐を勤め上げており、城内に滞在する者にも満足のいくサービスを提供できている。
そんな彼女が自分の寝室にいるのは、何時いかなる時でも従者として、ユウリに仕える者として主人の些細な注文にも応えるべく、決して譲らなかった部分でもあった。
最早仕方がないと諦め、ユウリは日々彼女の世話になっているのだが、自分だけと言うのも悪いと言う事で、他の従者たちは【ユグドラシル】の仲間たちの世話を任せている。少なからず自分だけ面倒を押し付けられた事への、意趣返しの意味が無いわけではないが。
とはいえ流石に他の従者たちは男性ばかりなので、同性の男性陣がその餌食になっている。女性陣はこの城のオートマタをレムリアが配しているので、恐らく互いにそう変わらない程度の世話を焼かれているはずだ。
「それで、外は普通に青い空、なんだよね?」
そうユウリは確認する。彼の言葉に対してレムリアは首肯し、部屋のカーテンを開け放って、ユウリに示して見せた。
「このように、東の地からも見えていたほどの赤黒い空はなく、既に西の海上に出ているというのに、普通の空模様となっております」
「そっか。よし、じゃあ準備をして朝ご飯を食べたら、何時でも戦えるようにしなくちゃね」
「全ての準備は整っております。こちらが本日のお召し物でございます」
そう言って差し出される衣服は、この城で生産されたものだ。担当していたフェアリーのペーターも、短期間で随分と腕を上げたようで、この城の施設の効果もあってこの世界でも高級品に分類される物を作り出せるようになっていた。
「あー、自分で……」
「お手伝いします」
ユウリの抵抗虚しく、強引にレムリアの手によって着替えさせられる。普通の衣服どころか、下着の脱ぎ着すら自分でさせて貰えないのだ。レムリア曰く、この城の主なのだから当然である、と。
この事を知り合い王族に聞いてみると、それも地位ある者の定めだと返されてしまい、レムリアに反論する手段を失くした今は、仕方なく何もかもを彼女に任せていた。
着替えの間、ユウリは何も考えないように、窓の外を見つめるしかない。何時もと変わらぬ明るい空の先で、一人で戦う友人の事に思いを馳せながら。
朝食を【ユグドラシル】の面々が普段使っている大部屋で済ませた後、ユウリは何時もの装備に身を包み、そして頭の上には黒竜のテュポーンが鎮座していた。
レムリア曰くまだ目的地までは距離があり、もう暫くは掛かるとの事ではあるが、何時でも動けるようにと他のプレイヤーの面々と合流するために玉座の間へと向かう。
「ユウちゃん、おはよう。昨夜は遅かったけど、ちゃんと眠れかしら?」
「ユウくん、おはよう。外の様子は、もう確認した?」
玉座の間に入ると、既に他のプレイヤーたちは揃っていた。
人間態のネクロと、ダークエルフの女王のレイが、優しい声で挨拶をしてくれる。昨夜はクロトの従者から齎された神託を、他のプレイヤー達にも共有しなければならなかったので、少し遅くまで起きていたからでもある。
ユウリはレムリアに促され、玉座に腰を下ろしながら頷く。
「みんな、おはよう。クロくんが『ユニバース・クリエイション』を、成功させたみたいだね」
「はい。お陰でこの城を盾にする必要もなさそうですし、西の大陸も被害を受けずに済みそうです」
ユウリが挨拶を返し、ユナが少しだけホッとしたように、優し気に微笑んで見せる。
「それは朗報だね。……今現在、私がこの城に留まっていられるのは、ネクロ殿とレイ殿の魔法のお陰だ。我が国の王に正体を知られたら、騎士としても非常に面倒なことになるからね」
どうやら色々と苦労しているらしい、ヴォルデス王国の騎士であるベリエスが苦笑を浮かべた。自身の直属の上司である王太子ヴィクターには伝えてあるものの、ヴォルデス国王であるクラウスは野心が強い為、可能な限り正体を伏せておく必要があるのだ。
なので現在ベリエスがここに居る事は知られておらず、ヴィクターと共に本国へ帰還していると思われている。
「現在、各国の王族の方はそれぞれの部屋で、まだお休み中です。この後の予定も各々の執務となっており、目的地到着の少し前に、玉座の間へと集合することになっています」
「……そうか。ならば私はまた浮島の方へと、移動したほうがいいだろうね」
「そうね。目的地まではアタシのセーフハウスカードで、待機して貰いましょう。何かあれば世話役のレミジオに言ってちょうだい」
城内に居ては、いつどこで鉢合わせするか分からない為、ベリエスは現在の状況を確認した後、ネクロの魔法で姿を隠して浮島の一つへと向かう事になる。
流石に部外者の魔法でこの城の中を自由に転移させることは、設定的にも出来ない事らしく、彼一人だけ少々不便を強いられてしまっている。
「気にしないでくれ。こればかりは私個人の事情であり、我儘なのだから。寧ろここまで協力して貰って、有難いくらいだよ」
「そう言って貰えると嬉しいわ。……それでユウちゃん、他に何か新しい情報はある?」
仕方が無いのだと肩を竦めるベリエスに、誰もが曖昧な表情をするしかない。そして話題を変えるようにネクロから話を振られ、ユウリは小さく首を振った。
「ううん。特には……って、レムリアさんどうしたの?」
「……ユウリ様。城の進行方向に、生体反応があります。数は一、映像に出します」
何も情報はない。そう答えようとした時、レムリアが唐突にそんな事を言い出したのである。
そして映された映像を見て、誰もが安堵と驚きの声を口にするのであった。
「クロくん!」
「やあ、ユウ君。皆も来てくれて助かるよ」
城の進行方向に居た人物。それはクロトその人であった。
何時も通りの、穏やかな態度のまま、彼は天空城の中へと入る。彼の帰還はすぐさま各国の王にも伝えられ、慌てて玉座の間に全員が集合することになった。
ベリエスは見つかるわけにはいかないので、一人だけ魔法で姿を隠しているが。
「クロトさん。状況は? っていうか貴方、半分実体じゃなさそうだけど……? まさか分身?」
「レイ君の言う通り、今の俺はメッセンジャーとして残した、分身なんだ。だから俺自身は、限定世界の中にいる。あと現在の状況は、見せた方が早いだろう」
対面したレイは、その卓越した魔法の技量により、目の前の人物がクロトそのものでない事を見抜く。誰もが本物だと思っていたからこそ、周囲の反応は驚きと警戒を露わにするが、それもすぐに霧散する。
何故なら当然のようにクロトは肯定した後、ユウリ達の目の前に巨大なホロスクリーンのようなものを展開したのだ。そもそも彼が境界神の分身であり、その更に分身と言うだけなのだから、今更と言えば今更なのである。
「これは……限定世界の、中の映像?」
ネクロの言葉に、誰もがその映像を食い入るように見つめている。何故なら暴れ狂う巨大な異形の獣と、見たこともない赤い悪魔の群れが、一つの世界を食い荒らしているのだから。
そしてそれらを蹴散らすように、赤い竜と天使や魔神が対峙し、戦っている。
映像は戦うクロト本人や、彼が召喚している神剣を意図的に映してはおらず、その事に気付いている者は居ない。
「今現在、俺はこいつらと戦っている最中だ。邪神ジユムバークが自ら獣に取り込まれた事で、この世界との繋がりを通じて無理矢理にでも、こちらの世界に戻って来られないようにするためでもある」
赤い悪魔の数を減らす為でもあるが、とクロトは付け足すが、それにしたって尋常ではない。これをたった一人で抑え込んでいるのだから、彼が境界神と言う神の位階へと至ったことの意味を理解できると言うもの。
「……なんかもう、クロトさん一人で大丈夫なんじゃない?」
「ところがここで、一つ問題が発生していてな……」
「どういう事?」
レイの言う事も尤もである。あまりの無法ぶりに、もうコイツ一人でいいんじゃないかと誰もが思いかけたその時、クロトは沈痛な面持ちで首を振りながら、現時点での問題点を上げていった。
「結論だけで言えば、限定世界が持たない。理由は境界神の力の方が、限定世界を上回っているからだ。なので君たちには、当初の予定通りに戦って欲しい。というか、俺は世界の維持に努めなきゃならないので、直接戦えそうにない」
そう言ってクロトは、ユウリ達の方を向く。突然の宣言に誰もが驚き、何故なのだとその理由を問う。
「ど、どうしても無理そう?」
「……すまない。思った以上に、俺たちの持つ神剣や神器ってのは強大な物らしくて、邪神とメガセリオンが相手だと、それらも相応に力を発揮してしまうんだ。それがこの世界をも巻き込みかねない以上、外に出ないよう俺が抑え込むしかないんだよ」
ここに来てクロトと言う戦力が、直接戦えなくなると言う事態に、誰もが小さく落胆する。相手の数と、邪神を取り込んだことで強化されたであろうメガセリオンを相手に、五人で挑まなければならないのだ。
「直接戦えないとはいえ、魔法でのサポートはするよ。他にも使える手段は、多少はあるはずだ」
幾らそう言われようと、はいそうですかとはいかない。
自分たちが挑もうとする戦いの困難さに、誰もが少しばかり遠い目をするのは当然であった。




