カイト、転がり落ちて危機一髪
大陸の貿易港を拠点とする商人たちにとって奄美諸島は、まさに「宝の島」であった。
最大の理由は、良質な夜光貝の産地であることだった。
また、南島航路の補給基地としても、重要な意味を持っていた。
義宝は、そうした彼らの夢を実現した男として見られていた。
取引相手でもあったが、一方で「南島の富を独占するライバル」でもある。
さらに、もう一つの理由も存在した。
義宝が、奴婢の取引を妨害するからだ。
奴婢は、メイン商品の一つである。
唐や新羅に階級制度があり貴族がいるかぎりは、需要があった。
よって、密かに金主(後援者)となって海賊に、沿岸の村々を襲撃させていた。
カイトは、こんな斜面に街が作られたのか、ようやく理解できた。
ここは、敵から攻められにくいように考えられた街なのだ。
この辺りは海岸近くまで森や林が迫っており、道路も整備されていない。
加えて夜間の移動には、ハブに噛まれる危険性もある。
背後から大軍を率いて襲うことは、難しい。
街の前面(海側)に対して防備を固めておけば、人数が少なくても撃退できるというわけである。
しかし、守りやすい地形であっても、それなりの数の兵士が必要なはずだ。
「兵士を、どうやって養っているの?」
食料だけでも大変である。
「養ってないよ」
あっさりとした答えだった。
「あの人たちは、近所のおじちゃんや兄ちゃんたちさ」
「そんなバカな。
みんな兵服を着て、キビキビ動いていたよ」
とても民間人の動きとは、思えなかった。
ハンは、その理由を説明した。
この街と周辺に住む人は、約八百五十人。
住民は、戦時訓練を受ける義務を負っている。
非常時の行動から武器の扱い方まで、年に三十六日は訓練に参加しなければならない。
招集がかかったら、ただちに自分の所属する隊や持ち場へ駆けつける。
むろん専門の兵士が、いないわけではない。
徳義宝と家族、商団を守る護衛兵が五十三名。
巫女の館には、女性の護衛兵が十二名いるとのことだった。
当然のことながら、「武芸の達人ぞろい」であるという。
満潮時が近い。港近くまで降りていくことにした。
「近くで見たい」という好奇心からだ。
草が生い茂った斜面の棚にしゃがんで草陰から眺める。
曇ってっていて、どこから海なのかもはっきりしない。
ただサンゴ礁と波打ち際だけは、薄ぼんやりと浮かび上がって見える。
目を凝らすと、リーフの中に微かにきらめく舟の軌跡が見えた。夜光虫の仕業である。
忍び寄るように、ゆっくりと向かってくる。
数えてみると六つあった。
波打ち際のラインと、軌跡の先が重なった。
高台の防塁付近に、小さな炎が上がる。横一列に連なっている。
間を置かず、海へ向かって飛んだ。
火矢が、放たれたのだ。
突き刺さった火矢の炎に照らされ、舟の姿が浮かび上がった。
弓矢や刀剣を手にした男たちが、バラバラと舟から飛び出す。
盾を構えたり、浜に身を伏せたりした。
火矢は立て続けにヒュン、ヒュンと飛んでいく。
枯草の束に刺さって、燃え上がった。浜に準備してあったようだ。
敵は、半裸の男たちだ。頭に鉢巻、髭づらである。
盾を持ち、刀剣をきらめかせ、短弓に矢をつがえていた。
中段の木柵からも、矢が放たれた。
海賊たちは盾で防ぎながら、機会をうかがっている。
雲が切れて月が姿を現した。舞台照明が、点灯されたかのようだ。
戦場の全体像が、カイトの目に入った。
海賊が、前進し始めた。
カイトは、もっとよく見ようと身を乗り出した。
「アッ!」
転げ落ちてしまった。
止まった所は、まさに最前線であった。
身体を起こすと、海賊の一人と目が合った。
相手も驚いたようだが、すぐに剣が振り上げられる。
「やられる」
目をつぶった。
「ガフッ」
生暖かい液体が、顔にかかった。
そっと目を開けると海賊が胸を押さえ、倒れ掛かってくるところだった。
慌てて尻で後退り、背後を見た。
地中から人影の列が、立ち上がっていた。
壕に身を潜めていたらしい。
至近距離まで迫るのを待ち、短弓を斉射したのだ。
(助かった)
海賊たちは直近から矢を受け、バタバタと倒れていった。
さすがに状況を不利と見たのか、撤退し始めた。
再び舟に乗り込むと、沖の方へ逃走していく。
先には船が三隻、黒々とした陰影を見せていた。海賊船であろう。
そこへ別の三隻の船が、現れた。
海賊船の一隻に急接近し、滝のように火矢を浴びせかける。
船上の数ヶ所から火の手が上がった。
次々と海へ飛び込んでいく人影が見える。
船腹が触れ合うくらいにまで近づいた。
熊手状の鉄鈎が付いた麻縄を数本、相手の船に投げて胴体を寄せ、渡し板をかけた。
刀や短槍を片手に携えた十数人が、タン、タン、タンと勢いよく乗り込んでいった。
「ワアアッ――」
浜で、歓声が沸き上がった。
味方の兵士たちが両手を高く差し上げ、喜びを全身で表している。
海賊船は、逃げ去ったようだ。
カイトは、まだ自失茫然として座り込んでいた。
「だいじょうぶ?」
駆け寄ってきたハンが手拭いで、カイトの頭と顔をふく。
見ると、それは血で真っ赤に染まっていた。
恐怖心が込み上げ、今になって震えがきた。
「グフェ」
胃の内容物を、吐き出した。
「館に帰ろう」
ハンはカイトを抱えて立たせ、肩を貸しながら歩き出した。
朝になった。館に帰ってからのことは、ほとんど覚えていない。
港へ行ってみることにした。
砂浜には、戦闘の痕跡は、ほとんど残っていなかった。
しかし、岩場では、ベットリと流血の痕がついていた。
崖の下にムシロで覆われたものが、十数並んでいる。
「昨日、襲ってきた海賊だ」
背後から、声が聞こえた。
振り返ると、アマミコが立っていた。
二人の若い巫女が一緒だった。
巫女は、陶器のツボと小箱、そして、椎の小枝を捧げ持っていた。
「あやつらにも、家族や友人がいたはずだ」
アマミコの表情には、憂いがただよっている。
(襲ってきたのは、やつらだ。
自業自得だ)
そう思った。
「『あやつらが悪い。なぜ同情するのか』――。
そう思っているようだな」
カイトの方を見て、言った。
「……」
答えなかった。
(決まっているじゃないか)
アマミコの気持ちを測りかねた。
「カイトは、ものごとを『善悪』や『敵か見方か』で考えるのだな」
やわらかい語調ではあった。
「別に、そんなことはないですけど……」
口ごもってしまう。
非難されたように感じた。
「こちらへ来なさい」
アマミコが、手招いた。
おそるおそる歩み寄り、彼女の視線の先に目をやる。
護衛兵が、ムシロ(ワラなどを編んだ簡素な敷物)の端を次々とはねていった。
「うっ」
カイトは、思わず顔をそむけた。目を見開いたままの死体もある。
苦悶の表情を浮かべたままだ。
昨夜の海賊の断末魔の顔を思い出し、また吐きそうになった。
アマミコは小枝の葉にツボの水を注ぎ、シャッ、シャッと死体の顔から胸にかけて振り掛けていった。
傍らで巫女がしゃがみこみ、木片を重ね、火を焚き始めた。
乾いた香草を小箱から取り出し、もみ砕いてパラパラと投じる。
よい香りが、漂ってきた。
アマミコは、椎の小枝を砂に挿して立てる。
目を閉じ両手を胸の前で組み、しきりと指を動かし、唱え始めた。
この地にて 伏し倒れし者に申す
汝はそも 朝潮の若潮の
潮花の白露
汚れなきマブリ・タマスとして 寄せ来たり
汝は 吸いたる息の数 吐いたる息の数 幾多の縁を結び
人の世の甘水を飲み 苦水を飲み 歩み来たりそ
我は その歩みの思いを知らず 察するのみ
ただ道程に想いを馳せ 心を添わす
汝は いま 此岸における与命を満たせり
彼岸へ旅立つ刻限を迎えり
汝は 今生の古き業の衣を脱ぎ捨て 羽を広げる
七つ川渡り 七つ海渡り 七つ空渡り
遠き祖の家 やすらかなるクニへ渡れ
天空に満たる精霊たちに命ずる
穏やかなる風 さわやかなる風となりて
七つ川渡らしめ 七つ海ら渡しめ 七つ空渡らしめよ
遠き祖の家 やすらかなるクニへ運べ
急急如律令(律令に定めるように速やかに執り行うように)
厳かな声である。死者の冥福を心から祈る気持ちが伝わってきた。
唱え終えたアマミコは、静かに頭を垂れている。
しばし、沈黙の時間が流れた。
死体の眉間から、ピンポン玉くらいの光が浮かび上った。
それは金色のチョウのかたちとなり、羽ばたき、飛び立った。
その先には、朝の海と空が広がっていた。
死体に視線を戻すと、苦悶の表情が消え、目も閉じられている。
「さあ、行くぞ」
アマミコは、歩き出した。