8.花嫁候補の憂鬱
王城に着くなり、私は早々に自室へと案内された。師団長のレオがついてるからか、変に絡まれるようなことはなくてとても安心した。
「ルル、ここが君の部屋だ。何か必要な物があれば遠慮なく言うといい。」
必要な物なんて、これ以上にあるのだろうか。と部屋を一通り見回した思わず私は思ってしまった。
そもそも部屋自体が、私が三年間過ごしてきたあの部屋よりもずっとずっと広い。加えてベッドはふかふかしていそうだし、本が既にたくさん詰められている本棚もあれば、扉で隔てられた向こうには簡易的なキッチンもある。テーブルも椅子も、さすがは王城、豪華だけれど品があってセンスが良い。
思わずポカンとしていると、笑いを含んだ低音が上から降ってきた。
「気に入った?」
「気に入ったもなにも……すごい。」
私は素直にそう感想を口にする。私の返答は模範解答だったのか、レオは優しく頭を撫でてくれた。嬉しいけれど、その反面、なんだか子供扱いされているようだとも思ってしまう。その度になんだか複雑な気分になる。
不意に視線を感じてレオを見上げると、彼は優しく微笑んでいた。しかしその瞳の中に、僅かながら申し訳なさといった部類の感情が含まれているのを、私は見逃さなかった。
「レオ?」
「ルル、俺が今までみたいに、ずっとついててやれるのはここまでだ。なるべく様子は見に来るけど、四六時中ここにはいられない。」
「……うん、分かってるわ。」
分かってる。私は上げた視線を下ろしながらそう思った。視界に入ってくるのは純白の手袋。不安に微かに震えるその腕を、私は少し睨みつけた。しっかりしなくては。誰も傷つけないように、落ち着いていなくては。大体、19歳にもなって、色んなことに動揺する私がそもそもおかしいのだ。結婚適齢期ともいわれる同年代の貴族の令嬢はすでに皆、落ち着きと気品を手にしているだろうに。
純白の手袋ごと自分の腕を睨みつけていると、不意に頭に心地よい重みが加わった。レオの手が乗せられたということは、いつもそうされていた私にはすぐに分かった。
「ルル。だからそう一人で先走るな。君の側付きの侍女は俺が選んでおいた。人柄は保証する。君が侍女との付き合いで気を揉む必要はないんだから、彼女――リーザには気軽に接してほしい。君の安らぎ場所の一つとなるように。」
どうしてそんなに優しくするの。ううん、どうしてそんなに優しくしてくれるの。
私は少し泣きそうになった。顔を上げられなくて、涙を流すこともできなくて、ただ顔を歪める。身長とかそういったものは今まで気にしたこともなかったけれど、レオより低くて本当によかったとこの時思った。絶対にこんな顔見られたくない。
レオがリーザと小さく呼ぶと、自室の扉が音もなく開かれる。現れたのは、私よりも少し年上と見られる女性だった。リーザと呼ばれた、燃えるような赤毛と黒い瞳を持つ女性は、私を見やると深々とお辞儀をする。彼女の短めの赤毛が踊った。彼女の赤毛はレオの赤よりもずっと鮮やかで明るかった。
「お初にお目にかかります。ルル姫様付きの侍女という大役をいただきました、リーザと申します。誠心誠意務めさせていただきますゆえ、どうぞよろしくお願いします。」
「そ、そんな仰々しくなさらないでください。こちらこそ、田舎者で至らないことも多くあると思いますが、よろしくお願いします。」
私は慌ててお辞儀を返すと、リーザは笑った。先ほどまでの丁寧さが少しだけ成りを潜めて、快活な表情を見せてくれる。そんなリーザの様子に、私は少しホッとした。
「実は私、姫様とはお歳も近いことですし、お仕えするのを楽しみにしておりました。私が!腕によりをかけて!姫様のお世話をさせていただきますからね。」
「え、ええ。ありがとう。」
「歳が近いって一体いくつサバ読んで……いやいい。とにかく、リーザは俺の従妹なんだ。俺が側にいてやれない時で困ったことがあれば、遠慮なく彼女に言うといい。人柄は保証する。」
「本当に何から何までありがとう、レオ。」
リーザの熱い思いを受けて、少しタジタジになりながらも、私はレオに心からのお礼を述べた。レオは相変わらず優しく微笑んで、頭の上に手を乗せてくれる。そのおかげで、不安にひどく揺れていた私の心は少し凪いだ。
華美なこの王城の装飾は全て、私の劣等感を刺激する。いくら品の良い調度品とはいえど、私にはあまりに豪華過ぎた。王城のもの全てが美しく、洗練されているものだから、色素の薄い私は霞んでしまうのだ。この自室に来るだけでも、実はなかなか苦痛だった。
王城の廊下の絨毯は、高級な赤色でふかふかしていた。その上を歩く、全体的に色素の薄い、華やぎに欠ける私。さすがに滑稽すぎる。
東の離宮であるこの建物の自室に案内されるまでにも、凄まじい好奇の視線を浴びた。好意的な視線など一切ないことは、さすがに鈍い私でも重々承知していた。テナの村でもサフォーの街でも、ここまであからさまに無遠慮な視線を向けられたことはなく、私は戸惑うことしかできなかった。
先ほどのお礼と共に、私はこういった考えを振り払った。考えないわけではない。ずっと頭によぎっている。けれど、花嫁候補となってしまった以上は文句を言うわけにはいかないし、ここは私の踏ん張り所なのだ。いつまでもレオに頼りきるわけにはいかない。
その決意を敏くも気づいたのかはわからないが、レオは頭に乗せていた手を優しく浮かして、同様に優しく落とすという動作を何度か行った。ポンポンとリズムよく叩かれているうちに、少しの元気と勇気が湧いてくる。
「ルル、仕事が少し落ち着いたら、王都の高等魔術師に会いに行こう。」
私はその優しい声にハッと息を飲んだ。あの何気ない旅路の口約束。それをレオはきちんと覚えていてくれて、しかもその約束を守ろうとしてくれている。
「……うん、待ってる。」
私は短くそう答えた。お礼はこの約束が果たされた時に言おうと思う。私もなかなか傲慢になったものだなと、自嘲せずにはいられなかった。
私の胸の奥にある、小さな気持ち。一度頭を柔らかく撫でて離れていく、私よりも大きく頼れる手を惜しいと思う気持ち。私は蓋をするかどうかで揺れていた。揺れる私を何度も振り返りながら、レオは扉の向こうに姿を消した。脆いけれど私にとっては支えになる再開の約束を一つ残して。
* * * * *
レオが退室してから、リーザは私に座るよう勧めてくれた。それに甘えて私がテーブル席に腰を下ろすと、リーザは紅茶を入れてくれる。一口飲んでみれば、やはり侍女、絶品である。私が淹れた紅茶など足元にも及ばないことがよく分かる一品だった。
ホッとしながら紅茶に口をつけていると、リーザはその隣に立って、口を開く。前半は紅茶についての説明があり、そちらもとても興味深かったのだが、これからのことや様々な決まり事についての説明があると前置きされては、意識の多くが後半に向いてしまうことは仕方ないことだと思う。紅茶のあれこれについては、また後ほど詳しく聞こう。
「さて、まずはここのお決まり事についてご説明させてもらいますね。とにかく1番大事なことは、この東の離宮から出ないということです。花嫁候補様に危害がないための安全対策ですので、自由はかなり制限されてしまいますが、どうかご了承下さい。」
仕方ないといえば仕方ないことであるから、私は素直に頷いた。レオとの約束はどうなるのだろうと内心首を傾げていたが、続く話によると、絶対に外出できないというわけではないらしく、正式に外出許可を取れば良いらしい。ただ、花嫁候補はあまり外に出ないのが慣例とのこと。私たち花嫁候補は竜王様のためにきているのに、ほいほい外出するのは外聞が悪いということなんだろうと思う。
ちなみに東の離宮内の移動範囲は分かりやすくしてあるらしく、行動範囲の終わりには目印としてバラの植木があるそうだ。赤バラの植木より外側には行ってはいけないとのお達しだそうである。
「次に今後についてですが。花嫁候補者様には、二週間毎に催されます、舞踏会もしくは午後の茶会に出席していただかなくてはなりません。差し迫っての催しは、一週間と二日後の舞踏会になりますね。」
う、と声を詰まらさずにはいられなかった。まさか王城まで来て、サフォーの街の時と同じように、誰とも関わらずひっそりと暮らすなどとは到底できないとは分かっていたものの、やはり少し怖気付いてしまう。しかも初めての社交界デビューが人との接触が多いと予想される舞踏会である。私は思わず純白の手袋で覆われた両手を握りしめた。
一週間と少しの間に覚悟を決めなければなるまい、と私は真剣な面持ちで頷いた。リーザがレオからどれくらい私のことを聞かされているかは分からないが、少しリーザが気遣うような視線を投げてきたため、大丈夫だと笑みを返した。
「それでは、最後に花嫁候補者である期限についてです。花嫁候補者であることができるのは、原則として半年と定められています。しかし、陛下からの要望があった場合には例外として期限が延長されたり短縮されたりします。」
この話は、私が最も聞きたかったことでもあった。どの程度ここに滞在しなければならないのかは、知っておく必要があると思っていたのだ。ちなみにリーザの話では、表向きは半年という期限があるそうだが、これはあまり守られたことがないという。基本的に竜王様がもういいと言って、実質はその半分の三ヶ月内に終わることの方が多いのだとか。
とにかく、長く見積もっても半年、つまり六ヶ月。それだけの時間を滞りなく過ごせば、私はフィルドの地に戻ることができるという計算だ。そうしたら、わだかまりがなくなったあの家で、もう一度、今度は関係を違えることなく過ごせていけるはずだ。そして帰ったら旅に出てみるとも決めている。私は六ヶ月後がとても楽しみだった。
私がここで竜王様に捧げることができるのはこの忠誠心だけ。敬愛する竜王様はきっと、ゆっくり時間をかけて素晴らしいお妃様を娶られる。私がこの場にいるのはとてもおこがましいことだけれど、でもやっぱり、とても名誉なことだと思う。ここにいる間は、竜王様にとても近くから忠心を捧げることができるもの。
私は少し誇らしい気持ちになった。私の頬は自然と緩んでいき、リーザもその様子を見て微笑んでくれる。しかしすぐに、「あ。」と声を漏らしたので、私は何事かとリーザを見つめた。
「申し訳ございません。一番大事なことを最後に言おうと思って、すっかり忘れておりました。これも慣例なのですが、花嫁候補者様は到着から三日後、陛下に謁見しなくてはならないのです。」
「……え。」
「やだわ、私ったら、こんな大事なことを言い忘れるなんて。そういうわけですから姫様、お心の準備の方だけ、お願いしますね。おめかしの方は私たち侍女にお任せ下さい!」
え、以外の言葉が出てこなかった。熱の入ったリーザを前に、私はただ呆然としていた。頭が全くついてこないのだ。――竜王様に、会う?
先ほどまでの誇らしい気持ちは何処へやら、私は頭がようやく追いついてきた途端、激しく動揺した。何せ、私の中で竜王様は絶対不可侵で、私のような者が竜王様に会い、言葉を交わすことなど不敬罪に値するほどおこがましいと思ってしまう崇拝っぷりなのだ。竜王様は神に近い存在で、"会う"などとは考えたこともなかった。
あまりの動揺にガタン、とテーブルを揺らしてしまい、私は慌ててカップを押さえる。幸いにも、中身はそんなに残っていなかったため零れはしなかったが、私はふと自分の手に視線を落として、スゥと心が底冷えするのを感じていた。純白の手袋があるその意味を、私はもちろん忘れてなどいない。
――会えない。会いたくない、あの方にだけは。
もちろん私程度の力よりも竜王様が持つ魔力の方がずっとずっと強いのは分かっている。この力が竜王様を害することなどできるはずもない。だがしかし、そういう問題ではないのだ。
名誉ある花嫁候補者の中に、このような欠陥品がいるということ。そして万が一にも竜王様の前で粗相をしてしまった場合、不敬、最悪の場合は暗殺者の嫌疑を掛けられるかもしれない。とにかく王城に於いて、何かしらの醜聞になるとか、迷惑をかけてしまうことは間違いなさそうだ。
リーザの心の準備という言葉が、重くのしかかってきた。期限は三日。三日後を迎えるまでに、私はこの不安を払拭することができるだろうか。当日竜王様を前にして、粗相をしないだけの精神を養えるだろうか。
暗雲が立ち込めていく私の心。それにすぐに気がついたリーザは、私の顔を覗き込むように屈むと、気遣うような声を向けてくれた。私を見据える黒の瞳は心配そうに揺らいでいる。ウェーブの掛かった燃える赤毛が、彼女の首元でふわりと踊っていた。
「姫様、大丈夫ですか? あまり気張らないで下さい。陛下はとても素晴らしい方と伺っていますから、心配ございませんよ。」
「ええ、分かってるわ。よく分かってる。ごめんなさい、取り乱して……。」
私は侍女から視線を外して立ち上がった。申し訳なかったけれど、リーザに片付けの方をお願いをする。彼女は「もちろんでございます。」と快く引き受けてくれた。それに感謝の笑みを返して、私は少し疲れたからと与えられた寝室に下がる。
私はベッドに近寄り、サラリとした白いシーツを撫でる。とても肌触りが良くて、ここは王城なのだと思い知る。着替えることも忘れて、私はベッドに倒れ込んだ。ふかふかのベッドは私を優しく迎え入れてくれる。
長くて六ヶ月、そう考えてゾッとした。私はいつまでこの力に怯えて暮らさなければならないのだろう。せめて、上手な付き合い方を学べればいいのにと思わずにはいられない。
ふかふかのベッドに身を預けながら、私は虚空を見つめて思う。腐りそうだ、と。六ヶ月は長すぎる。何をするでもなく、自室に籠もって本を読み、夜が来たらこのベッドで寝るだけの生活が待っているのだとしたら。想像するだけで恐ろしい。けれど動くには、この手袋に隠された力が邪魔をするし、貴族ならではの馴れ合いも上手くやっていけるかと問われれば、おそらく否と答えるしかない。
よくも領主家であんなにも長い間あの生活が出来たものだ。腐りかけていた私に風が通ってしまった今、つまり外の世界を知ってしまった今、私はもう狭い世界に戻れない。知らなかった頃には戻れないのだ。
私はそんな考えに耽る内に、いつの間にか眠りについていた。真っ暗な世界の中、夢は何も見なかった。朝が来て、何の感動もなく目覚めると、私はサイドテーブルに置かれた白い封筒を見つける。送り主がレオだと分かると、私はすぐに封を開いて内容を確認した。
"重要な仕事は今日で終わらせるから、明日王都魔術師に会いにいこう。"
とても簡潔な内容だったけど、私にはこの上なく頼りになる手紙だった。約束がこんなにも早く果たされることに若干の不安は覚えるけれど、それは言っても仕方のないことだ。少しの間手紙を胸に抱いた後、それを畳もうとして、その時私は文面の下の方に小さく追伸が書かれているのを見つけた。
"リーザがとても心配していた。頼れと言ったはずだけど、忘れてしまったのだろうか? 明日は君が俺に頼ってくれるよう祈っている。"
思わず目頭が熱くなって、視界が滲んでいったが、私は涙を流すことを必死で堪える。リーザには心配をかけた申し訳なさと、気遣いの有り難さの気持ちでいっぱいだ。
夕焼け色と、燃える炎の色を瞼の裏に浮かべながら、私は小さな声でお礼を述べた。風に攫われて、その声はすぐに空気に溶けてしまったけれど、感謝の気持ちだけは風に乗って届けばいいと私は少しの間宙を見つめて願っていた。
――二人に会えたら、心からのありがとうを言おう。願うだけじゃなくて、きちんと言葉にもしよう。
まずはリーザからかな、と私はベッドから起き上がり、温かい気持ちで寝室の扉を開けた。その音を聞きつけて、すぐにおはようを笑顔でくれるリーザに、私は心からのありがとうを言ってみたところ、リーザは一瞬目を見開くと、とても嬉しそうに微笑んでくれた。その微笑みは、私の心をとても温かくしてくれたのだった。




