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芸ノ譚 ー灰に舞う琴音ー  作者: 宮山悠
第一章 布石ノ盤

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第一話 火ノ海

約5ヶ月前に「芸ノ譚ー弦は盤上に堕ちいてー」を投稿しましたが、今回は世界観はそのままに、物語を少しグレードアップしました。投稿は不定期になります。完結までには、数年かかってしまうかもしれません。私にとってはじっくり取り組んでいきたい長編作品です。どうか温かく見守っていただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

この国では、子が生まれると、その身に一文字の「芸」が刻まれる。


それは単なる技量ではなく、運命そのものを形づくる天賦の証だった。


生まれた瞬間に、額や胸、手の甲、背中――どこかに赤く淡い光を放ちながら、一文字が浮かび上がる。


「修」「香」「詩」「筆」「鼓」「医」「笛」「術」……さまざまな芸が、赤ん坊の肌に宿る。その文字は生涯消えることはなく、人を宿命の鎖に繋ぎ止める。



いとが生まれたとき、彼女の胸に浮かんだのは「琴」の一文字だった。


彼女は王都から遠く離れた南橋村で暮らしていた。静かで、貧しく、穏やかな場所だった。


五歳の頃、川辺で母の古い琴に触れただけで、澄んだ音が響き渡った。

胸の「琴」の文字が、初めて淡く輝いた瞬間だった。


村の子どもたちは最初は驚き、次第に嫉妬に変わった。

「弦の音だけがきれいだなんてずるい」と石を投げ、弦を切り、胸の文字を指でなぞって嘲笑った。

弦は次第に琴を隠し、触れなくなった。

文字がくすむのを感じながら、音を出すのが怖くなった。


六歳のとき、病がちな母を抱え、弦は葦沢村へと移った。

そこで白髪混じりの灰爺と出会った。

長い髭をたくわえ、灰色の粗末な袍をまとい、腰に小さな煙管を差した老人だ。

穏やかな目で煙をくゆらせながら話すのが、彼の癖だった。

かつて王都で商人として働いていた灰爺は、夜毎に弦を膝に乗せて語った。


「王都はな、夜でも昼のように明るい。提灯がずらりと並び、宝石みたいにきらきらしている。危険だけど、美しいよ。まるで炎のように」


ある秋の夕暮れ、弱々しい母が言った。


「弦の琴が、聴きたい。最後に、一曲だけ」


弦は震える手で埃をかぶった琴を引っ張り出し、弦を調律した。

胸の「琴」の文字が、久しぶりに薄く光った。

母のベッドの傍らで、古い子守唄を弾き始めた。

指が震え、低い音が部屋にゆっくり広がっていく。母の顔に笑みが浮かんだ。


一曲が終わると、母は静かに目を閉じた。息が止まっていた。

弦は琴を落とした。胸の文字が焼けるように熱くなった。

――私の音が、母を殺した。


十二歳の秋だった。

それ以来、弦は琴を憎み、胸の文字を呪った。文字はくすみ、時折鈍い痛みを伴うようになった。


灰爺はいつも優しかった。煙管をくゆらせながら、弦の頭を撫でてくれた。ある日、彼は目を細めて尋ねた。


「どうして一度も琴を弾かんのじゃ?」


「下手だから」


「芸は宿命じゃよ。芸がなきゃ生きられん」


弦は即座に言い返した。


「私は証明してあげる。芸がなくたって、生きていけるって」


十八歳の秋、弦が水を汲みに山の奥へ向かった。

遠くから薪が爆ぜるような音が聞こえていたが、気に留めなかった。


夕暮れに帰ってきたとき、葦沢村は火の海だった。

藁葺きの屋根が一斉に燃え上がり、炎の舌が空を舐め、黒煙が渦を巻いていた。

老人の叫びは炎の轟音にかき消されていた。熱風が頰を焼き、煙が肺を刺す。

胸の「琴」の文字が、熱で再び激しく疼いた。


弦は炎の中に飛び込んだ。血まみれの灰爺が立っていた。

彼は弦の背中を強く押し、布袋と着替えを投げつけた。


「お金と服を全部持っていけ! 逃げるんじゃ!」


灰爺の目が、炎の中で最後に優しく笑った。


「わしに証明して見せろ。芸がなくたって生きていけることをな。見てるよ」


次の瞬間、崩れ落ちる梁が灰爺を飲み込んだ。


「灰爺っ!」


弦の叫びが夜に響いた。

何をしても火は広がるばかりだった。

焦げ臭い煙、焼ける肉の匂い、皮膚がちりちりする熱。

怒り、悲しみ、絶望が一気に溢れ、弦は膝をついて過呼吸になった。


火は夜通し燃え続け、漆黒の空を赤く染め、星さえ隠した。


朝、弦はゆっくりと立ち上がった。

胸の「琴」の文字が、くすんだまま疼いていた。灰爺の最期の言葉が、胸の奥深くに刻まれている。


「皆の分まで、生きるよ。灰爺、証明してあげるよ」


炎を背に、弦は振り返ることなく歩き出した。

足元に落ちた灰が、風に舞った。


王都を目指して。

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