第2節 8章再会編Ⅱ-Ⅳ
傷だらけ、ボロボロになった2人は酷い息切れをしながらも墜落を始めたハルピュイアを望む
「悔しいけど、わたしには無理よ。」
「任せろ。」
「そんな体で無理よ。」
「闇の魔法使いを舐めるな。これくらい!」
ゲンジは手に握られた剣を手放すと、再び槍が発現する。
「ゲンジ君!!!」
ゲンジは後ろに控えていたであろうエレーナの声に呼応し、振り返った瞬間槍の軌道を変え、その切先を向ける。
その刃の先、音も気配もなくゲンジの背後には翠色の髪をおろしたエラが立っていた。
最悪のタイミングだと、誰もが思った。
流石のゲンジをしても、これ以上剣聖を相手にあの大きな魔物を対処する手立てはない。
しかし、ゲンジはその少女に情景反射的に襲い掛かろうとした瞬間、その帯の下に少女は軽い笑みを浮かべる。
エラは目元や手元、耳元を隠す白いレースの布や耳当てをこちらに歩きながら取っていくと、その爽やかで美しい緑とは異なる翡翠色の片目と真っ赤な赤眼のオッドアイがゲンジを望む。
「何の真似だ。」
「私がやる。
これは、剣聖の始末。」
ゲンジはその槍を下ろすことなく、その少女と交差する。
「ゲンジ、貴方と戦いたくない。」
「信じられる訳がない。」
「ずっと見てた。ゲンジは、いい人。妖精さんも言ってる。
今度は、私の番。」
エラはどこからともなく薄い帯のような長刀を発現させると、後ろに構える。
綺麗なオッドアイが輝き、強い眼差しに変わった途端、目が充血したように薄いピンク色に色づきはじめる。
呼吸が荒くなり、手の震えが止まらなくなる。
その震える手をそのままに後ろに構えた長い剣を低い体勢に構えると、その鈍色の鉄が赤い空に不気味に光り輝く。
震えが少しずつ収まり、時が静止してしまったような錯覚を覚える。
震えが止まり、静かな呼吸音だけが体を満たす。
吸って、吐いて、吸って、吐く。
規則正しいその鼓動は後ろに立つゲンジだけでなくシャルロット、さらにその後ろに立つ者達にまで明確に轟いていた。
「一刀。静かなる朝露の如し。ディバインオーダー。」
少女はそのあまりにも大きな怪鳥に向かい、目にも止まらぬ速さで剣を振り下ろす。
当たるはずもない圧倒的な距離。
圧倒的な体格差。
しかし、ゲンジだけはその相貌に強い光を宿した。
虚空が裂け、大きな実態が真っ二つに音もなく分断される。
裂け目から蝶が飛び去るようにして灰のような切れ端が虚空へと飛び立っていくとやがてその姿は音もなく消失していってしまった。
その途端、ゲンジの前にいたエラは音を立てて地面へと片足を突いたまま崩れ落ちると、手は腫れ上がり、喉は赤く、目からは血が零れていた。
ゲンジはそれに近付こうとしたその瞬間、目の前に飛び込んでくる影を切り裂く。
切り取られた半身が地面に飛散し、鮮血を上げる。
奇怪な人面鳥が地面へと落ちているのを見ると、次々と襲いかかるそれを魔法で切断していく。
「こいつら、親の仇のつもりか。」
鳥のように羽ばたき、地面に落ちた剣聖を次々と狙う魔物達は一つ、二つとその数を徐々に増やしながら、街の至る所から一直線に突っ込んでくる。
斬り伏せても、斬り伏せても、斬り伏せても、それは飛び込んでくる。
いくらなんでもこんなにも至近距離で非戦闘員を抱え、大魔法を行使することはできない。
後ろにいるのがせめてペトラ達だけであれば魔法で防衛することも可能だろうが、それさえもできない。
「芽亜利!」
「ブラッドリーベッセル!!」
ゲンジは咄嗟に腕を斬ると、鮮血が跳ね上がり糸を結んでいく。
糸状のそれは貫通するのではなく、網目状に広がっていくと、突っ込んでくる鳥達が次々と捕まっていく。
ゲンジは間髪入れず、血の滴るその腕で黒剣を抜くと一閃、血の網はその小さな糸の至る所が放射状に弾かれると、それに触れていた肉がバラバラに砕け散る。
ゲンジは激しい痛みに思わず腕に視線を落とすと、止めどなく鮮血が溢れ出したまま床に赤の斑を生み出していた。
「ゲンジ様、これは少々...」
ゲンジは視線を前に向けると、顔を顰める。
怪鳥は群れをなして飛び上がり、黒い雲のようにしてこちらを望んでいた。
羽音が空気を揺らし、視線が降り注ぐその量は裕に万を超える勢いで集結していた。
「最悪だな。」
この際、数人程度の犠牲を出しても、致し方ない。ゲンジの思考にその決断が下されたのはわずか1秒にも満たないその時間。
人面鳥の波が城の目前まで迫った瞬間。
「フォルクロア...
「「オウン・ヴィットーリエ!!!」」
目にも止まらぬ速さで飛んできたそれは、凄まじい破壊音と爆風の雨をゲンジ達に向かって降り注ぐ。
芽亜利は手早く先程まで展開していた血の結晶を集結させると、真っ赤なドームが展開された。
すぐさまその雨は治り、ゲンジ達が再び空を見る時、それは血のような赤から元の青を取り戻していた。
ゲンジはその攻撃の主の方へと背後へと視線を向ける。
「ヴィットーリアさんとうちゃーっく!!」
長い白髪を腰のあたりまで下ろした美しいその女性は白銀と金の装飾が施された弓を手に持ちながらゲンジを見つけるや否や楽しげにピースをしながらウィンクを贈った。
なんとも気の抜けるような緊張感のないその振る舞いにゲンジは思わずため息を溢す
ヴィットーリアは坂の下を振り返ると、そこには今追いついたであろう兵士たちが根を上げ、坂でへばっていた。
「遅いわよー!
はい!まずは街にいる逃げ遅れた人たちを探し出して報告と状況の把握よ。
そんなとこで寝てないで、行った行った!!」
ヴィットーリアはその手に握られた弓を虚空へと手放すと、ゲンジの目前に迫るとご機嫌なような笑みを浮かべる。
ゲンジの体は剣聖達の戦いの中にボロボロにされたもののすでに怪我は塞がり、残す腕の傷の滴りが残っていた。
「よくできましたっ!」
鼻腔を擽る甘い匂いが目前に広がると、ゲンジは予想だにしなかったヴィットーリアの抱擁にされるがままになってしまう。
「離せ。」
「ごめんなさいね、よくやってくれたもんだから、嬉しくって。」
「状況は最悪だがな。」
「それも含めて理解してるわ、まさか、剣聖に早速見つかるとはね。」
「引き継ぎが終わったらすぐに撤収する。」
「ええ、手配するわ。
あー、そうそう。例の件もバッチリ用意してきたわ!」
「そんなことはいい。まずは手当が先だ。」
「はい、はい。
ここは引き継ぐから、貴方は少し休んでなさい。」
兵士たちが避難民や傷ついた兵士たちの手当てを始めた頃、手に握られた槍を虚空へ放つと崩れた城の瓦礫を進んでいく。
「まるで、今の俺たちみたいだ。」
ゲンジは後ろに立つその存在を一瞥することもなくそう言い放つと崩れかけの一室にたどり着く。
一見神秘的で、退廃的な一室。
中央に玉座のあるその気高い椅子をゲンジは軽く埃を払うと腰を下ろす。
空から金色の光が崩れかけのコンクリートを通過し、斑に部屋を照らす。
「どういうことよ。」
「殺して、殺して、殺して。
都合の悪い存在を消し去った後に、何が残った。何が残せた。」
「それが、統治するということよ。」
「それはお前の世界だけだ、シャルロット。
お前の玉座がいくら血塗られようと、憎しみに、痛みに満ち溢れようと、知ったことではない。
だが、俺はこの国に。何を残した。連合小王国の反感を買い、国内に蔓延る勢力を力で排除した。
その結果がどうだ。俺は俺の因縁と引かれあい、お前もその戦火に追われ、あまつさえあの少女は親の仇と出逢った。
全ては、俺の因縁でもあり、お前の因縁でもある。
そうだろ。」
シャルロットはゲンジの前に立ち尽くし、俯くほかなかった。
「この玉座は、この街は。俺達の関与は必要ない。」
「なら、どうするつもり。それこそ、破壊し尽くして新たな苦しみを生み出すだけよ。」
ゲンジはそれを笑いで返す。
「今のアンリエッタなら、心配もない。」
「何を根拠に...」
「俺が山賊を殺した日のことを覚えているか。」
「ええ。」
「屈強な男達が、次々と殺された。
殺したのは俺だが、アンリエッタにとっては見るも無惨な地獄のような光景だった筈だ。
それでも、彼女がその視線を外すことも、泣き叫ぶこともなかった。」
「こんなことを認めたくはないけど、今のアンリエッタには貴方が必要なはずよ。なんのつもりで、貴方はあの日あの子にとっての全てを壊したの?
私には、両親の面影を追いかけ続けるあの子を止めてあげられなかった。
一方的な恨みではあったけれど、クロセスフロストを殺したのは、私でもあるわ。
貴方を仇と呼ぶなら、私もまた仇よ。
こんなこと言いたくないけれど、あなたはそのタブーを破った。
あのこの作り出した虚構の世界に踏み入って、醜い現実を突きつけたのよ。
それを今になって、それもこんな形であの子を1人にするつもり!?」
ゲンジは王座の足元に視線を落とし俯く。
返す言葉もないほどにシャルロットの言っていることは正しい。
だからこそ、ゲンジの心に深い影が落ちる。
「俺はこれ以上あの子に何をしてやれる。
アンリエッタからの行為も、信頼も全ては大きな嘘の上に成り立っていた。
今更俺にできることもなければ、あとはあれ自身が、どうするかだ。」
「それじゃあ、貴方はあの子に恨まれてもいいの?」
ゲンジはその問いかけに鼻で笑う。
「今更そんなもの、俺が気にすると思うか?」
ゲンジとシャルロットの間にただただ静寂だけが流れていく。
空はこれ以上のない快晴の中、柔らかな白い雲が浮かぶ。
広大な大地に雲の影が落ち、風が吹き抜ける心地よさに似合わない、深みのあるそのなしの沼が、2人の包んでいた。
そして、2人は、新たに来たる者達に視線を移した。
「やっぱり...シャルロットさん、知ってたんだ....」
「貴方達...どうしてここに。」
肩で息をするそのもの達は、シャルロットと奥にいる黒に包まれた男の姿を視線で往復させるとそう問いかける。
この世界に似つかわしくない柔らかな雰囲気を放つ少女と、蛍光色が目立つ少女。
その手に片刃の剣を握る少年と、後ろに控えるものと、その横に立つ目の上に輪っかをかける者。
「ミーシャは何処ですか?」
「ミーシャちゃんは手当てしてもらってる、酷い怪我みたい。」
「やっぱり、シャルロットさんは源二と関わってたんだな。この人、俺たちのこと騙してたんだ!そうだろ!」
「私は騙してなんか、」
「じゃああんたの後ろにいるやつは誰だよ!
なぁ源二、一緒に帰ろう!今の俺たちなら、きっと皇帝も認めてくれるって、なんなら、みんな集めて...」
正吾はひたすらゲンジの方を見ながらそう訴えかけてくるものの、姿、雰囲気がすっかり変わってしまったかつての友人はただ俯いたままその雅な王座のある影に収まったままだった。
「源二君!」
栗色の柔らかな印象を受ける1人の少女が涙ながらにゲンジの元へと駆け出す。
シャルロットはそれを静止することもできず、ただただ立ち尽くす。
ずっと会いたかった。パラトスで再開したあの日から。
召喚された日に、ずっと寄り添っていてくれた。いや、元の世界から、幼い頃からずっとそばにいてくれたかけがえのない存在に、疲労に全身の筋肉が強ばり、不安定な足元にもつれそうになるのを堪え、ゲンジのいる影へと入ると、その手をゆっくりと差し出す。
「行こ。源二君。帰ろ?」
鏡花はそう言って笑いかけると、堪えきれずに溢れた一粒の涙が、頬を伝う。
「ゲンゲン!」
「源二君!」
「源二!」
そこにいる見ながらそう呼びかける。
次の瞬間、その差し出された手は無惨にも音を立てて払い除けられてしまった。
鏡花は驚きのあまり地面へと勢いそのままにヘタレ込むとシャルロットはその痛ましい光景から目を逸らすようにしてそっと目を閉じ、眉を顰めた。
「貴様は誰だ。」
その信じ難い一言に誰もが戸惑い、目が震えだす。
その中で1人、正吾は突然にシャルロットに視線を戻すとその声に涙を含ませながら叫びだす。
「お前、源二に何してたんだよ!返せよ!俺たちの源二を!返せよ!」
「正吾...」
隣にいたもう1人の少女、佐伯が正吾の背中をさすりながら宥めるもののかえってそれは新たな激昂を生み出させるに過ぎなかった。
「やめろよ!おい、お前が源二をおかしくしたんだろ!殺してやる、お前なんて、殺してやる!」
「黙れ。」
ゲンジはゆっくりと玉座から立ち上がると、影から歩き出し、瓦礫を踏みしめ、先頭に立つ龍弥達の元までやってくる。
龍弥達にしてみれば、久しぶりのゲンジの顔も、随分と大人びた雰囲気を感じつつもその下にある狂気の深みに額がじっとりと湿り出す。
これまで見たはずの、かつての源二の姿は殆ど残っていなかった。
姿形は似ていても、全くの別人、別物のような風格だった。
体からは血が流れ出たあとなのか、返り血を浴びたように血塗られ、眩暈がするほどに戦いの匂いに満ち溢れていた。
「ここは子供の遊びに来るところじゃない。命が惜しくば帰れ。」
ゲンジは正吾たちとすれ違うと、ゆっくりと歩き出す。
その刹那、重みのある風を切る音があたりを覆い尽くす。
誰もがその光景に唖然し、硬直する。
その音の正体である龍弥はその手に握られた固有武器を一切の迷いなく勝手の友人に振り下ろした。
殺すつもりはなかったといえば嘘のように聞こえるが、この際なりふり構ってられない状況と、これほどまでに愚弄されことに対する怒りが爆発したのだった。
「下らない。」
龍弥の追っていたはずのゲンジの背後はその両手から放たれる鈍色の軌道にかかった瞬間水に墨を垂らしたようにその存在が虚になると自分の背後からいつも聞きなれたはずの声が耳を刺す。
龍弥は思わず後ろを振り向き、唖然する。
「どうやって...」
「次はない。今はお前達のくだらない戯言に付き合ってる暇はない。」
ゲンジは再び龍弥とすれ違うものの、二人の視線は一切交差することはなかった。
二人の距離が少しずつ離れていく中、龍弥は振り返ることなく言葉を紡ぎ始める。
「戯言なんかじゃねぇ。鏡花が、佐伯が、正吾が、西宮がどんな思いで、ここまで来たか分かってるのか!?」
その心の声は虚しくも崩れ落ちた城の瓦礫に吸い込まれていく。
龍弥は悔しさに奥歯を噛み締めると振り返り剣を再び構える。
「駄目だ!龍弥君!!」
龍弥のさらに後ろ、鏡花達の中にいる一人の生徒、西宮和が物静かな性格にも関わらず咆哮する。
その途端、その静止の意味を返すように、時の鼓動が静止してしまったように、空から雨が降ったかと思うと、それは地に落ちることなく規則正しいその美しい球体を保ったまま虚空に収まる。
「センジン・ウカノミタマ...」
僅か一呼吸、一秒、一刻にも満たない、その刹那の虚空を一つの光が駆け抜ける。
音を抜き去り、ゲンジを視界から抜き去ってしまいそうになるほどに窮迫する。
殺したくはない。ただ、自分の中にある何かが。
召喚者だから、同郷だから、友達だから、同郷だから。
今はただ目の前にいる馬鹿野郎に目に物見せてやりたい。目を覚まさせてやりたかったのかもしれない。
そんな思いが、龍弥の神速に轟く一撃をより加速させる。
「源二!!!!」
しかし、その神の如き一撃は見るも無惨に音を立てて崩れ落ちる。




