1.頭のイカレた世界
その日は、俺はスマホのアラームに気づかなくて寝坊した。
目が覚めたときには時計の針は七時五十分を指していて、慌てて布団から飛び起きる。
どうしても信じられなくて、枕元で充電していたスマホを掴んで画面をのぞき込んでみたが、どう見ても七時五十分だった。数分おきにセットしたアラームが全て切られている。俺がやったのか。
全くアラームの音が聞こえていなくて、気付けば電車に乗っているはずの時間だった。
その事実に愕然としながら、自分の愚行に腹を立てながら、しかしもう着替えて出なければならない。一刻を争う。
俺は朝のシャワーも浴びることなく髭を剃るのもあきらめて、すきっぱらをかかえてマスクをつけると、適当なシャツにスーツを羽織って鞄を掴んだ。
いつもなら朝のニュースを流しながらコーヒーとトーストを食べて、シャワーを浴びてから着替えをして七時半きっかりに部屋を出る、そういう生活だったのだが、この日ばかりは、おそらく昨夜ゲームに没頭して少し寝る時間が遅くなったからだろう、寝坊してしまったようだった。
俺は慌てて革靴を履き終えると、頭の中で上司にする言い訳をこねくり回しながら、扉を開けて部屋から飛び出した。
階段を一段飛ばしに駆け下りて、オートロックの扉が開くのをもどかしく待って、歩道へと飛び出す。
天気は快晴。
五月の陽気はうららかで、暑くも寒くもない丁度いい気温だった。いつもの朝であれば、青空の広がるこの陽気に気分も弾んだだろうが、この日ばかりは、そんな余裕もなくて、慌てて駅までの道を駆け出した。
駆け出すつもりだった。
俺は目の前を歩く誰かの後ろ姿に、目を奪われる。否、度肝を抜かれて走り出すのも止めて立ち止まった。頭が混乱していた。
俺の目の前では、男が歩いていた。風を切る様に堂々と、なんら心にやましい者などないと言う風に、きびきびと歩いている。
その後ろ姿が目に入った。
それだけならば、何も気にかかるような状況ではなかった。
俺は自分の目がどうかなってしまったのか、はては寝ぼけているのかなと思って、二度三度と瞬きをした。それでも現実は変わらなくて、俺は右手で目をこすった。
俺の視力は左右ともに悪くない。眼鏡もコンタクトレンズもこの方必要としたことなどなかった。
だから、今俺が見ている世界はいたって正常のはずだった。
しかし、明らかにおかしいということにすぐに気づいた。
俺は左右を見渡す。
すると、続けてあり得ないものが目に入って来る。歩道を歩く男、車を運転する男たちがみな、目の前を行く男と同様だったのだ。
頭の中が真っ白になる。
自分で自分の見ているものが信じられない。
何故なら、道行く男という男の全員が、全裸だったからだ。
しかもビンビンにあそこを勃起させて歩いている。その表情はいたって普通で、こうして外を歩くことに何ら疑念も羞恥心も持ち合わせていないという表情だった。
よくよく見ればそれぞれが自らの大事なブツにアクセサリーを着けているらしい。
全裸なのにあそこにはアクセをして、靴下を履いてネクタイを首から垂らしている。
は?なんで?とうとう頭がおかしくなったのか。
しかもよくよく見ればその先端に光るピアスが目にも眩しい。
裸ネクタイちんぽピアスとはレベルがたけぇなぁと俺は思った。
あまりにも衝撃的な現実に言葉を失う。俺としては、普段ならばあまりのエロさに勃起不可避だと思ったが、状況が状況なだけに、俺のちんちんは全く反応しなかった。
どう考えても理解できない光景に、エロ同人誌の中でしかお目に掛かれないような光景に、俺の頭は完全に機能を停止してしまっていた。それでもこの目の前の状況が異常だということだけは分かっていた。
しかも、この現実をより一層奇異なものにしているのは、道を歩く女たちが、皆ちゃんと服を着ているということだった。
女は普通の格好をしていた。どこにもおかしなところはない。
おかしいのは男だった。
俺を除く、視界に映る男たち全員が全裸ビンビン丸だったのだ。
「えぇ……?」
俺はどうにも情けない声を漏らした。ゲイとしては夢のような光景だったが、しかし嬉しさよりも困惑のほうが勝る。
そうして、どうしたらいいのだろうかと思っていると、俺の近くから甲高い悲鳴が上がった。それは女の悲鳴だった。
何事かと慌てて声のした方を振り向くと、一人の妙齢の女が、驚愕に目を見開いて立ち尽くしている姿が目に飛び込んできた。
どうしたというのか。俺は慌てて左右を確認するが、全裸の男だらけだという事実以外特に目に付く様なことが全くないことに、頭がさらに混乱する。この女は何に対して悲鳴をあげているのか。彼女からすれば、このあり得ない状況よりもさらにあり得ないことが起きているように見えているというのか?
俺は何事か起きているらしいが、しかしその何事かをか何なのかを理解できずに、あちこちに首を動かして状況を確認しようとしたが、虚しくもそれは発見できなくて、結局再び女の顔を見た。
彼女はあんぐりと口を開いたままだった。
「ど、どうしたんですか……?」
俺は見ず知らずの女性に向かって声を掛けようとして気付いた。
彼女は俺を見ていた。
ただまっすぐに、驚きと困惑と恐怖との表情を顔に浮かべて、ひたすらに俺を見ていた。
「俺?」
咄嗟に俺は自分を見下ろした。
スーツと革靴が目に入る。何らおかしなところはない。社会の窓が開いていてパンツが見えているだとか、ムスコがまろび出ているだとか、そんなことは全くなかった。
混乱に拍車がかかる。
彼女は一体俺の何を見てそれほどまでに慌てているか、理解ができなかった。
そうしていると、突然周囲にいた人たちが俺たちの周りに集まりだした。全裸の男もしっかりと着こんだ女もだ。
そして、何故か彼らは、俺を取り囲むようにして、そして、彼女と俺の間に割り込むようにして集まってくる。
集まった男たちの大小様々なちんちんが一列に並ぶさまは壮観だったが、俺としてはそれに喜ぶことなどできなくて、内心の動揺を押し隠すこともできず、ただ狼狽えて立っていることしかできなかった。
そうしていると、突然背中から誰かに羽交い絞めにされた。ケツのあたりに固いものが当たる感触があった。
「大人しくしろ、変態!」
俺をがっしりと抱え込んだ誰かが、俺の後頭部に向かって叫ぶ。
「へ、変態?」
見えない男は、誰に向かって変態などと言っているのか。
変態など、俺と女を除いたみんなだぞと、内心思っていた。
「警察を呼びました!」
集まった人達の中から、誰かがそう叫ぶのが聞こえた。
「ありがとうございます!」
再び背後から大きな声が聞こえて来た。
「え?え?ええ?」
俺は情けない声を零すしかできないでいた。
そうしていると、別の、アソコを勃起させた変態がやってきて、俺を地面に引きずりおろした。
あ、乳首ピアスしてる、と俺は思った。
そんなことを思ったのは一瞬で、すぐに俺は固いアスファルトの地面に引き倒されて、身動きが取れない状態になった。痛みにうめき声がもれる。
「逃がさないように」
「はいっ」
というやり取りが頭上からしている。
俺は頬を地面にこすりつけながら、状況が上手く呑み込めないままに、ただ自身の潔白を叫ぶしかなかった。
「や、止めてください!なんなんですか、あなたたちは!」
「黙れ変態が!朝っぱらから路上をそんな恰好で歩き回るなんて、信じられねぇヤツだ」
「仕事用のスーツを着てるだけで、変態だなんて、そんなこと言われる筋合いありませんって!自分なんかよりもあなたたちの方が変態だろ!」
俺は抗議の声を上げたが、しかし誰からも賛同は得られなかった。視線の先に、ランドセルを背負った小学生や、中高生もいた。彼らもまた男はみな全裸だった。
違う点があると言えば、大事なところにエロ同人でしかみたことのないようなアクセサリーを子供らがしていないということと、そのちん棒を勃起させていないというところくらいだろうか。そんな彼らの口からもひそひそと何事かを言っている。
「何あれ」
「まじで?」
「きも……」
「やばくね?」
「頭おかしい人だ……」
俺を取り囲む人々の口からも次々とそんな言葉が漏れ聞こえてくる。
は?頭がおかしいのはお前らなんだが?
気づけば、叫んでいた女の人はいなくなっていた。
「警察が来るまで大人しくしていろ!」
その言葉に、俺は遮二無二暴れた。警察を呼ばれたらどうなる?俺の人生が終わる?
そう思った。
こんな頭のトチ狂った世界で、まっとうに服を着ているだけの小市民の俺が、警察に突き出されて、無事でいられるのか?俺の正当を主張して認められるのか?そんなことが一瞬で頭の中を駆け巡った。そして出た答えは、なんとしてもこの状況を脱しなければいけないと言う、ただそれだけだった。
俺は覚悟を決める。
「痛い痛い痛い!死ぬー!」
なんとも情けない声が口を付いて出たけれど、俺にはそれを取り繕う余裕もなかった。
ただひたすらに叫んだ。俺を押さえつけている男二人がわずかに力を緩めるのがわかった。
「殺されるー!」
咄嗟にそう言った瞬間、俺を取り押さえていた男たちの手が俺から離れて、俺の上からどくのが分かった。
今しかないと、そう思った。
俺のろくでもない人生の中で、これほど頑張った時が他にあろうか。いやない。(反語)
俺はその隙をついて立ち上がると、荷物を抱きかかえて走り出した。
今なら百メートルを十秒以内で走れるような気すらした。
何やら背後から声が響いてきたが、そんなことに頓着している余裕もない俺は後ろを振り返らないまま全速力で走って、走って走って走った。一心不乱に走った。
そして、見知った公園まで来ると、そのトイレに一目散に駆け込んだ。
これほど全速力で走ったのはいつ以来だろうか。俺の息は完全に上がって、肩で盛大に息をしなければ死んでしまいそうだった。
肺も喉も苦しいなんてもんじゃない。痛い。
両足もかつてないほどがむしゃらに動かしたせいもあってか、とんでもない疲労感で震えていた。俺のムスコも見たことないがほどに恐怖で縮こまってしまっている。可哀そうに。
しかも革靴を履いたままで全速力なんてことをしたせいで、軽い靴擦れになっていた。靴下の下でアキレス腱のあたりに少し血が滲んでいる。
そんな状況の最中、俺は呼吸を整えることに必死だった。この大げさな呼吸音を誰かに聞かれたら、今度こそ捕まると思った。
俺は滝のように流れる汗も気にせず、ひたすらに呼吸を抑えることにだけ、気を配った。
そうして、よろよろと個室に入ると、そのまま便器に腰掛けた。疲労感が一気に押し寄せて、恐怖と安堵とで俺は何も考えられなかった。
どれほどそうしていたのか、気付けば鞄の中のスマホが振動していることにきづいた。画面を見れば上司からだった。時間は九時になっていた。
やばいと思って、俺は通話ボタンを押して、呼吸を整え整え、電話に出る。
「おい、長谷川。大丈夫か?」
聞き慣れた声だった。
「は、はひ。ずびばぜん」
情けない声が出た。涙も出た。
「どうした、お前?」
電話の向こうで、俺の微妙な様子を感じ取ったのか、そんな声が聞こえて来た。俺はとっさに涙と鼻水をぬぐうとできるだけ普通の声を出そうと試みた。
「す、すみません。今日なんか起きたら、その、体調が優れなくて……」
電話の向こうの声はいつも通りだった。厳しい人で、どこか怖い人だとさえ思っていたけれど、今だけは俺に安心感をもたらしてくれた。日常が返って来たような気がした。
俺はできるだけ内心を悟れらない様に、しかし、どこか体調が悪いと思ってもらえるように演技した。良い感じにかすれたような声が出ているおかげか、通話の相手はすんなり納得してくれたようだった。
「そうか。無理はするな」
「はい。すみません」
「熱はあるのか?」
「微熱程度です。その、今朝計ったら、三十七度五分ありまして」
「そうか。風邪か?」
「わかりません」
「だろうな。でも声がかすれてるな。喉も痛むのか?」
「はい、少しだけ……」
俺は相手に合わせるしかできなかった。
「病院にいけそうか?」
「はい。この後ちょっと行ってきます」
「そうか。何かあったら俺の個人的な携帯にかけてこい。明日も出社できそうになかったら、分かった段階で連絡をいれてくれると助かる」
「はい。そうさせていただきます」
「無理はするなよ」
「はい、ありがとうございます」
「病院にもちゃんといって、今日一日は部屋でじっとしてるんだぞ」
「はい。そうします」
「今日の作業は俺の方でやっておく。お前は体を休めることだけ考えろよ」
「ありがとうございます」
「じゃ、また明日」
「はい。ありがとうございます。お忙しいところすみませんが、どうぞよろしくお願いします」
そう言って、俺は震える指で通話を終わらせた。
はぁ、と盛大なため息が口から零れ出た。
どうなってるんだ。
また涙がこぼれそうになった。
目下のところ、会社への連絡はどうにかできた。それは俺に一つの安心を与えてはくれたが、問題が山積みであることには変わりなくて、そのことを嫌が応にも思い出さねばならず、俺の心は沈んだ。
俺はこの後どうしたらいいのか。
頭の中でさっきの光景を思い出す。
同時に、人々から言われた言葉も思い出された。
自然と体が震えるのを感じた。本当にヤバいところだった。
安堵と恐怖とか交互に俺を襲う。俺はただ一人、トイレの臭い個室の中で、じっとしていることしかできなかった。
ただひたすら、何が起きているのか、世界はどうしてしまったのかと思った。
自分がおかしくなったのかと一瞬思って、しかしどう考えてもおかしいのは世界だと、思い直す。
ピアスをしたびんびんのあそこを見せびらかしながら全裸で歩道を歩く?馬鹿馬鹿しい。
しかし、その馬鹿馬鹿しい光景こそが現実なのだ。
俺は心臓の鼓動が落ち着くと同時に、冷静にいろいろなことが考えられるようになった頭で必死に考えた。頭の悪い俺なりに、必死に考えた。
そうして閃く。
あれ、これどっかで見たことがあるぞと確信にも似た感覚を覚えた。
なんだろうかと一生懸命に、そしてある意味でそれは現実逃避の側面があっただろうが、俺は支離滅裂な思考をなんとか辿りながら記憶の糸を手繰って思い出そうと試みた。この異常な現実に俺は見覚えがある。それはなんだろうか。
そうして、唐突に思い至った。
そうだ、これはあれだ。エロMODだ。俺がスカ〇リムにいれてるようなドエロイヤツだ。男キャラが全員裸になってあそこを丸出しにしてるやつ……。
「はぁ?」
俺の口からそんな声が零れた。
いや、まさか、と否定しようとして、しかし、どう見てもおかしい現実に俺はそうなのかもしれないと思い直す。
そして、考えた。先ほどの光景が夢でなかったか、確かめないといけない、と。
俺はそこから一時間うじうじと個室の中で悩んだ。途中小便がしたくなって、座ったまま用を足して、それから、また考えた。
外へ出て確かめるべきか否かを。
そして意を決して俺はこっそりと個室の扉を開けて、男子トイレ入口まで出てくると、その影に隠れながら外を窺い見た。
誰か、誰か通りかかれと念じながら、しかし自分の姿が見られてはまずいと思いながら、必死に外の様子を窺った。
一人犬を連れた女が通り過ぎた。
女じゃねぇんだよなぁと思いながら俺は次の人間が通りかかるのを待っていると、なんという幸運か、男が一人通りかかった。年寄りのじいさんだった。
この老人もまた、だらしなくちんちんをぶらぶらさせながら、よぼよぼと歩いて俺の目の前を通り過ぎていった。そのすぐ後を、マウンテンバイクに乗った男が全裸にヘルメット姿で颯爽と通過していく。
これを見て俺は確信に至る。
この世界では、男は全裸でなければいけないのだと。
「嘘だろ」
そんな言葉が口をついて出たが、これはれっきとした現実だった。
その証拠に、その後も服をしっかり着た女と、全裸の男とが幾人か通り過ぎていった。
「まじか……」
俺は個室に急いで戻ると、再び便器に座り込んだ。
座り込んで数分して、便意を催したので、ズボンとパンツを足首まで下ろすと俺はそのまま糞をして流した。
トイレットペーパーが切れているということもなく、俺はケツを拭いてただじっとしていた。切れのいいうんこが水とともに流れていった。
「くそ」
そんな言葉が思わず口を付いて出てきて、俺は自分に自分でつっこんだ。虚しい。
どうしたらいい?どうすべきだ?
俺は内心の動揺のままにただ無為に時間を過ごした。そうしていると、あっという間に昼になった。十二時を知らせるチャイムが聞こえてくる。
空腹で腹が鳴った。
俺はその音を聞いて、決心する。
「よし、脱ごう」
俺はそうなんとか自分に言い聞かせると、足首にわだかまっていたスラックスとパンツとを脱いだ。それから上着を脱いでワイシャツを脱いで、その下に来ていたシャツも脱いで全裸になった。
五月の陽気のお陰で、少しも寒くなかった。
丁度良い気温で、まさに全裸日和だと言えた。
とりあえず皴にならないよう上着とスラックスとワイシャツをたたんで膝の上に乗せる。
はぁ、というため息が幾度も口を付いて出た。
個室を出る決心がなかなかつかなかった。
恥ずかしさというよりもむしろ、不安が大きかった。
俺のこれからしようとしていることが本当に正しいという確信がどうしても持てなかった。これまで二十三年生きてきて培われてきた常識を、俺はそうやすやすと手放せなかった。
俺は頭は悪いが、常識だけは持ち合わせていると思っていた。
俺は自分が変態だと自負している。エロ同人誌で夜な夜なシコってはいるし、今まで読み漁って来た同人誌のせいで、なかなか歪んだ性癖を持っている。
もう普通の大きさのイチモツでは満足できない体になってしまった。普通の体位でのセックスにも満足できない。できることなら、見ず知らずの男たちにめちゃくちゃにされたい。そんな変態願望に取りつかれた、頭のイかれた童貞だ。
そのくせ俺は実際にそういうことをしたことがない。そういうことに興味津々であることは間違いないが、そういった事柄とは一切無縁の生活を送ってきた清い体なのだ。断じてチキンなどではないのだ、俺は。ただ、貞操観念が人よりも固いというだけだ。
そもそも、思い返してみれば、人生のモラトリアム、大学での四年間を通じて彼氏なんぞできたこともなかった。友達は辛うじて数人居た。今でも遊ぶ仲の良い一生モノのノンケ友達だ。
もし今俺が全裸でここから出て、さっきと同じようなことになったらと思うと足がすくむ。ネットニュースやテレビのニュースできっと全国に俺の名前と顔が拡散されるのだ。Xでどんなコメントがされるか容易に想像がつく。そうなったら人生終わりだ。
あまりの恐ろしさに俺は動けない。
しかし、ずっとここにいるわけにもいかない。喉が渇いてきた。五月の陽気のせいで、喉が非常に乾いている。ここで、俺は干からびて死ぬのか?そんなのはいやだ。
だったら、どうする?
俺は逡巡する。
そうして、やっと重い腰を上げると、俺は折りたたんだスーツを小脇に抱え、鞄の取っ手を握って、扉をゆっくりと開けた。
一歩足を前に出す。もう一歩。もう一歩。そうやってそろりそろりと歩みを進めて、出入り口までやってくると、やはり外を全裸で誰かが歩き去って行くのが目に入った。
ここに来て俺はやっと決心を固めることができた。
俺は革靴を履いた足を大きく前に進めると、やっと三時間以上も過ごした臭い男子トイレから抜け出した。
一陣の風が吹いて俺の股間を揺らして通り過ぎる。
ちょっと、気持ち良いかもしれないなどと思ったが、その考えを頭から追い出す。
今俺に課せられているミッションはこの公園を抜けて家へ戻る、ただそれだけだった。
二歩三歩と歩みを進めさぁ行こうと思った矢先、前方から女がやって来るのが目に入った。俺はとっさに顔を下にそむけて相手の出方を窺う。もう一歩も動けない。何か叫ばれたら即座に走って逃げられるよう、逃走経路を探してさえいた。
しかし、そんな俺の考えなど露知らず、彼女は無言で通り過ぎていった。
「まじか」
ここに来てやっと俺は確信を持った。
全裸で居ても大丈夫なのだと。
俺は叫び出したかった。拍手喝采が聞こえてくるようだった。俺は不思議な全能感に満たされていた。今ならなんでもできそうな気がした。
そうして、俺は意気揚々と歩き出すと、公園を抜け出した。歩みは軽やかだった。スキップどころか小躍りさえしてしまいそうだった。道行く男はみな全裸で、俺は途中から彼らのチンポを値踏みする余裕すらあった。
顔と体とちんこを一度に確認できる?最高じゃねーか!
俺はもううっきうきだった。しかも道行く男たちみんな、どこのエロ漫画の登場人物なのかと問いたくなる格好をしているのだ。それを見て俺の息子も自然とそそり立つ。
たまんねーな!
俺はそんなことを思いながら、じろじろと他人のスケベな恰好を眺めながら歩いた。
急いで帰る必要もないのでは?と途中で思い至り、少し遠回りしてコンビニに寄ることにした。昼時ということもあって俺の腹は減っている。丁度良かった。
途中、行きかう人が何故か俺をチラ見しているような気がしたけれど、勘違いだろうと思って、俺はずんずん歩いてコンビニへ入った。店員も男は制服をきていなかった。あそこをぶるんぶるん言わせながら品出ししている姿はエロかったが、衛生的にどうなんだろうと思った。
俺はエナドリと焼うどんを買ってコンビニを出た。
出た途端、警官二人と出くわした。
警官もまた全裸だった。なぜ警察だとわかったかというと、頭に制帽を被り、腰に警棒をぶら下げていたからだ。彼ら自身の警棒も足の間にぶら下がっていた。
「ちょっと君」
俺は呼び止められて、先ほどまで感じていた全能感が急激にしぼんでいくのを感じた。息子も今はちっちゃくなっている。
「はっ、はひ!」
俺は直立不動の体勢で立ち止まった。
咄嗟のことに、買った袋を取り落としてしまった。
二人組の警官の一人、若い男が俺のコンビニ袋を拾ってくれた。
「落としましたよ」
そう言って、イケメンの若い警官が困ったような顔をして俺にそれを差し出す。
俺はそれを恐る恐る受け取る。
「君、その恰好はなんだ」
年上のいかつい警官がそう言った瞬間、俺は終わったなと思った。瞬時に、頭の中で、自分が独房にぶちこまれる映像が再生された。
俺は全身から力が抜けそうな気がした。
「君、聞いているのか?」
三十代らしいいかつい顔のヤクザと見紛うような警察官が俺に向かって言った。
「はい……」
俺は絶望的な気持ちでそう言うしかなかった。
「そんな恰好で出歩いては駄目だよ」
しかし、続く声音は思ったほどきついものではなかった。
俺はいぶかしむ。
「はい?あの、何が駄目なんでしょうか……?」
俺は恐る恐る問いかける。
「君ねぇ、もう成人してるんだろう?そんな恰好で出歩いてちゃだめだよ」
そう言われた。
恰好?そんな恰好ってなんだ?
警官が俺の股間を指さしている。
俺は自分のイチモツを見下ろす。
大きくはないが小さくもない、いたって普通の息子だ。しいて欠点を挙げるなら、一度も使っていないということだけだ。
「すみません。何のことでしょうか」
「はぁ……、君ねぇ」
呆れた声がする。年上の警官が若い二十代らしい警官に目配せした。
「成人したらピアスをしないといけないということはご存知ですよね?」
まさかの発言に我が耳を疑う。
「え?」
「え、じゃないよ君。知らないとは言わせない。学校でも習っただろう」
「え、あ、はい」
「はいじゃないよはいじゃぁ。すぐに病院を予約して、ピアスをいれてもらいなさい。それが成人男性の義務だぞ」
そんなことを言われて俺は曖昧に頷く。
「常識がなさすぎるよ君」
そういう警官に同調するように、若いほうの男も頷いている。
見てみれば、二人ともピアスが輝いている。
でっか……。あれもでかいが、ピアスもでっか。
「成人の時に親御さんが病院を予約してくれなかったのか?」
「は、はぁ」
「可哀そうになぁ」
「いえ、その……」
「今日は見逃すけれど、次は切符を切るからね」
「……すみません。ありがとうございます」
俺はとりあえず頭を下げた。そしてそのまま立ち去ろうとしたが、しかし、後ろから呼び止められる。
「それから君!」
「は、はい!」
俺は慌てて後ろを振り返る。若い警官が声を張り上げる。
「外出するときはピアスのほかに大事なところにはアクセサリーを着用するのが望ましいということはご存知ですよね?気を付けてくださいよ」
「はい」
俺はそれだけ言うと、できるだけ不自然に見えないようにゆったりとした足取りで歩いた。
風にのって背後から、まったく今時の若いヤツは、というような声とそれに同調する声が聞こえて来た。
俺はばくばくと脈打つ心臓の鼓動を聞きながら家へと急いだ。
困惑……




