#057 カナリヤ
「――なあヨースケ。ここって宿屋、だよな?」
「ん? ああ、その通りだけど?」
街に入った盛り上がりも一段落着いたその後、各々がベッドや椅子、床なんかに腰掛けて今後の予定を打ち合わせしていた俺たち。
凛子は服を買いたい、岡崎は食い物、と好き勝手言ってる中で……俺はそんなことを真っ先にこの部屋の借主であるヨースケへと確認していた。
「部屋って空いてるのかな?」
「どうだったかな……たぶん、としか」
今は午後3時ぐらいだろうか?
なら、チェックインも受け付ける時間かな?
窓から見える賑やかな街の景色を眺めながら、軽くそう見当を付けると改めて周囲を見回して間取りを確認する。
わかりやすく現代日本に当てはめて表現するなら……備え付けの机やベッドのある木造12畳ワンルームって感じだ。
ただし現実とまったく違うところがひとつある。
キッチンだったりバス・トイレであったりといった水回り関係の設備が一切無いのだ。
だからといって外に共用の設備があるとかじゃなく、たぶんこれは、そもそも用意する必要が無いのだ。
一定時間で身体や衣類のどんな汚れであっても自然消滅するし、水を飲む必要も無いし排泄も無い。あくまでここはEOEという仮想空間の中。
だから結果的に、非常にシンプルなこんな四角い間取りになっており、人の住む部屋というよりどこか事務所や倉庫のような印象が漂っていた。
さっきこの部屋のことを借主のヨースケが『秘密基地』と称していたのも、なるほど、あながちわからないわけじゃない気がした。
「……一階のカウンターとかに行けば、すぐに借りられる感じ?」
「空いていればね」
ならば話は早い。
俺は未の傍らであるこのベッドの端から立ち上がり、一階に降りるべくそのままドアへと向かった。
「え。香田……あの。ここに住むのっ……?」
「可能ならしばらくの間ね。深山を連れてあまり街中をウロウロしたくない」
「……ん」
「大丈夫……俺たちの家は、後でじっくり探そう?」
「う、うんっ!」
ぴょん、と凛子もベッドから飛び降りて俺の横に並んだ。
「私、3LDKの平屋で庭付きがいいなっ!」
「そんな妙にリアルな要望を言わなくていいからっ」
「やんやんっ」
もちろん凛子が冗談で言ってることぐらいわかってる。
だから俺もちょっとふざけた感じで凛子の鼻をつついて笑う。
「あのっ、香田君……」
「深山も一階、いっしょに行く?」
「え……でも、良いの? あまりわたしは――」
「――しばらくここで暮らすなら、管理している人と顔見知りになっといたほうが良いと思うよ」
「そうそうっ、深山さんもおいでっ!」
「……っ……はいっ」
実際のところヨースケの説明を聞いている限りだと、確かに深山はあまり出歩かないほうが良いだろうなとは思う。
でも完全に部屋の中に缶詰じゃ、つらすぎる。
『深山に楽しい60日間を』と誓った俺の願いにも反するだろう。
……だから可能な限りで、深山の願いは叶えてあげたい。
「岡崎。寝てる未のこと頼む。危ないからしっかり見張っててくれ」
「はーいっ、かしこまりぃ!」
「おいおい、そんな露骨に心配しなくても大丈夫だってば。さすがのおれも寝ている女の子にどうこう――」
「ヨースケ。違う、違う」
「……違う?」
「これはヨースケの身を守りたいって話だから」
「ん???」
目が覚めて、もし未がヨースケと二人きりだったら……ああ。想像するだけでも恐ろしい。
「なあ香田。その間おれはどうしようか?」
「え?」
「アダマンタイトで武器を作るって話さ。どんなモノを作るか明確な要望があるなら、すぐにでも着手したい」
「あー……」
俺はちょっと考えてから。
「……ごめん。作りたいと考えているのは主に、寝ているその女の子専用の武器なんだ。だから具体的な打合せはその子が起きてからだと助かる」
「なるほどね。そういうことなら片づけておきたいヤボ用があるし、おれも部屋を出ることにしよう。乗りかかった船だ。その子が起きるまでこの部屋は好きに使うといいさ」
もはやお決まりのようにウィンクをしつつ提案してくれるヨースケ。女の子に対してはちょっと節操無い感じだが、基本悪い人じゃないなと改めて思う。
「突然押しかけてしまって、すまない」
「いやいや。元々おれが招待したわけだし、香田は気前の良い上客だから気にしないでくれよ?」
そう言いながら彼は俺たちを追い越すように先に部屋のドアを潜る。
「んじゃ、そういうことで。もし打合せが出来る状態になったらチャットで知らせてくれ」
「了解」
俺たちもすぐに出るからか、ドアは締めずにそのまま部屋を後にしたヨースケだった。
「そういうわけで岡崎、申し訳ないけど少し留守を頼むよ」
「ほいほい。ついでに買い物とか行ってくればぁ?」
「……良いのか?」
「全然?」
むしろ岡崎は自分にも役目があると喜んでくれているようだった。
「ありがとう。じゃあ、少し行って来るよ」
「ほーい! いってら~!」
寝ている未と岡崎の新参二人を残し、俺たち古参三人もこの宿屋の一階へと降りるために部屋のドアを潜る。
「なんかこう……ベタベタな雰囲気だなぁ」
廊下に出た直後、思ったことはこれだった。
「確かにっ!」
「べたべた……?」
ゲームをほとんどやっていない深山にはピンと来ないみたいだが、まあそれは仕方ないか。
中央が吹き抜けの構造となっており、二階の部屋から出るとすぐに建物内の全容が把握出来た。
これから向かう一階部分は間取りの大半がロビーというか食堂と酒場を兼ねており、昼間から酒をあおっている冒険者っぽい人とか、給仕している活発そうな女の子とか居たりして……RPG的には親の顔より良く見た風景って感じになっていた。
これはこれでベタなゲーム感があってむしろ逆に面白い。まるでテレビで見かけた名所へと実際に観光に来たような気分だ。
心を躍らせながら木造の階段を率先して降りる俺を追いかけるように、深山と凛子のふたりもすぐについてきてくれる。
「ねえ香田君……不思議に思うのだけど、あのカウンターのおじさんって、わざわざ毎日一万円を払ってあそこで働いている――という退屈なロールプレイをしているの?」
深山に促されてその方角を見ると、出入り口付近に髭を生やしたオヤジがひとり。
あれがカウンターの受付ってことで良いんだろうか?
「え。あ、あれ? 確かにそれは――」
「――んにゃ。あれはNPCだよっ」
凛子が速やかにフォローしてくれた。
「ああ。そうか、素でその存在を忘れてた……EOEにもやっぱり居るのか、NPCって」
「んっ」
「えぬ・ぴー・しぃ……?」
「ノン・プレイ・キャラクターのこと。つまり人間じゃなくて、プログラムで勝手に動いている疑似的なキャラクターって言えば理解出来る?」
「ああ……! はいっ!」
うん。深山は頭が良くてほんとこういう時、説明が楽で助かる。
俺が逆の何も知識の無い立場だったなら、こんなすんなり解釈出来ない自信があった。
「なるほど。操作モード中だと頭上のネーム表示に『N』の記号が付くのか」
「もっと簡単に見分けつくけどねっ……ほら、あの酔っぱらってる人の足元見て?」
「足元……?」
「あっ、影!」
俺より先に深山がそこに気が付いた。
「そっ。地面に影が落ちないの。というか、そもそも物質じゃないのっ」
「……つまり、触れない?」
「ん。ただの立体映像って感じの考え方で良いと思う」
「立体映像……」
深山とふたり、興味津々という感じであくせくと働いている目前の給仕の女の子を眺めた。
どんなに凝視しても透き通っていたりはしていない。
影が落ちないという違和感を除けば、まるで本当にそこに存在しているかのようだった。
「でもあの……凛子ちゃん。今、お客さんにビール運んでるように見えるけど」
「ん。たぶんあのビールもただの映像でしかないと思うよ。邪魔して横取りとかしたことないけどっ」
「へぇ」
なるほど。それは理に適ってる。
まさに凛子の例え通りだが、NPCには『そもそも触れない』というぐらいのしっかりした処置が無ければ、剥ぎ取りなどが日常的に横行しそうな気がした。
だとすれば、あの運んでるビールも客の前に差し出された瞬間、手のひらからポップされるみたいに現実のアイテムとして具現化される仕組みだろうか……と内部の処理も軽く想像してみたりする。
「――あの、すみません」
どれ。ひとつ試してみようか。
「はいっ、いらっしゃいませ! ご注文をどうぞ!」
「えっ。香田、ビール飲んじゃうのっ!?」
「いや、注文じゃない。この街――クロードの総人口を知りたいんだけどご存じないですか?」
「もうお客さんっ、冷やかしは勘弁してくださいねっ」
ふむふむ。
「じゃあ違う街への行き方と、そこまでの距離を教えてもらいたいんですが」
「もうお客さんっ、冷やかしは勘弁してくださいねっ」
……まあこんな感じだよな。やっぱり。
ここらへんはどんなに技術が進歩しても、昔から何も変わらない。
この街にどれぐらいのNPCが配置されているのか知らないが、そのひとつひとつに柔軟な受け答えが出来るほどの独立した擬似人格を作り込むなんてのはあまりに非現実的だ。
せいぜい、その役目に即したいくつかの会話文を用意しているぐらいで精いっぱいだろう。
「ありがとう。もういいよ」
「毎度ありがとうございまーすっ」
そんな言葉を残して、また忙しそうに給仕役のその女の子が厨房へと消えて行った。
「ごめんごめん。お待たせしちゃったね」
「ううんううんっ……!!」
「ん?」
深山が赤い顔で大げさに手をバタバタさせていた。
「ねえねえ香田。深山さんっていつもあんな感じで発作的に発情してんの?」
「ほ、発作的ってぇ……凛子ちゃん、別に発情とかしてませんからっ」
「えー……今、香田が見てないところで物欲しそうな顔でうっとりしてたよねぇ?」
「し、してませんっ……!!」
もしかして、深山好みの難しい顔でもしていたのだろうか?
とりあえず込み上がる恥ずかしさもちょっと手伝って、俺はふたりのそんな言い合いを無視しつつカウンターに居る髭を蓄えたオジサンへと近づくと、そのまま普通の人間へ接するように話し掛けることにした。
「――あの、すみません」
「らっしゃい。泊まりかい?」
受付の中で座っているオジサンの足元は見えないが、しかしカウンターに置かれていたその手から落ちる影が無いことでNPCだと判別が出来る。
逆を言うとそうやって確認しなければ判別出来ないぐらいには実在感が物凄い。
NPCとわかってても、敬語を外すことは俺の性格としてなかなか難しそうだった。
「はい。部屋に空はありませんか?」
「アンタは運が良い。ひと部屋だけなら空いてるぞ」
「ひと部屋か……」
さすがに手狭過ぎる気もするが、しかしとりあえずは押さえておこう。
「ひとつの部屋に大勢が泊まることは可能ですか?」
「こちとら洒落たホテルじゃねぇんだ。貸した部屋に誰が何人泊まろうが特に関与しねぇよ。ウチの店や他の客に迷惑掛けなきゃそれでいい」
さっきの給仕の女の子とは作り込みが全然違う。豊かで柔軟な人格の感触。
つまりこれって、重要な役割のキャラには相応の会話バリエーションが用意されているってことだろうか?
「値段は一泊いくらですか?」
「一部屋一泊10E.だ。ビタ一文まけねぇから値段交渉は勘弁してくれよな」
「安っ」
俺の予想換算で言うと、一泊1000円ってことになるな。
……というか、もしかしたらそもそも1E.=100円、という俺の想定がちょっと違うのかもしれない。
これは街に出た時、もうちょっと物価を色々確認してみよう。
「じゃあとりあえず1週間分、借りたいです」
「まいどあり。前金で70E.な」
「……凛子。払ってもらえる?」
「ん、任せてっ」
ウチの小さな財務大臣に支払いをお願いした。
今のところ金銭はその全額を凛子が管理している。
それはもちろん打ち出の小槌でコツコツと貯めてくれたその本人というのもあるけど、しかしそれ以上に、求められたらすべて差し出さなきゃけいないような、酷い誓約に縛られているこの俺なんかが管理するわけにもいかないからだ。
これについては、質問に何でも正確に答えなきゃいけない深山も同様。
現在の所持金とか他人に教えちゃったら、金額が金額だけに付きまとわれたりする可能性がありそうだ。
「――確かに70E.だな。毎度。じゃあこれが部屋の鍵だ。206号室になるぞ」
「ん……はい、香田」
支払いと交換で受け取った鍵をすぐに俺に差し出す凛子。
「いや、それも凛子に管理をお願いしても良い? きっと凛子が一番出入りすることになると思うし」
「そなの?」
「俺だと襲われたら一発だからね。その点、凛子は素早いし、この三人の中では一番レベル高いし、しっかり者だし」
「……しっかり者っ!」
その評価は存外凛子の心をくすぐる一言だったみたいだ。
しかし当然ながらこれは別にお世辞のつもりは無い。
俺に対しては弱い部分をありのままさらけ出してくれるが、日常生活をしている『いつも』の佐々倉凛子はもっとしっかりしてて、演技を織り交ぜた交渉が上手なところなんかも充分に知っているつもりだ。
「一番の年上のお姉さんだしね?」
「にゃ、にゃははっ…………もぉ、参っちゃうにゃあ……! そんな褒めても何も出て来ないよぉ?」
ぐにゃぐにゃ骨抜きになってテレてる凛子、超可愛い。
「凛子ちゃん。そのお部屋の鍵、ちょっとだけ借りても良い?」
「もちろん良いけど……どして?」
「お部屋の掃除、しておくから」
「んむ?」
首を傾げている俺たちの不意を突くように凛子の手から鍵を半ば強引に奪い取ると、そのままグイグイとエントランス――なんて洒落たものでもないか。この建物の出入り口へと俺たちふたりの背中を押す深山だった。
「はい。じゃあ香田君、いってらっしゃい!」
俺が何か言う前に自分からそう切り出し、出入り口の内側で急に立ち止まる。
「深山……」
「良かったらこのままふたりで、お買い物でもしてきて?」
全然表情を曇らせず、そう言って微笑んでくれる。
「確かランタンの油、切れてるのよね? あと毛布とかもう一枚欲しいかも? そういえば凛子ちゃんはお洋服が欲しいのよね?」
「うー……」
「ね? 香田君も必要そうな物あると思うから、せっかくだし遠慮なく買ってきて欲しいの」
「……うん、ありがとう。なるべく早くに帰って来るから」
左右へと首を何度か振って、さらに優しく笑う深山。
俺もここで謝るのは何か違う気がして、微笑み返すしか無かった。
「み……深山さぁん……っ」
「凛子ちゃん。香田君とのデート、楽しんできてね?」
「……ん」
「ほらほら。そんなに気にしないで? わたしは先払いで香田君とちゃーんとデートしてますから」
「お土産……買ってくるぅ……!」
「はいっ、楽しみにしてますっ」
深山と凛子が互いの手をぎーっと握り合ってるその様子は、横から見ててもちょっと微笑ましい光景だった。
「じゃあ深山、ちょっと行ってくるね」
「いってきまーすっ!」
「うん」
小さく手を振って見送ってくれる深山を背に、少し後ろ髪引かれる思いで俺たちはこのまま街へと繰り出すことにした。
◇
「――……おおっ……」
ちょうどテイムされた白熊ほどの大きさのモンスターに跨っている女の子が、目の前の街路を横切るところだった。
その、いかにも異世界のような非日常的な風景に思わず声が出てしまう。
「なるほど……モンスターに乗れば移動が楽になるよなぁ」
昨日まで約50kmほどの移動を皆でしていて大変さを痛感したところなので、真っ先にその利便性が思い付く。
当然それにプラスして戦力としても頼りになるはずで、寝ている間の見張りにもなりそうだし、もし臭いに敏感なら突然の襲撃にも強そうだ。
いいな……強いモンスターをテイム出来たら誇らしいだろうなぁ。
もしかしたらそれを自慢する意味もあって、これ見よがしにこんな街中でも乗っているのかもしれない。
……くそっ。テイマーか……羨ましい。
空を飛べるモンスターとかもテイム出来るのだろうか?
そんなの居たら、深山喜んでくれるだろうなぁ。
「ね、香田……! 香田っ!」
「ん? 何?」
ぼんやりと去って行くモンスターの後ろ姿を眺めていた俺の腕を凛子が引っ張り、そう話し掛けて来た。
「ね……ちゃちゃっと買い物とか終わらせて、早く帰ろっ……?」
「ああ、うん。もちろん無駄にダラダラするつもりは無いよ。未が起きる前には戻っておきたいし、岡崎も外に出たいだろうし……こうやってこれからは毎日出歩けるだろうしね」
「うんうんっ」
「……でも、ひとつだけ」
「お?」
まあ、今さら全部を言う必要も無いだろう。
ちらりと無言で建物の奥に見える、ドーム状の石造りの屋根へと俺は視線を送った。
◇
「――何これっ、本当に全能力値2倍とか馬鹿じゃないのかっ!?」
使用回数3という厳しい制限とはいえ、法外な性能の『蒼き護符』を胸からぶら下げて俺は叫ぶ。
石造の大きなホール内には人もまばらで、俺のその興奮した声が遠慮なく響き渡っていた。
そうか……これが以前に、凛子が話してくれていたあのレジェンダリィアイテムか。感慨深いなぁ。
いつかの約束通り、真っ先にアイテム博物館をふたりで訪れた俺たちは展示されているレプリカを片っ端から装備しながら大はしゃぎしていた。
「香田っ、これこれっ! 超軽いんですけどっ!?」
名称は『虚空の鎌』。マジェスティクラスの武器らしい。弓師の凛子でさえも片手で軽々と振り回せる刃渡り1m以上の大鎌とか、もはやチート以外の何物でもない。
もしかして俺でも使えるユニバーサルアイテムなのかな?
とりあえずここに展示されている以上は、攻撃力もハンパ無いのだろう。
しかも闇属性を帯びているらしく、もし物理的に防御されても『呪撃』が入るらしい。
見た目のちょい悪な感じも良いし、欲しい……すごーく欲しい。
「これを持ったまま博物館を出たらどうなっちゃうのかな……」
「くすっ。消えてなくなっちゃうよっ!」
「だよな?」
俺はテレ笑いをしながら次の展示物の前へと進んだ。
「……『静寂の拒絶』、か」
フリスビー程度の小さな盾に物理的な防御力はほぼ無いが、しかし属性攻撃に対する耐性がすべての属性に対して50%というのは、やはり無茶苦茶である。
他の補正も加味すれば魔法に対してほとんど無敵状態だし、同一パーティ内のメンバーへ掛かるプラス補正もかなりのものになるはずだ。
「うはぁー……これ、見るからにすごそー……」
「装飾品としても、かなり箔が付く感じだな……」
次の展示物である細かな金色のチェーンに連なる5つの宝石に目を奪われ、ふたり並んで唾を飲む。
『希望の連星』と名付けられたそれは見た目もゴージャスな魔法使い専用のマジェスティアイテム。
説明のテキストを読む限り、建前としては指にはめて装備するナックル系の武器という扱いになっているけど、真の性能はその装飾されている宝石にあるのだろうと思う。
それぞれの宝石が見たことも無いような独特な深い色の輝きを放っているが……たぶんあれは、全部が『媒体』だ。
果たして5つ合計でどれぐらいの魔力容量があるのだろう?
もし深山が装備したら、もはや最強なんだろうなぁ。
「にゃはははっ、これ、ネコミミついてるよぉ!」
パーカーのようにすっぽり頭から被れるロープを装備して笑ってる凛子。
どうやら聴力という隠しパラメータが底上げになるらしい。
レベルアップと共に数値を底上げできるポテンシャル値と違い、こういう固定された隠しパラメータへと影響を与えられるアイテムは珍しいらしく、それだけでかなりの評価になっているようだった。
まあこれについては見た目のインパクトも加点になっている気がするけど。
「……こういうの眺めてると、ついつい妄想しちゃうなぁ」
「んむ?」
「こういう強いアイテムをSSでブースト出来たらなぁ……って」
「ヤバイっ、香田それヤバイってぇ!?」
もはや笑うしかない。
例えばさっきの『聖なる護符』をSSで最大までブーストしたら、全能力値が128倍になってしまう理屈だ。
128倍って……どんな超人だよ、それは……。
「香田っ、あれっ! あれなんだろっ!?」
次の展示物を指さして声を上げる凛子。その先には巨大な円盤状の――
「――はぁ!? タ、タイヤ!?!?」
「あれの中に入って、ゴロゴロゴロ~って体当たりするとかっ!?」
「んな、バカなっ!?」
「にゃはははっ、ちょっと使ってみよーよっ!!」
「お、おい凛子っ」
ノリノリな凛子がそのユニークなマジェスティアイテムに手を伸ばしているところで。
「――あっ、居た居た!!」
「んむ?」
振り返り見ると、数人の男女がドッと博物館の中へと転がり込むように慌てた様子で飛び込んで来ていた。
まるで俺たちを指さして叫んでいるかのようだが……いやいや。別に悪さとかしてないしな? 違う誰かのことだろうと気にせず、凛子とタイヤみたいなアイテムを――
「助けてくださいカナリヤさん……!!」
「へ?」「ほへ?」
――ガッ。
見知らぬ男に腕を掴まれてしまった俺だった。凛子とふたり、目を白黒させて見つめ合ってしまう。
「こっちです!!」
「ちょ、ちょっ!?」
「香田ぁっ!?」
まさにこれこそ『有無を言わせない』ってヤツだ。
追ってきた違う男も俺の反対の腕を掴み、戸惑っている俺の意思なんて完全に度外視されて、そのまま博物館の外へと引きずられながら連れ出されてしまった。
「ああっ、カナリヤさん!」
「カナリヤ!」
「カナリヤが来た!」
建物を出るとそこには人垣が出来ていた。
俺の登場を見てその人たちも口々にそんなことを言っている。
『カナリヤ』――……凛子じゃないからパッと思い出せないや。誰か……誰か以前、俺の姿を見てそう称していた人が居たような気が?
「あの子、助けてあげて……!!」
「えっ」
見るとボロボロになりながら泣き叫んで、とある男の足元に縋りつく女の子の姿が真っ先に視界に入った。
そして次に、縋りつかれている2mはあろう巨漢へと視線を送る。
「ちっ」
対峙する男の名は『真牙狼』……これ、何て読むんだろう?
体格的にもネーミングセンス的にも剛拳王をちょっと連想させる感じだった。
レベルはまあその1/4近く――70だが。
しかしどうしてだろう? 不自然なほどレベル数キリ番の人が多過ぎる気がするのだが……これに何か理由でもあるのだろうか?
「よう、カナリヤ。わざわざお仕事ご苦労様だなぁ? 帰ってくれてもいいんだぞ? おい?」
……ああ。現実逃避してた。いかん、悪い癖だ。
どうも咄嗟のことになると思考が止まってしまう。
「えーとつまり……白昼堂々の追剥ぎってことか? これ?」
「ノルマ果たせねぇこのスレイヴがいけねぇんだよ! なぁ!?」
「っきゃっ……!!」
まるでサッカーボールのように縋りつく女の子の腹部を蹴り上げるその姿には、思わず眉間にシワが寄る。
いくら痛みが半分以下であっても。ゲーム内であって後遺症とか無いと言っても。とてもそれが許される行為とは思えない。
たぶんさっきからこんなことが路上で繰り広げられていたのだろう。
そしてレベル70というこの数字は、周囲の人間が複数で挑んでも止めさせることが出来ないほどの脅威ということだ。
ざっと見た感じ、周りには高くてもレベル20前後のプレイヤーがほとんどだった。
「ごらんの有様だ……なんとかしてくれよ、カナリヤさん……」
「なんとかって――」
――それじゃまるで警察か何かみたいだ、と考えて理解した。
そうだ。たぶん俺には今、誤解されてそういう役割を求められている。
それは……ランキング三位だから?
いや。でもそれなら『香田』とか『ランカー』とか呼ばれそうな気がするけど。
「ってはぁ? 何だそれ? お前、カナリヤのくせにレベル1――……あ」
「あ」
どうやら『そっち』に遅れて気が付いたようだった。
俺と同様、その反応で周囲の人間も口々に語り出す。
「ああっ、あの人、最新のランカーじゃん!!」
「あ~例の、レベル1の!?」
「三位だっけ!? なんだよ、アイツもカナリヤの一派だったのかよっ!?」
つまりこれは図らずも『カナリヤ』がランカーの意味ではない証明となった。やはり警察に近い役どころだろうと理解する。
しかし……『アイツもカナリヤの一派』か。
警察に対する評価としては、少々絶望感が混じっているような言い回しにも感じた。
……まあ、そろそろこれもいいか。
「ご明察の通り、ランク三位の香田だが……挑む気か?」
特に後ろ盾も無い、ただのハッタリをかます俺。
このヒリヒリする感じ、久しぶりだ。
レベル70に正面から襲い掛かられたら一瞬で倒されるのだろうな。
ここであっさり殺されたら、カッコ悪いだろうなぁ。
「この野郎……」
なんだかんだ言ってランキング三位って情報は『何かある』と思わせるのに充分な材料だろう。だからこうして警戒するのも当然。
……というか正直、これしか俺には抑制力となりそうな材料が無い。
「やっちまえ、ランカー!」
「シルバーマジックとかいうの、見せてやれーっ!!」
野次馬と化した周囲の人間が好き勝手言ってくれる。
シルバーマジックは俺が撃ったわけじゃないんだけどね……。
「ひとつ、確認だ」
尻込みする本音とは裏腹に、腰に手を当て、人差し指を立てて俺は語り出す。
なるほど。
俺の性質を、俺自身がそろそろ理解しはじめた。
どうやら俺はこういう役どころに立つと、全自動的に『何か』を演じる人間のようだ。
……たぶんそれは『せっかくだから』。
客観的に、自分のなすべきことを果たしたいというメカニズム。
機会を無駄にしたくないという心理。
これはある種の英雄主義かもしれない。
長いこと奇異の目で見られ、息を殺すように目立たず生きて来て。
沢山の失敗と後悔を繰り返してきて。
だからこそ活躍の場を与えられたその瞬間、物凄い反動が生まれる。
社会の一部として機能したい……そして認められたいと根源的に渇望しているそれが、心の奥底で深く根深く渦巻く俺の原動力となっていた。
これはそんな難しい話でもない。
傷付いて孤独な人間ほど、むしろ皆から注目されたい、活躍したいと願ってしまうアレだ。
それを拗らせている俺は、相手の望む自分を演じるのが少し上手なだけ。
それは時に、必要なら望まずとも悪役さえ演じようとしたりする。
それは時に、心優しい人となって弱者を全力で助けようとする。
あるいは演壇に立たされたら、偉そうにお説教したりもする。
……懐かしい。
あれのおかげで深山は俺のことを好いてくれたんだっけ。
「――その女の子から何か金品を奪ったりしてないか?」
「スレイヴの所持品は、マスターのモンだろうがよ?」
「なるほど。誓約が同意によって結ばれたのならそれも納得するが」
「……っ……!!」
スレイヴらしい女の子が小さく首を横に振って泣きながら否定している。
そりゃそうだ。そんな訳が無いよな?
「――じゃあ、カナリヤの出番ってわけだ?」
「ちっ……レベル1が偉そうに」
とりあえず、けん制でお約束のハッタリをひとつ入れておくか。
「なあ。レベル1でカナリヤとか、普通に考えておかしくないか?」
「うるせぇよ。ピーピーさえずるな……!」
くそ、返しがやけに上手いじゃないか。
大きな斧を構える『真牙狼』が鋭い眼光を俺へと向け、腰を沈める。
「香田っ……!!」
背後から聞き慣れた凛子の声が届く。
「みんな……少し下がって。ああ、そこの人たち。俺の背後は危ないから左右に散って」
視線を真牙狼からあえて外して、どこか余裕があるフリをして手で周囲の人間に指示すると、まるでモーゼが海を割ったかのように人垣が左右へと引いて行った。
その真ん中に、取り残される形で小さな凛子が立っていた。
「凛子は、そこで待っていて」
「う、うんっ……!」
弓なら、むしろ近づかないほうが良い。
その意図を理解している凛子はその場で小さくうなずいてくれていた。
いざとなれば凛子があそこから仕留めてくれるだろう。
……まあこんな街中であれをぶっ放したりしたら、もうこの街は出禁になってしまいそうな予感もするが。
もう少し――
「――あ。なるほど……」
「ぁん? どうした、三位様よぉ?」
「いや。またひとつ現実に即した良いアイディアが浮かんだだけだ。気にしなくていいよ。独り言を口にして悪かったね?」
今までの経験則だが、こういう脳筋の手合いは正面から煽るより少し引き気味のほうが良い。
『悪かった』なんて言うと弱気になってると勘違いして嬉々として威嚇を続けてくれる。
「ブツブツ独り言とか、もしかしてビビッてんのか? ぁん? どうした、この悪人を成敗するんだろぉ??」
……ほら、お約束のこの反応だ。
つまり向こうも『可能なら戦闘は回避したい』と内心思ってることが、こういう部分から推察可能だ。
結局は我を通して相手の意思をねじ伏せることが真の目的だから、その手段が暴力でも威嚇でも何でも良い理屈。
もう少し言えば、このままメンツを潰されることなく気持ち良く立ち去りたい……そんな風に考えていることだろう。
さて。じゃあこれで外堀は埋まった。
ギャラリーが取り囲む中で、大事な大事なその『メンツ』を守ってもらうとしようか。
「なあ、俺と賭けをしないか?」
「はぁ???」
「賭けに勝ったら――」
「――回りくどい」
俺のその言葉を制したのは、目前の『真牙狼』では無かった。
さらにその後ろ。
いつの間にかその2mはある巨漢の影に隠れるように、細身の男が立っていた。
「なっ!?」
そしてそのまま――……背後から右踵の腱を切って落としていた。
当然のようにバランスを崩し、真牙狼の身体は地面へと倒れ落ちる。
「ぐああぁぁ……っ!!! ひ、卑怯だろっ!?!?」
それは果たしてどっちに向けての言葉だろうか?
突然切り付けた背後の男か、それとも――単なる勘違いだが、言葉巧みに陽動していたことになった、この俺に向けてか。
今、さぞかし『まだ仲間が居たのか!?』とか『そういう作戦かよ!』ときっと腹を立てているに違いない。
だって……背後に立っていたその男もまた、俺とまったく同じコートを着ているのだから。
「黙れ」
「ひぎ、がっ!?!?」
倒れている真牙狼の左踵の腱も剣先で切り払う。
少しばかり深く刃が入り過ぎたのか、そのままくるぶしから下が落ちてしまいそうなぐらいに骨から断たれ、大量の血が石畳の街路を汚していた。
「……誰だ、お前」
その切り捌いた剣先に付着する血のりを払いながら、細身の男が俺へと問う。
それはむしろこっちが尋ねたいぐらいだ。
「誰って……そりゃ同じカナリヤ、なんだろ? 『サリウス』さん」
自分の着ている黒いコートをつまみ、その男の頭上にあるネーム表示を読み上げながら、精一杯の作り笑顔でそう答えるしか出来ない俺だった。





