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#016 本当の私なんて、たぶんいない

「――最っ低ぇ~……何それっ?」


 腕を組み、言葉を吐き捨てて怒り心頭の凛子。


「じゃあ何? 今もマミヤとかいうその香田のクラスメイトはEOEに閉じ込められたままだって言うわけぇ!?」

「深山な、ミ・ヤ・マ」

「腹立つわぁ……うーっ、ブッ殺してやりたい……っ」


 名前間違えるほどの赤の他人だというのに、まるで我がことかのように顔を真っ赤にしてギャーギャー叫んでる。

 ……というか。


「そろそろ俺の膝から降りない?」

「なんでっ!?」


 こうして相談している間もずーっと、俺の膝の上から降りようとしない凛子だった。


「あり得ないっ、あり得ないっ! 絶対にあり得なーいっ!!」

「そ、そんなに俺の膝から降りるのはあり得ないのか……」

「違うっ、その同じ仲間からの虐めのことよぅ!!!」

「あー」


 少し理解するまで時間が掛かったが、凛子がこうも怒り心頭な理由がようやくわかった。そうか、仲間の裏切り行為か。


「ムキーッッ、何それっっ!!!」

「こらっ、暴れるなっ、人の膝の上で暴れるなっ」

「それでっ!?」

「え?」

「それで、香田がそのクラスメイトを助けたいから、頑張ってるんだっ?」

「ああ、精一杯に頑張ってるんだけどね……むしろ状況は最悪だよ」

「さすが香田っ! 私が――……こほん。私が見込んだだけはある! うんっ」


 今、何を言い直したのかは謎だが、とにかくなぜか褒められてしまう。


「いや、だから俺はまだ何も」

「クラスメイトのために、そこまで出来る人は、なかなかいないっ!」

「そ……そう、かな?」

「しかもパーティの仲間でもないんでしょ!?」

「そこはあまり重要じゃない気がする。実際、凛子と俺も同じパーティじゃないだろ?」

「そう、そこは重要じゃないねっ!」


 調子いいなぁ。


「それで? そのクボとかいう死ぬべき存在はまだ教室にいるわけっ?」

「いやもうさすがに帰っただろ……そろそろ陽も暮れる」


 空を見上げると、すでに西日と反対側の空には星がいくつか見えていた。


「くそぉ……わかってたら、私がボコボコにしてやったのにぃ……!!」

「こらこら、凛子さん。それはただの暴力。犯罪行為。それにボコボコにしてどうする。深山が結局EOEから出られないのは変わらないだろ?」

「とりあえず泣かせる! 後悔させるっ! 話はそれからっ!!」

「はいはい、気持ちはありがたいが、落ち着いて」

「うーっ……」


 そうは言う俺だが、内心では凄く救われていた。

 ストレートに表現出来なくて内心でモヤモヤしていたものが、どこかへとそよ風と共に消えた。


「代わりに怒ってくれてありがとう、凛子」

「ひゃあっ!?」

「へ?」


 彼女の背後から細い折れそうなウェストの辺りに軽く手を回して、感謝の表れとして軽く背後から抱き寄せた……だけなんだけど。

 なんか不思議な声が聞こえてくる。


「な、ななっ、何をっ!?」

「……はい?」

「……っ」


 すげー顔真っ赤にしてる。

 本当によくわからないのでそのまま聞いてみることにした。


「どうした?」

「不意打ちっ、不意打ちだからっ! ウェスト、持つとかっ!!」

「それ、胸揉むより恥ずかしいのか……?」

「あれは私から香田に無理やりさせてることだからっ!!」

「???」

「なのに香田から、突然やってくるとかっ……ビックリするでしょ!?」

「ごめん、ここまで説明してもらってもさっぱりわかんないんだが」

「こ……香田からっ……だ、抱きしめるとか? あり得ないし!」

「そうか。俺から勝手に触っては失礼でしたか」

「逆っ、話をちゃんと聞け――っ!!!」

「こらっ、だから暴れるなっ…………逆?」

「こ、香田が、私なんか……触るわけない、とふつー思うでしょ……?」


 あまりの発想に頭が痛い。

 突発的に出てくるよな、凛子のこの自虐。


「どういう普通だよ……どうしてそう思う?」

「あ、ごめっ……やだなぁ、めんどくさいなぁ、私っ! 忘れて忘れてっ」


 あははっ、と手をひらひらさせて誤魔化す凛子。

 どうしたもんだか。

 明らかにまた凛子の心の傷が垣間見えてるけど、その患部を強引に開くことが彼女にとって良いことなのか、ちょっと判断がつかない。


「あっ、そ、そうだっ!!」


 悩んでる内に、凛子が手を叩いて無理やり会話を終わらせてしまった。


「ねえ香田、お腹空いてないっ?」

「え? いや――」


 ――ぐううぅ……。


 タイミングが絶妙で、まるで漫画のようだ。

 いや、自分の空腹具合を意識して内臓が反応したのだろうからただの偶然でもないのか。


「よっし♪」


 ニコニコして自分の黒いリュックを手元に手繰り寄せる凛子。

 ……まあ機嫌良さそうだし、このまま流すことにしようか。


「じゃ――んっっ!! さんどうぃ――っち!!!」

「おー」


 サンドイッチの入った小さなバスケットが凛子の小さなリュックから出てきた。


「香田、食べる~?」

「うん。ぜひ」

「はい、食べて食べて~♪」

「……はい、って」


 相変わらず膝の上に座っているままの凛子が、嬉しそうに足をバタバタさせながら俺の口元へとサンドイッチのひとつを運んでくる。


「あーん?」

「いや、別に食べ――」

「あーんっ?」


 さっきの超弱気発言はどこへやら。やはりグイグイ来る凛子だった。

 仕方ないので軍門に下る。


「……あー……ん」

「えっへっへ~……どう? 美味しいっ?」

「……」

「……どしたの? もしかして、微妙だった?」


 感想を口にしてこない俺の態度に、急に不安そうな顔をする凛子。

 いやそうじゃなくて――


「――……すげぇ……美味い……泣きそうだっ」

「はぁ!? さ、さすがに大げさ過ぎでしょっ!?!?」

「いや……ほんとに……サンドイッチって……こんなに美味かったっけ??」

「またまたまたまた~! さーっすがカリスマホストは上手いねぇ!!」

「…………」


 返事するのも面倒になってきて、凛子の手にするサンドイッチを夢中になって食べる俺。

 凛子の手についてる卵やマスタードまで舌で舐めとる。


「ひ、ひゃあ!?」

「……マジで、美味い」

「それはぁ……嬉しいけどぉ……正直そんな特別手の込んだものでもないしぃ」

「やっぱ身体は正直だなぁ……3日ぶりのまともな食事だよ、これっ」

「――は?」

「空腹は最高の調味料、とは良く言ったものだ……」


 EOEプレイ中ってのは身体を低温で冷やしての仮死状態らしい。

 なので食事をしなくても大丈夫らしいのだが、しかしもっと根源的な人間の欲望として『食事をする』という悦びの重さを思い知った。

 さすが人間の三大欲求のひとつは伊達じゃない。


「うーっ……」

「朝、牛乳と冷たいソーセージは胃袋に流し込んだけど……やっぱちゃんと作ってる美味しい料理って全然違うや。感動した!」

「うっ……そ、それだけで喜んじゃう私って……単純……」


 それぞれ勝手に独り言を口にしている俺たちだった。


「ね……香田。もっと食べる?」

「えっ、いいのかっ? でもそれって凛子の分が無くなるだろ?」

「ううん。元々全部、これ、香田のためだけに作ったのだから……とても足りないと思うけど」

「そうか? 結構な量あると思うけど」

「ううん……そういう意味じゃなくて……その……奪っちゃった武器の、せめてものお詫びの一部……こんなんじゃ、全然足りないけど」


 しゅん……としょげている膝の上の凛子が可愛い。

 『これで充分』とか言うと納得出来なくて逆に怒るんだろうなぁ。

 仕方ない、そういうことなら余すことなく全部頂くのが礼儀ってものだろう。


「じゃあ次、それっ、ツナっぽいの食べたい!」

「うんっ……はい、あーんっ!」

「くっ」


 そこはまだちょっと恥ずかしい。


「あーん?」

「あ、あーん……」

「えへへ~っ」


 食べている俺の顔を見上げて、満足そうに笑う凛子だった。


「あ」

「ん?」


 俺の顔を見て、何かに気が付いた様子で。


「ちょっと動かないで」

「?」


 ――はむっ。


「!?!?」

「えへへ……具、ついてたよっ」


 俺の顔へと振り向きながらちょっと背を伸ばし、頬の辺りについていたらしい食べカスを口で回収する凛子。それはまるで、キスされているような感じであまりの大胆さに無言のまま驚いてしまった。


「んー……ツナちょっとしょっぱ過ぎたかなぁ?」

「……」


 それでふと、確認したくなってしまった。


「ひゃ、ひゃあっ!?!?」


 ――すんすん。

 凛子の首元に顔を埋めて、オレンジのような柑橘系の香りを嗅ぐと、案の定そんな大げさな反応を示していた。


「な、ななっ、何っ!?」


 つまり、凛子から俺へと何かをするのはごく当然なことで、俺から凛子に何かをするのは意外極まりないってことなのだろう。

 きっと凛子の心の傷と何か関係があるんだろうけど……今はそれは置いといて、やっぱり人って面白いなと先にそっちを考えてしまう俺。どうしたらこんなバランスになるのだろうって、純粋に興味を抱いてしまった。


「サンドイッチ、おかわり」

「え。あ、はいっ……!」


 今度はトマトが具の中身として見えるサンドイッチが口元に運ばれる。


「あーんっ」

「あーん……」


 そろそろ慣れてきた。というか凛子のサンドイッチ食べるのに必要だというのなら、俺はこれを何度でもやっていい。


「うん……うんっ……」


 さっきは空腹でとにかく食事のありがたさに感動していたけど、腹も落ち着いてきて、ようやく正しく評価をするに至る俺だった。

 凛子のいう通りに普通のサンドイッチなわけだけど……それって地味に凄いと思う。味も見た目も、普段食べているプロが作る売り物みたいだってことだ。

 しかも具も卵にツナにトマトに、バリエーションも豊か。それは技術うんぬんじゃなくて、食べ飽きさせないための手間暇をちゃんと割いているってことだ。

 美味しい料理っていうのは神懸った超絶技巧や奇抜なアイディアじゃなくて、『ちゃんと作る』という基本が最も大切なんだと教えてくれる。

 そしてもうひとつ、大切なことをこの料理が雄弁に語っていた。

 猪突猛進で少し乱暴なイメージの彼女だけど、そうじゃない。

 実は細やかで、配慮が行き届いてて、ひとつのことに集中するのが佐々倉凛子なのだと思った。


「あー……」

「? どしたの?」


 つまりそれって、理想的な女性の姿だと思う。

 きっと家庭的で、一途で、浮気なんて絶対しないだろう。

 いわゆる『将来、きっと良いお嫁さんになるね』ってヤツだ。


「やっぱり美味いって感動してた」


 うん……さすがに黙っていよう。今の感想はセクハラだ。


「でしょ? 絶対お腹空いてると思ったんだ~!」

「そういう意味じゃなくて、純粋に凛子のサンドイッチが美味しい」

「またまたぁ~! お世辞なんて――」

「こら、怒るぞ? そういうのは互いに言わないんじゃなかったっけ?」

「――……うー……ごめん。というか、ありが、とう……?」

「それも俺のセリフなんだけどな。美味しい料理、ありがとう」

「うっ……」

「? どうした?」

「っ……迷惑になるから、いい……何でも、ないっ」

「う、うん」


 悶えて何かに我慢してる凛子だった。

 よくわからないが苦しそうなので話題を変えてあげる。


「そういや……なんで俺が、絶対お腹空いてると思ったんだ?」

「え。だってEOEは絶対、午前0時前ギリギリまでプレイしたくなるでしょ? それから家に帰って寝るなら睡眠ほとんど取れなくて、次の日の授業も昼休みも全部睡眠に使っちゃうかなーって?」

「凄い推察力だなぁ」


 まあ実際は久保と言い争ったり、深山のことを考えて悩んでたりで緊張してて食事どころではなかった訳だが、しかしもし平和だったならあっさり寝ていただろうことも事実だった。


「えへへ……実は、私がそうなだけ~」

「なるほど。それは納得」

「それにね? EOEの間って身体は寝てるけど、でも脳は起きてるからやっぱり微妙にお腹減ってくるんだよね、2~3日も経つと」

「……二ヶ月とか、身体持つのかな」


 そこでふと、深山へと思いを馳せる。


「あ……うん、そうだね。そこも心配だね。とりあえず私、一ヶ月間ずーっとログインしっ放しだった人と話したことはあるよ。ログアウトしてみると意外と身体は普通だったって」

「そっか」


 そういえばアクイヌスも、クラウン取るまでもうログアウトしないようなことを言っていた気がする。

 それがどれぐらいの期間を指すのかは不明だが、何となくかなりの長期を意味しているように感じ取れた。そういう覚悟が言葉に含まれていた気がする。

 逆説的に考えてみようか。

 例えばEOEを作った側からすると『ゲームから出られない』なんていう誓約が書かれてしまうのも想定の範囲内の出来事だったとしよう。

 そういう『ハメ』に対する救済として二ヶ月という誓約期間を設けたのなら、必然的にはそれは肉体の安全な範囲内であることを意味すると思う。

 つまり管理者側の責任問題になるのだし、もし2ヶ月という期間がユーザーにとって危険なら、もっと誓約が無効になる期間は短くなるのでは……?


「……つまりそこは、そこまで深刻にならなくていいのかな」

「EOEの中でそのミヤマに会えるなら、たぶん状態は確認できると思うよ」

「え? ステータスとかで?」

「ううん。例えば栄養失調とかなら思考が鈍るはずでしょ? なら、話してて反応が極端に鈍ってきたり、ゲーム内でずーっと寝てたりしてたらヤバイっていう感じできっとわかると思う」

「なるほど……脳の活動が落ちるか。なら、そういう現象が起きるまでは心配しなくても大丈夫ってことだな」

「うん、少なくとも一ヶ月ぐらいはきっと大丈夫」

「ありがとう。情報、凄く助かる!」

「えへへーっ……嬉しー……」


 屈託なく笑う凛子の笑顔は、不安な俺の心に癒しをもたらしてくれた。

 またお礼のハグをしたいところだが、驚かせたら悪いので自重しておく。


「そうなると……まず真っ先に解決すべきは深山の家への連絡、かな」

「電話番号は?」

「いや、聞いてない……急にログアウトすることになって慌ててた」

「さっきいたクラスのヤツらは? 担任とかは?」

「正直、事情を伝えられないだけに聞きづらいなぁ」


 まるで深山に気があるように誤解されてしまいそうだ。

 ……いや、気が無いかというと否定も出来ないのだけど、久保へのけん制として高井を応援することにした俺としては、あまり宜しくない。


「じゃ、さっき唯一謝ったっていうオカザキは? 事情知ってるでしょ?」

「もう帰ってると思うし、岡崎の連絡先も――……ああ」


 非常に皮肉な話だが、さっきの『§2A放課後会§』がさっそく役に立つ。


「お。香田のスマホ!」

「あ」


 ロックを解除したところで不意を突かれてひょい、と奪われてしまった。


「こ、こらっ」

「えへへっ、いいじゃんいいじゃん!」

「良くないって」

「ちょっとだけ、ちょっとだけーっ」

「……はぁ。もういい、好きにしろ」


 どうせ大した個人情報も入っていない。

 せいぜい俺の交友関係の狭さが浮き彫りになるぐらいだ。


「――はいっ」


 ものの2~3分で返還される俺の携帯スマホ

 画面を確認すると……IDによる検索結果が表示されていた。


『検索結果 1件 : d(・ω・)rinko(・ω・)b』


「登録しても、いいのだよ~っ?」

「……」


 俺は黙って画面をタッチして操作する。


「や、やあっ、消さないでよぅ!?」


 何を勘違いしているのか凛子が俺の手元にしがみついて騒いでいるが、俺はそれをあえて無視して操作を続ける。


 ――ピコン。


「んに?」


 目をパチパチさせてスカートの辺りを見下ろす凛子。

 ゆっくりスカートのポケットに手を入れて携帯を取り出すと――


『(・ω・)←これ好きだよな』


 ――きっとそんな表示が凛子の画面にも表示されているはずだった。


「えへへっ……えへへっ」


 嬉しそうに凛子が俺の胸の中へと、まるでソファにでももたれ掛かるように体重を預けてきて、リラックスした様子で小さな画面を操作している。


『超可愛いでしょ(・ω・*)』

『りんこほどじゃねーよ』


「ちょ、ちょっとぉ!?」

「……何だよ」

「隙あればそういうこと言うんだからっ……もうっ……もうっ!」


『香田も可愛いよっ♪』

『どうした? いまいち返しの切れ味が悪いな?』

『うー……(´・ω・`)』


 ちらっと見下ろすと、メッセと同じように「うー……」って唸って、口を尖らせてるのがまた面白い。

 

『こうしてると、なんかあの時を思い出すなぁ』

『うん……また、チャットしてね?』

『ん? 今、してるだろ?』

『ううん……EOEでしたい』


 その気持ちはちょっとわかる気がした。

 相手の声も聞けて……あれは独特の空気がある。


『そうだな』


「うんっ……えへへっ」


 胸の中で笑顔を咲かせてる凛子だった。


「それでそれで?」

「ん?」

「香田、何かしようとしてたでしょ?」

「あ」


 凛子と遊んでて、うっかりしてた。

 改めてメッセージ画面のリストから『§2A放課後会§』を選ぶ。

 何かどうでもいい挨拶とか、さっき俺を連れて行った凛子の話題が散見できたが、今はスルーして右上のタブからグループの登録一覧を表示させる。


「わかりやすいので助かった」

「?」


『OZ』という名前がひとり。

 それはEOEでも同じ、岡崎のハンドルネームなのだろう。


「コイツ? ブッ殺すひとりって」

「そんな可愛い顔して物騒なセリフ言わなくていい」

「か、可愛い、とか……いちいち無理してもう挟まなくていいからっ」

「そう? じゃあもう言わないけど」

「………………リアルの香田、やっぱり意地悪っ……」


 ぶすっ、と頬を膨らませてる凛子がまたまた可愛い。


「じゃあ岡崎に、どう書こうかな――……うん?」

「うーっ……」


 膝の上で、ちっちゃくなってぽろぽろ涙を流してる凛子がそこにいた。


「ああっ、もうっ、泣かないでくれっ、意地悪した俺が悪かったからっ」

「あうーっ……」


 『胸』と『可愛い』はとにかく凛子のウィークポイント過ぎる。

 深く反省した。これは冗談みたいに気楽に触れちゃいけない話題だし、もし触れたら軽く流しちゃ絶対にダメなんだ。


「無理して挟んでるんじゃなくて、本当に凛子が可愛いからそう言ってるの!」

「そうじゃないっ、そうじゃ、なくてぇー……『もう言わない』ってぇー……」

「あ、そっちか……わかってなくてごめん。やっぱり凛子のこと心から『可愛い』って思ったら、正直にその気持ちをまた言ってもいい?」

「うんっ……お願いっ、しますっ……」


 何度も何度もうなずいて、凛子からお願いをしてくれる。


「ごめっ……めんど、くさくてっ…………私も、いい加減っ……ひぅ」

「本当悪かった。ごめん」


 そろそろお互いのこの『ごめん』大会も終わらせなきゃ……と思って背後からそっと抱きしめると、びくっ、と肩を震わせて凛子は身を強張らせた。


「凛子は可愛いよ。凄く可愛い」

「……もう、だいじょぶ……ごめ……あり、がとっ」


 はぁー……と深い息をひとつ吐いて、それで凛子はようやく身体を緩めた。


「ぐしっ……なんでだろ……私、ずっと……こんなんじゃ、なかったのにっ」

「違うのか?」

「うん。こんな、泣き虫じゃなかったよ……? 何でだろ……香田の言葉ひとつひとつが……凄く、心に入ってくる感じ」

「そっか。以後、軽はずみなこと言わないように気を付けるよ」

「ううんっ……ううん、違う。それ、ヤだ……違う!」

「違うの?」

「本当のことだけ……聞きたい。嘘とか、お世辞とか、ヤだっ……」

「傷つくことでも?」

「ん……それでも聞きたい……そうでなきゃ、ヤだ」

「じゃあそうする。さしあたっては――」

「?」

「今、泣いてる凛子も、凄く可愛いとか思ってるよ?」

「うぅーっ……複雑……どうして、私……こんなになっちゃったんだろ……本当に今まで、こんなんじゃなかったのにっ」

「なら、今までは具体的にどういう感じだったの?」

「あの……香田。嬉しい。凄く嬉しいけどさ……私もう大丈夫だから、さっきの作業の続き、しよ?」

「――あ」


 もうすっかり辺りは薄暗くなっていた。

 あと30分もしないで夜になる……そんな感じ。


「凛子と話してるとすぐに脱線しちゃうなぁ。話が尽きないや」

「えへへ……それは、地味に、嬉しいデス……」


 ぼそぼそとしゃべってる凛子のつぶやきは独り言と判断して、促されるまま、さっきの作業の続き――岡崎へとメッセージを送ることにした。


『岡崎……今、大丈夫?』


 どう話すかまだいまいち決まってないが、目的ははっきりしてる。深山の連絡先を教えてもら――……あ、いや。


「アホか、俺は!?」

「おっ? 香田、どうしたの?」

「深山本人の連絡先とか、教えてもらっても無意味だろっ……?」


 何せ本人の肉体はただいまEOEのトレーラーの中で氷漬けだ。そのポケットの中の携帯が鳴っても何の意味も無い。


 ――ピコン。


「む……」


 そんな反省をしてるところで岡崎から返信が届いた。

 凛子とふたりでひとつの画面を見た。


『ってゆーか、コーダどこ? ずっと待ってんだけどぉ』

『へ? もしかして……まだ学校にいるのか?』

『コーダの自転車のとこで、待ってるけど?』


「おいおいっ、それ、何時間だよっ!?」

「ひゃあっ」


 がばっと身体を起こして凛子共々立ち上がる。


「凛子、とりあえず岡崎と会おう」

「ちょっ、待って……私のカバンっ……」


 振り返るとサンドイッチを入れていた小さなバスケットをリュックに急いで詰めて、凛子がすぐに追ってきている。


 自転車置き場は体育倉庫のすぐ横だ。

 ここから歩いて数分とかからない。

 ……というかすでにこの時点で遠くに突っ立っている女子の姿が見えた。


「おいおい、岡崎っ」

「――あ。コーダ、やっほ~」

「やっほー……って。お前……俺たち、何か約束してたっけか??」

「いや、別に。単にちょっと気になったから、待ってただけ。自転車あるから、ここで待ってたら確実にコーダと会えるって思ってさ?」


 あっけらかんと言ってるが……凛子が教室に現れてから軽く2時間以上は経過してる気がする。

 その間、ここでずーっと突っ立って待っていたというのか。


「ハチ公かよっ!?」

「え。なになに、それ公園?」

「お前の大好きそうな渋谷にあるから、一度拝みに行ってそこで学ぶといい」

「シブヤ! コーダ、シブヤ詳しいんだっ!?」


 そこで目を輝かせなくていい。


「ね……この馬鹿っぽいのが、オカザキ?」


 凛子が追いついてきた。


「なあコーダ……その。アタシもあんま人のこと言えないけどさぁ……でもソレはマジで人としてヤバイってぇ!」

「え?」


 チラチラと何度も視線を凛子に送る岡崎。


「さすがに……制服からして、ギリ中学にはなってるんだろうけどさぁ……」

「私、18歳ですけどっ!?」

「「はいっ??」」


 そう同時に驚いたのは、岡崎と俺。そう、俺も。

 ……高校生、どころか……まさか上級生としうえ、とは…………。


「っ……!!!!」


 ああ、怖いっ。今、すっごい怖い。凛子さんの目つき、超怖い!


「ねえ……香田……やっぱりコイツ殺していい……?」

「いやダメだって!?」

「センパイ、ちぃーっす! 岡崎っていーます! いやぁ、マジ感動っ!」

「知ってるわよっ!! さっき名前言ってるでしょ!?」


 空気が読めていない岡崎が軽~い挨拶を交わす。

 ……ん? 岡崎が、空気読めてない??


「へぇ~。センパイっつーか、コーダの彼女、マジロリ可愛いっすね!」

「か、彼女……って……そのっ」


 なぜ、そこでたじろぐ? というかロリはスルーで大丈夫か?


「いや、彼女じゃないよ」

「えーっ!? でも好きな人だって」

「そう、俺が一方的に好きな人」

「――~~っっ……!!!?」


 顔を真っ赤にしてこっちを凝視してる凛子。

 いやいや、そろそろ気が付けよ。俺たちおちょくられてるんだってば。


「――という設定なだけ。EOE関係な?」

「ですよねーっ?」


 待ってました、と言わんばかりに驚きもせずに応じて笑う岡崎。

 たぶん……そうだな。教室に凛子が乱入してきた時点で岡崎なら察知していた気がする。


「あ、ぅ……ううっ……ぐっ!!!」


 わなわなと全身を震わせ、すでに視線で人を殺せそうな凛子先輩であった。


「……それで、気になったって、凛子のこと?」

「あ、センパイの名前『凛子』って言うんすね?」

「佐々倉先輩って呼びなさい……」

「へーい、サークラセンパイパイ!」

「絶妙にムカつくわね……この子」


 あ、それはわかる。


「コーダ、でもそれはブブーッ!!」

「もっとわかるように話してくれ」

「えーとぉ……もしかして今日も深山のとこ……行く予定かなって、さ」

「! ああ、まあ……可能ならそうしたいけど」

「いえ。それは無理ね」

「それは胸無ぇ?」

「そこのアナタ、そろそろ殺すわよっ!?」

「ぎゃはははっ」


 ギャーッ、と噛みつきそうな勢いで岡崎からのちょっかいにいちいち反応している猫みたいな凛子。

 そういや、凛子の話し方がずいぶん変わってる。

 表情も凄い強気な感じだし、まるでさっきまで泣いていた子とは別人みたいだ。

 『今まではこんな感じじゃなかった』みたいなことを言ってたけど……つまり、むしろこっちがいつもの凛子、なのか。


「……そっか」


 それは間接的に、俺に喜びを与えてくれていた。

 いつぞや、俺を騙してダガーを奪った時……俺の頬を叩いて少し乱暴な言葉であざけり笑ったあの『りんこさん』は本当に無理していたんだなと、こんなところで妙に実感していた。

 あれは今、こうして強気に話す『いつも』の凛子ともまた全然違う。

 つまり、あれは凛子の本性なんかじゃない。

 むしろ逆で、あえて憎まれるような悪者を演じていたんだろう。

 本当に不本意で、だからこちらからすると不思議なほど『単純な馬鹿』と表現したことに対して謝罪を繰り返していたんだ。

 そのことを再確認できたことが、俺は本当に嬉しかった。


「……やりづらい……凄くやりづらいわね……ああ、もぅ……あとでどう言い訳しようかしら……」

「それで凛子――あ、いや、佐々倉先輩。何で無理なんですか?」

「うーっ……!!!!」


 『佐々倉と呼ぶな!』と視線で訴えてる凛子。

 仕方ないだろ。EOE関係の人というのを明かして俺の好きな人というのはただの設定ってバラすなら、つまり先輩に対しての敬語とかも含めて、少なくとも岡崎の前では俺の態度も見直さなきゃいけない。


「ね、コーダ……」

「あん?」


 ひそひそ声で俺だけにささやく岡崎。


「それは、マジでやめておいたほうがいーっぽいよ?」

「そ、そうなのか?」


 難しいな……これは確かに俺も『やりづらい』。

 ただ岡崎が介入するだけで、俺と凛子の関係はガタガタになってしまった。


「はぁー……じゃあ香田。どうやってログインするつもりなのかしら?」

「え? あ、アクセス方法か……頑張って自転車かな……」

「そこの馬鹿も入れて、『3人』で……?」

「――あ」

「そ。もうわかったでしょ?」


 そうだった。

 そもそもEOEは4人一組でなきゃログイン出来ないんだった。


「無理やり今夜4人目を見つける方法もあるけど……まあ、ログインは明日にしたほうが賢明ね。香田も連日、家を空けると大変でしょう?」

「それは……まあ……そうだけど。でも深山がひとりだと心配だ……」


 まだ凛子に説明してないけど、もし深山がゲーム内で死亡したら……。


「……始まりの丘の中ならどうにかなるわよ。パッシブ系しかいないし」

「でも俺、以前『ラウラダ』ってヤツと戦った時は突然襲われたけど」

「えっ。香田、ラウラダとソロで戦ったの!? すごーいっ!」

「凛子先輩……戻ってる、戻ってる」

「え、あっ……こほん。それはそうね……たぶん香田と戦闘する前に誰かがヘイトつけて逃げたか、あるいは逃がしたんだと思うわ」

「ああ、うん。そういやそうだったかも」

「確かにそういうのに巻き込まれる可能性はあるけど……それでも逃げに徹してたらほとんどリスクは無いはずだわ。エンカウント・リロードも早いし」

「はい、凛子先輩。エンカウント・リロードって?」

「…………一定時間で強制的にエンカウントするシステムのことよ。逆に言えば、逃げていれば一定時間でエンカウント状態からも解放されるの」

「それが始まりの丘では、早い?」

「そう。正確には次にエンカウントするまでの間隔は極端に遅く、そして解放されるまでの時間が逆にとても早いの。つまり始まりの丘の中ならモンスターとは出会いづらく、逃げやすいってことね」


 何となく1日に1匹、強制エンカウントなのかなと経験則から予想した。

 だとしたら今日はもうとっくにエンカウントしているかもしれない。

 ……深山、大丈夫かなぁ?


「ふぁ……っ」

「そこっ、眠そうにしてないのっ!!」

「胸そうして無い?」

「ぐむむむっっ……この馬鹿はぁ!!!!」


 凛子……そうやって過剰に反応するから、オモチャにされて……だから傷つくんだよ、と今すぐに教えてあげたい。


「ねえねえ、それでコーダはぁ?」

「うん?」

「とりあえずアタシはそんな理由で待ってたけど……コーダは、どうしてアタシにメッセしたのさ?」

「あ、そうか」

「なになに? アタシに愛の告白とかぁ~?」

「っっ!?!?」


 なぜそこで凛子が過剰に反応する。


「無い。それは無い」

「ちぇー」


 当然だが、岡崎は全然まったく残念そうにしてない。


「いや……実は深山の家の電話番号、知らないかな……ってさ」

「深山姫の家電? いやさすがに知らないけどぉ」

「だよなぁ」

「――住所じゃ、ダメ?」

「えっ。深山の家の住所知ってるのかっ!?」

「ほら、駅から南にずーっと行ったところに古い本屋あるじゃん?」

「……ああ、まあ」

「そこから右に曲がってぇ」

「右ってどこ基準?」

「そこから5分ぐらい歩いてぇ」

「アバウトだなぁ……もういい。文明の力を借りよう」


 そう言いながら携帯の画面に周囲の地図を表示させる。


「――ここらへんか?」

「えと? 右が、こっちで……? えーと??」


 そのまま地図が表示されている携帯をぐるぐる回転させそうな勢いだった。

 当然、逆さまにしたら画面も回転してしまうわけだがな?


「ストリート画面にするか」

「ああうん! これ! このまま真っすぐ!!」


 実際に歩いているような表示モードにすると一発でわかったらしい。

 相対的な位置関係ではなく場所場所の特徴で把握しているとか、何かやっぱり犬っぽい。


「――ここ! ここっ!」

「おお……深山……確かに!」


 ストリート画面の中の実際の表札に『深山』の文字が確認できた。

 ……しかしなんだこの豪邸は……本当にここは日本なのか?

 普通の家庭だともはや固定電話は絶滅寸前だが、これぐらい豪邸ならむしろありそうな気がした。もしや執事室に繋がったりして?


「……うー……」


 その唸り声で、ふと気が付いた。


「……私も画面……見たいんですけどぉー…………」

「あ、ごめんっ」


 俺と岡崎で立って画面を見ていたものだから、凛子を置いてきぼりにしてしまっていた。正確には手に持っている携帯の画面より凛子のほうが少し高いわけだが、しかしほぼ真横からでは厳し過ぎる。


「ぎゃはははっ、サークラセンパイ、ロリかわい~!」

「うるさいわねっ!! アンタに言われてもちっとも嬉しくないわよっ!!!」

「岡崎、笑い方」

「あうっ」


 ぽかっ、と軽く頭を叩いてから。


「でもよく教えてくれた。サンキュ」


 その叩いた部分を撫でてやる。


「へへへっ……ゲーム行く時、深山姫の家の前で待ち合わせしたんだよね~!」

「なるほどな」

「…………」

「? どうした、凛子先輩」

「…………別に」


 ぷいっ、と明後日の方角を向いてしまった。


「ねえ、コーダ。じゃあ明日、深山姫に会いに行くの?」

「そうしたいけど」

「……お願い。アタシも連れて行って欲しい。あ、もちろんお金自分で用意するからさぁ」

「それは俺からも言おうと思ってた。つまり……消してくれるんだな?」

「うん……あと、ちゃんと、謝るし」

「ついでにふたりでしっかり話してこい。何かすれ違いがある。たぶん」

「…………うん」


 真っすぐに話せば、伝わるし……岡崎は決して悪いやつじゃない。

 まわりに感化され過ぎたり、空気読み過ぎてピエロを演じたり、ボタンの掛け違いみたいな不運で悪いほうへ悪いほうへと流されてしまった部分が多そうだ。

 少なくとも敵意むき出しだったらしい深山に原因が無いとも言い切れない。

 もちろんそれで全部許されるわけじゃないけど……ここから先は深山が許すかどうかを決める話だ。俺が問い質す部分はもう無い。


「――ね、香田。そのミヤマって……もしかして、女? 姫、姫ってそこの馬鹿がさっきから呼んでるのだけども」

「ああ。そうだけど、言ってなかった?」

「クラスメイトってだけしか私聞いてないんですけどぉ!?」


 どうやら男と思い込んでいたらしい。やけに不満そうである。


「ねぇ、そんなに『姫』なの?」

「超~お姫様って感じぃ!」

「アンタに聞いてないわよ……でもそう。ふぅん……」


 今度は何かを疑ってるような目で俺をジロジロと観察してる。


「凛子先輩、どうした」

「……はぁ。まあいいわ。じゃあ電話するわね?」

「え」

「……何? そこの馬鹿そうな子のほうが良い? まさか男の香田が電話しないわよね??」

「いや、そうじゃなくて……電話番号は?」

「104のサービスぐらい知らないの?」

「……存在は知ってるけど、使ったことはない。教えてくれるものなのか?」

「電話帳に載ってる固定電話ならね」


 そう言いながら、すぐに電話を掛ける凛子。

 携帯を耳に当てながら自分の腕を抱えるポーズは妙に大人っぽい。


「――電話番号を教えてください。名前はミヤマ。住所は――」


 事務的にやり取りしている凛子をなんとなく眺める俺。

 瞳を細め、髪をかき上げながら話している姿も画になるなぁ。

 ……あ、こっちの視線に気が付いて、ぷいっ、とそっぽを向いた。


「――はい、終了」


 電話を切る凛子。あ、ヤバイ。凛子鑑賞に熱中しててどんな会話をしていたか聞き逃してしまった。


「じゃあ、すぐにミヤマの家に掛けるわよ?」


 どうやら調べることに成功してて、その電話番号はすでに暗記しているらしい。さっきの住所といい、凛子は地味に記憶力が凄いな。


「……どう説明しようか」

「香田に考え、ある?」


 携帯へと電話番号を入力しながら、凛子が確認してくる。


「正直、妙案は浮かんでない。警察沙汰にするかどうか迷ってる感じ」

「それは最終手段よね……私に任せてもらって良い?」

「え。ああ、頼む」


 俺がそう答えた途端、躊躇なく通話ボタンを押した。


 即断即決。

 なるほど、集中している時の凛子ってこんな感じなんだな。

 これは……正直、思っていた以上に心強い。


「――もしもし、ミヤマさんのお宅でしょうか?」

「っ……」


 俺以上に、実は岡崎のほうが固唾を飲んで緊張していた。

 まあそれはそうか……言ってしまえば犯人のひとりなんだから。


「私は……はい、そうです。ミヤマの友達です。実は……伝言、頼まれてます」


 ちらり、とこちらを見る凛子。微笑むぐらいには余裕があるみたいだ。


「まず……連絡遅くなってごめんなさい、と……ええ。そうです。無事です。今、私のウチにいます」


 ああ……それは親、安心するよなぁ……なるほどなぁ。


「それでミヤマ、しばらく帰りたくないって言ってて……何があったかはわかんないんですけど、すごく泣いてて……心配していると思うんですが、しばらく、そっとしてあげてくれませんか……そう言わないでください。彼女、凄く真剣に悩んでるみたいなんです」


 もう黙って成り行きを見届けるしか出来そうも無かった。

 ちらりと隣を見ると、岡崎は両手を合わせて祈るようにしていた。


「――じゃあ、いいです……もう電話切ります……!」


 え。上手く行ってないのか……。


「――だって……ミヤマのお母さん……そんなんじゃ話し合いなんて無理ですよ……さっき言ったように、彼女、本当に真剣に悩んでるんです。……はあ!? とにかく一度戻れって……それって本当に娘さんのこと心配してるんですか? 今の状態がつらくてどうしようもないから、逃げ出したんですよ? まだ何も解決してないじゃないですかっ、それってただ、世間体とか学業とかそういうこと心配してるだけなんじゃないですかっ!?」


 ……ヒートアップしてるなぁ。聞いてるだけで圧倒されてしまう。

 そして同時に彼女の演技力にも唸ってしまう。

 さすがはこの俺からダガーを騙し取っただけはある、ということにしておこう。


「――もしかしてそうやって一方的に話してるから、彼女、ミヤマのお母さんに直接相談出来ないんじゃないんですかっ!? ミヤマ可哀想です! それ、酷いですっ! もういいっ……電話切りますっ!!」


 ――ああ、なるほど……なるほどなぁ……感心してしまう。

 安全を伝えて、でもこちらの情報は遮断して早めにコンタクトを切る。

 そして深山が失踪した理由を親に原因があるかもしれないとしている。

 家庭内の問題……それならたぶん、警察沙汰にはならない。

 世間体を気にしている親というなら、学校にも取り繕う可能性が高い。


「――はいっ、そうです! ミヤマは元気ですっ、親友の私が責任持って助けますっ、私の家にいます、押しかけてくるから名前は言えませんっ、ではっ!!」


 最後に念を押して一方的に電話を切る凛子。

 思わず拍手したい気分だった。

 正直、俺にこれと同じかそれ以上の結果なんて絶対用意出来なかったと思う。


「そんな一方的に切って、向こうからコールバックしてこないのか?」

「無理よ。非通知にしてるもの」

「サークラセンパイ、すっげぇ! マジかっけぇー!!」


 ふう……とため息を軽くついて涼しい顔で微笑んでる。

 本当に頼もしい仲間を手に入れたことを、俺は今さらながら実感していた。


「これでとりあえずは、しばらく時間を稼げそうね。また数日したら私から電話しておくわ」

「ありがとう、凛子……本当に助かった」

「こんなの、助けている内にもまだ入ってないわ。大変なのはこの先……そうでしょ?」

「それは……うん。そうだけど……でも礼ぐらいはさせてくれ」

「ま……そこまで言うなら、後でお礼はしてもらうわ」


 凛子も少し汗ばんだのか、肌についた髪をかき上げて払いながらそう言うと。


「さ。香田……4人目のことは後でメッセ送るから……もう解散しましょ」

「ん? ああ、そうだな。もうすっかり暗くなってるな」

「じゃ……解散。またね?」

「え、あ、ああ……」


 淡々と凛子は自ら率先して別れて行く。

 慌てて俺はその小さくなっていく背中に声を掛けた。


「なあ、送らなくて大丈夫か?」

「いらない……ほら、そこの馬鹿も早く帰りなさいよ。香田が気にするわよ?」

「あー、だいじょぶ。アタシんちは目の前だし~」

「そ。じゃあね」

「あ、ああ……またな」

「したらば~っ!」

「……どういう別れの挨拶だよそれ」


 こうして俺たち3人はバラバラにそれぞれの家路へと向かった。


「深山……大丈夫かな……」


 ぼんやりと夜空に浮かぶ弓なりの月を見上げながらつぶやいた。

 独り取り残す形になってしまって、責任を感じる。

 今頃どうしてるだろうか?

 そういや最後、ちゃんと深山の顔も見ないで出発しちゃったなぁ……。


「さて……俺も母さんに怒られてくるか」


 ――ピコン。


「ん?」


 メッセが届く。凛子からだった。


『待って』


「……?」


 端的過ぎて、意味が理解できない。

 歩きながら質問しようと入力していると――


『そこで待っててよぅ(´;ω;`) 』


「そこ?」


 ――さらにメッセが届いて、立ち止まると。


「うわっ……と、とと……」


 背後からタックル――いやさ、不意に抱きしめられる。


「うー……」


 首を反らして少し振り返ると、俺の背中に顔を埋めて唸ってる小さな美少女がひとり。

 どうでもいいが、やはり肩ぐらいまでの長めのツーサイドアップってのは個人的にかなり好みだ。


「凛子、どうした? 帰るんじゃなかったのか?」

「うーっ……うううーっ……」


 さて、どうしたものか。


「……ただ泣いてても、わからないよ」

「あうぅー……」


 まあいいか。凛子がこうしたいって言うなら、それに従うまでだ。


「…………嫌いに、なっちゃった……?」

「はい?」

「だからっ……えぐっ……嫌い、なっちゃったぁ……っ?」

「何をどうやってその答えに辿り着いちゃったんだ? 正直俺にはまったく理解が及ばないんだけど……」

「ううぅー……」


 ぐりぐりと顔を何度も俺の背中に押し付けて、もっともっと、抱きしめてる。


「もういいや。じゃあ理由もとりあえず置いておくよ……嫌ってない。感謝しか俺の心には無いよ? だから安心してくれ」

「ぐすっ……誓約で『嘘ついてない』ってつけてよぅー……」

「リアルの中で、ずいぶんと無茶なことを」


 どうしたもんだか。後頭部を掻いてちょっと悩んでしまう。


「とりあえず、どこか座れるところに移動しようか?」

「ヤだっ……香田、もう帰らなきゃ……ダメだもん。迷惑掛けたくないもん」

「だからって、道端でこのままでいるのもどうかと」

「もう帰るっ……もう帰るからぁ……だから、もうちょっとだけっ」


 ほんと、人って面白い。

 また同じことを繰り返すが、さっき深山の親に対してあれだけ演じ切り、岡崎に激怒していたあの佐々倉先輩と……今、背中で必死に顔を隠してるこの凛子が同一人物とはなかなか思えなかった。


「――香田っ」

「うん?」

「今日……いっぱい、いっぱい話してくれてありがとう……嬉しかったっ」

「俺の方こそ、わざわざ会いに来てくれて嬉しかった。凄く感謝してる」

「来て……良かった」

「うん。会えて良かった」

「私……いっぱい空回りしちゃった……どうしたらいいのかわかんなくて、たくさん困らせちゃった」

「凄い密度だったなぁ。凛子と話していると、楽しくて時間忘れるよ」

「っ…………!!! そ、そんなこと……言うと、勘違い、しちゃうよ?」

「え?」

「ま、また……私なんかが、会いに来ても……迷惑してないって、勘違いしちゃうよっ?」

「安心してくれ。それは勘違いじゃないから」

「……ほんと?」

「こらっ、怒るぞ? また俺の本音を疑うのかっ?」


 あくまでふざけた感じで、ぽん、と背後の凛子の背中当たりに手を置いた。


「あう…………ごめん、なさい」

「わかればよろしいっ」


 ややしばらくして。


「…………本当の私って……こんな、だったんだぁ……こんなに寂しがりやで、傷つきやすくて……泣き虫でっ……めんどくさくてっ……」


 そんな言葉を噛みしめながら呟いている凛子。


「たぶん、どっちも凛子だよ。それぞれ違う角度から見ているだけ」

「でも……でもっ、こ、こんなにっ……」

「うん?」

「――嫉妬深いなんてっ……知らなかった、よぅ……っ……」


 また泣き始めてしまう凛子だった。


「ミヤマ……ミヤマって人が、うらやましい、よぅ……っ!!」

「どうして? 虐められて、閉じ込められて、酷い状況なのに?」

「香田に、こんなに心配されてるっ……!! 香田の心の真ん中の、すっごく大きなところに存在してるっ……!!」

「……いや、そんなには……」

「心配してるっ……凄く心配してるっ……!!」

「うん、まあ……それは」


 参ってしまった。


「オカザキもずるいっ……ずるいっ!!」

「はあっ!?」


 それはさすがに俺も素っ頓狂な声を上げてしまった。


「岡崎のどこがずるいのか、3行以内に簡潔にまとめて教えてくれっ」

「頭……ポンポンされてたぁ……」

「いや、あれは叩いてるんだが」

「なでなでもされてたぁ!!」

「……まあ、確かにしたが、あれは犬的な――」

「うー……っ……」


 えーと、つまり。


「凛子」

「ごめっ……どうかしてるっ……私、もう言わないからっ……!」

「いいから、ほら、こっち来て」

「きゃっ!?」


 背中に張り付いてる凛子を無理やり引き剥がすと、俺の目の前に持ってきて。


「ううぅー……」


 ぽろぽろ涙落としてる彼女を。


「ぁ……」


 胸にしまい込んで。


「今日は、ありがとう。感謝しきれないよ……これはそのお礼」

「ふぁ……」


 ゆっくりゆっくり、凛子の綺麗な髪を何度も撫でる。

 心を込めて、愛情を込めて、丁寧に。


「ん。嬉しい、嬉しいっ……」


 ようやく少し笑顔になってくれた。

 ぎゅっ……と凛子も俺の制服の胸の辺りを握って。


「ね……ぽんぽんも」

「はい」


 ぽんぽん、と最後に頭に手を置いてねぎらう。


「えへへ~……」


 それでようやく今日何度か見た、柔らかい心をそのまま剥き出しにしたような屈託のない笑顔を、凛子は俺へと遠慮なく見せてくれた。


「香田ぁ~」


 むぎゅーっとその小さな身体全身を使って俺の胴へと腕を回し、密着を楽しんでいるようだった。


「――…………え。あ……ごめん。その……嫌、だった?」

「まさか」


 俺がちょっと身を硬くしていたことを瞬時に感知すると、顔を上げて不安そうにこっちを覗き見る凛子。本当にこういうところは過敏だ。

 少し恥ずかしいが、ありのままの本心を凛子に伝えることにする。


「凛子の胸が当たって……ちょっと緊張した」

「はうっ……!?!?」


 途端に顔を真っ赤にする凛子がまた可愛い。


「そ、それはぁー……こんな、貧相なものを、押し付けましてぇ――」

「――最後に、ちょっとだけ、触らせて」


 凛子の自虐の言葉を覆うように、俺からそんな赤裸々なお願いをひとつ。


「う、うんっ……!!!」

「ありがとう」


 ――ふにゅ……。

 軽く軽く、数秒だけ胸に手を押し当てるだけのペッティング。

 いくら暗いとはいえ、道端じゃこれが限界。


「すげぇドキドキ……する」

「う……嬉しー……」


 瞳を閉じ、触られている感覚を味わって、噛みしめるようにつぶやく凛子。

 今でも不思議な気持ちになってしまう。

 こんな魅入ってしまうほどに可愛い女の子の胸を触って、何で感謝されたり喜ばれたりするのだろう。もしかしてここまでの全部が、俺の都合の良い夢なんじゃないかと不安になるぐらいだった。


「ぁ……」


 俺が手をゆっくり離すと、少し名残惜しそうにそうつぶやいてくれた。


「じゃあ……ほどほど良い感じだし、これで今日はお別れしようか」

「…………うん」


 じっ……とこちらを上目遣いに見つめ続ける凛子の瞳は、潤んで輝いていた。


「おやすみ……また明日」

「ううん、また夜にメッセ送るからっ」

「あ、そっか」

「えへへ、またっ!」


 最後は凛子のほうからタッ……と駈けて、そのまま振り返ることなく一気に走り去って行った。


「……」


 手に残る凛子の柔らかい感触と、微かなオレンジのような柑橘系の香り。


「――あぁ、イカン。気を付けないと……」


 深山を救うという本来の目的がすり替わってしまいそうなぐらいの強い引力を感じて、俺は慌てて頭を数回左右に振り、その迷いをかき消す。


「さ……今度こそ帰ろうっ」


 踵を返し、改めて俺も自宅への帰路に就いた。



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