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#015 利用してる

「香田、いたぁぁ!!」

「りんこ……?」


 茶色のブレザーを着ているちっちゃな女の子が俺を指さして叫んでた。

 俺のほうはもう……頭の中が大混乱中だった。


「ちょっと。あの制服って……聖学?」

「ちっちゃくて、気が強くて……て!」


 周辺がざわざわしている。そりゃそうだ。

 違う学校の生徒が飛び込んでくるだけでも一大事だ。


「香田、ちょっとこっち来て!」

「お、おいっ」


 俺の制服の袖を掴むと、精一杯に引っ張って俺を廊下へと連れ出そうとする彼女。


「グイグイ来るねぇ」

「確かにっ!」


 見届けてる周辺のやつらから、そんな会話が耳に届く。


「じゃあ、あの子が香田の好きな人?」

「――ッッ!?」


 目を見開いて、目の前のちっちゃな子がそう言った女子へと向き直った。

 ああぁ……誤解、される……だって、まさか……まさか本当に表れるとか想像するわけ無いじゃないかぁ……。


「ほら香田っ、ちゃんと歩いてっ!」

「へいへい……」


 観念した俺はうなだれながら大人しくついていった。


「――ねえ、香田。ここら辺に人のいない場所って無いの?」


 廊下に出ても、周辺の視線はすべて俺たちに集まっていた。

 紺色の制服の中で茶色ってだけでも嫌でも視線が行く。

 その上で普段から悪目立ちしている俺を引っ張っているんだから当然だ。

 もう少し言えば背丈もちっちゃくて、アイドルみたいに顔も整ってて、存在感たるやハンパない。


「校内でそれは無理だろ」

「ほら、お約束の屋上とか体育倉庫とか!」

「今時屋上解放しているところってあるのかなぁ……あってもむしろ放課後の人気スポットだと思うんだが」


 そういう発想するってことは、彼女の学校では屋上が解放されてて人があまり集まらないってことなんだろうか?


「体育倉庫! 体育倉庫ならあるでしょ?」

「あると思うけど……オススメしないなぁ」

「えーっ、どうして! そこでエッチなことするとか伝統のお約束じゃん!?」

「それはどういう伝統だよ……行ってみるかぁ? 絶対後悔すると思うけど」

「行くっ! ほら、連れて行って!」

「あ、ああ……まあ、いいけど」


 その前に、改めて自己紹介とかしないのだろうか?

 グイグイと手を引っ張られながら、俺は内心でそうボヤいていた。


 ◇


 ――ガガガッ……。


 ちょっと建付けの悪い引き戸を開いて、体育倉庫を開放する。

 今の時間は部活動のために出し入れがあるのか、鍵はされてなかった。


「よし、入――……わっ、ぷっ……!?」

「だから言っただろ」


 一歩入った瞬間に彼女はのけ反っていた。

 そう。体育倉庫から臭い熱風が一気に押し寄せてきたのだ。

 当然ながら、こんな一室に冷房なんか存在しているわけがない。

 今は7月中旬。まだ本格的な夏とまでは行かないが、それでも一日中蒸し器のように加熱された籠った空気は俺たちの侵入を易々とは許さない迫力があった。


「全っ然っ、ロマンチックじゃないっ!」

「……だから言っただろ」

「っ! あっち! あっちに行こっ!!」

「お、おい……そろそろ勘弁してくれよ」


 そのまま方角を90度転換し、体育倉庫裏に生えてある木々の中へと俺を引きずり込んだ。


「うん、うん……ここなら、いいかも」


 お気に召されたようで何よりだ。


「なあ……そろそろ自己紹介、いいか」

「はぁ? 香田でしょ?」

「うん」

「私、りんこだけど?」

「やっぱりそうなんだな……」

「はい、おしまい!」


 特に興味が無いのか、超手っ取り早く片付けられてしまった。

 俺は少し呆気に取られながら、改めて目前のリアルりんこを観察してみた。


「?」


 俺の視線を感じてか、後ろで手のひらを合わせて胸を張るようにその小さな身体を反らすりんこ。

 顎を斜め下に引いて、覗き込むように上目遣いで俺を見上げていた。

 当然だが髪の色はゲーム内より暗くて落ち着いた雰囲気。

 身体は……気のせいか、ゲームよりさらに一回り小さい気がした。

 そして表情はもう少し鋭くて勝気な印象がある。


 ――うん……でも、確かにりんこだな、やっぱり。

 

「……何? 私の顔を絶対に一生忘れないって言ってくれた、あの言葉も嘘だったわけ?」


 俺、そんなキザな台詞言ってたんだ……。


「いや……そんなことは無いよ。突然の出会いで戸惑ってるだけだ。しかし……確かにゲームのキャラとほとんど同じだな」

「誰かさんと違って、嘘つきじゃないもん」

「うっ」


 まずはそこから、だな。

 ゆっくり俺は頭を下げた。


「りんこ、悪かった。嘘をついたつもりは無かったけど、結果的には――」

「――もうそれいい。チャットの書置きで散々聞いたからっ」

「あ。ブロックされてたけど、届いてくれてたんだ?」

「……ん。ブロック解いたら、ワッと一気に届いてきた……」


 なぜかそこで顔を少し赤らめて逸らすりんこだった。


「よく俺の教室……というか学生であることとか、そういうのわかったな」

「書置きで『学生』って言ってたじゃん。あとキャラがデフォだって言ってたから、見た目からして……同じ高校生なんだと思った」

「え。高校――」

「――何……?」

「いえ」


 あまりの迫力に口を閉ざすしかできない俺。

 そうか……同じ高校生なのか……随分ちっちゃい高校生だなぁ。


「SNSとか調べてみたけど『香田孝人』じゃ出てこなくて」

「……ああ。さすがに本名でやったりしない」

「だから半分はラッキー。去年、香田って弁論大会に出てたでしょ?」

「あー……うん。理屈っぽいからってよくわからない理由で、無理やり」

「5位入賞、凄いじゃん」

「微妙な気もするが……ありがとう。つまりそれの記事か何かで俺の学校名を知ったってこと?」

「うん、学年まで完璧!」

「なるほど。じゃあ――」

「――もういいっ、そんな話をするために来たわけじゃないっ」

「わかった……それで?」


 リアルのりんこは、ゲーム内より少し強引な感じだ。


「じゃあ、はいっ」


 ふんっ、と顔を大きく右に逸らしながら、よくわからないことを言う。


「……」

「…………?」


 えーと。これは? どういう?


「ああ、もうっ!!」


 そう苛立ちながらりんこが俺の右手を強引に掴むと。


「はいっ」

「っっ……!!?」


 ――むぎゅ。

 そのささやかなその胸へと、俺の右手を押し込むりんこだった。

 思わず『うわっ』なんて声が出そうになってしまった。


「ちょ、お前っ!?」

「まず揉んでくれなきゃ、話、始まらないじゃんっ!!」

「い、いやっ、確かに次会ったら、その……触らせてくれって、言ったけど」

「……それも嘘なの? もしかして、全部、嘘……だったの?」

「っ!!」


 じわっ……と一気にりんこの瞳が濡れて、涙を一杯に溜める。

 手から伝わる彼女の胸の鼓動は体感したこともないぐらいに速く刻んでいて、添えられている手からは細かな震えが感じ取れていた。


「嘘じゃない……そのっ……」


 誓約の無い俺は、心を開くことが凄く難しい。


「そのっ、えと……くそっ……」


 本当を話すって、どうしてこんなにも難しいのだろう。


「か……か、可愛いりんこの胸……揉みたい、です」

「う……うん」


 ふたりしてのぼせたみたいに顔を真っ赤にさせて、たどたどしく言葉を紡ぐ。

 ちなみに『揉む』というのは言葉のあやで、実際は揉んでなんかいない。

 ただ自分のこの手を強制的に押し当てられたままの状態から動かしてないだけ。

 指先ひとつ動かしていない。

 ……いや、とてもじゃないが動かせられない。


「そのっ……詐欺みたいで、ごめんなさい」

「え?」

「えと……リアルの私……もっと、小さかった……から…………残念?」

「だ、だからっ、大きさの問題じゃなくてっ、誰の胸であるかが大切なんだって言ってるだろ!?」

「……それだけだと……わかんない、よぅ」

「あぁもぅ……わかったよっ……リアルのりんこのほうがゲームキャラより可愛くて、だから、その…………すげー、興奮するっ」

「――っっ……!!」


 弾かれたみたいに顔を上げて、目を丸くしてりんこが俺を見つめてる。


「も、もいっかい!」

「え、えー…………だから、リアルのりんこのほうがもっと可愛いって」

「~~~っっ……!!!」


 腰のあたりをくねくねと捻じって、身悶えをしてりんこが喜んでる。


「え、えへへっ……えへへーっ……!」

「はははっ……」


 どうして現実では初対面の女の子とこんな会話をしてるのか今でも謎だけど、とにかく互いに弱い部分を曝け出して心を結び合うこの快感に、互いにテレて笑うしか出来なかった。


「そ、そろそろいいか……?」


 この状態に対してギブアップしたのは俺のほうだった。


「だめ」


 露骨に不満そうなりんこ。


「香田……そんな嫌そうな顔しないでよ」

「い、いや、決して嫌とかじゃなくて! 実際に初めて体験してみるとなっ、どうしていいものだかわからなくて!」

「え。その……えっと……もしかして初めてなの? 女の子の胸、触るの」

「初めてに決まってるだろっ!?」

「えっ……ええっ!?」

「むしろ俺がそんなに女の子の胸を揉みまくってると思ってたのか!?」

「だって……初対面であんなこと言い出すし……」

「だから誓約で、強制的に本音を告白させられただけだって!!」

「…………」

「……何だよっ」

「……すごく、嬉しー……」


 少しうつむいて微笑んでるりんこは、満足そうだった。


「……りんこも俺の胸、触ってみるか?」

「へ? え??」

「ほら、遠慮するなって」


 と言いながらりんこのちっちゃな手のひらを俺の左胸に押し当てる。


「どうだ?」

「どうって……男の人の胸って、堅くて平べったい……」

「心臓の鼓動は?」

「あっ」


 興奮してる自分をさらけ出すって、凄い恥ずかしいもんだなぁ……。


「……すごい、速い」

「だろ? どうしてだと思う?」

「…………わかんない」

「わかってるだろ?」

「うー…………胸、触って、くれてるから」

「うん。すげぇ可愛いりんこの胸を触っちゃって、頭クラクラするぐらい興奮してる。ははは……物凄い恥ずかしいな、これっ」

「……ん……嬉しい……あり、がと」

「俺がどうしても触りたいって熱望して触らせてもらってるのに、どうしてりんこが礼を言うんだよ? おかしいだろっ?」

「ほんとに……嫌じゃない、の?」

「どーしてそーなる。むしろ世界中のほとんどの男が望むと思うぞっ?」

「そんなのは、どうでもいい!」

「え」

「香田が……どう思ってるのか、だけで……いい」

「う、うん」

「……嫌、じゃないの?」

「嫌なわけ、ないだろ。本音の俺がちゃんとそう告白してたろっ?」

「…………うん」


 ようやく少しだけ納得してくれたらしい。


「香田の告白……利用しちゃって……ごめんなさい」

「……」


 利用ってのは……もしかして今のこの状況のことだろうか?

 こんな可愛い女の子の胸を触ってる俺が利用されている側、というのはもはや意味不明過ぎると思う。


「あの……ね?」

「ん?」

「やっぱり、会いたいなーって……思っちゃったんだ」

「うん、ありがとう」

「私ってさ……一度『こう』と思っちゃうと……突っ走っちゃう性格で」

「だな。本当にそう思う」

「あっ、今、呆れてたでしょ!?」

「違う。感心してたのっ」


 『うー』って唸って顔を反らし、ちょっと不満そうなりんこ。


「ね……この姿勢、ちょっと、つらい」

「え。いや、でも……」


 確かに身長差が激しいから、りんこは精一杯に背伸びしてて、俺は屈むようにしてて、互いにつらい姿勢ではあるけども……。


「香田……地面でごめん……座ってくれる?」

「あ、ああ」


 その場で草がまばらに生えている地面に腰掛けてみた。

 これでりんこを見上げるような関係性になる。


「よいしょ……と」

「おいおいっ」


 決して俺の手を逃がさない。こうしている間もずっと俺の手の上に手を重ねていたりんこは、そのまま俺の腕の中へと包まれるように身体を反転させ――


「ほら……ね? 楽ちん」


 ――そのまま俺の膝の上に腰掛けてしまった。

 そりゃまあ、姿勢は楽だけども! 胸、すげー触りやすいけども!

 これ以上の密着は色々とヤバイ気がしてならない……。


「はぁ……俺たち、会った初日に、何やってんだろう……」


 可愛い女の子がいきなり俺の教室に飛び込んできて、そのまま校舎裏でこうして両手でおっぱい触ってるとか、あり得なさ過ぎて他人事みたいになってきた。


「ん……でも。会ったの、今日が初日じゃないじゃん」

「ゲームの中だろ」

「かわんないよ……何も」

「それはそうだけど。でもそれを入れても2日なんだが……」

「ね……香田は、そんなに日にちって大切?」

「え?」

「ただ教室で挨拶だけしてるスカスカの1年間より、ずっとずっと……私の中では、あの1日って特別だよ……?」

「それは……確かにそうだな。1年間一緒に居ても、きっと俺は『揉みたい』とか女の子に言わないし……」

「あははっ……うん。全部、本音を言ってくれた香田のおかげ」

「いやいや、こうして直接来てくれたりんこのおかげだろ?」

「感謝してる?」

「してる」

「……えへへ。やった」

「っ」


 正直、まだ慣れない。

 目の前の女の子があまりに可愛くて、その屈託のない笑顔を見るだけでどうしても緊張してしまう……。


「……特別、か」


 確かに時間の問題じゃないのかも知れない。

 半分事故みたいなものだけど、でも現実として誓約によって本心を曝け出すというあり得ないジャンプを行い、関係を築くための階段を軽く数段も一気に跳び越えてしまったのだ。

 言うなれば今は、その乱暴に跳び越えてしまった分の埋め合わせを巻き戻って会話で行っているようなものかもしれない。


「ね……毎日揉むと大きくなるって……ほんとかなぁ」

「ん? それは完全に都市伝説だろ」


 もう一度改めて言うが、決して俺は揉んでない。指ひとつ動かしてない。

 なのにりんこが『揉んでないじゃん!』って避難の声をあげないのがちょっと不思議だった。


「もうっ……そこで『じゃあ毎日揉んで大きくしてあげるよげへへ』とか言ってくれなきゃダメじゃないっ」

「俺、げへへとか笑わないし」

「……もう、私の胸なんか、飽きちゃった?」

「はぁー……まーた意地悪な質問しないでくれよぅ……」


 正直泣きそうな気分だった。

 精一杯に冷静なフリをしているだけ、ということにどうして気が付いてくれないのか。


「やだやだやだやだ! ちゃんと言ってくれないと、やだっ!!」

「膝の上で暴れるなっ、ほらっ、足、バタバタさせないっ」

「うー…………リアルの香田、意地悪だぁ……」

「そういうリアルのりんこは、ワガママだ」

「うーっ」


 口を尖らせて唸ってる。

 元がめちゃくちゃ可愛いから、それすら画になっているのが凄い。


「はぁー……飽きるわけ、ねーだろ」

「えっ」

「ほらそれで? 話の続きは?」

「やだっ、もう一回言って?」

「ほんとにワガママだ……」

「ね? ね??」


 そんな潤んだ瞳でこっちを見ないで欲しい。まったく。


「――すげぇ可愛いりんこの胸……もっと触りたい」

「ひゃんっっ」


 それは別に狙ったわけじゃなくて……姿勢的にむしろ必然で。

 大切な言葉だと思うし、確実に伝えなきゃいけない。

 でも耳元だし、ささやくように話さないとうるさいだろって、それぐらいの気持ちで音量を抑えて言葉をつぶやくと……思ったより息が多く出て、りんこの耳元をくすぐってしまっていた。


「……っ」

「…………」


 あまりに色っぽくて可愛い声に、俺まで悶絶してしまう。

 しばし互いに沈黙してから。


「ね……その。もっと、揉んで? 気が済むまで揉んでっ……?」

「……うん」


 もしかして。

 手で押し当てているこの状態がりんこの言う『揉む』なのかな?

 ――ふと、そんな気がした。


「それで……気が済んだら…………どうか、私と友達になって」

「だからとっくに友達、なんだろ?」

「ん……そうだった」


 これはあの時に交わした約束。


「……こんなちっちゃくて……つまらなくて、ごめんね。こんなの、すぐに飽きちゃうんだよね?」

「ほんとに何度それを言えば気が済むんだ?」

「だってぇ……本当に、小さいしっ……ほんとはブラ、いらないぐらいだしっ」


 今にも泣きそうなりんこの声。

 それで俺が自分の気持ちにばかり意識が向かってたことに改めて気が付いた。

 もっとりんこの心のこと、考えなきゃ。


「そんなの関係ない。りんこ……すげー可愛いよ?」

「香田っ……香田ぁ……っ」


 切なそうに細められた瞳がこちらを向くと、大粒の涙が零れ落ちた。


「ちゅー……したいっ、香田と、ちゅー……したい、よぅ……」

「……っっ!!!」


 すでに女の子の胸に手を押し当てながらの俺のこの反応も妙な話なんだと思う。

 でも、確かに思ってしまった。

 『それは一線を越えてる』って。

 これって、誓約で強制的にバレてしまった俺の本音を叶えるための行為で。

 それを利用してたぶんトラウマを癒そうとしている凛子の心のための行為で。

 だからそこから逸脱しちゃったら……もう止まらない気がした。


「え…………あ、ごめっ……!!!」


 俺の戸惑う表情で我に返った様子のりんこが膝から慌てて離れ、バッと顔を隠すようにそのまま地面にうずくまる。


「へ、へんな気分……なっちゃっ、てた……ごめっ……」

「いや……どういたし、まして」


 この雰囲気……どうしよう。

 やり切れない空気に、戸惑ってしまう。

 さっきの切なそうなりんこの表情があまりに愛しくて……心臓がうるさい。


「ごめっ……ほんと、利用して、ごめっ…………!」


 背中を丸めてりんこは泣いていた。

 俺は……しばらく考えて。


「ごめ――……ふきゃっ!?!?」

「よいしょっと」


 りんこを背後から抱えると、さっきみたいに自分の膝の上に乗せる。


「え、えっ!?」

「ちょっと、このままで」


 そのまま包み込むように、背中越しに小さな身体のりんこを抱きしめて、彼女の首元に顔を埋める。


「う……うん……っ……」


 ぎゅっ、とりんこも回している俺の腕にしがみついて、まるで猫みたいに身体をぐりぐりと押しつけて、密着をより深くしていた。


「友達なんだから……利用して、いいと思う」

「うん……」

「そもそもこれ、本音の俺がお願いしたことなんだから」

「……うん」


 俺の体温とりんこの体温が融合する。

 自然と鼓動までシンクロしていくようだった。


「――香田……優しー……」


 しばらくして、ずいぶん落ち着いた様子のりんこが、そうつぶやいた。


「昔……母さんが泣いてる俺に、こうしてくれた」

「もうっ……私、子供ですかっ」

「そうじゃないよ……泣かせたくないって思った人」

「ううぅー……そう言いながら、泣かせに来てるぅー……」

「じゃあやめておくか」

「ヤだっ、このままでいてっ」

「はいはい」


 それからしばらくはずーっとこのままだった。

 さっきまでの興奮の熱とはちょっと違う、温かい感じ。

 こういうのも嫌いじゃなかった。


「……もしかして香田の将来って、セラピスト?」

「唐突だなぁ……他人の患者一人一人にこんなことやってたら、身体いくつあっても足りないぞ?」

「う……地味に、それ……」

「?」

「あ、わかった。カリスマホストだ!」

「ついさっき、生まれて初めて女の人の胸を触ったような童貞相手に何言ってるんだよ。勘弁してくれ……」

「ん~、じゃあマッサージ師?」

「もう俺のことはいいからっ」


 あははっ、と胸の中で笑うりんこ。

 ごく自然な流れで、もっと彼女のことを知りたいと思った。


「……なあ『りんこ』って、どう書くんだ? 苗字は?」

「うん? 凛とした子で凛子。佐々倉凛子ささくらりんこ……です」

「そっか。佐々倉さんかぁ」

「ちょっと。『りんこ』って呼んでくれなかったら……私、怒るから」

「え。だって、佐々倉だって『香田』って呼んでるだろ?」

「だから佐々倉って呼ばないでっ! そういう問題じゃないっ!」

「どういう問題だよ……」

「私は『りんこ』なのっ……『佐々倉』なんて人間じゃないからっ」

「――……」


 真剣なその眼差しに、俺は二の句を告げられなかった。


「ごめん……変なこと言い出すけど……私にとって、香田との出会いって特別で……大事で。香田にとっては、沢山出会った中の、ひとりなんだろうけど……」

「俺にとっても、EOEで出会って、そして友達になった初めての人だよ?」

「嬉しいけどっ……でも、ちょっと……ちょっと違う」

「どう違う?」

「…………今は、まだ、秘密」

「わかった」


 無理やり納得しておくことにする。


「ついカッとなっちゃって……そんな香田のこと、ブロックしちゃって……それから1日ずっと悩んで……悩んで……このまま終わりにしていいのかって自分に問い詰めて。向き合って。言い聞かせて。奮い立たせて――」


 遠くを見るような目で語る佐々倉――いや、凛子。

 きっとあっちの世界の風景でも思い出しているのだろう。


「私……精一杯の勇気を振り絞って……会いにきた」

「うん。ありがとう。俺も凛子ともう一度会って、話がしたかった」

「ほんとに……?」

「正直を言うとブロックされた時に勝手に諦めて……それからは衝撃的な事件に巻き込まれて……そっちばっかりに没頭していたけど」

「もうっ、そこは嘘でも『ずっとりんこのことばかり考えてた』って言えばいいのにっ」

「嘘つけば良かった?」

「ごめんなさい……嘘、ヤだ……」

「うん」


 俺の胸の中で小さくなって素直に反省してる凛子が可愛い。


「私……誓う。私、香田に嘘……つかない。嘘つかないから、だから――」

「わかった。改めて誓うよ。俺も凛子に嘘はつかない。必ず本音の話をする」

「――うんっ」


 こうして俺たちは、リアルでも誓約を交わす。

 強制力は無いけれど、でも、それは互いの信頼で補おうと思う。


「ね……衝撃的な事件って? どうしたの? もう大丈夫なの?」

「いや…………最悪の展開に、なってきている」


 そう問われて、熱っぽい夢から一気に現実へと引き戻された気がした。

 どこまで話していいのやら。

 一瞬悩む、俺。

 目の前の凛子を、見つめる。


「私には……話したくないこと?」

「いや、そうじゃない」

「私じゃ、頼りない? 力不足?」

「そうじゃなくてっ!」


 そろそろ観念するしかないようだった。

 俺は目の前の凛子を、ぎゅっと背中から抱きしめると。


「――りんこ……困ってるんだ……助けてくれ」


 一段飛ばして、いきなり俺は懇願していた。

 ずっとずっと俺ひとりだけで絶対に解決しなきゃいけないって、無理して奮い立っていた分、一度頼ったら……何かが崩れてしまいそうで。それが怖かった。


「うん。もちろんいいよ?」


 内容も聞かずに即答してくれる凛子。


「頑張って……精一杯努力したつもりだったんだけどさ。全然上手くいかない」

「そっかー」

「もう正直……どうやって解決したらいいのかもわからなくて。完全にゲームオーバー状態で……」

「うん……あるよね、そういう詰んでるのって」

「だから……助けて欲しい。相談に乗って欲しい。知恵を貸して欲しい。勝手言って……ごめん」

「――よしよし」


 背後から抱きしめ、顔を埋めている俺の不揃いな髪を優しく撫でている凛子。

 あ、やばい……少し泣いてるの、バレてたのか……。


「香田が言ってたじゃん。友達なんだから……利用して、いいんだよ?」

「……そうだった、な」


 見事にいつの間にか逆転していた。


「いっぱいいっぱい利用して? 私、香田にならそれでいい」

「はははっ……そんないっぱい利用したら、後が怖いな……」

「ばかっ、もう先払いしてもらってるでしょ!」

「そっか……そう、なのかな……」

「――私、裏切らない。絶対に、絶対に裏切らないからっ」


俺の腕を握る凛子の力が、彼女なりに精一杯に強まっている。


「嘘つきでっ、裏切った私が言うの、変だけど……もう絶対に裏切らないから」

「うん」

「信じて欲しいっ……ちゃんと行動で示すから、見てて欲しいっ!」

「もうとっくに信じてるよ」


 ……あー……早くこの涙、乾かないかなぁ……。

 恥ずかしくて顔が上げられない。

 凛子の強い意志が灯る、きっとあの時と同じな鋭い瞳を確認出来ない。


「どうしてっ? まだ私――」

「だって、俺が凛子の『仲間』になったからだろ?」

「――……あ……うん。そう、なんだけど…………覚えてくれてたんだ?」

「そりゃ、それを聞いて俺から『凛子の仲間になりたい』って心からそう思ったんだから」


 初めての出会いを思い出す。

 並々ならぬ強い意志を灯らせる、あの瞳。

 仲間を熱っぽく語るあの言葉を俺に向けて欲しくて、当時それを夢見た。


 『こんな信頼できる仲間と冒険出来るなら』。

 その後裏切られたのにも関わらず、今もその気持ちは何も変わっていない。

 ……そうか、ようやく俺はその権利を手にすることが出来たんだな。


「ピンチなんだ……助けてくれ」


 俺はカッコなんてつけないで、顔を上げる。


「うんっ、それは頑張らないとっ」


 これ以上無く頼りになる俺の仲間は、安心させるようにニッコリと笑ってくれていた。



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