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#012 真夜中の交渉

「――さて、ここらでいいか」


 深山と別れ、暗い森の中へと進んでいた俺はそうつぶやいて足を止めた。

 方向的にはあの鈴木たちと出会った場所へと向かっているが、でもこのまま歩いてあの3人と会うつもりというわけでもない。


「誰が……ベストだろう」


 顔を見て話すのは、相手を説得する上でとても大切な条件だと思うが、しかし俺に現状そのつもりはあまり無かった。

 何せ、相手は3人でこちらは1人。

 もう少し言えばレベルも最低で装備も貧弱。

 向こうの意に反した瞬間、PKという力技で排除されては堪ったものではない。

 なのでとりあえずはチャットで打診を入れて感触を確かめようと思う。

 直接会うのはその後だ。

 つまりここまで移動したのは、交渉中の会話が深山の耳に入らないよう遠くまで距離を取っただけに過ぎない。


「普通に考えたら、主犯格の鈴木……なのかな」


 そして今は、誰とまずは連絡を取るべきか、そこに悩んでいた。

 一見すると誰でも同じようであって、実はここに重要な意味がある。


 忘れがちだが、深山の誓約の中で消したい文章は3つある。

 そしてあれは3人がそれぞれバラバラに書いたのだ。

 つまり図式としては1対3のようであって、実は1対1が3つなのだ。


 極論で言えば『ログアウトできない』としたあの1行を書いたその人さえ交渉で落とすことが出来れば、それでいい。

 質問に答えるうんぬんの残り2つの誓約は、深山がログアウトさえしてしまえばもはやどうでもよくなってしまうからだ。


「……いや。岡崎、かな?」


 まず最初に直感。そしてそれを理由づけるように正確に深山の誓約紙へと書かれた文章を思い出して、推測を立てた。


『・ミャアからの魔法は、自由に受け取れる』

『・ミャアは質問には事実を正確に話して、全部説明しなきゃいけない!』

『・ミャアは質問に沈黙つかって逃げれない』

『・ミャアはログアウトできないw』


 何となく……本当に何となくだが、語尾に『w』をつけるふざけた感じは岡崎な気がした。

 鈴木はもっと直情的で、だから『全部説明しなきゃいけない!』というあっちを書いた気がする。

 そして意思の弱い久保さんがそれに追随するように残りの、特に当たり障りのない一文を書いた――


 「――うん、たぶんこれだな」


 暫定的だが答えが出た。

 さっそく岡崎に連絡を取るべく、操作モードからソフトウェアキーボードを展開すると、『OZ』とささやく相手の名前を入力する。


「――岡崎、ちょっといいか?」


 音声入力でさっそく話しかけることにした。

 しばらく……たぶん10分近く時間が経過して。


『ど~お? G姫、気持ち良かったぁ?』


 そんな返事が届いてきた。

 交渉スタートだ。


「どういう意味だよ、それは」


『当然ヤってきたんでしょ?』


「…………やってねーよ。下品な話するな」


『ぎゃはっ、下品なのはエッチ大好きの深山だってーの!』

『それとも初耳だったぁ? 教えてなくてごめんねぇ~?』


「悪いが雑談に付き合ってる暇はない。本題に入るぞ」


『え、えっ? マジであの告白聞いてるのにヤってないとかマジありえなくネ?』

『ヤバッ、コーダってもしかして幼女でないと興奮しない系っ??』


 冗談で言ってるだろう幼女うんぬんはさておき、妙に勘が良いのが腹立たしい。

 その察知能力でどうして深山の心をあんなに踏みにじれるのだろうか。


「岡崎、お前……どうしてあんな酷い誓約を書けるんだよ。冗談じゃ済まされないレベルだろ、あれ」


『はぁ? 言ったじゃん、ジゴージトク、ってさ?』


「深山には当然の報復だって言うのかよ! 深山が何をした?」


『ミヤマぁ? いきなし呼び捨てぇ? やっぱ超怪しいぃ~!』


「はぁ……まともに返事も出来ないのか」


『んじゃそのマトモに返事してあげるけどぉ~』

『マジでG姫、調子乗ってたじゃん? 周りドン引きだったじゃん?』

『コーダこそ、そんなのもわかんないワケ?』


「反感を買うようなことをしてたのは理解できる。でも決して間違ってない」


『正しけりゃ何やっても許されるって~、ソレが問題だっつーの!』


「じゃあ言わせてもらうが、問題があるヤツなら、何やっても許されるっていうのかよ? お前の言ってることはただの身勝手だ。それを自分にも当てはめろ」


『マジでムカつくんですけど……』

『何で無関係のコーダにそんなこと言われなきゃならないワケ?』


「お前たちが、犯罪をしているからだろ」


『はあ?? これ、ただのゲームじゃん?』


「違う。犯罪だ」


『……んで、コーダに何の関係があるワケ? お前、関係ないじゃん??』


「関係あるかどうかが、関係あるのか?」


『はぁ??』


「例えば目の前で万引きしている子供がいて、それを大人が注意するとしよう。その子供と大人に何らかの関係性が必要なのか? それこそ犯罪を注意することと何の関係があるのか言ってみろよ」


『……何言ってるか、意味フメーだし……万引きじゃねーし……』


 はぁ、とため息が漏れる。

 会話の内容はともかく、もうひと押しなのは間違いなさそうだった。


「じゃあ無関係な俺から客観的な意見を言ってやる。お前たちのやってることは犯罪だ。これ以上続けるようなら、警察に通報する」


『は、はあっ!?!? ただのゲームじゃん!!!』


 何度も何度もゲームだゲームだと、うるさい。

 いい加減俺もキレそうだ。


「それで済むと思ってるのか? 深山がどれだけの苦痛を受け、恐怖しているか想像もできないのか? そしてこれから行動の制限を受けながら1日に1万円の損害が発生し続けるんだぞ? 授業を受けられないんだぞ? 深山の両親は失踪事件として警察にそろそろ通報するぞ? それらが全部、冗談やゲームで済むと本気で思っているのか!?」


『………………』


「今ならまだ間に合う。せめて自分の書いた誓約、消しとけよ。それなら証拠も消えて、岡崎は罪に問われないかもしれないだろ」


『そんなこと言って……実際は深山を助けたいだけじゃん……』


「当たり前だろ、俺の目的はそれだ。win-winって言葉は知ってるか? 別に嘘をついているわけでもなくて、単純にこれは俺の得が、同時に岡崎にとっての得にもなるっていうだけの話だ」


『……』


「むしろ消さない理由がないだろ、こんなの。深山はもう充分に痛い目を見た。心から反省している。あの深山があれだけ取り乱して、泣いて……もう復讐としては成功しただろ。冗談やゲームだっていうなら、そろそろ許してやれよ」


『うるせー、知るかよバーカ』


「へっ!? 岡崎?」


 正直その唐突な反応は完全に予想の範疇を越えていた。

 説得はこれ以上ないほど、上手く進んでいると思ってた……。


『違う、アタシじゃない』


「?」


『ぐだぐだうるせぇーよ、ちゃんとこっち来て話せよ!!』


「――あ」


 集中しすぎてて、名前表示を見ていなかった。

 いつの間にか『ソフィア』……つまり鈴木が俺たちのチャットに割り込んでいたことに今さら気が付いた。

 もしかして、ずっと岡崎の隣で会話を聞いていたのか?

 それともメールのBCCのように他人がやり取りを覗き見る方法があるのか?


『ソフィア>この前会ったとこで待ってるから今すぐ来い!!!』

『OZ>ねえ……鈴木、ちょっとヤバくない……? そろそろ』

『ソフィア>岡崎、ちょっと黙れよっ!!!』

『OZ>……』


「……わかった。これから向かう。あの場所でいいんだな?」


『ソフィア>ブッ殺すから待ってろ!!!』


「やれやれ……」


 それでチャットは終了のようだった。

 ソフトウェアキーボードを閉じて、左上のマップで行く先を確認する。


 感触としては岡崎はもう半分落ちているように感じた。

 少なくとも聞く耳ぐらいは持ってくれそうだ。

 すでに最初の打診としてはそれで充分だし、こちらの主張も伝えた。

 岡崎があの雰囲気なら、従っているだけの久保さんもそんな手荒なことはしてこないだろう。


 少し前向きに現状を捉えてみよう。

 つまるところ、鈴木さえ抑え込めれば好転しそうだ。

 であれば、誓約を消してもらうためには遅かれ早かれどっちみち直接会う必要があるのだし、計画と違うがこれはこれで悪くない展開のように思う。


「深山の誓約紙から消してもらうまでは……殺されないようにしないと」


 それが一番の懸念だった。


 ◇


 少し迷いながらマップを頼りに15分ほど歩いて、少し開けた場所へと出る。

 月夜に照らされた草原は昼間とはずいぶん違う印象で、ここで正しいのか一瞬、戸惑うが。


「――よう……香田、ブッ殺されによく来たなぁ?」


 『ソフィア』――つまりは鈴木が鋭利な刃物みたいな視線で俺を迎えたことで場所が正しいことの確信を得た。

 20代後半ぐらいのグラマラスな体型とは不釣り合いな戦士の姿。さらにガラの悪いしゃべりかたで、まるでごった煮のような乱暴ないびつさを雰囲気として漂わせている鈴木。

 その後には魔法使い風の岡崎と、エルフ耳をつけている久保さんの姿もあった。

 久保さんが今もこうしていることが妙に俺へと苛立ちを起こさせる。

 ガラの悪い2人相手では仕方がないのかもしれないが、しかし常識人の彼女がもうちょっと抑制してくくれば、こんなことにはならなかったのに……。


「っ……」


 俺も、もしかして鈴木並みに眼光が鋭いのだろうか?

 特に睨みつけた覚えはないが、しかし久保さんと視線がぶつかった瞬間、彼女から顔を逸らして見るからに萎縮していた。


「ちっ」


 岡崎は……どうだろうか。舌打ちをして、どこか遠くを見たままこちらに視線を配らない。ポジティブに受け取れば、少なくとも敵対の意識は薄く見える。

 やはり問題は――


「返事ぐらいしろよ、おぃ?」


 ――露骨に好戦的な鈴木の存在だ。


「用件を簡潔に言う。さっき岡崎にもチャットで伝えた通りだが、深山の誓約を消してくれ」

「香田、てめぇは関係ネーだろ?」

「今は多少関係がある。深山の代理人としてここに来てる」

「それってG姫の騎士様気取りかよっ?」

「そう思ってもらっても構わない。深山を守りたい気持ちは確かにある」


 思ったより冷静というか、会話が成立していた。

 悪くない入り方ができたと思う。


「…………ムカつく」

「なあ鈴木。岡崎にも言ったからたぶんお前も聞いていたと思うが、もう一度言うぞ。これ以上は間違いなく犯罪だ。止めておけ」

「っるせーよ……」

「もう充分だろ? 深山は相当懲りてる。反省してるし、あんな取り乱すほどダメージを追った……もう復讐は済んだろ? だから許してやれよ」

「はっ? 復讐? 何の??」

「何の……って」


 俺が言及していいのか、少し悩む。


「深山の言動で…………鈴木は、ムカついたんだろ?」


『傷ついた』という表現はやめておいた。必要以上に刺激しそうだった。


「わかったようなこと言ってんじゃねーよ!」

「そうか。もし俺が事情をわかってないなら謝ろう。そして正確な事情を聞かせてくれ」

「言うわけねーじゃんか。バカじゃねぇの!?」

「事情を理解して欲しいのか、理解して欲しくないのかはっきりしてくれ」

「香田、てめぇは黙って引っ込んでろ……それだけだ。ブッ殺されてぇのか?」


 ……ああ、そういうことか、と鈴木の本意が少し垣間見えた。

 どうやら鈴木は俺を殺す気が無いらしい。

 さっきから『ブッ殺す』を連呼してるのがある意味でその証拠だった。

 本気で殺す気があるなら、今すぐやっている。

 つまりは、俺を怖がらせて退場させたいだけなんだ。

 そう言わしめるほど俺が邪魔だというなら、それはつまり鈴木にとって俺という存在がどうでもいい他人ではないことを間接的に証明してくれていた。

 つまり、やりようはありそうだ。


「なあ……岡崎はどう思う?」

「は、はぁ!?」

「おいっ、香田!! 無視すんなっ!!!」


 なので作戦の方向は決まった。まずは外堀から埋めていく。


「さすがにシャレになってないって……マジで停学とか、最悪、警察に逮捕とかあり得るんだけど、それでいいのかよ?」


 無理じゃない程度に、岡崎にとって聞きやすい話し方を心がけてみる。


「でも…………今さら、やめれないじゃん?」

「ったりめーだろ!! やるって決めたろ、ワタシら!?」


 チラチラと鈴木の顔色を窺っている。

 どうやらパワーバランスとしては鈴木のほうが上な存在のようだった。

 であれば、助力が必要かもしれない。


「久保さんはどう思ってるの」

「えっ、わ、私は……その…………」

「久保ぉ!!!」

「ひっ…………ごめんなさい……私は……その、決められない……」

「ハッ、よく言うよ、まったく!」

「…………」


 この鈴木の苛立ちについては、俺も少し理解することが出来た。


「ほらほら、香田。そーいうこと。帰れ帰れ!!」

「いや、どちらかというと鈴木の恫喝に萎縮しているようにしか見えないが」

「うるせぇな…………本気で殺すぞ……?」


 肩に担いでる大剣をポンポンと叩きながら、不敵に口を歪ませる鈴木。

 そりゃ確かに、あれで切られたくはないが……。


「殺されてゲームオーバーになったら、そのまま警察に通報する」

「はぁ?? ゲームで殺されましたぁ~ってか? ただのゲームじゃん?」

「いや。深山の誘拐についてだ」

「別に誘拐してねーし!!」

「そうか? じゃあ行動の自由を強制的に奪ってるから、監禁罪かな」

「……ッ」


 一見して効いているようだった。やはり具体的な罪名は抑制力がある。


「民事もつくぞ? 名誉棄損に、精神的苦痛。財産の――」

「うるせええええっっ!!!!!」


 それで鈴木はキレた。

 俺へと一気に詰め寄り、襟首を掴んでそのまま押し倒す。


「ぐがっ……!!!?」


 この展開は想定外だった。

 不意を突かれた俺は背中からもろに落ちて、しばし呼吸困難になってしまう。

 なおも鈴木は俺のインナーウェアを強く握り、圧迫を続ける。


「なんだよてめぇは!?!? どうしてそこまで首を突っ込む!!!!」

「っっ……」


 呼吸もままならない状態なんだから、当然返事なんてできない。

 鈴木はまくし立て続けていた。


「そんなことして、てめぇに何の得があんだよ!?!?」

「があっ……!!!!」


 俺は強引に鈴木の手首を掴み取り、そのままの勢いで押し倒し返す。

 鈴木の不意をつけたのだろうか。想像よりずっと容易に姿勢は逆転した。


「それは俺のセリフだバカッッ!!!! そこまで深山を追い込んでっ、警察に通報するとまで言われてっ、なんでまだ意地を張るっっ!!! そこまでやってお前に何の得があるんだよっっ!?!?」

「うるせぇよ!!!! お前に関係ねーだろっっ!!!!」

「またそれかっ!! 面倒くせぇからいちいち関係性とか唱えるなっ!!!」


 もはや子供の喧嘩のようだった。

 草むらの上でもみくちゃになって互いにマウントを取り合って、怒鳴り合う。


「そんなに深山とヤりてぇのかよっ!!!?」


 ――ガッ。

 いよいよ鈴木から拳が振り下ろされてくる。


「それこそ関係ねーだろがっ!!!! 単純に腹が立つんだよ、お前たちの陰険なやり方がっ!!!!」


 ――ガッッ!

 その2倍の勢いで鈴木を殴り返す俺。別にボクシングの経験とかは無い。

 そうじゃなく、たぶん鈴木は拳で人を殴ったことが無いのだろう。

 彼女の殴り方が全然大したこと無かっただけの話だ。

 さっきマウントを容易に取り返したのもそうだ。

『しょせん』という言い方まですると女性軽視かもしれないが、しかし事実として格闘技を身に着けているでもない普通の女子高校生は、たぶん本気の殴り合いをしたことが無いだろうし、体格も男子には劣る。

 もっと言えば、人を殴ることに対する『慣れ』の違いもあるのかもしれない。

 ゲームのステータス的に不利があってもそれをひっくり返せるぐらいには、俺と鈴木では殴り合うために必要な要素に大きな差が存在していた。

 『全身を使うEOEでは己の身体能力が重要だ』。

 奇しくも剛拳王――清水の言っていたあの話が、こんなところで証明されることになっていた。


「そんなに深山姫がいいのかよおっっ!!!!」

「しつこいっ!!!! 黙れっ!!!」


 ――ガッ、ガッ。


 完全に鈴木の上半身に乗り、マウントを取って細かく拳を当てる。

 ダメージ目的じゃない。これは精神的に追い込むための作業だ。


「深山の誓約を消せっ!!! 消すまで殴り続ける!!!」

「いやだっっっ!!!!」


 結局は、考えうる最悪な選択肢だった。

 暴力による脅迫を俺はしていた。

 何度も、何度も、馬乗りになって眼下の抵抗できない鈴木という女子高校生を殴り続ける。

 もはや犯罪者は俺かもしれない。それでも――


「消せっ!!!!」

「いやぁっ、絶対に、いやああっ!!!!」


 殴る。殴る。作業的に何度でも拳を振り下ろす。

 まるでセレブみたいなゆるふわなブロンドの髪はぐちゃぐちゃで、20歳半ばぐらいの整った顔は、血まみれになっている。

 彼女自身が言った。これはただのゲームだと。

 そう、ただのゲームなんだろ? これはPK行為なんだろ?

 だから俺は、目の前の彼女を殴る。殴り続ける。


「いい加減、に、しろっ……消せっ!!!」

「死んでもいやあああっ!!!!」


 ――それでも。それでも鈴木の心は折れなかった。

 涙を流し、震えながら、それでも鈴木は強い意思を瞳に宿していた。


「……どうして……そこまで、する……?」


 ここまでして揺るぎない鈴木の心に、俺はある種の信念を見出していた。

 自然と……俺の手が止まる。

 今さら『悪かった』なんてとても言えない。

 自分がやったことだというのに、目前の鈴木の腫れあがった頬があまりに痛ましくて、思わず手のひらでいたわるように包み込んでしまう。


「えぐっ…………し、死んでもっ……言わないっ……!!!」

「どうして。まだ……そんなに深山が許せないのか?」

「言わないっ……絶対に、言わないっ……!!!!!」


 歯をガチガチと鳴らし、見て取れるほど震えながら鈴木が叫ぶ。

 そろそろ、俺にもわかっていた。

 鈴木にとって、あれは単純な虐めではないだろうってことを。

 もはや深山の言動に心が傷ついた、その復讐という限度すらも超えている。

 きっと鈴木なりにここまでするだけの、何か強い動機が存在しているのだろう。

 そしてたぶんそれは鈴木自身が決して口にしない通りにとても身勝手で、正当性は欠片も無いという自覚もあるのだろうな。

 だから彼女は、決して言わない。


「頼む……深山の誓約、消してくれないか……」


 まさか自分が根負けするとは思ってもいなかった。

 鈴木の信念は暴力では決して屈しないと悟って……もう俺は頭を下げて懇願するしか手立てがない状態だった。


「頼む……鈴木。深山が気の毒過ぎる」

「…………」


 鈴木は何かを観念したように瞳を閉じて、呼吸を整える。

 しばしの沈黙。そして――


「――嫌」


 顔を歪ませて泣きながら確かにそうつぶやき……そのまま、姿が消え去った。


「え」


 一瞬、目の前で起こった事態が把握できなかった。

 突如として鈴木の姿が目の前から霧のように四散したのだ。


「ログ……アウト……?」


 遅れてその答えに到達する。

 逃げた。鈴木はすべてを放棄してこの世界から逃げ去ってしまったのだ。


「……」


 しばし呆然としてしまう。

 結局俺は、鈴木を一切説得することは出来なかった。

 交渉の代理人として失格だという自責の念もあるが、何より……虚しかった。

 鈴木をひたすら殴り続けた、この両手の拳だけがジンジンと鈍く痛い。


「あ、あのさ……コーダくぅん……」

「……っ!」


 ――そうだった。

 むしろ交渉は、これからが本番だったことを思い出す。


「ひっ!?」


 岡崎から見たら、鈴木を馬乗りに殴り続ける俺の姿は恐怖の画そのものだったのだろう。ただ視線を向けるだけで、大げさと思うほど震えあがっていた。


「消すからっ、アタシ、ちゃと消すからっ……!!!」

「……ありがとう」


 少し不本意だが、これに乗じておくしかなかった。


「なあ。念のため確認なんだが……岡崎が書いた誓約の文は、あの3つの内のどれなんだ?」

「アタシは……――あっ」

「え?」


 ――激痛。


 世界が転がって、暗転する。

 キーン……という強烈な耳鳴りと、あとはひたすらの激痛。


「ぁ……ぐ、ぁ……っ……?」


 遅れて俺が、背後から鈍器のような堅いもので殴打されたことを理解した。

 頭が割れるように痛い……というか、もしかして、本当に割れて……ないか?

 意識が…………遠のいて、行く……。


「うっわ……久保ちん、勇気あるぅ……!!」

「……だって……殴られたく、ないし……」


 久保……?

 これ、久保さん……が、やったのか……?


「ど……して…………」


 最後の力を振り絞って、視線を上に向けた。

 ――ドカッ。

 すぐに視界が真っ暗になる。


「やだ……下から覗かないでください……変態」


 俺の顔を踏みつけながら、久保さ――……久保、が、心底嫌そうにつぶやく。


「どうして……ですか? そんなの決まってるじゃないですか……」


 あぁ……そろそろ、限界……だ……意、識――


「せっかく書いた深山さんへの誓約……消したくないです」


 ――最後。

 去りながら笑いを堪えている様子の久保の表情が、とても印象的だった。


 ◇


 そうして俺は、ゲームオーバーとなった。

 真っ暗闇の世界の中心に虚しくそびえる『GAME OVER』の表示。

 『ログアウトしますか?』の表示と、90……89……と進むカウントダウン。


「おいおい……エドガーさん。ちょっと情報と違うじゃないか……」


 このカウントダウンは、いかにもキャラメイクしていたあの時を彷彿とさせてくれる。つまり、こちらの決定を無視されてしまう悪いイメージが払拭できない。


「……いや。普通に考えると、決定しないなら自動でログアウト、かな」


 常識的に考えて、放置するとログアウトしないでチャットモードになるのがデフォルト……というのは可能性として低そうだ。

 どちらにせよ事前の情報通り、アクティブにするだけで決定できるならそれで問題はない。

 さっそく選択項目の『はい』をアクティブに――……いや、その前にやるべきことがあるだろう。


「可能だろうか……?」


 半信半疑だが、3秒余り目を閉じてみると……期待通り操作モードに移行した。

 つまりゲームオーバー後の今もEOEプレイ中の扱いなわけだ。

 同時にそれは、ゲームオーバー後も誓約が適用される可能性が高いことを意味しているようにも思えた。


「……ならば」


 もう時間は少ない。

 俺は慌ててソフトウェアキーボードを展開して『to』の項目に『ミャア』と素早く入力する。


「深山っ!」


『――は、はいっ……!! どうですか、香田君っ』


 正座でもして待機してくれていたのだろうか。

 ほんの一瞬で素早く深山からの返事が届いてきた。時間が少ないので助かる。


「ごめん、交渉失敗した!」


『う、うん……ありがとう……わたし、平気だから気にしないで』


 無理してるのがチャット越しでも手に取るようにわかる。

 少し声が震えてた。


『あの……香田君に会いたい……凄く不安なの。どこに向かえばいいの?』


「……」


 少し躊躇してしまう俺だった。


「……ごめん、殺された」


『――っっ!?!?』


 声にならない様子で、大きく息を吸っている深山。


『え、え、でもっ、今、こうしてっ!?』

 

「落ち着いて、深山……これはゲームだから。はは……ただのゲーム、だから、死んでもこうして話すことが出来るんだ」


『あ。あ……そっか……えと……大丈夫?』

 

「あははっ。死んでる人に不思議なことを言うなよ」


『あ、ぅ……ごめんなさい……痛かった……よね?』


「まあ、『死ぬほど』の半分ぐらいは」


『ごめんなさいっ……本当にごめんなさい……わたし、香田君に――』


「――悪い、深山。もう時間がない」


『え、えっ』


 頭上のカウントダウンを改めて確認すると、あと10秒を切っていた。


「このままログアウトして、教室であいつらどうにか説得してくるから!」


『う、うんっ!』

 

「深山の家にも、連絡しておくから!」


『……うん』

 

「なるべく早くに戻る! 戻るから深山は絶対に死なないで――」


『うん、待ってる――』


 ――ブツン……。

 それで、テレビの電源を消したかのように、唐突にこの世界は終わった。


 ◇


「――はあっ……はあっ、はあっ……!!!」


 意識が戻るとすぐに『トレーラー』と呼ばれるEOE開催の倉庫を飛び出して、街灯もまばらな郊外の田舎道を俺はひたすらに走っていた。

 月夜で照らされる夜道は足元もおぼつかず、何度もつまづいていた。


「くはっ……はあっ、はあっ……!!」


 それでも俺は、走り続けている。

 夏の夜でも冷えるのか、俺の吐き出す熱い息は湯気となって空に昇っている。

 もうすぐ夜明けのようだった。

 どこまでもどこまでもほぼ真っすぐなこの道を、うっすらと青み掛かった空の方角へと無我夢中で走り抜ける。


「くそっ……くそぉ……っ……!!」


 もう全身汗だくになって、意識は朦朧。足はパンパンに張っている。

 さすがリアル。吐きそうだ。

 挫けそうな心を奮い立たせて、肺の空気を絞り出して、俺は叫ぶ。


「待って……ろ、深山……ぁ……!!」


 ステータス最低じゃない今の俺なら、何でもできそうな気がした。



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