#082a 戦いの朝
「――ぅだ君……香田君……」
耳に届く優しい声。
ゆさゆさと、まるで心地良い揺りかごの中のような身体への緩い振動。
それで意識が呼び戻される。
しかし白い霧の中にいるかのようなぼんやりとした感覚に包まれたままで、全身に形容し難い倦怠感が支配している。
指一本動かしたくない……そんな感じだ。
だから実はこうして起きているけど、寝ているフリを続けてしまう。
あと10分……いや、あと5分でいい。もう少しこのまま眠らせてくれ。
「ダメみたい。もう少しだけこのまま……」
「え~、深山姫甘すぎぃ! こんなの一発じゃん?」
……やかましい。
人の枕元で話さないでくれ。特に岡崎。お前の声は妙に通――
「――おらコーダァ!! 朝だぞぉ!?」
「ぶふぅ!?」
腹部に押し寄せる鋭い衝撃。おそらくは全体重を掛けたエルボードロップ。俺は条件反射で跳び上がるように上半身を起こすしかなかった。
「なっ?」
「な、何が『な?』だ!?」
「おらっ、コーダ。起きて起きてぇ!」
「お、おいっ、待てっ」
「ダーメッ、秒も待たないっ」
「ちょっ」
有無を言わさない勢いで俺の腕を左手で掴んで引っ張り上げ、残る右手は深山の腕を捕まえる岡崎。
そのまま窓際まで強制的に俺たち二人を連れ出すと。
「そぉれ!」
「うわっ!?」「きゃあっ!!」
岡崎がまるで自殺でもするかのように、率先して開け放たれていた二階の窓から手を結んだまま勢い良く飛び降りる。
何をするつもりなのかわかってるから下手に抵抗はしないけど、しかし怖いものは怖い。思わず声も出てしまう。
「ガロンッ……!!」
地面に激突する直前、俺を掴んでいた手を離して岡崎がそう魔法を唱える。同時に俺たちの真下から猛烈な突風が吹き荒れた。
もう加減をかなりのレベルでマスターしているのだろう。その突風は強過ぎず弱過ぎず程良い風のクッションとなり、ふわりと身体が数十cmだけ戻されて俺たちに充分な着地の猶予を与えてくれていた。
「にしし。コーダ、目ぇ覚めたぁ?」
「あ、ああ……おかげさまで……っ」
とんでもない手荒い目覚まし方法である。
「じゃあこのまま超特急で行こっ!」
「え」
「朝のジョギング、ジョギングゥ!!」
再び俺と深山の腕を捕まえると岡崎は石畳の街の路を駆け出した。
「ちょ、待ってくれっ、俺……はぁ、お前ほど、足が速く、ないっ!」
◇
まあ結果から言えば、岡崎に感謝するしかなかった。
太陽の高さを見れば……おそらく今は朝の7時過ぎ。昨日考えていた予定よりすでに1時間近く押してしまっている。本当は日の出直後の6時頃にはこの広場に来たかったのだ。
おそらく寝不足の続いていた俺が、なかなか起きなかったのだろう。
1秒も惜しい感じで窓から飛び出したさっきの岡崎の行動というのも、起こす役を任された者として責任を感じてのものだったのだろうと今さらながら理解する。
「はぁ……はあっ……!」
だから感謝はするが――しかし、起き抜けの全力ダッシュは正直きつかった。
「コーダ、だらしねぇのぉ!!」
「るっ、せぇ……お前、が……異常、なのっ」
初期ポテンシャル値を魔法関連に一切振ってない基礎体力馬鹿の魔法使いといっしょにされてはたまったものじゃない。
俺ほどじゃないが胸を押さえて呼吸を整えているレベル10の深山の様子を見ても、岡崎のスタミナがどれだけ異常なのかが良くわかる。
「ふぅ……凛子、ちゃんたち……いない、みたい……」
「……そうみたい、だな」
昨日のあの賑やかなお祭り状態がまるで嘘のようである。
白い真四角な建物――ダンジョンの入り口を取り囲むように存在する石畳のこの広場には、早朝ということもあって人影は一切見えなかった。
もう少し言えば、パーティのリーダーである深山がマップを確認すれば凛子と未の存在を示す表示が無いことは一目瞭然だろう。状況をより正確に把握できているようだった。
しかし念には念を、という感じで俺も操作モードに入り、ソフトウェアキーボードを展開して凛子宛に『いる?』と短いメッセージを送ってみた。
やはりというべきか、エラー音と共に送信できない旨のシステムメッセージが瞬時に返って来てしまう。
「はぁ……結局、出て来れなかった、かぁ」
これが朝一番にこの広場まで駆けつけた理由。
昨晩の午前0時を過ぎてもあのふたりが宿屋に現れなくて――つまり自殺によるログアウトをしなかったことを踏まえ、朝イチにここに駆けつけようと決めていたのだ。
「んで、どーすんの?」
俺からの昨晩の指示通りに叩き起こしてここまで連れて来てくれた岡崎。
しかしその先の展開までは予想できてないのか、そんな質問を投げかけて来た。
「ふたりをこのまま迎えに行く」
「へっ!?」「えっ」
近接の壁と、最後の切り札。
正直あのふたり抜きで大会を優勝することは難しい。
ならば全滅してしまう可能性を覚悟してでも、俺たちもダンジョンに潜ってこちらから合流するしかない。
ふたりがゲームオーバーとならずダンジョンで戦い続けているという現状から察するに、凛子から教えてもらった『竜巻に守られている』という門番のモンスターを今も倒せないでいるということだろう。
ならば、それに対しては深山がきっと役に立つ。
一ヶ所に立ち止まっているモンスターなら四門円陣火竜で一撃だ。
合流する前に深山たちが倒されてしまうという危惧も、今ならある程度抑えられる。
昨晩ようやく完全版となったあの新規魔法はダンジョン内の複数の敵を相手にするシチュエーションでは非常に有効だし、何より地下56階まで落下することのトラップダメージは、岡崎の魔法でおそらく確実に回避できる。
指をくわえて我慢していた三日前とは、ずいぶんと状況が違うのだ。
「深山。大会の本戦って9時からだよな?」
「あ、はいっ」
「あと2時間か……まあ、不可能ではないか」
凛子たちと合流さえできれば、あとは障害となっている門番のモンスターと戦うだけのはずだ。
合流についても、すでに凛子たちは地下56階に落ちて三日以上が経過しているし、その階層のことを熟知していることだろう。どっちに向かえば合流できるか、というアドバイスも凛子側から期待できそうだ。
なので特に大きなアクシデントさえなければ、2時間で帰還もそこまで非現実的というわけではない気がする。
「よし、さっそく潜ろう」
「はいっ」「オッケオッケ!」
◇
――さてはて。どうしたものか?
「深山はこの状況、どう考える?」
「……寝ている、とかは?」
「どうだろう。もう数時間もないことは凛子たちも承知していることだし、呑気に寝ているとは正直とても思えないな」
「コーダのメッセ、気が付いてないとかぁ?」
「そっちはもっと無さそうな気がする」
地下1階に降りた俺は真っ先に状況の把握をするべく凛子宛にメッセージを送った。しかしそれに対する返事がもうしばらくこうして待っているのに、一向に届いて来ないのだ。
「んじゃ、もう実はこのダンジョンにいないとかぁ?」
「いや。メッセージの送信は成功している。つまり届いている」
「…………何か、返事ができない状況?」
「そうだな、それが一番可能性高そうだ」
深山のその意見に俺も賛同した。
つまりおそらく、今現在もっか戦闘中というわけだ。
しかも一瞬も気が抜けないような厳しい戦い。
「タイミングから察するに、門番と全力で戦ってる感じだろうと思う」
「……うん」
今まではヒット&アウェイで安全第一に少しずつ崩していたようだが、いよいよ大会当日の朝となり覚悟を決め、背水の陣で死闘を繰り広げているその真っ最中……という感じだろうか。
「やっべぇじゃん!? ならアタシたち急いでそこに――」
「――いや。ここで待とう」
今にも駆け出しそうな岡崎を言葉で制する。
「どーしてぇ!? サークラセンパイ、今ピンチっしょ!?」
「……香田君。それは今から駆けつけても間に合わないってこと?」
「それも多分にあるけど、何より入れ違いのリスクが一番怖いかな。俺たちが56階まで降りている間に、ふたりが地上に脱出していたら最悪だ」
「あっ」「あ~……」
深山だけじゃなく、岡崎にも容易にその最悪パターンは予想できたようだった。
「もう少し言うと、このダンジョンはその昔、大勢のプレイヤーが列をつくるように押し寄せてみんなで攻略していたらしいからね。多人数物のゲームとして考えると危険はそれなりにありそう」
「?」
俺の言いたいことが理解できない風に可愛らしくちょっと首を傾げている深山。まあ普段ゲームをやっていないらしいしそれも当然の反応だろう。
「深山のその仕草、可愛い」
「ふえっ!?」
忘れず本心を伝えておく。
「さっきの話はつまり『誰かが門番を倒したら、後から来た他のプレイヤーは門番を倒さずに楽々と次の階に進んだりできたのか?』ということ」
「も、もぅ……文脈から察して、できないってこと?」
「たぶんね。そうじゃないなら先陣切って前を進むプレイヤーばかり大変で、後続は楽々と攻略できてしまえることになってしまう。だから俺たち別のチームが地下56階まで行ったら、また門番のモンスターが新たに再召喚されてしてしまう可能性もそれなりに高いと予想したんだ」
「せっかく倒したのに、また現れたら……」
「……最悪じゃん、それぇ」
そう。手助けどころか足を引っ張ってしまう可能性がある。
あるいは倒してない場合もそれはそれで問題で、途中で合流した際に門番がもう一匹現れる……とまで行かなくても、門番の体力が回復してしまうぐらいのことは普通にありそうだ。
「だから、とりあえず今はここで待とう」
そう言いながら率先して近くの岩に腰掛ける俺だった。
「コーダ……マジでよくそんな落ち着いてられるねぇ!?」
「岡崎。お前はちょっとワタワタし過ぎ」
「で、でもさぁ!?」
「まあいいから座れって」
「えー……」
心底嫌そうに、でも素直に地べたにストンと座る岡崎。
まるで『ステイ』言われた番犬のようである。
「凛子ちゃんのこと……信頼してるんですね?」
深山も俺の座っている大きな岩の隣りに腰掛けながら優しく微笑んで、そう質問してくる。
信頼……信頼かぁ。確かにそうなのかもしれない。
「ああ。何せ返事して来ないからね」
「はいっ」
それだけで深山には充分に俺の考えが伝わっているようであった。
「? どーいう意味?」
「じゃあ逆に質問するけど、岡崎がピンチの時に俺からメッセージがあったらどうする?」
「へぇ? どーするって…………平気なフリ、するケド」
「なるほど、そりゃ残念だ。よっぽど俺のこと信頼してないらしい」
「ちょ、えっ、ど、どゆことさっ!?」
「だって岡崎は自分が困っていても、俺を頼ってくれないんだろ? 本当のことを話してくれないんだろ?」
「うぐっ……!?」
図星だったらしい。
口をへの字にして目を見開く岡崎。
「だ……だって、さぁ……迷惑、かけらんない、じゃん?」
「お前のそういうところは嫌いじゃないよ。でもチームのメンバーとしては間違ってる。助けを求めることもまた、大切なチームプレイだ」
「…………うん」
「仲間には、迷惑を掛けて良いんだぞ? 利用して良いんだぞ?」
「……っ」
懐かしいな、この会話。
遥か昔――と言えてしまえるぐらいの過去に感じる、凛子とのリアルでの初めての出会い……あの日の会話を思い出す。
仲間なら、利用しても良い。
その言葉を互いに交わして、それから凛子と今まで支え合ってここまできた。互いに泣いたり、甘えたりしてきた。
「あ、ありが、とっ」
人の心の機微に対して察しの良い岡崎がおそらく直感的にだろうけど理解して、そう飛躍した返事をしてきた。
そう。
岡崎が思ってるよりずっと俺はすでに岡崎のことを仲間と認識している。
これを機に、それをもうちょっと理解してくれると助かる。
……でなきゃ彼女がピンチの時に、助けてあげられない。
「あ、あれ? でもさ……その例えでいくとサークラセンパイ、ピンチって伝えてきてないっしょ??」
「そうだな。だから俺は安心してる」
隣りでニコニコ笑ってる深山に釣られ、俺まで微笑んでしまった。
「自分たちで確実にどうにかできるって、そう踏んだんだと思う。変なやせ我慢をして死んで、チームの戦力を削ぐようなことは凛子は決してしない」
これは間違っても恋愛の感情と混同しちゃいけない。
確かにこと恋愛に関しては、凛子は自分の評価を異様に低く見立てている。
必要以上に俺に尽くそうとする。
でもゲームプレイや自分に与えられた役割に関して言えば、プレイヤー……あるいは人生の先輩である『りんこ』は意外とクレバーである。
例えば戦力が乏しい初期の頃、近接攻撃としてゼロ距離で弓を引くことを可能なら止めたいと凛子は正直に言ってくれていた。
あるいはどんなに嫌でも、アクイヌスと剛拳王を出し抜くためなら仲違いする演技で俺だけ置き去りにして間合いも離すし、俺目がけて弓も引く。
今こうしてダンジョンの地下56階に居ること自体もそうだ。
本当は俺といっしょに居たいだろうに、岡崎の風の魔法開発に自分は役立てないと客観的に判断し、それなら未の補佐に行こうと自分から判断して今に至るのだ。もし凛子が未の元に駆け付けてなければ、おそらく未はとっくに死んでいただろう。
ちゃんとチーム全体の実益を得るために最も必要な選択をするプレイヤーが、『りんこ』だ。
「凛子はピンチだと助けを求めてきてない。だから俺はその判断を信じる」
どちらかと言うと、俺のほうが凛子よりクレバーに動けていない。
……だって今、こうして俺はダンジョンにいるのだから。
俺なんか大して戦力にもならないのだから、最大限に迷惑にならないよう立ち振る舞うなら俺一人だけ安全な場所――例えば宿屋で、息をひそめて隠れているべきなのだ。
何か指示が必要ならチャットで充分だろう。
ダンジョンの連絡役だって、別に深山がやれば良い。
でも、俺はそうしない。
だから岡崎のいても立ってもいられないその気持ち、実は良くわかる。
「ふぁ……まだ、眠いなぁ……」
今もこれだけ長文で内心色々語っているのは、本当は不安な自分に対して必死に自分で『大丈夫だから』と説得しているだけのことなのだ。
もしかしたらニコニコ笑っている隣りの深山はそんな俺のこと――
――ピッ。
「あっ、連絡来た……!」
「おっ!?」「えっ!」
強制的に思考を止め、俺は慌てて受信したメッセージに視線を這わせる。
『ごめんなさい、すごく遅くなりました(´・ω・`)』
深山と岡崎、ふたりの固唾を飲む気配を感じながらチャットを返した。
「気にしないで。それより今の状況を教えて」
『もう門番の体力ミリ単位だから次のターンでいけそう(`・ω・´)』
「次のターンって?」
いつからEOEはターン制バトルになった??
『あ、うん。SSのクールタイムのこと!』
「なるほど。それで削ってるのか――ってどんだけ体力あるんだよ、その門番」
『にゃはは……まともに当たらないから仕方ない(ヽ´ω`)』
「ああ、竜巻の壁みたいなのに包まれているんだっけ」
『んむ。未ちゃんが門番の足止めしながら風を瞬間的に切り裂いて、その隙間にタイミング良く矢を捻じ込む感じ!』
そのチームプレイは目に浮かぶようだった。
苦労しているふたりには悪いけど、ちょっと面白そうとか思ってしまう不謹慎な俺。
「次のターンか……SSのクールタイムってどれぐらいだっけ?」
『えと……その』
『……30分ほど、です(ヽ´ω`)』
そっか。そんなに長かったっけ。
『あとそれから戦闘をするから、最低でも1時間は必要だと思う(´・ω・)』
「確かにそういう計算になっちゃうな……」
『あの……大会まであとどれぐらいの時間なの?』
「正確なところはわからないけど……あと1時間少々ってところかな」
さっきまでの返事を待っていた時間を加味すると、おそらくそんな感じになるだろう。
『ひゃあΣ(ヽ´ω`)』
『本当にギリギリになっちゃってごめんなさい……』
「ううん。気にしないで」
『でもね』
「うん?」
『ちゃんと脱出できたら、きっと良いことになると思う!』
『レベルとかい~っぱい上がったんだからっ!』
「そうか。なら、凛子の判断はきっと正しいと思うよ」
リスク承知の上で、リターンを得ることに凛子は賭けたらしい。
それぐらい大きくて魅力的なリターンなのだろう。
俺個人で言うなら、自殺でログアウトという凛子や未が痛かったり怖かったりする選択肢を取らないでくれたことがちょっと嬉しかったりもした。
『香田……ありがとう』
『あのね、それでね?』
「ん?」
『ごめんなさい……先に大会に向かっててください』
「……」
ちょっと返事に迷った。
凛子たちがいないなら、参加する意味もないんじゃないかって一瞬思った。
でも――
「わかった。先に行って待ってる」
――そう最終的には決断した。
凛子たちが完全に不参加となるなら俺たちだけで参加する意味はほとんどないが……例えば単純に凛子たちが少し遅れて来るだけなら話は全然違ってくる。
ここでただ待ってて全員不参加で試合放棄になってしまったらそれまでだが、もし遅刻したメンバーの途中参加が認められる可能性があるなら、俺たちだけでも先に向かって受付を済ますべきなのだ。
『ん! 絶対に追いかけて香田のところに戻るからっ!』
「待ってるよ。頑張れ!」
『頑張るーっ(`・ω・´) 』
――大会の本戦まで、あと1時間。
刻々とその時は迫っていた。





