方程式壊
『植木』
それは新藤が肉離れから復帰してすぐのこと。アンダースローの植木は新藤に呼ばれて、室内練習場に来ていた。
『稽古してくれ』
『え?』
『アンダースローはチームでお前しかいないからな。球筋を見せて欲しい』
新藤は目標を立てた。打撃で生きていくしかない新藤は、強敵攻略への特訓を始めていた。最初に狙ったのはインディーズの守護神、泉蘭。
未だにシールバック打線が捉えられない完璧な守護神。
サウスポーに加え、珍しいナックル、アンダースローと。どーやって対策の練習すれば良いか検討がつかないほど、珍しい超軟投派投手だ。新藤は同じアンダースローの植木でそのコツを掴もうとしていた。
◇ ◇
「決めろーーー!尾波!」
「抑えろーーー!大鳥!」
双方のファンは声援だけで大戦争を起こしていた。
それだけこの局面は肝となる。打者の尾波、投手の大鳥は睨み合い、同時に集中していた。ここまでの対戦成績は15打数2安打。ほとんど、大鳥が勝っている状況だ。
左対左だからという理由ではない。単純な実力では大鳥が上回っているのが明らか。
キィィンッ
「ファール!」
「尾波!内角のスライダーをカットしました!インローに決まる良いボールでしたね!」
積極的に打ってくる。1アウトを考慮して犠牲フライを狙う打撃をするかと思ったが、それもなさそうな気配だ。
変わらずにフルスイング。
「内を突いて、最後には外の組み立て」
名神はスライダーも、ストレートも、カーブもインコース主体に攻めていく。尾波もギリギリを見極め、ボールを当てて粘っている。
4球目、2ストライク1ボール。
いよいよ外のスライダーか、ストレートで三振を獲りにいく気配。ここで尾波が三振に倒れればシールバックに打てる手はなくなる。
大鳥は左手で名神にサインを送った。
『ここが勝負所だろ?投げさせろ』
決め球を催促する。外へ鋭く逃げるスライダーで尾波を切ろうとしていた。
名神はこの提案にわずかな思考を走らせたが、すぐに頷いた。
追い込んだ以上、このスライダーが一番効果的なはずだ。尾波からすれば、最初は甘くきた球と思うだろう。
「!」
真ん中寄り。しかし、スライダーならここから外角へ逃げていく。ギリギリストライクゾーンを掠めようとしている。大鳥のスライダーはそれだけのもの。
手が出るではなく、出なければやられる。そう思わせるスライダーだった。
尾波の集中力はボールが打てるギリギリまで途切れなかった。このボールを尾波は見た事があった。
パァンッ
ミットに入ったボールは……。
「ボール!!」
「っ!」
審判のコールに名神も、大鳥も、悔しいながらも頷いた。
見極めた尾波。2ストライク2ボールと粘った。
「よ、よく見逃しましたね!尾波!凄いスライダーだったのに!」
「大鳥のスライダーは俺と同じだよ、津甲斐監督。新藤を三振にとったスライダーとね」
この終盤でさらにキレるスライダーで尾波を切ろうとした。
しかし、組み立てが少し悪かったな。追い込んだとはいえ、尾波の集中力は際どいボールを限界まで見極めようとしていた。
まだ外せるカウントだという状況だ。そう簡単な球を投げるわけがない。罠であるのは明白だった。それとあーいった決め球は外にスライダーを一球、投げてからの方が効果的だ。どれだけ外に逃げるかが分かりやすいからな。
そーいった基準を打者に植えつけさせてから投げることで、空振りがとれる。裏の裏を突く作戦とはこーいったこと。
「この見逃しは大きい」
大鳥は勝負球を使い切ったことで攻め手を失った。
あと一球外せるが、フルカウントは分が悪い。決め球の外のスライダーを見抜かれたとあっては残りある2球はとても重たい。
リードする名神も苦しい。散々意識させた内で突くか、それとも振ってくるとは思えない外のスライダーで勝負か。タイミングを外すシンカーで行くか。
「…………」
ここでストレートを内に要求するか?
いや、今の見逃しが外を捨てている考えだとしたらやられる。甘く入って、ホームランなんて浴びれば試合が決まってしまう。
シンカーやカーブも、こんな場面で投げられるわけがない。
大鳥を信じよう。もう一度、外のスライダーだ。今度はこれをストライクゾーンに通す。先ほどの球を見逃したなら、外を見切っている事も有りえる。大鳥の腕を信じろ!
再びの勝負球。
投じた大鳥のスライダーは先ほどよりも、少し内に来ていた。そのわずかな違いを尾波の集中力は逃さなかった。
相手の決め球を打ち抜く。完璧な仕事。強烈な打球音で生み出した後、観客達が一瞬静まるときをよく感じる。
「完璧だ」
尾波のバットがグラウンドに転がった。そして、時は動き出した。
「入ったーーー!!ライトスタンドに放り込んだ、3ランホームラン!!一挙、逆転!!大鳥のスライダーを完璧に捉えた!!」
ついに好投を続けた大鳥を捉えたシールバック打線!この回で大鳥をマウンドから降ろしてみせた。
川北の好投もあって、3-1でリードしたまま。8回表の守備につくシールバック。
「頼むぞー!安藤ー!気合だー!」
「ゆっくり肩を休ませてくれ。それと暑苦しい」
川北とハイタッチして交換する、リリーフエースの安藤。
今日はセットアッパーとしての登板だ。8番、バナザードから始まるインディーズの攻撃。順当に三者凡退でいければ9回は2番のジョンソンからだ。
「セカンド、旗野上。センター、滝」
この2点差を守り切る。新藤の代走で出場した滝はセンターへ。友田の打順に入り、セカンドに付く旗野上。守備はこれでかなり固くなった。
「できれば左投手が苦手な菊田には井梁か沼田をぶつけたいな」
荒野は左右を気にしない打撃だが、菊田には偏りがある。それを見越して、今日の抑えは井梁であった。
川北が7回まで投げてくれたことで、沼田もベンチに残っている。理想は三者凡退。なんらかで走者を置いたら、菊田の場面で沼田の投入。今シーズンは一度打たれているが、あとは抑えている。
その目論見。やや甘かった。
8回に登板した安藤であったが、カットボールの切れがあまりよくない。
「!っと」
正確に言えば、川北の方がキレていて厄介だったから。安藤のカットボールを早々に捉えてしまうバナザード。ライト前ヒットで出塁。
9番、大鳥に代打の切り札その1、岸本が登場する。しかし、早くも送りバントの構え?
「バスターじゃないか?」
送りバントをしてきたのなら儲け物。菊田と荒野に回らなければ怖くない。1点はやってもいいのなら、1アウトを優先するべきところ。
しかし、阪東達はバスターだと睨んでいる。岸本は代打の長距離砲だ。ここでヒットが出れば、大隣に送りバントさせて理想形に持ち込みたいはずだ。
「ボール!」
いちお、用心はしている河合。初球は外した。エンドランもあるか?
そーいった奇手を考えるだけでバッテリーというのは慎重になっていく。そして、その伝染は内野陣、首脳陣に伝わっていく。
インディーズの監督。野際の出しているサインは強行である。しかし、始めから送りバントの構えを見せることで何かを仕掛けてくると!相手に揺さぶりをかけているのだ。
「ストライク!」
バントができそうな球も見逃した。追い込まれたら、バントは考えづらい。
もう強行だ。いくらバントの構えでも、バスターは丸分かり。
カァァンッ
鈍い音の打球は高いバウンドでショートに転がった。ショートを守る東海林は捕球すると同時に二塁を見た。
「ファーストだ!」
間に合わない。セカンドの旗野上は送球を受け取らないよう、×を両腕で描いた。まだ岸本は悠然と一塁へ走っている。余裕で間に合う。結果として送りバントとなった。
「アウト!」
とはいえ、しぶとい打撃だ。
打力が低いくせして、最低限はキッチリこなしてくるインディーズ打線。
「1番、セカンド、大隣」
残り2人を抑えれば勝てる。ここからは強行しかない。にもかかわらず、大隣にもバントの構えをさせる野際。
「おいおい。送りバントはないだろ?やるならセーフティバントにしろよ」
右打者とはいえ、足は友田と杉上の2人と並べられる大隣。
セーフティバントも決められる男なのだが、この場面ではヒットを狙うべきだ。誰もがそう思っている。
「前進守備を敷いてくれ。大隣の足は厄介だ」
阪東はバスターを含め、内野に前進守備を敷かせる。岸本が放った打球でも大隣ならセーフにできる足があるのは知っている。
サードの林、ファーストの嵐出琉はやや前にきていた。
その初球。
「走ったーーー!」
2塁ランナーのバナザードがいきなり走った。まさかの三盗!?
大隣のバントの構えからヒッティング。想定内のバスターであったが、ボールを打つためのスイングではなかった。
「ストライク!」
「なめんなっ……!?」
キャッチャーの河合が、送球を躊躇したのはスイングをした大隣の体とバットだ。違反ではないが、上手に送球を妨害していた。隠れたスーパープレイ。その一瞬さえ遅らせることと、河合の送球がやや乱れることも祈った奇襲。
「セーフ!!」
歩数が一歩増え、大隣をしっかりと外してから送球したものだからかなり遅れたのは当然。また、送球も不安定だった。
「バナザードにそこまでの盗塁技術はない。が、打者に盗塁をアシストできる力量があったな。またやられた」
そもそも、足のあるバナザードをまったく警戒させなかった俺のミス。
野際はホントに抜け目ない上に、選手達もそーいったプレイができるんだから羨ましい。
「おっしゃー!」
一方、ベンチでガッツポーズをする野際。単独の三盗であるが、理想的な走塁からの攻撃。尾波の3ランで2点差であるが、追いつける。追いつけば勝てる。
新藤と友田がいなくなれば、延長での勝機は高い。
「頼むぞ、大隣ーー!」
絶対にバナザードを返せ!ヒットじゃなくてもいい!いや、ヒットが理想だが確実に1点ずつ返す!
「レフトに上がった!やや浅いが、犠牲フライになるか!?」
「行けーー!バナザード!!」
インディーズ並みの守備力ならば本塁突入は防いだ。それだけ自分のチームの、守備と走塁には自信があった。
「セーフ!」
「これで1点差!インディーズも粘ります!好投を続けるシールバックの中継ぎから追いつけるか!?」
この1点は大きい。荒野と菊田に回さずに奪った得点。
「井梁。9回をキッチリ頼むぞ」
今日は抑えに回る井梁。そして、託す阪東。菊田と荒野の2人に託す野際。
死闘の9回裏。先頭から菊田が塁に出れば代走に熊本か鹿埜を送るだろう。それだけで勝率が違ってくる。
「ストライク!!バッターアウト!」
「井梁!163キロのストレートで菊田を空振り三振!凄まじい豪腕!」
菊田を想定通り抑えた。だが、問題はこーなるとこの男。
「一発狙ってくれ。荒野」
「敬遠されなきゃいいけどな」
野際から指示を受け取って打席に入る
「4番、サード、荒野」
一発を狙ってやるか。160キロをスタンドに放り込めばかっこいいか?
なんて思考をしておいて、冷静に打席に立っている。強打者のくせにクレバーなところもある荒野。フルスイングも静か。
実はサードのレギュラーであるが、第2の捕手でもあった。とはいえ、プロ入りして急に捕手をやらされた。提案したのは野際だった。打者としての能力がある割りに、プロ入り当時は駆け引きを深く考えたことはなかった。捕手で守りながら打者や投手の動きを知り、一回り打者として成長。
初球を砕く。今の状況は力勝負だけだ。
カーーーーーーンッ
打った瞬間。速すぎたからか、夢中だったからか。何を打ったかさえ忘れてしまった。電光掲示板に残るスピード表示で、165キロということはストレートなのだろう。
そして、そのスピード表示の上に直撃した打球。
「同点ソロホームラン!!高めに浮いた、165キロのストレートをバックスクリーンに叩きこんだ!!初球から思い切ったスイングが値千金の同点アーチ!」
土壇場で振り出しに戻す、インディーズ側の執念。
試合は延長戦へと縺れる。




