第三話 「鬼ト贄」
前回の二話目から、かなりかかってしまいました。
戦闘シーンが多いですが、お楽しみいただけたら幸いです。
第三話 「鬼ト贄」
一
視界に映るのは濛々と舞い上がる煙。
めらめらと踊る炎。
音をたて燃え落ちる大木。
そして、夥しい数の死骸。焼けただれた巨大な魔獣の骸と、散乱したヒトの身体。かつて共存を望んだ者達が起こした、あまりにも異常すぎる闘い。周囲の地獄絵図の中、凛然と佇む一人の男が、腹の底から声を搾り出す。
「―――許せ」
それだけを静かに、呟いた。怨念深く、成仏できずに現世へ迷い出ぬよう―――死んでいった全ての者達へ、瞑目する。赤い景色の中、彼の銀色に輝く長い髪が、風にのって揺れた。
人の気配を感じて男が振り返ると、白衣に緋袴を纏った美貌の女がこちらへ向かって駆けてくる。
「生き残った者は拝殿の方へ集まらせました。ご指示どおり、待機するよう命じております」
「……ご苦労だったな、陽炎。怪我はないか?」
表情に愛しさの温度をともした男は、双眸を細めて囁き、彼女の腕をとる。彼女はゆるりとした瞬きとともに「大丈夫です」と、淑やかに答えた。
陽炎の頬に付いた魔獣の血を袖で拭ってやりながら、辺りを見渡す。残った魔獣の「処理」は終わった。のこりは―――。
ふと、紅蓮の炎に照らし出され、朧に幾つかの人影が認められる。
「玉響、…陽炎! 無事だったか…!」
「―――ほら、あたしの言うたとーりでしょ? 陽炎に怪我ぁあったら、玉響が黙っとらんよ」
「……お主は少し、心配し過ぎだ。神風」
炎に映った人影が鮮明になり、三人の姿が現れた。
やたらと体格のいい、着崩した頭領装束で二人の目の前に立つのは、虎光族の長、神風である。風の力を操る、豪腕の槍使い。対照的に、線の細い小柄な隣りの女性の名は、綿津見。訛りのある喋り方と、人を惹きこむ無邪気で透明な笑顔の持ち主は、龍神族の若き長。少し離れた所で、控えめな笑みで四人の姿を眺める男は戦武族の長、荒鉄。優男な面からは想像もつかないが、相手を防戦一方にさせてしまうほど奔放無頼な太刀筋を扱う。
「皆も無事のようだな」
低く、落ち着いた声で、黒衣に映える銀髪の男が言う。端整な容貌と凛とした風格―――頭領としての威厳が漂う彼は、朱鬼族の長、玉響。全部族の中でも圧倒的な力と知力、人望を併せ持つ男。その彼の傍らに、常に付き従う女性は玉響の伴侶である、陽炎。容姿内面ともに、慎ましやかさと華やかさを持つ麗しい朱鬼族の女性。
五人の人間が、血と肉と炎の世界で佇む。悪夢のごとき光景が、正しく、眼前にあった。
地獄と化した野原。矢と術の雨の下、仲間たちの、そしてかつて仲間だったものの死骸と血の海の中で、心に決めた信念は揺れることはなかった。たとえ、このような結末が待ち受けようとも―――。
「未来という、不確定な輝きを奪わせはせぬ。―――出て来い」
ゆっくりと振り返り、玉響は口を開いた。五人の視線の先が一点に集まる。
ぼこり……
黒々とした地面がぐぐっ……と盛り上がっていた。見る間に、小山のようになる。盛り上がった土の山は激しく震え、何者かが土中より地上へ這い出てこようとしているように見えた。
ぼごっ…!
一層、不気味な音をたてて土が盛り上がり、それが爆ぜる。死骸だらけの土を割り、現れたのは最初はねじくれた巨木のように見えた。しかし、赤黒いそれは天を掴もうともがく、太い腕。ずるり、ずるりと地表へ這い出て来る。
「てめぇは初めてツラ合わせた時から気に食わなかったぜ」
そう言った神風に応えるように、そいつは頭上の邪魔な死骸を手荒に、片手で跳ね飛ばす。そして、両手で上半身を引っ張り上げるようにして、赤黒き巨体が地の底から這い上がって来た。
オオ…、オオオッ! オアアアアアッ!!
獣の声に似た、おぞましい叫び。
「神明…!!」
綿津見が呻きながら、そいつ名を口にした。
額には二本の角。その下に爛々と光る目。大きく裂けた口に並ぶ、乱杭歯。対峙するものを畏怖させる、このイキモノこそ―――。
この戦いを誘発させた、諸悪の根源。
「終わりだな、神明。己の死をもって償え」
意識的に冷たい声で言い捨て、荒鉄はゆるりと、腰に差した刀の柄に手をかける。
「あんたのこと、少しでも助けたいと思うたあたしが阿呆やったわ。あんたはもう空人でも何でもない。ただのバケモンや。その首、死んでった仲間の墓標に晒したる」
「ったりめぇだ。今、この場で滅殺してやるぜ」
龍神、虚光の長である二人の眼に炎が宿り、仁王立ちする神明を睨んだ。
すると―――。
カカッ…カカカッ…!
不気味な声で、神明が笑った。やがてその声が止み、
「………殺ス」
低く、くぐもった声で呟いた。
「…殺シテヤル。人間ハ、全テ、我ガ殺シテヤル。コノ世界ハ獣門ノ長、神明ノモノダ」
「………愚かな」
陽炎が神明の浅ましい姿を見て、眉を顰めながら俯いた。
訪れていた平和。先部族が築き上げていた秩序と共存への道。人と魔が連なってきた歴史―――。
それら全てのものを神明は否定した。否定するだけではなく、破壊しようとしている。最も禍々しい存在、渇望する者として。
「貴様を長として認めた者などいない。己の父である天戎を殺し、獣門の名をも汚した。もはや貴様に生たる価値はない」
玉響の低い声音が、一瞬で空気に冷たさと重さを感じさせる。音にならない彼の力の振動が、他の四人と共鳴し合っているのを神明は感じとっていた。それが何故か酷く、耳ざわりで―――。
オオオオオッ!!
雄たけびを上げ、神明は凄まじい速さで玉響達へと向かってきた。両腕を地につき、蜘蛛のごとく。
「陽炎、後ろへ」
「―――はい」
玉響の言葉に、控えめに距離をとる陽炎。
「おいおい、どうしたよ神明。猪突猛進―――単純じゃねぇか、あぁ?」
神明の突進に、神風が口の端を上げる。節くれだった五本の鉤爪が、ごっ、と空気を鳴らしたが、薙ぎ払ったのは空間だけであった。だが、その刹那―――。繰り出された神明の右腕が消え、空へと跳躍していた荒鉄へと、爪の突きを放つ。しかし、荒鉄が青色の双眸を細めた瞬間、彼の身体が波のように揺らめく。
人の目で追えぬほどの一瞬のうちだった。不意に、神明は放ったはずの己の右腕に圧力を受けた。何が起こったのか考える前に「斬られた」ことが、流れ出る魔獣特有の紫の血で確認される。
「グッ…!?」
神明が呻いたその時には、既に荒鉄の太刀の切っ先が眼前に迫っていた。
咆哮を上げながら、左腕でその攻撃を弾く。防御しようとした荒鉄は、その刀身ごと剛力に吹っ飛ばされ、凄まじい勢いで後方へ飛んだ。
「荒鉄!」
陽炎の叫び声が響く。地面に倒れ込み、噴煙を上げる荒鉄の身体。
「おおおっ!」
神明の僅かな隙を捉えたのは神風だった。牙を剥きながら、彼の持つ大長槍が神明の腹部を貫いた。しかし、その手ごたえに神風は舌打ちをして、瞬時に後方へ飛び退る。魔獣が持つ並々ならぬ感覚のせいだろうか、その巨体は神風が胸を穿つと同時に、僅かに身体をうねり急所を外していた。
「…む、う……」
ボヤける視界のまま、荒鉄は陽炎の腕の中で呟いた。
「大丈夫ですか? 荒鉄」
「…すまぬ。平気だ」
陽炎に支えられ荒鉄が立ち上がるが、左手から血が流れていた。手甲が破れ、腕に獣爪で抉られたような傷が刻まれている。吹き飛ばされた際、神明の鉤爪を食らったのだ。
二人が視線を上げると、綿津見が踊るような動きで高圧水流を射出しているのが見えた。神明の身体が呑み込まれ、燃え盛る大木に激突する。ズルリと落ちる途中で、何本もの水の鞭と、神風の衝撃波が神明に襲いかかった。叫びとも悲鳴ともつかない音がゴボゴボと神明の口からあふれ出る。そして更に追い討ちをかけるように、玉響の火術、火炎の化身である火の鳥が神明の身体を包み、地獄の業火が辺りを焼き尽くす。
おおおおおおっ……!!
炎の唸りか、それとも魔たる者が上げている声か。灼熱の炎が逆巻き、天へと駆け登っていた。肌を刺すような凄まじい熱気が風に流れ、離れている荒鉄と陽炎の元までへも届く。
「……やったんやろか?」
綿津見が呟いた。この様では、もはや生きているはずもない。僅かに緊張を解いた彼女が近づこうとする。だが、
「―――待て。動くな、綿津見」
張りのある玉響の声が、それを制す。厳しい面持ちのままの彼の姿勢を見て、荒鉄の身の内にじわり、と嫌な緊張感が満ちた。
―――まだだ。まだ、終わってなどいない。
「ちっ……しぶてぇヤツだ」
ペッと唾を吐き、神風が忌々しげに槍を頭上で構えた。次の瞬間。
濃い瘴気が立ちのぼり、神明を呑み込んでいる炎の柱とでもいうべきものに、渦を巻いた。そして―――。
グオアアアアアアアアッ!!
その場にいる者達全ての魂を震わせるほど、どす黒い怨嗟を含ませた雄たけびが、一帯を地鳴らしのように揺らす。そして、力強い戦慄の「声」。
「…コノ程度デ…コノ程度デ、我ガ死ヌト思ウテカッ!!」
「むぅ…!?」
唸り、思わず後ずさった玉響の眼前に、そそり立っていた炎の渦が黒い爆発へ変わった。叩きつけるような衝撃の波が押し寄せる。各々身構えながら黒い煙の先を見つめていると、その中でぴかり、と二つの円いものが光った。それは底知れぬ狂気と憎悪を宿した、燃えるような瞳―――。
文字通り、刹那であった。玉響と神風の横を、烈風が走り抜ける。すぐさま、異変に気づいて二人が振り返ると、嫌な予感は的中していた。
闇雲ではない、目標を定めたその攻撃は伸びた五本の鉤爪。それが綿津見のしなやかな身体を深々と刺し貫いていた。
「なっ…」
綿津見の唇から鮮血があふれる。伸縮する爪は、ぶしゅっ、という音を傷口からあげ、素早い動きで引き抜かれた。綿津見の膝がガクリと落ちる。
「綿津見!! ―――てめぇっ!!」
神風は煙の中へ踊りこみ、そこに潜んでいる神明の喉もとへ切っ先を突く。しかし―――。
「!?」
そこに神明の姿はなかった。
黒々とした空気の中、神風は「突き」の体勢で固まっている。神明の放つ、「意識の熱」とでもいうべきものが、ふっと掻き消えたのだ。そう、上空へ―――。
神明の巨体が、舞っていた。軽々と、神風の頭上遙か上空へ、一瞬の跳躍で詰めていた。
「…次ハ、貴様ダ」
円い眼を細め、神明は神風に向かって宣言する。だが、その様子を見上げる神風の顔つきが、まるで悪童のように笑んだ。
「いやぁ? てめぇの番らしいぜ」
「…!?」
彼の言葉の意図に気づいた時には、既に遅かった。背後に気配を感じて神明が振り向くと、神明の上をいく跳躍力で玉響が空を舞っていた。振りかざされた刀身は、空に浮かんだ三日月―――。彼の両腕の筋肉が気力を漲らせて瘤のように盛り上がり、迷いのない一文字の太刀筋が打ち下ろされる。
神明の左肩に強烈な衝撃が伝わった。耳元で肉が潰れ、骨が砕ける音が聞こえる。いくら強靭な肉体を持つ神明でも、この攻撃に為す術はなかった。そのまま地面へと落下する。重い音が響き、どっと大量の土砂が舞い上がった。
「……、オノレェ…。人間ゴトキニ…!」
前傾した姿勢から身を起こすと、斬られた傷口が血を噴き出し、痛烈な痛みが身体を走り抜ける。神明は憎々しげに玉響を仰ぐが、間合い三歩―――。気配を察した。視線を瞬時に戻し、下半身の重心移動とともに、太い腕を薙ぎる。だが―――。
「遅いですよ」
まるで時を止めるが如き、神速の踏み込み。奔る刃が地表近くから半月を描き、前に出た神明の右腕を、関節の部分から綺麗に斬り上げた。
「グアアアッ!!」
肉の塊が鈍い音をたて地面へ落ちる。大量の紫の飛沫で、一瞬視界がその色に染まった。だが紫の血の中で、絹糸のような黒髪がふわりと踊る。そして二撃、三撃…続けざまに飛来するような音と衝撃だけが神明の身体に伝わる。白く閃く軌跡の流れを追うと、
(ナッ……!? コノ女……!!)
神明の目が驚愕に剥く。その艶やかな姿は、的確に冷静に、最小の動作で斬り裂いていく陽炎であった。彼女の薙刀の動きには一切無駄がない。斬った勢いで次の攻撃へと転ずる様はまさしく、達した武芸のそれ。
神明の心を見透かしたかのように、
「これでも朱鬼族を統括する者の妻です。油断、いたしませぬよう」
炯と光る瞳で擦れ違い様にそう言い、陽炎が斬撃を放つ。その残像が消え去る前に、神風の槍が神明の肩の傷口へ向けて投げられた。点を衝つが如き、精妙な一撃。傷口に命中したと同時に神風は跳躍し、刺さっている槍を更に「突き」で押し込む。失神してしまいかねないほどの衝撃と激痛が神明を襲った。
―――違う。
何かが、違う。
印を結んだ荒鉄が神明の周囲に膨大な術力を展開し、結界内に封じ込める。
今、自分が戦っている者達は、魔獣よりか弱く愚かであるはずの人間どもとは何かが違う―――神明がそう気づいた時、再び、音にならない振動が聞こえた。
紅蓮に輝く炎の渦が、結界の内側に強烈な高熱を発生させ、神明を呑み込む。肉体を焼かれながらも、神明は凄まじい術力が更に喚起しているのを感じとっていた。
これで、「終わり」にするつもりなのだ。
水面がざわめくような、その共鳴が引き起こす感情。具体的な言葉として形作るとしたら、それは―――。
「我が宿命に従い、貴様を滅する」
熱風にあおられ、玉響の紅い瞳が濃く揺らめいた。
それは、「恐怖」―――。
喚起した炎の奔流は魔獣に残された耐久力を削りきり、絶叫とともに、赤黒い巨体が崩れ落ちる。
玉響は表情一つ変えずに、しばらく眼前の炎の渦を見つめていた。
やがて辺りが驚くほど静まり返った。時折、焦げた草木が崩れ落ちるような音だけが聞こえる。
ややあって、息絶えたかのように思えた神明の胸が、上下に緩く動いた。しかし、隆々と盛り上がっていた筋肉は酷く焼けただれ、左腕は肩から吹っ飛んでいる。骨ばった顔に埋もれるように覗く眼球はどろりと濁り、光を失っていた。力なく咳をすると、口から鮮血が飛び散る。長くは保たないように思えた。
「哀れだな……。これが貴様という存在の末路だ」
玉響が静かに呟く。神明は辛うじて玉響の方へ顔を向けるのがやっとのようだった。骨格を失ったかのようにだらしなく膝をつく神明は、喀血しながら弱々しく囁く。
「……我、ラ魔獣ハ……死シテ、モ……転生スル人間、トハ……違、ウ……」
玉響の言葉に対して、神明は少しずれた答えを返した。魔獣である獣門族の魂は、輪廻転生する人間の魂とは異なる。
「死スレ、バ……我ラノ魂、ハ……完全ニ消滅シ……真、ノ、死ヲ……迎エ、ル……」
「―――そのようなこと、既に承知している。命乞いのつもりか」
冷ややかな双眸を受けながら、乱杭歯が並んだ口が、大きく歪んだ。
「…フフ……フ。ダガ……獣門ノ、長……ニシカ……伝ワッテ……イナイ術ガ……アルノ、ダ……」
「術……?」
血と光を失い、今にも事切れそうな神明を目の前に、その時誰も予想などしなかった。
ボキリ。
何かが砕ける音が響く。
肉と筋とに包まれた骨が、丸ごと持っていかれそうな鈍い衝撃だった。
陽炎の、悲鳴。甲高く叫んだ彼女の声が、玉響の鼓膜を突く。
同時にみしり、と今にもちぎれてしまいそうな音が、左肩から不気味に聞こえた。生臭い息と魔獣独特の血の匂い、そして恐らく、その中に自分の血も混じっているだろう臭気が、鼻腔に流れてくる。
―――一瞬、だった。計算であったのか、それとも最後の僅かな余力であったのか。
玉響の肩に牙をたてた神明が笑ったオトと空気を、玉響は全身で感じた。
だがそれは、すぐさま途絶える。
突起した水の攻撃が神明の首を貫く。そして最後の、とどめの一撃が神風から振り下ろされた。
―――ごろり。
槍の切っ先から、ぽたぽたと紫の血が滴る。その横に転がる、神明の首。芯を失ったようにガクリとうつ伏せに倒れた本体側の斬口からは、まだ間欠的に血が噴き出していた。獣門族、最後の空人は、二つの肉塊へと姿を変えたのだった。
「―――けったくそ悪いヤツや! ようやくくたばりおったか。玉響、傷見しぃ、水の膜張ったる」
綿津見が地面に膝をついた彼に駆け寄り、抉られた肩の傷に手をかざす。神明に受けた彼女自身の傷は既に自分の能力で塞いでいた。生命の癒しを司る、龍神族ならではの力だ。
「……陽炎、そのような顔をするな。私なら平気―――」
口に出して、すぐに玉響は失言だったと悔いた。玉響の着物の端を掴んでいる陽炎が、瞳いっぱいに涙を溜め、今にも泣きそうな顔で怒っているのを見たからだ。
「どこが平気なのですか!! あなたに何かあったら私は……私はっ……!!」
途端に、血にまみれるのも構わず、陽炎は子供のように玉響に抱きついてくる。その華奢な身体が小刻みに震えていた。
「陽炎……。……すまぬ、心配をかけたな」
陽炎の恐怖を削ぐように、玉響は穏やかな声音で言って微笑む。軽く自分に引き寄せて、優しく彼女の頭を撫でた。
「うふふ、愛されてんなぁ玉響。見てるこっちが熱ぅなるわぁ」
「……ったく、余裕かましてっから隙を突かれるんだよ。陽炎泣かすんじゃねぇよ」
「あれぇ? 神風、あんた玉響に嫉妬してるん? やめときやめとき! 朱鬼族一の美女の相手はあんたには無理やわ」
「てめぇ…その喧嘩買ってやろうか、あぁん!?」
少し離れた所で、その様子を眺める荒鉄の口元が緩む。が、刀を握りしめたまま、その表情は思案顔に変わり、視線を地に転がった神明の首へ移した。
物言わぬ生首と首無し死体の二つ。―――神明は、
「……死んだ……」
静かに荒鉄が呟くと、にわかに、ぽつりと来た。天から降ってきた小さな滴が、荒鉄達五人の頬を濡らし、辺りへ降り注ぐ。
炎の残滓か、身の内に燻る熱さか。濡れた身体から蒸気が立ち昇る気配を、玉響は感じた。
「……これで、ようやく終わったのですね……」
「……ああ。もう、大丈夫だ」
優しく囁きながらも―――。玉響は陽炎の言葉にひっかかるものを感じていた。
〝終わった〟……。
何故か強烈に、その言葉が心から消えない―――。
二
南の地、桜の都。
華麗に花を咲かす桜と共に、朱鬼族が住まう地。大路、小路関係なく自生する桜は、都の夜の色さえ変えてしまう。雅やかな造りの屋敷が立ち並ぶ通りを過ぎ、水蓮の橋を渡ると、高々と聳える大門が出迎える。門口を通過すると、枝振りのいい桜に囲まれた大きな拝殿が眼前に飛びこむ。広大なこの敷地内は朱雀宮と呼ばれ、清浄な空気が満ち、一種独特の、凛とした雰囲気が漂っていた。
「―――あぁ~なんかお酒飲みたい気分やわ~」
「ははっ、気持ちはわかるがまたの機会にしようぜ。今は死んでった仲間を自分達の地へ連れて帰って供養してやらねぇとな」
吹き抜けとなっているその場で、綿津見達が緊張の解けた調子で言葉を交わす。
「……わかっとるよ。北で待ってるあたしの民にも、戦いが終わったこと、早う報告してやらんと。なぁ? 荒鉄」
「………」
「? 荒鉄? どうしたん?」
綿津見の声が聞こえていないかのように、荒鉄の視線は拝殿の奥の方へと向けられたままだ。
「おい、どうしたよ」
神風が軽く肩を叩くと、ようやく気づいた荒鉄が「…ああ」と言って二人へ振り返る。その表情は気のせいか、やや曇っているように見えた。
「何か気になるん?」
「……いや。何でもない、すまないな。……それにしても、玉響と陽炎、遅いな」
「玉響の着物、神明に食われてかなりはだけてたからな。着替えてから俺ら見送るっつってたけど……」
「あ、もしかしたら、着替え手伝う途中で陽炎が玉響にガバチョーっと…」
「陽炎がんなことするわけねーだろっ!!」
賑やかに騒ぐ二人の横で、荒鉄は不安げに視線を拝殿へ戻した。視界の中で、雨の上がった夜空を雲が流れ、三日月が見え隠れしている。雪のように舞う花弁の色が、異様に紅く見えた。
本殿脇の池の側を通った、小体ながら瀟洒な造りの離れ屋。
菊の花を意匠した燈台の炎が、部屋の片隅で淡い光を灯している。
玉響の肩の傷は綿津見の力で塞がってはいたが、流れ出た血で身体が汚れていたため、陽炎が濡れ布で綺麗に拭っていた。
それが終わり、用意しておいた新しい着物を着せようと、陽炎がそれに手をかける。
―――ドクン。
「…陽炎」
「はい? ―――さあ、どうぞ。お手伝いします」
陽炎が微笑みかけるが、玉響は視線を合わせようとはしなかった。
「…すまないが、先に神風達の所へ行っていてくれないか?」
「え…? ですが、まだお着替えが―――」
ドクン。
「大丈夫だ。一人でできる。彼らを待たせても悪い、陽炎は先に行っていろ。いいな?」
薄暗い部屋のせいだろうか、玉響の顔色が悪い気がする。傷から大量の血を失ったのだ、陽炎が伺うように顔を覗き込むと、心配げな彼女の気持ちを察したのか玉響がようやく視線を合わせ、端整な唇を僅かに上げる。
「私もすぐに行く。……心配するな」
ぽん、と大きな手の平で、陽炎の頭を優しく弾いた。その笑顔と温度を確認して安心したのか、陽炎の頬もつられて緩む。
「…わかりました。拝殿の方でお待ちしています」
「…ああ」
ドクン。
木戸が閉まり、陽炎の足音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなった後、玉響は息を大きく吐き、よろめいた。
ドクン、と、ナニかが根付いている音。―――自分の心臓ではないナニかが、鼓動している音を感じる。
「ぐっ……ぅ……!」
―――左肩の傷がひどく熱い。骨が軋む。その時、
「!!」
ドン!!
傷口から強烈な熱さと痛みが、張り裂けるように血と共に噴き出す。そして、閃光が瞬くように脳裏で声が爆ぜた。
『ククク……苦シイカ……?』
低い、くぐもったその声は、紛れもない奴だった。
「ぐ……神明……!! 貴様、やはり私の中にっ……!!」
『ホウ……薄々感ヅイテイタノカ……? シカシ、モウ遅イ』
ドクン、ドクンと傷が疼き、目の前が真っ暗になった。見えているはずなのに、見えない。身体が、心が、色彩を拒絶していく。唇を噛みしめ、崩れ落ちそうな身体を両手で抱えながら必死に支える。
『……オ前ノ身体ト魂、我ガイタダクゾ』
「なっ…に…!!」
神明が嗤う。
『ククッ……父デアル天戒ヲ喰ラッタ時、代々長ニ受ケ継ガレテイタ術モ吸収シタノダ。ソレハ、我ラ魔獣ノ魂ヲ転生サセル〝禁呪〟』
呼吸の荒さに掻き消されそうになるが、それでも玉響にははっきり聞こえた。
「…戯言を…!」
そう呻きながらも、玉響は神明の言葉が嘘ではないことを知っていた。心の深い部分で、そう理解しているのだ。
〝支配〟という浸食をされている感覚。
『コノ身体ヲ使イ、オ前ノ大切ナモノヲ、根コソギ奪ッテヤル…! 我ニ〝恐レ〟トイウ感情ヲ与エタ屈辱ト恨ミ、ハラサデオクベキカ……!!』
呑まれる―――。保つべき境が越えられる。膝をついて崩れ落ちる玉響の頭に、最も恐れる言葉が響いた。
『手始メニ……人間ノ女ヲ味ワッテミルノモオモシロイ。……オ前ガ愛スル女デナ!!』
「―――っ!!」
一気に全身の毛が逆立つ。
させない!! そんなことは絶対にさせない―――!!
音が、無くなっていく。
絶望が思考をぐしゃぐしゃにしていく。
『光栄ニ思ウガイイ……玉響。コノ我ノ〝魂〟ニ選バレタコトヲ……』
「…やめろっ……やめろーーーーー!!!」
玉響の絶叫。そして―――……。
『……ククク……哀レナ贄メ……!』
次回も遅めのアップかもしれません…。
前世版の次回も、よろしくお願いします。




