第一話 「心ニ在ルノハ、炎ノ唄」
所々の修正と、一部、キャラの名前を変えました。
第一話 「心ニ在ルノハ、炎ノ唄」
こんなにも誰かを愛したいと願ったのは、初めてだった―――――。
一
鼓動を感じる。
不気味に、高鳴っているのを感じる。私の中に、『鬼』が潜んでいるような鼓動。
殺して!
誰か殺して!
産みたくない!こんな穢れた子を!!
私の腕と足は押さえつけられ、室内に響く私の叫び声は、慌ただしく行き交う人々の足音でかき消されてしまう。
その時微かに、自分の中から、自分のものでない声が聞こえた。
低い、すごく低い、唸り声。それはまるで、―――――鬼の産声。
「男だ―――」
「―――男」
「ついに産まれた。悪しき魂をもつ童―――」
人々が沢山の眼で、泣きわめくソレを見つめていた。
生きている?
そうか……生きている。
じっと、じっと、私はソレを見つめた。
――――同じ色。私と同じ、瞳の色だった。
そう、充分過ぎる理由。この子が私を選んだ理由――――。
「くす…くすくす」
「!? 凛、どうし―――」
「角は……どこに隠したの? あぁ…その深紅の瞳は血の涙を流したのね。可哀想な子……鬼から産まれたのね? あなたは鬼の子…?」
眼の縁に浮いた感情を最後に、凛と呼ばれた『私』の世界が閉じた――――……。
〝私も鬼の子なの 一緒に死にましょう 鬼の子さん〟
二
その地を覆う白い闇。
はらはらと音をたてて舞う雪は、絶えることなく地面へ沈む。四方を白一色に囲む広大な大地には、ぽつんと不釣り合いに佇む屋敷が存在していた。歴史を感じさせるその日本家屋の屋根に、スコップを持ち、雪を下ろしている男性がいる。
頬を切るような冷気が吹きつけて、肩にかかる男のものにしては長い、色素が薄く柔らかそうな髪がふわりと踊る。掻きあげるように横へ流して耳にかけると、スコップの動きを止め、一息つく。
温い吐息が白く空気に溶け、心持ち顎をあげると、猫のように蠱惑的な双眸をほっそりとさせた。
白夜を感じさせる、果てなく続く白い大地は、まるでこの屋敷を氷雪で閉じ込めたかのような錯覚を覚える。
男は失望の溜息を零し、わずかに苦笑した。
現実、ここは自分にとって牢獄――――。
この白い世界の先を、自分は知らない……。
「冷ー!」
心を現に引き戻す呼び声が、屋根の下からかかった。冷と呼ばれた男は緩慢に首を動かす。
にゃっ、と愛嬌あふれる笑顔の青年が、その面をこちらに向けていた。
「そろそろ休憩しようよ~! 芙蓉がお茶にしようって言ってるよ。早く来ないと冷の団子はボクが全部イタダくよ~!」
その彼の笑顔に引きこまれて、冷は控えめな微笑みをつくり、首を縦に振って返す。
「今行くよ。北斗」
火鉢で温められた部屋に入ると、先に到着していた北斗が美味しそうに団子を頬張っていた。その横で茶をたてていた女性がこちらに気づき、優しい笑顔のまま冷のコートを丁寧に脱がす。
「お疲れ様でした、若。今温かいお茶を用意しますね」
艶のある黒髪を結いあげ、牡丹の着物を着た清楚な女性の名は、芙蓉。
幼少から共に育ち、尚且つ冷の身のまわりを世話する役を任されている。
彼女がお茶をたてている間、冷は部屋の隅で琴を弾く男性の方向へ視線を動かす。そして彼の正面ではなく、膳の向かいに距離を置いて腰を下ろした。雪かきをしている間も響いていた繊細な音色。実に流麗な爪弾きだ。黙ってそれを見つめていると、不意に音色が途絶える。
琴に対してやや前傾となっていた和服の背筋が正され、端整な容貌が静かにこちらへと向いた。
「……邪魔したか?」
首を僅かに傾げて困惑の表情で伺いを立てた冷に、男は緩やかに首を横へ振る。
「いや。少し喉が渇いた」
そう言うと琴爪を取り、膳を挟んだ対面へ腰を移して来た。
真っ直ぐで癖のない黒の長髪を一本に束ねた長身の男は、昔から冷の護衛を務める天彦。芙蓉の兄である。
「雪かき、すまなかったな。寒かったろう」
「……。……他に、やることもないしな」
目元に前髪がかかったためか、面差しに微かな翳りが落ちたように映った。ひそやかな発声で独り言のように呟く冷の横顔を、天彦は無言で見つめる。
黙り込んでしまった天彦の態度をどう捉えたのか、冷は眉を歪めて苦笑した。
「天彦のせいじゃない。…芙蓉も北斗も、俺によくしてくれる。それに……」
淀みなくそう言うが、物憂げで虚ろな眼差しを障子へ、いや、障子の向こうに広がる白い世界のその先へと流されていた。
「もしも俺の内に秘められた力が、俺が思うほどに大きいものなら、あるいは―――、―――――」
期待と絶望が一緒くたになって心音を乱している。
幼い頃、裸足でがむしゃらに駆けた。
小さな足の裏が砂利を踏んで血を滲ませ、冷たい雪で赤くなっても後ろを振り返るのだけは怖くて、前だけを縋るように見て走っていた。しかし最後は両脇から肩を取り押さえられ、腕を唸りあげられて、その場に跪かされる。
ここは牢獄。
冷の深紅の瞳を、細やかに揺らぐ睫毛が閉ざした。
三
五年後―――――――東京。
人間が常に繰り返す、人間であるが故の愚かしさの象徴都市。
そこは都内にある団地の敷地内だった。
鉄筋コンクリート造の棟がいくつも並んでいる。言わゆるマンモス団地だ。同じ形をした棟が単調に並ぶ光景は、妙に味気ない。老朽化も進み、すっかり錆びれ果てている。
すすけた壁面にひび割れたコンクリート。ベランダの塗装は剥げ、敷地内には雑草が生い茂っている。
団地に人気はあまり感じられず、ベランダのカーテンや物干し竿は無く、おそらく空き室だと思われる部屋が目立つ。
廃墟だと言っても過言ではない、殺伐とした一角―――――……。
そう、だからこそこの場所を選んだのだった。
夜の帳が大地を包む。十一月の夜の風は、肌に冷たい。
冬を匂わせる風が彼女の黒髪を揺らし、襟から伸びる華奢な白い首筋を露にした。頭の高い位置にきつく結った髪は、さらさらと音をたて腰へ戻る。
歳のころは十七~十八の美貌の女性。
二重瞼に切れ長の目。左の目の下には泣き黒子。ロングコートの下から見える脚はすらりと長く、服の上からでもわかる豊満な胸元。高校生と呼ぶにはあまりにも大人びた身体であった。
ブーツに舞った土煙を軽く払い、女性は辺りを見渡した。
団地の横に作られた公園は、その無駄な広さとは裏腹に、捻じ曲がった木と遊具はブランコだけというかなりの空しさを放つ公園だった。ぽつりぽつりと立つ街灯も、その明かりを不測的に点滅させる始末。
「少し見上げればあんま離れてない所に近代高層ビルが見えるのに、まるで閉鎖された空間、ってカンジ。…まぁ私達みたいなのには助かるんだけど」
小さく溜息を零しながら独り言を呟く。
「それにしてもあいつら…香を撒くのにどんだけ時間かかってるのよ! ヘタしたら姉さん達が先に来ちゃう―――――」
「お~い、終わったぞ~!」
何処からか、応じる声が聞こえた。若い男の、低いが明るい響きの声音。
しかしその声は遠くから響くのみで、本人の姿は一向に見当たらない。
「おい嵐、こっちだよ! 上、上!」
視線を上げ声の方向を探ると、そこは団地の屋上。
柵などは設けられておらず、住民は立ち入りできないであろうその場所に、都内の高校の制服を着た一人の男が立っていた。
一歩踏み出せば地面へ落下してしまうギリギリの位置に立ちながらも、平然と笑いながら右手をこちらへと振っている。
「よっ」
そして男は高さ40メートルはある団地の屋上から、ひらりと跳んだ。
まるで猫を思わせる身軽さで、風に乗っているように空を切ってゆく。信じがたいことに、男は軽々と公園の地面へ着地した。勿論、怪我などは見られない。
「うお~今日けっこー寒ぃなぁ。嵐、ちょい人肌であっため―――――ゴフッ!」
男のハグをすり抜け、嵐のアッパーは見事に彼の顎へと入った。
「いって! ちょっ、おまっ、冗談じゃねーか! オレの整った顔が歪んだらどーすんだよ!」
「元々大した顔じゃないくせに」
受けた攻撃で二、三歩よろめきながら、赤くなった顎を摩る。
彼は軽口のつもりで言ったのだろうが実際、男は美男子だった。
甘く端整な顔立ち。しかし獰猛な野生も潜んでいる。きりりとした眉に、ちらりと覗く犬歯は他人より長い。
「――――にしても遅いじゃない風間! 眠りの香撒くだけならすぐ終わるでしょう?」
「悪ぃ悪ぃ、ここの団地一帯はすぐに終わったんだけどよ。念の為もう少し広く撒いといた。ここの住民年寄りだらけだぜ、すぐに香が効いたよ」
「そういえば美世は? 一緒だったんじゃなかった?」
「あ? いや、分担した方が早いだろうって結構前に別れたぞ。まだ戻ってねぇのか? 何やってんだアイツ……」
風間が呆れたような表情と声を返した時、公園の地面を小走りで駆けて来る音が聞こえた。タイミング悪く、公園の明かりは消えている。闇に包まれているその人影はこちらに向かって来ていた。嵐と風間が身構えながら食い入るように闇を見つめていると、
「あ、いたいた~! ごめん遅くなっちゃった~!」
明かりがパッと点いたその下には、見慣れたセーラー服の女子中学生。
甘栗色の髪をもつその美少女は、まるでデートの待ち合わせに来たような調子で二人の元に寄って来た。その屈託のない笑顔からは、天真爛漫さが見てとれる。
「お腹すいちゃって、コンビニで糖分補給してました~。エヘ❤」
「…いや、エヘじゃねぇし。晩飯5杯もおかわりしただろ? オイ美世、おめぇの腹全部胃袋だな、ハイ決定」
「む。風間ちゃんだっておひつごとおかわりしてたじゃん!」
「オレ、男だから! お前の場合育ち盛りって言っても限度あんだろ!? それでも女かよ。やっぱり飼い主が食い意地はってるとペットも似ちまうよなー」
「ガルーダはペットじゃないもん! 食い意地もはってないもん!」
その美世の言葉に、風間のこめかみに青筋が走った。
「ほほ~…よく言うぜ。オレが大切にとっておいた円中屋の饅頭1箱! 〝オレのまんじゅー食ったら殺ス〟って忠告のメモ貼っといたのにも関わらず、棚から見事に消えてたんだが……オマエ知ってんだろ?」
「……え?」
小首を傾げながら視線を逸らす美世。そして明らかに後退りしている彼女の頬をガッチリと掴む。
「無駄な抵抗はやめろよ。饅頭の箱のバラバラ死体がてめぇの部屋から発見されてるんだよ」
「知らな~い」
「饅頭の黒あん美味かったろ?」
「黒あんじゃなくて白あんだったよ!でも美味だった!」
「やっぱおめぇじゃねぇかよ!!!」
ドゴォン!
「ああっ!! 私って純粋な子供ーーーー!!!」
容赦なく蹴飛ばされた純粋で単純な少女は、ゴロゴロと土煙の中に消えていった。
「ったく、今度ゴキブリホイホイ買わねえとな」
「…ゴキブリなんだ…美世って…」
腕組みをしながらブランコの柱に寄りかかって二人のやりとりを見ていた嵐は、ようやく収束(?)がついたことを確認し、ぽつりと呟いた。
ふと、視線を左手首の腕時計におとす。時刻は、午前0時を過ぎた所だ。
冷気を含んだ一陣の風が、嵐と風間の横を通り過ぎていく。
―――――突如、二人の顔に緊張が走った。
普通の人間なら感じることのない、『氣』の流れ。
風に混じって感じたこの『氣』は、二人には馴染みのものだった。その主は夜空から姿を現し、この二人よりも一際馴染みの者の肩へと、降り立った。
「わっ、ガルーダ! おかえり~!」
制服に付いた土を払いながら身体を起こしていた美世は、頬に擦り寄って来る大型な鳥の頭を撫でる。
白鳥よりも大きな体をもつガルーダと呼ばれた鳥の全身は、陶器のような白さ。しかし、広げたら子供を包みこめるような巨大な翼だけは、夕日を映した茜色だった。
(ガルーダが来たってことは、〝奴〟も……!!)
と、嵐がそう考えたところへ、
「――――いえ、彼はまだ来ていやせん」
見透かしたかのように言葉が返ってくる。三人の背後にいつの間に現れたのか、まるで時代劇の中から飛び出したかのような、着物と袴姿の男が立っていた。嵐はふっと緊張を解き、男へと振り返る。
「朧! あなたココで何やってんのよ! 姉さんと追い込みしてたんじゃないの!?」
「いえね、緑子さんだけでも大丈夫そうでしたんでお任せして来ちまいやした。無断でですけど❤」
「お前……三途の川見るぞ……」
あっけらかんと言う朧に、風間が呆然と言葉を投げつけた。
「追い込みってどこからかけてるんだっけ?」
「銀座からですから、もう間もなく着く頃合いかと」
美世の答えを返し、長めの前髪を無造作に掻き上げながら自分の来た方角へ視線を上げる。
「……例の男はどうだった? 肌で感じたんでしょ、奴の『氣』を―――」
低く問いかける嵐に、朧は目線だけ彼女へずらした。そのまま少し考えるように瞬きを繰り返した後、彼は、
「まぁ実際やりあってみないとわかりやせんがねぇ、とりあえず私が確実にお伝えできることは、油断すると即、死ぬことだけですかねぇ」
またもやあっけらかんと言い放ち、笑う。しかしいつもの掴み所のないその瞳には、珍しく真剣そのものの色が浮かんでいた。
「チッ、大袈裟なんだよ」
朧の言うことが気に食わないのか、言い捨てて風間はペッと唾を吐く。不満を表す彼の様子に、朧の口の端が「にぃ~」っと吊り上がった。
「ふふふっ…勇敢なのはいいことですよ、坊」
何が楽しいのか、人を食ったようなその態度。昔から、こいつのこういう表情が死ぬほど気に食わない風間は、たちまち沸騰寸前となるが、こんな時に掴みかかるわけにもいかない。黙って、背を向けた。
風間の後ろ姿を眺めながら、朧の細い目が更に細まる。
――――その時。
地面が鼓動を打ったかのように震えだした。ブランコは小刻みに揺れ、歪に捻じ曲がった木の震える姿は巨大な幽鬼を思わせる。
続いて、どこからか足元を這うように発生した霧が、公園全体を漂う。普通の霧ではないことは、含まれている「陰湿」さから感じとれる。
「これはっ―――」
嵐が口を開いた時、鈴の音が遠く、空から聞こえた。顔を上げた時には、金色の鈴を結んだ矢を彼女の瞳が捉えていた。嵐の横を通り過ぎようとする矢を、瞬時に掴んで確認する。
「合図の鈴!」
嵐が叫ぶと、風間と美世の表情がさっと変わった。
「やっとかよ」
太い犬歯を剥き出しにして、風間が悪童のように笑う。その様子を見て、「子供なんだから」と短い溜息をつきながら嵐が苦笑した時。
ぶうんっ…!
頭上で、重い風のうなりがするのを聞いた。鋭く、顔面に叩きつけてくるような烈風。
(――――死ぬっ)
理屈でない、刹那の思考の閃きが、そう告げる。同時に、後方へ勢いよく跳んで「なにか」を避けると、嵐は懐から素早く取り出した物を、投げつけた。
キンッ!キンッ!
金属と金属がぶつかり合う音――――。
「三日月型の刃……鎖で操ってるのね」
自分を襲ったものを視認した嵐の足元に、弾き返された菱形の小刀のようなものが二つ、地面に突き刺さっていた。先程投げた、主に忍がよく使うとされる、投げくないである。
霧の中を縦横無尽に飛ぶ三日月の刃は、嵐達を翻弄しながら攻撃して来る。
「――――っ、なめんじゃねぇっ!!」
風間が怒鳴りながら、右手で空を薙ぎった。すると、流れていた風が意志をもったように彼の手の平に集束し、長い棒のようなものを形成していく。
「うるぁっ!!」
ギイィィン!!
二つの刃が噛み合う、鋭く重い音。青白い火花がわずかに飛ぶ。
翻弄する刃を払ったのは、自分の身体ほどもあろうかという、風間が手に持つ十文字槍だった。風によって形成された槍の刃には細工彫刻が施され、柄は黒の漆塗り。そしてその後部には翡翠が埋め込まれている。
「野郎っ! どこだ!」
「見つけて、ガルーダ!」
美世が右手を振り上げると、肩に乗っていたガルーダが勢いよく羽ばたき、霧を通り抜け空へ舞う。
「肉体を捨て、蘇りし亡者達よ……己が悟りし無常をここに示せ」
低く落ち着いて、凛とした張りのある、男の声。
「!?」
聞き覚えのない声と呪文。嵐がハッと振り向くと、凄まじい勢いで、漆黒の煙が地面からいくつも噴き出していた。そしてその煙は歪んだ人の頭部の骨を形作り、大きく開かれた口から獣のような声をあげる。それが宙を漂う様は、まるで首が己の身体を探し求めているようで不気味だった。
「亡者…! しかも怨霊だ!」
奈落を思わせる、底の見えない目を持つ怨霊達は、生者に対して敵意と悪意しか持たない。唱えられた呪文により召喚されたここ一帯の凶悪な霊達は、次々と嵐達を襲って来る。
グエエ!
空からガルーダの甲高い声が響き、必死に応戦しているのがわかる。しかし、数では圧倒的に不利なのは確かだった。
「おいっ朧! お前の結界でこいつらを封じこめらんねえのか!?」
今いる自分達の中で、結界の知識や力に関する能力は朧が一番高いと判断し、風間は霊を薙ぎ払いながら彼に叫んだ。しかし――――。
一向に返事は返って来ない。
「おいっ、おぼ―――…」
痺れを切らして風間が振り返ると、そこに朧の姿はない。辺りを見渡しても、あの飄々とした狐顔は、化かしたようにドロンと消えていた。
「あ……あのクサレ野郎~!! 帰ったらオクトパスホールドかけてやる……!!」
怒り心頭の風間は八つ当たりの如く、霊を斬りつけていく。
「――――切りがないわね。大丈夫?」
嵐が後ろに立ち、くないを構えつつ聞いてくる。
「大丈夫も何も、朧は消えるわ姉さんはこねぇわ、どうすんだよ!?」
「どうするも何も―――っ!」
悪霊が彼女の姿目がけて、接近していた。瞬時に辺りを確認し、嵐は身を翻しながら霊が三体密集している所へ、無造作にするりと入り込んでゆく。計四体の悪霊が、たちまち嵐へ殺到して来る。しかし、嵐は微笑を浮かべて空へ舞った。悪霊達の攻撃が空を斬り、隙が集まった瞬間に風間の槍が滑り込む。瞬く間に、四体の霊が爆ぜた。
打ち合わせもなしの、阿吽の呼吸。
嵐と風間はそれが当たり前のように、会話を続ける。
「合図の鈴が届いたんだから例の男はここに来ているはずよ。捜して捕まえるの」
「まさかこの悪霊達を囮にして逃げたんじゃねえだろうな? あり得るぜ」
軽い身のこなしで霊の攻撃をすり抜けていた美世が、霧で隠れていた二人の姿を見つける。
「あ、よかった~! 二人共無事だったんだ~!」
無事な姿を見て安心した美世は、にっこりと笑いながら二人の元へ駆けようとする。だが、
「あっ…」
嵐の後ろで、霧の中を一瞬、揺らめいた影を捉えぴくんと身をすくめた。
(緑子ちゃん…?)
美世が何気なく、彼女の名を呼ぼうとした瞬間――――。
霧が一瞬で、晴れた。
美世の顔が凍りつき、風間が嵐に向かって叫ぶ。
時が止まったようだった。今すぐ逃げろと、本能が警告を上げている。しかし、得体の知れない焦りは、背中を冷たい汗で濡らしていくだけ。絶え間なく突き上げてくる焦燥こそ、紛れもない、恐怖。
震える自分を叱咤して、嵐は―――――。
振り向いたその先は、時間など止まっていなかった。
三日月の刃を収めた錫杖は、夜空に浮かぶ本物の月のように輝いている。それを嵐に振り下ろそうとする男の涼やかな目は、月を紅く染めるほど、美しかった。
「おやおやぁ、美しい女性にはありきたりな展開だ」
人を食ったような、掴み所のない人物は、呑気にあぐらをかいて、公園から一番離れた団地の屋上にいた。普通ならそんな距離で、公園で何が起きているかどうかなんて分かるはずがない。しかし、朧の細い目が、今は妖しく煌めいていた。
千里眼――――。遥か遠くでも見渡せ、起きていることを感じとれる能力。
「普通の女性でしたらここで悲鳴の一つや二つもあげ、殺される所なんでしょうけど…」
その力を発動させている朧は、口の端を上げ、笑う。
「お嬢は色んな意味で普通じゃありやせんからね~はははっ。―――おっと、こんなこと言ったら怒られちまう」
言葉とは裏腹に、表情は笑みのまま。いや、何が可笑しいのか更に嬉しそうに――――。
「では、死合いの続きを見せて下さいな」
高見の見物を続ける。
月が、真の血で染まることはなかった。
『本来』の武器を出す余裕もなく、「なりふり構わずくないで顔面を防御した」形のまま、嵐はしゃがみ込んでいた。目の前には、錫杖を振り下ろす一つ手前の体勢で止まっている男の姿がある。その男の首筋には、後ろから突きつけられている忍刀。
「無事かい? 嵐」
男の後ろから聞こえる、落ち着いた女の声。
闇の中へ視線を注ぐと、
狐火―――。
一瞬、そう思った。
が、白の彩はその女性が身につけた、黒く丈の短い忍装束に配された意匠であった。
太股には黒いスパッツ、赤を含んだ黒い髪、そして深い静けさを連想させる黒を基調とした忍装束。それらが鮮やかに、闇に溶け込んでいる。
「姉さん!」
嵐が安堵の声で彼女を呼んだ。
歳の頃、二十五~二十八の妖艶な女性は、形の良い唇を微笑ませる。
「この地の揺れは鎮めといたよ。もう霊は出ないから安心しな」
そう言われて、この地の清浄さを感じとる。漂っていた悪霊も消えていた。
「緑子ちゃん~! よかった~!」
「おっせーよ! 何してやがったんだよ!」
美世に続いて風間が声をあげ、嵐の側へ寄る。
緑子は男に忍刀をそのまま、もう片方の手で腕を後ろにとりながら眉を顰めた。
「あたしだって遊んでたわけじゃないさ。合図の鈴を放ったはいいが、なかなかこいつの動きが読めなくてね」
目の前の男を顎で指す。
「………オマケに朧も役にたたないまま消えやがったしね」
ぼそりと、しかし明らかな負をこめた恨み言も付け足す。
嵐はゆっくりと腰をあげ、正面からその男を見た。
歳の頃は二十半ば。優、厳、美―――それらが矛盾することなく調和した、美男。色素の薄い長髪が、緩やかに風に遊ばれる。凛とした風格のまま、どこか上の空のように夜空を見上げるその瞳は、氷に秘めた紅。
不穏な動きは見せていないが、嵐は緊張した面持ちで、その男の名を呼んだ。
「―――仙龍冷、ね? 私の名は沖田嵐。天神三人組の一人『神剣の嵐』。朱鬼族、火の男の生まれ変わりである仙龍冷。同じく朱鬼族である我が長、椿様の命によりあなたを捕縛するわ」
そう告げ、目の前の男性の顔色を窺う。
冷の表情に変化はない。だが空に注がれていた視線が、ゆっくりと下りてきて嵐を捉える。首をわずかに傾げ、密やかな発声で尋ねた。
「捕縛……。何故?」
嵐の中で、鼓動が大きく響く。
曇りのない、あまりに真っ直ぐに見つめてくる血と同じ色の瞳。しかし、その中に秘める憂いを見たような気がした。
警戒することも忘れて戸惑う嵐の肩を、がっちりと風間が引き寄せる。
「それは、椿様に直接聞くんだな。大人しくオレ達に着いて来るか、それとも―――」
彼女の前に出て、槍を両手で高々と頭上へ構えた。
風間の姿を映した冷の双眸が、蝋燭の炎みたいに微動する。
それからゆるゆると目線を下げていき、諮る面持ちになって地面の一点を見据えた。そして切れ込んだ二重瞼を一度、短く閉ざす。
嵐は言いようのない違和感をおぼえる。
(何か……揺らいで、いる?)
「―――もう、いい」
ひっそりとした声で独白した冷に、嵐は固唾を呑み、唇を引き結んだ。
正体の知れない嫌な予感が、胸に影を差す。
「もう、…いい。今夜は疲れた。……だから……――――」
溜まったものを吐き出すかのように言葉を地面へ零し――――双眸に狂気を宿した。
「雑魚は、死ね」
地獄の底から湧き出てきたような殺気。
「離れろ」と、本能が叫ぶ。緑子はすぐさま刃を引き、後ろへ飛び退って距離をとった。しかし、
ゴッ!!
凄まじい衝撃と、重い音―――。
目の前が真っ白になり、意識は頭蓋の外へ吹っ飛ばされる。
緑子が飛んだと同時に冷の姿は幻影のように消え、彼女を薙ぎ払っていた。
「緑子ちゃん!!」
いきなり眼の前へ緑子の身体が投げ出されたのだ。美世は慌てて、倒れている彼女に駆け寄った。
嵐は右へ、風間は左へ、散開しつつ冷に向かって走る。間合いを一気に詰め、左右から挟み撃ちにする。
肩に担ぐようにしていた槍を上段に構え、
「うおおっ!!」
気合いとともに、風間は冷の右腕に斬撃を放った。それに合わせ、左側から嵐がくないを放つ。両者とも足は止めず、走りながら。息が合わなければできない戦法だ。
片方を受ければもう片方から攻撃を受ける、普通なら迷っているうちに刃を浴びるだろうが、冷は迷う素振りも見せなかった。ぎりぎりまで引きつけ、そして―――。
まさに紙一重。左右同時の攻撃をふわりとすり抜け、冷は宙を反転していた。槍は空を斬り、くないは地面へ突き刺さる。
夜空で白いコートの裾が翻った様は、まるで天使を思わせた。
冷の左右の手の平の合間に、「ぼう」と音をたて、炎の塊が爆ぜる。
「野郎!」
身構える風間を眺め、冷は手の内に生じた火球を二人へと勢いよく払った。
「やべぇっ! ―――虚空陣!」
紅蓮に輝く球体が二人を包みこむと同時に、風間の術が発動した。白く閃く風の障壁が、竜巻のような気流で二人を守る。障壁の外側では凄まじい高熱と閃光が発生し、容赦なく風の結界を叩きつけた。
「きゃっ!」
炎に己を焼かれた気がして、美世は思わず声を上げる。離れた位置で緑子を介抱していたが、押し寄せた熱気が顔や足に食らいついていた。緑子が遠目から、熱波の先を見る。
「ありゃあまずいね。美世、あたしのことはもういいから、二人の加勢に行っておやり。あんただったらあの状況を打開できんだろ」
そう言って、血混じりの咳をひとつした。右腕で腹部を押さえながら、左手で美世の肩を掴みゆっくり立ち上がる。受けた傷は、錫杖の柄の部分で殴られたものだった。しかしその衝撃は凄まじく、先程まで意識が朦朧としていたのも事実。
「後は私達に任せて、緑子ちゃんは先に戻ってて。あ、ガルーダも一緒に行かせようか?」
まだ少女である彼女の案じ顔に緑子は眉で八の字を書き、美世を横に見て苦笑する。
「おいおい、美世のペットを借りるほど私は重症じゃないよ。あんたは余計な心配しなくていいから、早く行っておやり。二人が火達磨になっちまうよ」
「もう! 緑子ちゃんまでガルーダのことペット扱いして! ……、じゃぁ、私行くね。気をつけて帰ってね」
「あぁ、あんた達も気をつけなよ。見事、本懐遂げてみな」
ガルーダを肩に、美世は笑みのまま燃え盛る海へと駆けて行った。
「……死ぬんじゃないよ。あの男の力は、こんなものじゃないはずだ」
憎々しげに腹部の傷を一度見て、緑子はそのまま、闇の中へ姿を消した。
周囲は紅蓮の炎。
風の結界で守られているのにも関わらず、八方から弾けてくる熱気。荒い波が打ち寄せるがごとく、炎が二人に迫っていた。
「くそっ! このままじゃ身動きがとれねぇ! 何とか突破しねぇと―――」
風間が声を上げると同時に風と炎の壁の向こうで、涼やかな目をしたままの冷の右腕が細い腰の位置まで上がった。そして追い撃ちをかけるかのように、その手の平に新たな火球が生み出される。
「一か八か、結界を解いた隙にバラバラに離れた方がいいみたい」
「みてぇだな……気をつけろよ、嵐」
冷の次の行動を確認した二人は、額には冷や汗、口元には笑みみたいなものを浮かべ、言葉を交わした。
「よし、行くぞ―――!」
二人が意を決したその瞬間。
「!?」
冷は何かを感じとったかのように僅かに眉を顰めて、手の平の火球を握り潰しその場から後ろへ跳んだ。
ビュッ!!
空気を裂く音。
余裕にかわしたはずだった。しかしそれは瞬時に距離を詰め、再び眼前に迫ってくる。咄嗟に首を振り、ぎりぎりかわすと、頬に何かが掠る感触が伝わった。
(これは―――水?)
立て続けに跳ね飛びながら、冷は自分の勘が正しかったことを知る。周囲を見渡すと、もうもうたる水蒸気の霧が立ち昇り炎が消えていた。
気配を感じ、冷は少し振り返る。
(誰だ)
すると、目の前の夜空に浮かぶのは、にこりと笑う女子中学生。
「わ・た・し❤」
美世が人差し指を冷に向けると、突如彼女を取り囲むように発生した水が、槍の雨のように冷へ降り注ぐ。
「天神三人組の一人、『水使いの美世』だよ! 避けないと死んじゃうからね、アハハ!」
刃物さながら鋭く尖った水は容赦なく冷の身体を貫こうとするが、冷は避けることはしなかった。右手で目の前の空気を撫でるように動かすと、ゆらりと鬼火が生まれ、水の槍へと向かわせ互いが爆ぜる。
その衝撃を肌で感じて、ヒュウと、楽しそうに美世が口笛を鳴らした。
ヒウッ…!
空気を裂く音とともに、風間の槍が舞う。
「…浅い」
嘲笑まじりに呟いた冷の鼻先すれすれを切っ先が掠めた。常人には霞んで見えぬほどの一撃だったが、重心をわずかに後ろへ移しただけの、紙一重の見切り。そして風間が舌打ちをしながら後ろへ飛び退ったと同時に、冷が一つの火球を放つ。
「おおおっ!!」
咆哮をあげながら、風間は槍で火球を真っ二つに両断した。二つに裂かれた火の玉が桜の花びらのように散って消え、
「自己紹介がまだだったな! オレは天神三人組の一人『風使いの風間』だ!」
衝撃波を横一文字に放つ。
「もうっ、風間ちゃんたら獲物奪んないでよ!」
後ろから嬉々として、美世が攻撃を重ねた。風と水が融合し、唸りながら冷へと迫る。凄まじい速さと力の渦に、かわしたはずの冷の頬は裂け、痺れるような衝撃が残った。白い肌から一筋の血が流れる。
冷は眉間の皺を深く刻み、すっと右手を掲げた。早口で呪文のようなものを唱え、その手の平が風間と瞳に向いた瞬間、
ぼふっ―――!!
爆裂する。
咄嗟に張った美世の水の結界がなければ、今頃風間と美世は灰になっていただろう。しかし防いだはずの結界は衝撃とともに弾け飛んで、紅蓮の炎は二人を強烈に打ち据える。美世は悲鳴をあげ木に激突し、昏倒した。背中をひどく打ちつけた風間はしばらく息ができず、地面で身体を捩じらせながら苦痛の表情で炎の壁を見据える。燃え盛る炎の向こうで、炎と同じ色の目を持つ男が遠くから冷ややかに見下ろしていた。
ゆっくりとこちらに近づこうとする冷だったが、突如左腕を鎖に捕らえられ、視線をそちらへ外す。そして風間の視界から消えた。
「……あ、らし……」
喘ぎ混じりに立ち上がろうとする風間だったが、気息を整えるのに精一杯で、ガクリと膝をついた。
「大人しく―――縛につきなさい」
分銅つきの鎖に腕を捕らえられながら、冷は正面の嵐を静かに見据える。
髪を束ねていたリボンが解け、垂らした黒髪が風に悠然と流れた。彼女の様と、同じように。
ピンと直線的に張りながら、嵐は鎖を引き寄せようとする。
「……なかなか頑張るな、―――だが」
冷は静かに呟くと鎖を手に取り、念を込めながら拳を作った。すると鎖を呑みこむように、炎が一直線に走る。
「きゃっ…!」
炎の熱が手を焼こうと蛇のように伸びてくる。短い悲鳴をあげ、嵐は堪らず握っていた鎖を地面に落とした。その隙に冷は瞬時にして間合いを詰め、嵐の細い首を掴む。
「ッ…!」
強烈な握力が喉に食いつき、声が出ない。締め上げられる音が、骨伝導して鼓膜に響いてくる。
「こ、…のっ」
がら空きな冷の腹部を蹴り飛ばそうとするが、お見通しだったかのようにもう片方の手で、膝を押さえつけられる。嵐はバランスを崩し、背中が地面に落ちる間際に冷の手は一瞬離れるが、再び掴んだのは彼女のブラウスの襟だった。片側の襟がはだけながら、二人の身体は重なったまま地面に倒れる。
―――今だ、逃げろ。
―――彼を撥ね退けて逃げろ。
何度も脳は警告を発する。しかし嵐の身体は動けなかった。押さえ込まれてなどいない、ただ―――。
微動する彼の瞳が嵐を凝視している。その目を見つめ返して、嵐はひっそりと胸の内を告げた。
「何故…同じ、なの…?」
言葉にすると、胸が軋む。
「どうして、私と、同じ色の眼を……」
冷の端整な顔に驚きが溢れ、声を呑む。
視線が結ばれたまましばらく沈黙が流れるが、複雑な面持ちで冷が静かに口を開いた。
「…違う…キミの、眼は―――」
その先の言葉を紡ぐことはなく、嵐の目を見つめ続けた。そして一度強く瞬きをした後、すっと身体を引き離し、その姿が月明かりに照らされる。
身体の上にあった重さが消え、嵐は襟を掻き合わせて上体を起こす。自分は今、ひどく奇妙な顔をしているのかもしれないと想像する。不安定な心の揺れのまま、彼の顔を見上げた。
あの時、対峙して感じた憂いの眼差しのまま、哀愁を秘めた微笑を残して冷は闇に消えた。月が黒雲に呑まれるかの如く、忽然と―――……。
「嵐ーっ!!」
腹の腑、全てを吐き出すように、激しく叫ぶ風間の声が聞こえる。
「あっ! 嵐ちゃん! よかった~大丈夫だった?」
意識を取り戻した美世の声。嵐の姿を見つけると、弾けた笑顔で駆け寄って来て抱きつく。後ろから風間も現れ、安堵した表情のまま嵐の元へ寄った。
「ケガねぇか? ―――仙龍のヤツは?」
「消えたわ。私達も撤収しましょう。眠りの香が切れたのか、辺りが騒がしくなってきてるわ」
耳を澄ませると、人の騒ぎ声やパトカーのサイレンの音が聞こえる。
「…そうだな。行くか」
風間と美世は小さく頷き、闇の中へ消える。
残された嵐も歩を進めるが、ふと、夜空を見上げた。にわかにぽつりと、天から降ってきた小さな滴が嵐の頬を濡らす。
先刻まで月が出ていたはずだ。雨の予兆など微塵もなかった。しかし、今天を仰げば、嵐の不安を象徴するかのように灰色の雲が集まってきている。
やがて、土砂降りの雨。
夜と同じ色の髪を雨に滴らせながら、
「殺せたはずなのに……どうして」
ぽつりと呟いて、彼女も夜の闇に消えた―――――。




