表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国民基盤役務制度  作者: 喰ったねこ
独立編
28/41

麻痺した龍

『撃発』の発動から、わずか一時間。 東亜連邦の中枢、中央統合作戦本部は、完全なパニックに陥っていた。


「台湾の揚陸艦隊、全機能停止!」「機甲師団、前線で沈黙!」「ダメです、通信が回復しません!」 怒号と悲鳴が飛び交う中、最悪の報告が叩きつけられる。 「半島の派遣軍からも応答途絶! 38度線を突破した主力部隊が、台湾と全く同じ症状で停止しました!」


司令官は、戦術マップに広がる無数の「灰色」のアイコン――機能停止した自軍のユニット――を前に、全身から血の気が引いていくのを感じた。両戦線で、攻勢の主力だった部隊が、一瞬にして鉄の棺桶と化したのだ。


だが、本当の地獄は、前線の兵士たちが送ってきた最後の映像データだった。 「……日本製のバッテリーが、一斉に発火、あるいは爆発したと……」 「馬鹿な! 全ての安全基準をクリアしていたはずだ!」


幹部の一人が、恐怖に顔を引きつらせながら叫んだ。 「……バッテリーだけか? 本当にバッテリーだけなのか? 我々の戦闘機、軍艦、小銃の照準器……その全てに、日本製の部品が使われている。奴らは、他にどんな罠を仕掛けているんだ……!?」


その疑念は、ウイルスのように指揮系統全体に伝染した。東亜連邦軍は、動かせる残存部隊を持っていながら、動かせなくなった。自らの兵器が、いつ牙を剥くか分からない。世界最強と謳われた軍隊は、日本という国家への恐怖によって、その手足が麻痺したのだ。



同時刻、日本国内。 有馬征四郎から発せられた独立宣言は、国民を歓喜させたのではない。新たな、より強固な「秩序」の始まりを告げる号砲だった。


「な、なんだ……国防役務だと?」 役務センターで有馬の演説を聞いていた国民が戸惑う間もなく、管理システムは動き出す。それは、その管理対象を「瓦礫」や「配給物資」から、「兵器」と「人的資源」へと瞬時に切り替えた。 全国の役務センターの端末に、新たな指示が一斉に表示される。


『18歳から40歳までの全適格者は、24時間以内に指定されたセンターへ出頭し、国防役務の適性検査を受けること』


それは、有馬が二年間かけて築き上げた国民管理システムが、一瞬にして巨大な徴兵・軍事システムへと変貌した瞬間だった。 国民は、独立の喜びに浸る間もなく、自らがその独立を維持するための「部品」であることを知らされた。街角で青い光を放つ監視ロボットが、彼らの行動を静かに見守っている。


ほぼ同時に有馬は、新国軍の骨格形成に着手した。その基盤となるのは、旧自衛隊組織だった。 二年前の市ヶ谷クーデター。あの事件を口実に、有馬は自衛隊内部の大規模な「浄化(パージ)」を断行していた。東亜連邦への忠誠心が疑われる者、有馬の「鉄の秩序」に異を唱える「気骨ある」者たちは、その時に既に排除済みだった。 残されたのは、恐怖であれ打算であれ、有馬の指揮系統に組み込まれることを受け入れた者たちだけだ。


有馬は、この「選別済み」の組織に対し、ただ命令を下した。「国防役務」として、新国軍へと再編されること。そして、新たに徴集される国民兵の受け入れ準備を進めること。抵抗する者は、もはや存在しなかった。


さらに有馬は、貴重な「実戦経験」を持つ資源も無駄にはしなかった。 占領期、治安維持部隊によって捕らえられ、各地の矯正施設に収容されていた独立派の残存兵たち。彼らの独房の扉が開かれ、一人の役人が冷たく告げた。


貴様らの仲間(飯田たち)は、今や台湾で『国家の英雄』となっている。貴様らにも選択肢をやろう。一つは、反逆者として『懲罰役務』に就くか。もう一つは、その卓越した戦闘技術を、祖国のために捧げるかだ」 役人は、国防役務の書類を差し出した。 「『国防役務・指導教官』。旧自衛隊から編入された兵士と、新たに徴集される新兵たちに、貴様らの戦闘技術を叩き込め。明日からだ」 有馬は、自らが潰したはずの抵抗勢力さえも、そして牙を抜いたはずの旧自衛隊組織さえも、新たな軍隊を最速で編成するための歯車として、即座にシステムに組み込んだのだ。



ワシントンD.C.、国務省。 湯川道彦とマーク・スティーブンスは、有馬の独立宣言の映像と、同時に機密ルートからもたらされた東亜連邦軍壊滅の情報を前に、呆然と立ち尽くしていた。


「……狂っている」スティーブンスが呻いた。「彼は、我々を脅しているのか? それとも助けを?」 「どちらも違います」湯川は、有馬の真意を正確に読み取っていた。「彼は、交渉をしているのです。彼は、東亜連邦の軍事力を人質に取り、我々(合衆国)を天秤にかけるつもりだ」


湯川は、目の前の現実を分析した。 「有馬は、東亜連邦の主力部隊を、台湾と韓国で同時に無力化した。彼らに、日本を今すぐ再占領する軍事資源は残っていません。しかし、有馬も分かっている。日本の新国軍も、中身は寄せ集めの素人同然だ。連邦が時間をかけて体勢を立て直せば、いずれ押し潰される」


「だから、彼は動いた」スティーブンスは、湯川の言葉を引き取った。「彼の手には、我々が喉から手が出るほど欲しいカードがある……!」 「そうです」湯川は頷いた。「東亜連邦の最新兵器システムの、致命的な脆弱性に関する全情報。そして、それを可能にした技術そのものです」


合衆国にとって、それは計り知れない価値を持つ情報だった。敵国の軍事力を正確に評価し、自国の兵器システムの安全性を再検証し、場合によってはその技術を自らのものとする……。有馬は、合衆国が絶対に無視できない「餌」を用意したのだ。


その時、セキュアルームの暗号化された通信端末が、静かに着信を告げた。 発信元は、東京・首相官邸。


「……Mr.湯川」回線越しに聞こえてきた有馬の声は、十六年前と何も変わらない、冷徹な響きを帯びていた。「聞こえるかね。アジアの勢力図が、少々書き換わった。君の祖国と、君が忠誠を誓う国との間で、新たな未来について話す時が来たようだ。我々は、君たちが最も欲しがる情報を持っている。その価値に見合うだけの『誠意』を期待する」


湯川は、受話器を握りしめた。有馬は、助けを求めてなどいなかった。彼は、世界を相手にした、次なる交渉のテーブルを、最も有利なカードを手に、自ら用意したのだ。


まさにその時だった。 「……総理!」官邸の執務室で、白洲が血相を変えて有馬に駆け寄った。「東亜連邦より緊急声明!『我が国に対するいかなる敵対行為も容認しない。日本政府に対し、24時間以内の状況説明と謝罪を要求する。応じない場合、核兵器の使用も辞さない』と……!」


回線は繋がったままだった。湯川は、受話器の向こうで、有馬がかすかに、しかし冷ややかに笑うのを聞いた気がした。


「……Mr.湯川」有馬の声が、再び響いた。「どうやら、君の国にも『決断』を迫る時が来たようだ。我々が持つ『情報』の価値が、今、跳ね上がったし、我々は待てない。賢明な判断を期待する」


電話は、一方的に切られた。 湯川は、呆然と受話器を握りしめる。有馬は、東亜連邦の核の脅威さえも、合衆国から「核の傘」という最大の譲歩を引き出すための、計算された交渉カードに変えたのだ。


東亜連邦の中央国営テレビ局が、繰り返し繰り返し日本政府を非難する談話を放送している。


世界は、一触即発の核危機の瀬戸際に立たされた。全ては、灰色の宰相の掌の上で――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ