灰色の夜明け
轟音が止んだ。
つい先ほどまで地平の全てを埋め尽くしていた砲声、ジェットエンジンの咆哮、そして人々の絶叫が、まるで巨大なスイッチが切られたかのように、一瞬にして途絶えた。 台湾の戦場で、佐藤ユウトは泥の中で固く閉じていた目を開けた。死を覚悟していた。だが、訪れたのは死ではなく、不気味なほどの静寂だった。
「……止まった」
すぐそばで伏せていた飯田熊治が、信じられないという顔で呟いた。 ユウトが恐る恐る顔を上げると、信じられない光景が広がっていた。さきほどまで彼らを蹂躙していた東亜連邦軍の最新鋭戦闘ロボットが、砲塔をだらしなく下げたまま、一斉に動きを止めている。空を覆い尽くしていた無人攻撃ドローンの大群が、まるで糸の切れた操り人形のように次々と地面に墜落していく。敵兵のヘルメットから響いていた怒号と命令系統が、一瞬にしてノイズ混じりの静寂に変わった。
「何が起きた……?」
飯田もまた、目の前の「奇跡」に呆然としていた。これは、彼らが仕掛けた戦闘の結果ではない。もっと巨大な、人知を超えた何かが介入したとしか思えなかった。 その静寂を破ったのは、生き残った台湾軍兵士の、戸惑いから歓喜へと変わる叫びだった。機能不全に陥った「鉄の棺桶」に対し、彼らの反撃が始まる。戦況は、この一瞬で不可逆的に逆転した。
◆
同時刻、日本国内。 全国民のスマートフォン、街頭テレビ、役務センターのスピーカーから、けたたましい緊急警報が鳴り響いた。役務を終え、配給の列に並んでいた人々が、不安げに空を見上げる。
「な、なんだ!?」
その直後、街角に設置されていた東亜連邦製の監視ロボット「ウォッチャー7」が、一斉にその赤い単眼レンズを消灯させた。数秒の沈黙の後、レンズは再び起動し、今度は冷たい青色の光を放ち始めた。
次の瞬間、ロボットたちは即座に行動を開始した。東亜連邦大使館、各地の軍事施設、そして治安維持部隊の宿舎。それまで日本国民を監視していたロボットたちが、今度はその銃口を、旧支配者である東亜連邦の関係者へと一斉に向け、完璧な包囲網を形成していった。 それは、怜奈のシステムが、国内の全インフラと監視網の制御を完全に掌握した瞬間だった。
そして、全ての画面が、首相官邸の紋章へと切り替わる。 有馬征四郎の姿が映し出された。
「日本国民に告ぐ」
その声は、占領下の傀儡としての弱々しさは微塵もなく、絶対的な支配者の冷徹な響きだけを宿していた。
「本日をもって、東亜連邦による不当な占領統治は終了した。我が国は、ただ今、国家の完全なる主権を全て回復する」
有馬は、淡々と続けた。 「この独立を確実なものとするため、政府は『国防役務』を発動する。国民基盤役務制度に登録された全ての適格者は、これより新国軍の兵士として、祖国防衛の任に就くものとする」
有馬は間髪入れず、新体制の構築に着手した。まず、占領下で形骸化していた内閣を再編。自らの右腕であり、腹心である白洲二郎を、内閣の要である官房長官に任命した。 閣僚の顔ぶれも一新され、有馬の意のままに動く、実務能力に長けたテクノクラートたちが主要ポストを占めた。
◆
ワシントンD.C.、国務省。 湯川道彦とスティーブンスは、台湾海峡の戦術マップが、青(東亜連邦)から一瞬で灰色(機能停止)に変わっていく様を、呆然と見つめていた。
「……信じられん」スティーブンスが呻いた。「有馬は、東亜連邦の兵站を完成させたのではなかったのか……」 「いいえ」湯川は、震える声で言った。「彼は、完成させた。そして、その全てに『毒』を仕込んでいたのです。我々が彼の圧政を分析している間に、彼は敵の金で、敵を滅ぼすための剣を鋳造し、その引き金を引いた……!」
湯川は、有馬の真の恐ろしさを、今ようやく理解した。あの男は、独立派も、東亜連邦も、そして戦争さえも、自らの計画の駒としか見ていなかったのだ。
◆
再び、台湾。 反撃の混沌が支配する戦場で、飯田熊治の持つ旧式の衛星端末が、暗号化された通信を受信した。発信元は、東京・首相官邸。 飯田は、その短いテキストを読み、戦慄した。
『元独立派代表 飯田熊治に告ぐ。貴官らを、日本国軍・台湾派遣先遣隊に任命する。速やかに台湾軍と共に掃討作戦を開始せよ。これは、国家の正式な命令である』
有馬は、飯田たちを「テロリスト」から「英雄」へと、その掌の上で書き換えたのだ。
「……あの男」飯田は、空を睨み、奥歯を噛み締めた。「我々は、あの大悪党の掌の上で、独立戦争をさせられていたというわけか……!」
ユウトは、飯田の横で、有馬の演説が流れるラジオのノイズを聞いていた。 灰色の宰相による、あまりにも冷酷で、壮大な独立が始まった。
だが、それは解放ではなかった。国民すべてが、監視ロボットと国防役務という、より強固な「鉄の秩序」に組み込まれる、新たな時代の幕開けだった。




