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国民基盤役務制度  作者: 喰ったねこ
占領期編
11/41

謀略の鉄路

佐藤ユウトは、逃げ込んだ先の廃墟となったバス停のベンチで、震えながら夜を明かした。


昨夜の轟音と絶叫が、悪夢のように耳の奥で反響している。彼はただ、何も見なかった、何も聞かなかったと自分に言い聞かせ、恐怖で麻痺した思考を必死に奮い立たせていた。役務を放棄して逃げ出したことは、いずれ問題になるだろう。だが、今はただ、あの山から、あの記憶から、一刻も早く遠ざかりたかった。 慌てて逃げ出したので、手元にあるのは財布のみ。社会との唯一の繋がりであるスマートフォンすら、役務現場に置いたままだ。状況は何もわからなかった。


日が昇り、山を下りきったユウトの眼前に広がっていたのは、彼がこれまで知るどの街とも違う、異様な光景だった。そこは、大震災の爪痕が生々しく残り、コンパクトシティ計画によって国家の復興計画から完全に取り残された、地方都市の郊外だった。政府にはこの街を復興する気はもうないのだ。半壊したまま放置されたビルが巨大な墓石のように立ち並び、その麓には、雨風で薄汚れた仮設の震災避難住宅が整然と並んでいる。アスファルトの裂け目からは雑草が伸び、街全体が、時が止まったかのような静かな退廃に包まれていた。


空腹と疲労で足がもつれる。ユウトは、生きている人間の気配を求め、避難住宅が並ぶ一角へと吸い寄せられるように歩を進めた。集会所として使われているらしい、一番大きなプレハブの建物。その入り口に、住民たちが何人か集まり、固唾をのんで壁にかけられた大型モニターを見上げていた。広報用の街角テレビだ。


ユウトは、その輪の外側から、顔を隠すように俯きながら、画面に映し出される映像を盗み見た。彼の淡い希望は、そこで完全に打ち砕かれた。 『……昨夜未明、東海道本線を走行中の夜行旅客列車が脱線、転覆しました。この事故で、これまでに乗客108名の死亡が確認され、負傷者は300名以上にのぼる見込みです……』


ユウトは、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。自分が逃げ出した、あの場所で起きた惨劇。自分の無力さと、あの男たちへの言いようのない憎悪が、胃の腑で渦を巻いていた。


昼過ぎ、ニュースは新たな局面を迎えた。 現場からの中継映像の隅で、捜査員が泥の中から何かを慎重に掘り出している。記者が、興奮を隠せない声で伝えた。 「たった今、現場から新たな発見があった模様です! 捜査員が手にしているのは……旗のような布です! 描かれているのは……鷲の紋章のように見えます! 当局は、この発見が事故とどう関係するのか、慎重に捜査を進めています」


ユウトは息を呑んだ。そんなものは、なかった。昨夜の現場に、旗など影も形もなかったのだ。これは巧妙に仕組まれた罠であり、独立派を犯人に仕立て上げるための、政府による情報操作だと直感した。


その一報を皮切りに、報道合戦の火蓋が切られた。 政府系のチャンネルは、この「発見」を執拗に繰り返し報道した。過去の独立派による貨物列車の爆破事件を何度も流し、「彼らの過激な思想が、ついに一線を超えた可能性は否定できない」と専門家に語らせる。犠牲者の遺族の悲痛なインタビューを放送し、国民の感情に直接訴えかけた。


集会所の片隅では、見ていた老人たちが重い口を開いていた。 「……飯田さんたちが、こんなことをするはずがねえ」 「だが、もし本当だったら……。もう誰も信じられん」 国中が、疑心暗鬼という濃い霧に包まれていた。



その頃、関東山地の独立派の隠れ家でも、飯田熊治が同じニュースを苦々しい顔で見ていた。 「……ご丁寧なことだ。わざわざ『発見』させて見せるとはな」 飯田は、有馬政権による謀略だと即座に看破した。 「奴らの狙いは、俺たちをただのテロリストに貶め、国民の支持を奪うことだ。だが……」 飯田は、腕を組んで思考に沈む。 「やり方が巧妙すぎる。ただの濡れ衣にしては、あまりに手が込んでいる。何か裏があるはずだ」 彼は、この事件の背後に、まだ見えぬ別の意図が隠されていることを警戒していた。



ユウトは、橋の下で身を潜めながら、自分が社会から完全に逸脱してしまったことを悟っていた。役務を放棄した逃亡者。そして、テロ事件の現場から姿を消した、第一級の重要参考人。警察に名乗り出ても、信じてもらえるはずがない。信じてもらえないどころか、都合のいい犯人として、全てを自白させられるだけだろう。


彼は、真実を知る唯一の証人である自分が、いかに無力であるか。それを、骨身に染みて感じていた。この国は、見えざる敵の鉄槌によって、静かに分断されようとしていた。


そして自分は、その巨大な嘘の中心で、ただ押し潰されるのを待つだけの存在だった。

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