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国民基盤役務制度  作者: 喰ったねこ
占領期編
12/41

平凡な贄

逃亡から数日が過ぎた。


佐藤ユウトは、都市の底を這っていた。昼は、太陽の光が届かない廃ビルの片隅で息を潜め、夜になると、飢えと寒さに震えながら、次の隠れ家を求めて闇の中を移動する。配給は受けられず、栄養源は日に一度、ゴミ箱から漁る残飯だけだった。


陸橋の階段を上るだけで息が切れ、膝が笑う。体は、こんな生活には到底耐えられそうもなかった。だが、彼を突き動かしていたのは、単なる生存本能ではなかった。あの夜、自分が目撃した真実。そして、国民を欺く巨大な嘘に対する、燃え盛るような怒り。その二つだけが、彼の心をかろうじて支えていた。


社会から完全に断絶された彼にとって、唯一の情報源は、街角の巨大スクリーンから垂れ流される政府系のニュースだけだった。列車転覆事件は、連日トップで報じられていた。発見されたという「鷲の紋章」の旗が、独立派の犯行を示す動かぬ証拠であるかのように、何度も繰り返し語られる。国民の心は、恐怖と、犯人への憎悪で満たされていった。


その日も、ユウトは高架下のコンクリートの柱の陰で、冷たい雨を避けながら、遠くのスクリーンをぼんやりと眺めていた。突然、通常の番組が中断され、画面に「緊急記者会見」のテロップが躍った。現れたのは、有馬の腹心である白洲二郎官房副長官だった。その表情は能面のように冷たい。


「……本日、捜査当局は、列車転覆事件の現場付近から、犯行に使われたと思われる工具を発見しました」


白洲は、一枚の写真を掲げた。そこに写っていたのは、どこにでもある、錆びついた一本のバールだった。ユウトの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。あの夜、ケーブル交換作業の際に、トイレに行くために草むらに何気なく置いた、自分のバールだ。


「この工具に付着していた指紋を照合した結果、事件当夜、現場付近で役務に従事し、そのまま行方不明となっている労働隊員の一人、佐藤ユウトという男のものと一致いたしました」


ユウトは息を呑んだ。全身の血が逆流するような感覚に襲われる。遠く離れた高架下で、巨大なスクリーンが、まるで自分一人だけを指さして糾弾しているようだった。


白洲は、淡々と、しかし残酷なほど明瞭な声で続けた。 「さらに、この佐藤ユウトという男の身辺を調査したところ、過去にSNS上で、政府や現行の社会システムに対し、極めて批判的な投稿を繰り返し行っていた事実が判明しました。これらの投稿は、事件前に削除されていますが、我々はそのデータを完全に復元しています」


画面に、数年前にユウトが匿名で書き込んだ投稿が次々と映し出される。「この国は終わりだ」「経綸計画という名の地獄」――将来への漠然とした不安を吐き出しただけの、ありふれた愚痴。だが、大勢の犠牲者を出した凄惨な事件の直後に、政府高官の口から「証拠」として読み上げられると、それは不満分子によるテロの動機として、おそるべき説得力を持って響いた。


「これらの事実から、当局は、佐藤ユウトが独立派の思想に感化され、今回の無差別テロを実行した容疑が極めて強いと判断。本日、殺人及び破壊活動防止法違反の容疑で、全国に指名手配いたしました」


白洲が深々と頭を下げると、無数のフラッシュが焚かれた。テレビ画面には、数時間前までただの労働隊員だった自分の顔写真が、「重要指名手配犯」という赤い文字と共に大写しにされていた。


「……罠、だったのか」


ユウトの口から、か細い声が漏れた。あの日の役務。山深い現場。あれは、俺を舞台に上げるための仕掛けだったんだ。そして、腹の具合が悪くなったのは、ただの偶然だったのかもしれない。だが、あの役務に参加していた中から、目撃者である俺を主役に仕立て上げたのだ。


頭が真っ白になり、呼吸が浅くなる。国家という、あまりにも巨大で抗いようのない力によって、人生そのものを捏造されてしまった。社会の底辺どころではない。自分はもう、社会の「外側」にいる。いや、社会全体の憎悪と恐怖を一身に受け止めるための、「敵」という名の部品にされてしまったのだ。


だが、その絶望の底で、彼の中に、怒りとは違う、冷たい決意が生まれた。このまま捕まるか、飢え死にするくらいなら、やってやる。独立派に全てを話してやる。政府の敵である独立派こそが、今の自分を理解してくれる唯一の存在かもしれない。ユウトにはそう思えた。


◆


その頃、関東山地の独立派の隠れ家でも、飯田熊治が同じニュースを苦々しい顔で見ていた。 「やはりな」飯田は呟いた。「こいつが、奴らの筋書きの『主役』だ」 若い隊員が尋ねる。「どうしますか? こいつのせいで、俺たちの評判は地に落ちます」 「違う」飯田は、指名手配されたユウトの顔を睨みつけた。「評判など、もとより地に落ちている。問題はそこじゃない。なぜ、政府はこいつを犯人に仕立て上げた? 奴は、役務現場から逃げた。つまり、何かを見たんだ。俺たちではない、『本物』の実行犯をな。こいつは、今この国で最も重要な証人だ。治安維持部隊に消される前に、我々が必ず見つけ出す」


飯田は、壁に広げられた広域地形図の前に立った。指し示したのは、列車転覆事件が起きた現場だ。 「ターゲットは50歳くらいの民間人。サバイバルの素人だ。極度の恐怖の中、食料も情報もない山奥へさらに逃げ込むことはない。必ず人里へ下りる」 彼の指は、事故現場から流れ出る数本の沢筋をなぞり、山麓に広がる、ある一点を囲んだ。そこは、震災復興から取り残された、寂れた郊外地区だった。 「奴の潜伏可能エリアは、この一帯に絞られる。治安維持部隊も同じ結論に至るだろう。だが、奴らが包囲網を完成させる前に、我々が先に潜り込む」


飯田は、部下たちに厳しい視線を向けた。 「これより、第一、第二分隊は俺と共に目標エリアへ先行潜入する。エリア内の全シンパを起動し、ターゲットの捜索を開始。特に、我々が残した『印』の周辺を重点的に洗え。第三分隊は後方支援だ。急げ。これは、時間との競争だ」


飯田の言葉を合図に、隊員たちは音を立てずに装備をまとめ始めた。ユウトは、巨大な国家権力と、神出鬼没の抵抗勢力という、二つの組織から同時に追われる身となった。

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