第一話 バッツとマール
陽気な、とある日の昼下がり。
暖かい春の日差しがこぼれる部屋で、マールは開いていた本をパタンと閉じた。
ウェーブがかった美しい光沢ある茶色の髪をかきあげ、マールは短い溜息をつく。
「ああ……退屈」
頬杖をつきながら、マールはテーブルの上に置いてある本をつまらなさそうに指先でピンッと弾いた。すると、弾かれた本はフワリと舞い上がり、彼女の周りを旋回して、ひとりでに背後にある本棚へと収まった。
おはじきを飛ばす要領で、テーブルの上に散らばる本を次々と弾いていくマール。弾かれた本は、まるで鳥にでもなったかのようにバサバサと羽ばたき、自分たちの巣である本棚へと戻っていく。
そんな暇そうにしている彼女の肩に、使い魔であるハツカネズミのサークルがちょんと飛び乗った。
「そんなに退屈なら、お外に遊びに行けばいいんでチュわ。ホラ、外はこんなにいいお天気! 雲一つ無いこんな日に、家で閉じこもっているなんて、もったいないでチュ!」
ピョンピョンと飛び跳ねながら、サークルは窓の外を指差した。
そこには、雲どころか建物一つ見えない、見事なまでの美しい青空が広がっていた。
確かに、こんな天気の良い日に家に閉じこもっているなんて、誰だってもったいないと思うに違いない。だが、マールは窓を一瞥すると、まるで興味が無いと言った様子で退屈そうに大きくう~んと伸びをした。
「天気がいいなんて、いつものことじゃない。こんな景色、もうとっくに見飽きたわ。それに、雲ならあるでしょ、すぐ下に」
けだるそうに下を指差しながら、マールは小さいあくびをした。
ちょんと窓の縁に飛び移ったサークルは、外を見つめる。
上には一面に広がる青い空、下にはどこまでも続く白い地面。良く見ると、その白い地面はゆっくりと流れるように動いている。
「今日は、雲の動きが早いでチュわ。どうやら、下界は強い風が吹いているみたいでチュ」
その白い地面の正体とは、大きな雲だった。
マール達が住む、ここシャンシャーニの塔の最上階は、地上から数千メートル離れた高さにある。雲より高い位置に存在するこの場所は、くもりや雨といった天気の変化が無い。ようするに、年がら年中晴れているのである。代わり映えのしない景色に、マールが飽きたと言うのも無理は無い。
その時、退屈そうにテーブルに突っ伏していたマールが、突然何かを思い出したかのように顔を輝かせ、ガバッと飛び起きた。
「そうだわ、そろそろアイツが帰ってくる頃かしら」
マールは、テーブルの上に置かれていた水晶球を手元に引き寄せた。
自分の着ているドレスと同じ色をしたその紫の水晶球に、彼女の白く細い指先がそっと触れる。すると、まるで水の中に絵の具を垂らしたかのように、水晶球の中がウネウネと渦を巻き動き始め、しばらくすると一人の少年の顔が映し出された。
年は十四、十五歳くらいだろうか。まだあどけなさを残した幼い姿の少年は、歯を食いしばり険しい表情を見せている。
「ちょっと近すぎるわね」
クイクイッとマールが指先を動かすと、水晶球に映し出された様子が少しずつズームアウトされていき、彼の全身が映し出された。
緑色のブカブカサイズのツナギ服を着た少年は、全身をずぶぬれにさせながら、風に飛ばされないようツバの広い帽子を押さえていた。背中には、小柄な彼のサイズに相応しくない、パンパンに膨れ上がった馬鹿でかいリュックサックを背負っているのが見える。
さらにズームアウトすると、少年が今どんな状況なのかが分かった。
降りしきる豪雨の中、少年は柱のような物にしがみつき、必死によじ登ろうとしているのだ。激しい雨と風が、まるで目の前に立ちはだかるかのように、少年を打ち付け吹き飛ばそうとする。それでも、少年は歯を食いしばり、必死の形相で柱を登り続けていく。
傍らには、その様子を心配そうに見ている黒猫の姿が見える。その猫の背中には、蝙蝠のような翼が生えており、彼の隣を寄り添うように飛んでいた。
「どうやら、下界は雨が降っているみたいね。やっぱり外に出なくて正解だったわ」
果たして、その映し出された場所とは、このシャンシャーニの塔を支える柱であった。
地上から天を繋ぐかのように、細く長く伸びる一本の柱。それこそが、この最上階を支えている柱であり、シャンシャーニの塔そのものなのである。少年はその柱をよじ登り、マールたちのいる最上階を目指していたのであった。
「それにしても、もうこんな場所まで来ていたの? 思ったよりも早かったわね。でも、人生はそんなに甘くないのよ……」
悪戯な笑みを浮かべながら、マールは水晶球に向かってクルンと指を振った。
瞬間、耳をつんざくような轟音が鳴り響き、突然の落雷が少年を直撃した。
ビリビリと感電し、思わず柱から手を離してしまった少年は、そのまま高さ数千メートルの距離を真逆さまに落ちていく。
「まだまだ修行が足りないわね」
クスリと微笑んだマールは、水晶球に向かってバイバイと手を振った。だが、しばらくすると、少年が物凄い勢いで下からよじ登ってくるのが見えた。
「あら、意外としぶといわね」
表情一つ変えずに、マールはクルンと指を振った。轟音と共に、激しい落雷が再び少年を襲う。だが、間一髪のところで少年は身をよじってそれをかわした。
見られていることに気がついているのか、こちらを見てニヤリと不敵な笑みを浮かべる少年。その顔を見たマールは、ピクリと眉をひそめた。
まるで、演奏の指揮を取っているかのように、マールはリズミカルに指を振り続ける。その指の動きに合わせ、四方八方から現れた雷が次々と少年を襲った。だが、少年はゴキブリのように塔をはいずり周りながら、必死にその雷をかわし続ける。
「あたチも遊びたいでチュわ」
先ほどから、ウズウズしながら様子を見ていたサークルが、水晶球の前に飛び降りた。
「遊びじゃないのよ、サークル。これは試練なの。可愛い弟子である彼に、師匠の私が与える試練なのよ。この試練を乗り越えて、初めて彼は一人前の魔宝使いになれるのよ」
マールは、うんうんと一人頷きながら、感傷深く語っている。
そんなマールの話を適当に聞き流したサークルは、水晶球に向かって手に持つツマヨウジのような杖を楽しそうにクルンと振った。瞬間、雷の量は二倍に増えた。
その攻撃は、もはや四方八方どころか四面楚歌状態。
さすがにかわしきれなくなった少年に、雷が次々と落ちていき、隣を飛んでいた黒猫も巻き添えに合って、一緒にビリビリと痺れていた。悲惨である。
「やった! 当たったでチュわ! これで五点目でチュわね」
いつの間にか、マールとサークルの間にはボードが置かれていた。それには、それぞれの点数が書かれており、どうやら少年に雷を何回当てたかを競うゲームが開始されているようだ。
「今のは私の雷よ。だから、私が六点。あなたは四点よ」
「ちがいまチュ! あの雷は私のでチュ! 嘘は言わないで欲しいでチュ!」
「嘘なんか言っていないわ。あれは私の雷」
「私のでチュ!」
どっちの雷が当たったのかで、言い争いを始めたマールとサークルは、お互い睨み合い、しばし口論を続けた。結果、今のはノーカウントと言うことで決着を着けた二人は、ゲームを再開しようと水晶球に目を戻す。だが、そこには少年と黒猫の姿は無かった。
「あら、落ちちゃったのかしら?」
「つまらないでチュわ。せっかく盛り上がってきた所でチたのに」
がっかりして、肩を落とすマールとサークル。そんな彼女たちの背後のドアが突然バタンと開いた。
「殺す気か!」
鼻息の荒い、少年の怒声が部屋中に響き渡る。
振り向くと、そこには、ずぶ濡れのボロ雑巾のような姿でたたずむ少年と、焦げてますます色を濃くした黒猫の姿があった。
少年は、ケホッと口から煙を出すと、マールたちをギロリと睨みつける。
そんな少年を見つめながら、マールはニコリと微笑むと、何食わぬ顔して言った。
「ずいぶんと遅かったのね、バッツちゃん。私、待ちくたびれちゃったわ」
「ふざけんなや! 人が散々苦労して、必死こいて魔宝具を集めてきたっちゅうのに、なんでこないな扱いを受けなあかんねん!」
バッツと呼ばれた少年の叫び声が、再びシャンシャーニの塔に響き渡った。だが……。
「で、魔宝具は持ってきたのかしら?」
さして気にした様子も無く、マールはさらりと言ってのけた。
バッツは、くぅ~と何かを言いたげな表情を浮かべるが、暫くすると諦めたのか、ふぅと大きな溜息をついて、ガックリと肩を落とした。
「まぁええわ……。とりあえず持ってきたヤツ、鑑定してくれや」
バッツは、背中に背負っていた馬鹿でかいリュックサックを降ろすと、中身をぞんざいに床にぶちまけた。ガラガラと様々な形をした道具が飛び出し、その一つがマールの足元に転がっていく。それは、先端に琥珀色をした水晶が収められている美しい王錫だった。
ゆっくりと手を伸ばし、マールはその王錫を手に取った。
「それなんか、手に入れるのに苦労したニャ。まさか、あんな巨大なドラゴンが守っているとは思わなかったニャ。オイラ、危うく食べられるところだったニャ」
「何言うてんねんペケ。お前なんて、岩場の陰に隠れて震えていただけやんか。ホンマに大変やったのは、あいつから王錫を奪ったワイの方やで」
自分の武勇伝のように自慢げに話す使い魔の黒猫ペケに、バッツは呆れた顔を見せた。
「でもまぁ、その王錫は相当のレアモノやと思うで。何せあの伝説のドラゴン、ゼルカノンが守っとった奴やからな。ランク的にはA……いや、もしかしたらSクラスかも知れへんで」
ケルド山脈に住む、世界最古の竜の一匹ゼルカノン。人間など足元にも及ばない知恵と力を持つこの伝説の竜を出し抜き、苦労してバッツはこの魔宝具を手に入れたのだ。きっと、相当な価値があるに違いない。
ニヤリと自信有りげな笑みを浮かべ、バッツは懐から手帳のようなモノを取り出した。
「そいつも含めて、これだけの魔宝具の数や、スタンプ十個は固いな」
「いや、もしかしたら二十個行くかもしれないニャ」
パラパラとページをめくりながら、バッツとペケは嬉しそうに手帳を覗き込んでいる。
手帳には、ギッシリとマス目が敷いてあり、そこには、いくつかのネズミの絵のスタンプが押してあった。どうやらこの手帳は、スタンプ帳のようだ。
だが、自信満々のバッツの予想とはうらはらに、マールはフッと鼻で笑うと、手に持っていた王錫をポイと投げ捨てた。
「な、なにすんねん!」
驚いたバッツは、投げ捨てられた王錫を慌ててダイビングキャッチする。フゥと汗を拭きながら、バッツは安堵の溜息をつくと、キッとマールを睨み付けた。
「そんな物を命がけで持ってくるなんて、バッツちゃんも暇人ねぇ」
ヤスリを取り出し、おもむろに爪を磨き始めるマール。バッツの持ってきた魔宝具のことなど、まるで興味が無いと言った様子である。
「そんな物やと? アホぬかすな! これは、あの伝説のドラゴン、ゼルカノンが守っていた魔宝具やで? 相当な価値があるハズや!」
「そうニャそうニャ! それを手に入れるのに、オイラがどれだけ苦労したか……」
「だ・か・ら、お前は岩の陰で隠れていただけだっつーの!」
「それは、レプリカでチュわ」
鼻息を荒くしながら言い争いをしているバッツたちに向かって、マールの肩の上にいたサークルがポツリと言った。
「レ、レプリカやて?」
「そう、それは魔宝具『支配の王錫』のコピー品。確かに、多少の魔力は込められているみたいだけど、本物と比べたら、その力には天と地の差があるわ」
爪に息をフッと吹きかけたマールは、今度はマニキュアを取り出した。
「じゃ、じゃあこいつはどうや? これは? これは?」
次々と床に転がる他の魔宝具を拾い上げ、マールに見せていくバッツ。だがマールは、そんなバッツのことなど見向きもせず、真っ赤なマニキュアを爪に塗り続けている。
「後は、どれもこれもコモン魔宝具でチュね。そうでチュねぇ、全部合わせてもスタンプ一個って所かチら」
「す、スタンプ一個……。こ、これだけ苦労して集めたのに、スタンプたったの一個……」
バッツは、スタンプ帳を手からポロリと床に落とした。床に落ちて開かれたページに、駆け寄ってきたサークルが、両手で抱えたハンコで器用にポンとネズミの印を押した。
「はい、スタンプでチュ。ご苦労様でチュ」
「一個……、スタンプたったの一個……」
バッツとペケは呆けたように同じ言葉を繰り返し、その場に立ち尽くしている。
そんな一人と一匹を放置し、マールはふぅと溜息をつくと、けだるそうに水晶球を覗き込んだ。すると、グニャグニャと水晶球の奥が一瞬乱れ、次の瞬間には人の賑わう城下町が映し出されていた。さらにマールがクイクイッと指を動かすと、場面が変わり人気の無い朽ち果てた遺跡が映し出される。
マールはフムと頷くと、バッツに向き直った。
「可哀想なバッツちゃんに、良いことを教えてあげるわ。城塞都市レクタングル。この国に行ってみなさいな。多数の魔宝具反応を感知したから、もしかしたら、相当な数のスタンプを稼げるかもね……」
「レクタングル?」
聞き覚えのある国の名に、バッツは訝しげな表情を浮かべ手を振った。
「あかんあかん。その国には確かに魔宝具はあるらしいんやけど、そいつが眠る遺跡に強力な結界が張られとんねん。ワイも、一年ほど前に訪れた時、何度か侵入を試みたんやけど無理やったわ。あれは強力な魔宝具による結界やで」
「その結界が、近日中に解かれるそうよ」
「ホ、ホンマか?」
思いもよらないマールの言葉に、バッツとペケは瞳を輝かせながら彼女に詰め寄った。
マールは、コクリと頷く。
「理由は分からないけど、その遺跡の結界を解いて、一般人も入れるように開放するらしいわね。今この国は、魔宝具を狙ったハンターたちで溢れかえって大賑わいよ」
「そうか……。なら、ワイたちも急がへんとなぁ」
バッツとペケは、うんうんと頷く。
「じゃあ、頑張って魔宝具見つけてきてね」
マールは、バッツとペケに向かってニコリと微笑むと、バイバイと手を振り始めた。
その言葉を聞いたバッツとペケは、互いに顔を見合わせ、タラリと額から汗を流した。
「ま、まさか、今帰ってきたばかりだっちゅうのに、すぐに次の魔宝具探しに行けっちゅうんやないやろな? ちっとは休ませてくれても……」
「そうニャそうニャ! ペケはお腹がすいたニャ! ビフテキ食わせろニャ!」
抗議するバッツとペケを無視し、マールはパチンと指を鳴らした。すると、突然彼らの足元に大きな穴が現れた。
ストンと一瞬にして姿を消したバッツとペケは、最上階から地上に向かって、真っ逆さまに放り出される。
「この鬼~~~!」
「悪魔ニャ~~~!」
一人と一匹の悲痛な叫び声が、大空の中こだまする。
穴を覗き込みながら、マールは見えなくなったバッツたちに向かって、いつまでもバイバイと手を振り続けていた。