プロローグ
下弦の月が照らす夜を一人の少女が息を切らし走っていた。
「あれは何? どうしてあんなものが、こんな所にいるの?」
少女は、真っ白なドレスが土に汚れるのも気にせず、必死の形相で走り続けている。時折後ろを振り向き、奴が追いかけてこないことを確かめながら、少女はただひたすら人気の無い道を駆けていた。
おかしいと思った。
あの筆不精のお兄様が、自分に手紙を書くことなんてありえないのだ。しかも、こんな人気の無い夜更けに、あの場所で待ち合わせだなんて。
でも、お兄様と話がしたかった。
先日、大好きだったお父様が突然亡くなり、互いに口数が減っていて寂しかった。
そんな時に、私の机の上に置かれていた一通の手紙。きっと、お兄様も私と同じように寂しかったんだ。照れ臭いから手紙を書いたりしたんだ。そう、勝手に思いこんでいた。
でも、今思えば、あの字はお兄様の字じゃない。それに、まさかこんなことになるなんて! なぜあんな怪物が……!
「助けてぇ! 誰か、誰か助けてぇ! お兄様!」
だが、その声は少女の口から発せられなかった。少女はすぐに自分の体に起こった異常に気がつく。声を出そうとしても、出すことができないのだ。
ねっとりとした空気が、少女の心臓を鷲掴みにする。
姿は見えないが、奴はどこからか自分を見ているに違いない。
ふと気がつき辺りを見渡すと、そこはあの遺跡の入り口の前だった。
この国に、昔から存在する忌まわしき遺跡。子供の頃から、そこに近寄ってはいけないと言い聞かされ続けてきた危険な場所……。
その時、突然少女の体が闇に包まれた。
頭上を見上げた少女は、その目を大きく見開く。そこには、下弦の月を背にし、巨大な黒い翼を広げた怪物が、邪悪な笑みを浮かべて少女を見下ろしていた。
月の光に照らされ浮かび上がる八枚の翼。その翼が、少女を一瞬にして覆い隠す。
「あ、悪魔……」
その声も、闇に掻き消えた。そして、続く少女の叫び声も誰にも届くことは無かった。




