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老いた女王


 遺跡の入り口にて。

 森と遺跡との境界であるそこは、木が壁のように乱立している。ここは隠された場所であり、正規の方法では入ることができないのだ。

 だが場所を知るものであればここに到達することは可能だ。特に空を飛べるものであるなら、発見の難易度がやや下がるだろう。

 

 クリームヒルトが派遣した調査隊は、翼を持つ亜人で構成されている。種族は知らないが鷲のような頭部と翼を持つ亜人が、クリームヒルトに報告をしているようだ。

 攻撃を受けた様子はないものの、焦りが全身から漏れている。挙動不審で体が震えたりしていた。 


「その話、本当なのか?」


 クリームヒルトが調査隊の亜人と話をしている。


「お……多くは街道沿いや川沿いに進行していますが、いくらかは森の隙間を縫うようにやってきています。あれは軍などではなく雪崩や津波に近い進み方です。おそらく……このままではこの遺跡にも数体入り込むことになるでしょう」

「ここにもか?」


 なんてことだ、まさかこの遺跡にもやってくるなんて。これだけ正規の道から離れて、おまけに森に囲まれたこの場所に? それは確かに津波か何かで表現した方がいいかもしれない。そう、例えるならすべてを滅ぼす災害に……。

 やはり、これがアルフレッドの仕業で奴の成す地獄なのか? 配下の魔物を使って亜人……いや人間すらも惨殺し、この世界に破壊と混乱をもたらす邪悪。あいつはもう……自分を人間じゃなくて魔王か何かだと勘違いしてるのかもしれないな。そうでなきゃこの行動は理解できない。


「時間はそれほどありません。我々は空を飛び障害物もなくここへ到達しましたが、奴らは陸路のみの進軍。少しは遅れましょうがその速度は衰えず、体が傷ついても前に前にと前進しています。おそらくは数分後、ここにも到達してしまうでしょう」


 なんて進軍速度だ。これじゃあ逃げる暇も迎え撃つ暇もない。相当の亜人の村が犠牲になるぞ。いや、それよりまずはここにいる目覚めたばかりのクラスメイトや俺たち自身をどうするか考えないと……。 

 悩む時間もないが、クリームヒルトは即座に結論を出したようだ。


「あたしたちはここで敵を迎え撃つ。調査隊はあたしたちとともに戦ってくれ。それと調査隊うち三人は今すぐこのことを〈グランランド〉に伝えるんだっ! もはや女王との交渉は不要っ! 直ちに全軍をもって森に進軍し、悪しき魔物たちを駆逐するっ! 今すぐだっ!」

「はっ!」


 命令を受け、三人の調査隊が空へ飛び去った。

 どうやら、クリームヒルトは大森林への進軍を決めたようだ。初めは俺が頼んだことではあるが、こんな風に決まってしまうとは思ってなかったな。


 まあ、アルフレッドがどうとかいう話は後回しだ。今は眼前に迫りくる脅威に対抗するとしよう。


「俺たちも戦うぞ、クリームヒルト」

「ああっクリス、話を聞いていたのか。だったら頼む。ここにはまだ目覚めたばかりの人間も多いからな。あたしも戦って侵入されないようにしよう」

「俺も十分回復した、手伝わせてもらう」


 そう言って、大河が剣を握った。病み上がりで申し訳ないが、こういう時には頼りになるぜ。


「瑠奈はまだ目覚めたばかりだ。さすがに前線へ駆り出すのは難しいだろうな」

「本当は寝かしてやりたかったけど、緊急事態だ。アリス、瑠奈を起こして事情を説明してもらえるか? もし万が一敵があのベッドの部屋まで侵入してきたら、あいつに守ってもらってくれ。アリスも戦いが終わるまであそこに避難だ」

「う、うん、分かった」


 おそらくこの遺跡の構造的に、一番安全な場所。あれほどの密度の〈古代樹〉があれば、ほとんどすべての魔物の侵入を防ぐことができるだろう。

 だが万が一ということもある。瑠奈には悪いが最後の防衛線として働いてもらうことにしよう。


「来たぞっ!」


 入口に、黒い影。

 魔物だ。

 とうとう、遺跡の……しかもこの時代に魔物が。


「この人数ですべてを倒しきるのは無理だっ! まずはここを守るように、こちらに近づく敵だけ対処するっ! それでいいなっ!」

「分かったよクリームヒルト。じゃあ俺と大河はここまで構えている」

「任せろ来栖。リハビリは十分やったからな」


 剣に雷を走らせる大河は、五体満足で臨戦態勢だ。とても頼もしい。


「行くぞっ!」


 クリームヒルトの叫び声をともに、戦いが始まったのだった。




 *************


 パステラ王国王城、玉座の間にて。

 玉座を彩る荘厳なこの部屋は、この国を支配する王の部屋。昼間であれば兵士や大臣たちが集まり、外交や内政など様々な重要事項を行う場所でもある。

 だが今は夜。予定も何もないこの時間は、兵士も貴族も誰もない。

 今、ここに座っているのはただ一人。


 女王ヴィクトリアである。


「…………」


 無言で、月の光る空を見える女王。平時は不機嫌さや激怒で歪んでいるその表情は、今……深い絶望と悲しみに染まっていた。

 異世界人、近衛駆が行方不明になってしまったからだ。

 転移者の中でもっとも期待していた忠臣――駆。おそらく計画の途中で亜人か他のクラスメイトに殺されてしまったのだろう。本当に良い人材だった。貴族として取り立てるという話も本気だった。


「……はぁ」


 深く、ため息をついた。

 駆の件は悲劇だ。だがその以前からすでに女王は気分が良くなかった。

 月明かりに照らされた己の手を見る。血管が浮き出て、肌は乾燥して水分を失い、おまけにしわやシミは増える一方だった。老いを感じずにいられない。


 女王は孤独だ。かつてアルフレッドとともに過ごした彼女は、彼のことを愛していた。結婚の約束もしていた。だから彼が行方不明になったあと、その名声のため亜人を虐げ……そしてその帰還を待った。

 そのため、結婚もしなかった。自分の夫はアルフレッドだと心に決めていたからだ。年若き乙女であったころ、操を立てる高潔な意思はとても美しく崇高なもののように思えた。


 だがそれも、月日がすべて台無しにした。

 当時は若々しかった王女ヴィクトリアも、今や老いた女王だ。すでに世継ぎの期待などされず、周囲の親戚たちは息子を次世代の王にと考えているらしい。いまだヴィクトリアの権力が強く内乱のようなことは起こっていないが、いずれ本当に老いて頭も体も動かなくなってしまったら、この国は荒れるだろう。


 いや、そもそも国のことなどヴィクトリアにとってどうでも良かった。ただアルフレッドが帰ってきてくれればそれで十分だったのだ。

 だが夢見る乙女というにはすでに時間がたち過ぎた。アルフレッドは死んだのだ。それにこの老いた体で、もはや何もできることなどないのだから。


「アルフレッド様……」


 声が枯れている。本当に老いとは憎らしいものだ。死ねば霊体となり、若い姿で天国のアルフレッドと添い遂げられるのだろうか? 女王にとって、死後の世界こそが唯一の希望であった。


「呼んだか?」


 不意に、声が聞こえた。

 とても、懐かしい声だ。


「え?」

「はははっ、随分ババアになっちまったなヴィクトリア。ボケて俺のこと忘れちゃいねーよな。いやまあ、そこまで老いてはねーか」


 そこに、アルフレッドがいた。

 なぜかは知らないが当時のままに若々しい姿で、アルフレッドが立っていた。すでに最後に出会ってから四十年近くたっているが、この顔を忘れることなどなかった。

 彼を理解した瞬間、ヴィクトリアの心はまるで嵐のようにかき乱された。とても一言二言で済ませられるような感情ではない。まさしく命を賭してでも叶えたかった夢が、今、目の前にあるのだから。

 

「ああ……あああああああああ、アルフレッド様。わらわを……わらわを見ないで。うう……ううううううぅ」


 女王は急に恥ずかしくなった。彼の見た目は昔と何も変わっていないのだ。この老いた体を……愛した男に見られて失望されたくはなかった。ここで拒絶されてしまったら、自分は何のために生きてきたのか分からない。せめて夢は夢のままで……終わらせて欲しかった。


「くくくっ、まあそのなりじゃあ惨めで見られたくもねぇわな。だがお前は運がいい。この俺という存在に価値を見出された女なんだからな」

「え? ええ?」

「いいかヴィクトリア。お前は俺のことが好きだったんだろ? まあ、それは昔の話でもう忘れてたってんならそれでもいいさ。とにかく俺はお前に贈り物をしてやろう。タダじゃねーぜ。お前の望みをかなえてやるんだ、俺の頼みも聞いてもらわねぇとな」

「そ……それは……」


 アルフレッドは語り始めた。彼は女王に贈り物と、そして対価となる願いを説明した。

 だが女王にとってそんな説明や贈り物など無意味だ。愛するアルフレッドの頼みを、断れるはずもないのだから。


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