16:常識離れした発想
「……ふふふ──ふハハハハハハ!」
堪えきれぬとばかりに、軍司さんは哄笑した。タガが外れてしまったかのように、口を大きく開け、仰け反らせた体を上下に揺すって……。
二メートル近い長身の老人が、抜き身の刀を握り締めたまま、身をよじって嗤っている。その尋常ならざる光景を、僕は茫然と見つめるしかなかった。
「ふふ……君はもう少し利口かと思っていたが、どうやら見込み違いだったようだ。私の言葉を忘れたのか? 人間の体細胞クローンなど、禁忌を犯してまで創り出す価値はない。確かにそう言ったはずだがね」
「無論、覚えていますし、その考えを伺った時は、非常に納得させられました。……しかし、クローンを──つまり、『親と同一の細胞を持つ子供』を産み出すことそのものに、意味があったとしたら、どうでしょう?」
「ふん……まだ寝言を言い足りないのか?」
「ええ。ここから重要なので。──話は変わりますが、先ほど我々が、衣歩さんからどのような情報を聴き出したのか、気になりませんか?」
あくまでも、挑発的な態度を崩さない。
「つまり、衣歩くんが望んでいることについても、すでに知っているわけか。部外者のクセに、つくづく分を弁えることを知らないな」
「気になる噂を耳にしたので、どうしても確かめたくなってしまって。しかし、最終的には彼女の方から、教えてくださったんです。
衣歩さんは以前から、軍司さんにある依頼をしていた。それは明京流さんとの子供を授かること──つまり、死後懐胎。軍司さんと繋がりのある病院で、密かに彼の精子を凍結保存してもらっているのだとか。……相続した遺産も、その施術を受ける費用に充てるつもりだと、伺いました」
「それがこの事件と、どんな関係があるんだ? 君たちは、偶然巻き込まれた殺人事件の調査をしていたのではなかったのかね? もう探偵ごっこにも満足したはずだ。御託を並べていないで、さっさと推理小説よろしく、事件の真相を聴かせてはくれないか。……それとも、まさか、私が犯人とでも言うつもりなのか?」
「そうではありません。ただ、確認させていただきたいだけです。軍司さんが、本当は何を成し遂げようとしているのか……」
「前にも言ったはずだ。私は何も企んでなどいない、と。君はどうしても、私を悪人に仕立て上げたいらしいな」
「そこまで仰るのなら、どうか僕の話を最後まで聴いてください。──軍司さんは、本当に衣歩さんの味方なのですか? 彼女の要望に応えるフリをして、その裏側では、恐ろしい計画を進行させているのでは?」
「我々の中に、彼女が傷付くことをよしとする者などいない」
嘲笑的に放たれたそのセリフを、緋村は黙殺した。
「話を戻します。僕は、軍司さんが香音流さんのクローンを実現させようとしている、と考えています。それも、単に彼と同じ遺伝子を持った赤ん坊を産み出すだけではなく、もっと常軌を逸した考えをお持ちなのではないか、と……」
それは、軍司さんの言うところの「寝言」の中でも、最大級に常識離れした発想だった。
「軍司さんは──香音流さんのクローンを、衣歩さんに産ませるつもりですね?」
その言葉を聞いた瞬間、一週間ほど前に緋村が口にしていた蘊蓄を、思い出す。
──サバにマグロを産ませる技術ってのがあるらしい。
もっとも、今問題となっているのは、そんな夢のある話ではない。もしそれが事実であるとしたら、前代未聞の狂気的な実験だと言えよう。
愛した男性の遺児だと思って産んだ子供が成長するにつれ、かつて自分が拒んだ男と、全く同じ容姿へと育って行く。──彼女の受ける精神的な苦痛がどれほどの物か、想像だに怖ろしい。愛しの我が子の姿が、得体の知れない怪物か何かのように映ることだろう。
まさしく、地獄。
これほどまでに凶悪なクローンの「使い方」が、果たして他にあるのだろうか……?
「衣歩さんは、体外受精を行う約束になっていると仰っていました。であれば、明京流さんの精子と体外授精させた受精卵だと偽り、香音流さんの体細胞クローンとなる卵を胎内に送り込むことは、十分可能なはずです。
また、すでに現役を退いているとは言え、軍司さんは絶大な権力をお持ちだ。直接施術に携わらずとも、そうした指示を出せば従う人間と言うのは、少ながらず存在するのでしょうね」
軍司さんの顔からは、再び表情が消えていた。あの石像じみた無機的な面持ち──教会の屋根から下界を監視する、悪魔像を思わせる──で、ひたすら冷淡な眼差しを注ぎ続ける。
ほどなくして、酷く掠れた声音が響いた。
「……何故、そんな馬鹿げたことをする必要がある? 今の地位をかなぐり捨ててまで、かように非人道的な行為に手を染める理由など、あるわけがない」
「確かなことはわかりません。……が、おそらく、それは軍司さんなりの“復讐”と言ったところでしょう」
「復讐? いったい何の」
「四年前、香音流さんを侮辱したことに対しての、です。明京流さんの発案により、彼らは婚約祝いと称して、香音流さんをこの島に呼び寄せた。この時、明京流さんには明確な悪意があったものと思われます。
結果として、香音流さんは衣歩さんに乱暴を働こうとしてしまいました。明京流さんは香音流さんを殴った──だけでは飽き足らず、遁走した兄を打ち据えるべく、棍棒を携えて迷宮まで追いかけて行った。そして、二人揃って落雷に巻き込まれてしまい、香音流さんは孤独な最期を迎えることとなった……。男として──いえ、人間として、これ以上の辱めはそうありません」
「……私には関係のないことだ」
「そんなことはないはずです。あなたは香音流さんの本当の父親だ。きっと、我がことのように、悔しい思いをなさったでしょう。だからこそ、誰にも思い付かないようなクローンの活用法を、着想したのです」
「……君の非常識な妄想が、全て事実だったとして……それでも、私にそこまで大それたことをする義理はない」
「確かに、正常な判断ではそうでしょう。しかしながら──執念は、時に理屈を凌駕する。軍司さんは、香音流さんの復讐を果たすと言う妄執に取り憑かれてしまったんです」
「知った風な口を……。おかしな思考に囚われてしまったのは、君の方ではないのかね?」
疲れたように言い、軍神は目を伏せた。
ここまでの緋村の話には、何一つとして証拠がない。ただ、軍司さんと香音流さんの耳の形が酷似している──二人の間に血縁関係がある可能性が高い、と言う程度だ。
このまま軍司さんが否定し通せば、それこそ度が過ぎた空想で、この話は終わる。
そして、かように荒唐無稽な糾弾を受け入れる人間など、いるはずがない──そう思っていた。
「『何故君は怒るのだ、何故君はそのように顔を伏せるのだ。正しいことをしているのなら、顔をあげればいい。正しいことをしていないのなら、罪が門口で待ち伏せしているぞ』」
緋村がそのセリフを誦じるまでは。
刹那、軍司さんは大きな体をピクリと震わせ、驚いたように青年を見返した。
かと思うと、見開かれた眦が、見る間にスルドく尖って行く。
「今朝、軍司さんが繭田さんに仰った言葉です。旧約聖書からの引用ですね。……『正しいこと』をしていないのは、本当はあなたの方ではないのですか?」
「──黙れぇ!」
咆哮のような怒声と共に、彼は得物を握った右腕を振るった。あまりのことに身動きが取れなくなった僕の目の前で、鈍い色の刃が中空を切り裂く。
しかし、緋村はそれを避けなかった──いや、咄嗟に身を翻すほどの余裕はなかったのだろう。




