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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
終章:快晴の朝
108/108

1:流浪の果て

 こうしてカインはヤハウェの顔の前から去り行き、エデンの東のノドという地に住むようになった。


 旧約聖書 創世記(関根正雄訳)第四章:カインとアベル

 そのあとのことを、少し語ろう。


 喪色の宴の開かれた日の二日後、瀬戸の遺体が発見された。彼の体は緋村の予想したとおり、神母坂さんの自宅の庭の片隅に、埋められていたそうだ。

 伸びるがままに生い茂った、薔薇の樹の根元に。

 年を跨ぎようやく掘り起こされた亡骸は、すぐさま司法解剖に回され、その翌日には、瀬戸の物であると断定された。

 また、警察は他の死体に関しても、すでに身元を割り出していたらしい。これにより春也さんに対する容疑も晴れ、同時に誰が真犯人であったのかが報じられることとなる。前代未聞の真相は様々なメディアで取り上げられ、もうしばらくの間、世間の注目を集めることだろう。


 一つ気がかりなのは、瀬戸のご両親のことだ。

 血の繋がりなど関係なく、大切な一人息子を、あのような悲惨な形で失ったのだ。彼らの哀しみは、察するに余りある。

 しかし、僕にできることは何もない。

 今はただ、瀬戸夫妻が無事に事件を乗り越えてくれることを、祈るばかりだ。

 幸い、彼らには秀臣さんと言う心強い味方がいる。瀬戸を取り上げた者の責任として、彼はその時が訪れるまで夫婦を支えて行くと、悼む会のさ中口にしていた。その決意は疑うべくもなく、それだけが唯一の救いのように思えた。


 また、榎園家の関係者たちも、それぞれの方法で、この悲劇と向き合っていた。


 楡夫妻は榎園家の本邸への移住を完了し、新たな生活を始めたそうだ。衣歩さんの使っていた部屋はそのままにしてあるようで、唯一焼失を免れた彼女のペンダントも、そこに安置されていると言う。

 これはあとになって考えたことだが、神母坂さんがこのロケットペンダントを身に付けず、わざわざ庭に置いていったのは、中にしまわれていた写真を燃やしたくなかったからではあるまいか。つまり、その中身が幼い頃の──まだ仲のいい兄弟だった頃の──香音流さんと明京流さんだと知った彼女は、それが灰と化してしまうのを、惜しんだのかも知れない。


 織部さんはと言うと、二十年以上に亘り奉仕して来た榎園家から暇をもらい、帰郷したとのことだった。楡夫妻は引き止めたのだが、「せっかくの夫婦水入らずの時間を邪魔するわけにはいかない」と、彼らの申し出を丁寧に辞退したらしい。

 しかし、ただ二人に遠慮したと言うだけではなく、事件の直後から、何か新しいことを始めてみたいと考えていたようだ。

 現在はひとまず郷里で晴耕雨読の生活を送りつつ、新たな職と趣味を探している最中であると聞いた。


 僕たち阪芸生組は相変わらずとして、最後に東條さんについて。彼は生活その物に変化はない代わりに、とある企画を実現するべく、動き出していた。

 香音流さんの個展を、開催しようとしているのだ。

 あのあと──香音流さんの遺作をみなで鑑賞したあと──、彼は酒宴の席でこう宣言していた。

「緋村さんの推理を聴いて、ようやく決心が付きました。いつか必ず、あの絵が多くの人の目に触れる場を作ってみせますよ。みなさんの死を、無意味なものにしない為に」

 また、

「織部さんも仰っていましたが、香音流くんは、本当に衣歩ちゃんたちを祝福するつもりだったんだと思います。流浪園に滞在する直前に僕のオフィスに来た時、言っていました。『本当は、自分がどうするべきなのかわかっている』って。だから……僕も、自分のすべきことをしたいんです」

 それが、彼なりの答えらしい。東條さんは、四年越しの約束を、今度こそ果たそうとしているのだ。

 今すぐには難しいとしても、事件のほとぼりが冷めた頃合いを見計らって……。

 緋村の推理が彼の心境にいい変化をもたらしたのだとすれば、それだけでも意義のある儀式だったと言えよう。

 無事、個展を開催できる運びとなった際は、まっさきに僕たちを招待してくれるとのことだった。僕も緋村も、その便りが届くのを、心待ちにしている。


 ※


「君が井岡の事件を調べる気になった理由が、やっとわかったよ」

 冬季休暇明けの構内を歩きながら、僕はそう言って隣りに声をかけた。ようやく左腕のギプスが取れた緋村は、聞きたくないとばかりに、そっぽを向く。

「まだそんなことを言ってるのか。お前も大概、執念深いね」

「かもね。──君が流浪園で口走った『蝶が』って言葉は、()()()()()()()()()()のことを指していたんだろ?」

 つまり、あの時緋村は、「蝶が羽ばたいちまったからだ」とでも言いかけて、やめたのだ。

 僕がこの答えに至るヒントを与えてくれたのは、田花さんと境木だった。昨日の放課後、僕は事件記録の参考にすべく、瀬戸の実家を訪れた時のことを彼らに取材していた。その際、帰りの車中でバタフライエフェクトが話題に上がったと聞かされたのだ。

「要するに、君は後悔していたんだな。『自分がくだらない用件で電話したせいで、井岡は事件に巻き込まれてしまったのではないか』ってね。君の電話がなければ、井岡は瀬戸に追い付くことができたかも知れない。そうなったら、何者かに車道に突き飛ばされ怪我を負うこともなかったのではないか──君はそう考えた」

 実際には、それで井岡が無事だったとは限らない。

 また、あの時点で「金縛りに遭う女」=整形した瀬戸だとわかっていたはずがないから、井岡が瀬戸と接触していれば何事も起こらなかった、とまでは、考えていなかっただろう。

 しかし、勘のいい緋村のことだ。真相に至る前から、何かしら察するものがあったとしても、おかしくはない。

 授業の代筆を依頼する為にかけた電話と言う蝶の羽はたきが、巡り巡って、井岡を襲った奇禍に繋がってしまった。そんなバタフライエフェクトじみた考えが、緋村の頭の中で構築されていたのだ。

「かなり飛躍した発想だけど、むしろ、そこが君らしいと言えば君らしい。頭がいいからこそ、普通の人間は気にしないようなことで、気に病んでしまったわけだ。──どうかな、この考察は。なかなかいい線いってると思うんだけど」

 相変わらずあらぬ方向に顔を向けた友人に問いかける。

 レスポンスがあるまで、少し間が空いた。

「……さあ、どうだろうな」

 呟く緋村の横顔に、珍しく穏やかな笑みが浮かぶ。普段のように、片頬をほんの少し痙攣させるのとは、全く違う表情。それは、彼が心底から笑う時にのみ、その顔に表れるものだった。

 何にせよ、笑って誤魔化すと言うことは──僕の指摘は、全くの見当違いではないようだ。

 少なからず得意になった僕は、尚も追及を続けたが……やはり、緋村は頑なであった。


 そうこうしているうちに、僕たちは目的地に着く。

 そこは、構内の一隅にある、狭い空き地だった。

 痛んだ色の芝生が疎らに生えた空間の真ん中には、誰が置いたものか判然としない木椅子と、それを取り囲むようにして、花束や缶ジュースなどが、供えられていた。

 そして、今は先客が一組、そうした供物たちを見下ろし佇立している。──そのうちの一人が、こちらを振り向いて、元気よく声をかけて来た。

「おはよう! 二人も来てくれたんや」

 朗らかに笑う井岡の腕の中には、白い蘭の花束が抱かれていた。青年を弔う為の花だ。

「やっぱり、僕たちも用意して来るべきだったな?」

 今更ながら手ぶらでやって来たことを後悔しつつ、尋ねる。僕と緋村は一限目の授業の前に、一度この空き地を見ておきたくなり、こうして足を運んだのだ。

「別にええんちゃうか?」答えたのは、渋沢さんだった。「瀬戸くんはここで亡くなったわけやないし、本来花を供えるような場所ちゃうからな。まあ、故人を偲ぶ気持ちを尊重してか知らんが、大学側も目を瞑ってくれとるようやけど」

 誰が始めたのかは不明だが、事件の直後から、少しずつ瀬戸への献花やお供え物が、ここに置かれるようになったと言う。大学を去る直前に瀬戸がスケッチをしていたこの空き地が、何故か彼の眠る場所として定着してしまったらしい。

 そして、また一束、哀悼の献花(はな)が捧げられる。

 井岡がそれを地面に置こうとした時、緩やかな風が吹き、一枚の花びらを澄んだ空へと攫って行った。

 反射的にその行方を追った僕は、そこにいるはずのない旅人の姿を幻視する。

 白い、アゲハチョウを。

 快晴の朝、飛び立ったカインの分身は、死んでいった全ての魂をその翅に乗せ、これから永い旅に出るのだろう。

 当て所なく彷徨うのだとしても、いつか必ず、新たな安息の地に辿り着くと、信じて。


 ──流浪の果ての楽園。


 最後に、そんな祈り(フレーズ)が、浮かんだ。































『流浪園殺人事件』完

 最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございます。

 またお目にかかることができましたら、幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 完結おめでとうございます! お疲れ様です!おおお!だったです(〃∇〃)! 怒濤勢い! (緋村様の言ってる時邪魔すんな、良かったです♪ 勢いが切れない♪) はあ…犯人様何だかなあ、人間だな…
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