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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第五章:喪色の宴
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15:探偵は、死者の言葉を代弁する

「……軍司さんの遺体に、刃物に刺されたことによる傷痕があったことは、みなさんもご存知ですね?」

 再び、緋村が口を開く。すでにだいぶ声が掠れていたが、まだ説明しなければならないことが、幾つか残っていた。

「この傷は、標本室に現れた衣歩さん──のフリをした神母坂さんに、ククリで刺された時のものでした。

 軍司さんの胸を刺したあと、彼女は追い討ちをかけるように、劇薬を浴びせた。つまり、軍司さんが焼死するキッカケを作ったわけですが、この殺人に関しては、おそらく()()()()だったのでしょう。本来であれば、軍司さんはペットボトルに仕掛けた毒針で、抹殺する予定でした。しかし、どう言うわけかその罠が()()に終わってしまい、急遽、激昂した衣歩さんが乱入したように見せかけたのです」

「毒牙」はどのタイミングで仕掛けられたのか。そして、どうしてそれは発動しなかったのか。この二点に関しては、ハッキリとはわからない。

 ただ一つ、確実に言えるのは、軍司さんは毒針の仕込まれたペットボトルに()()()()()()()、緋村からの呼び出しに応じた、と言うことか。

「なるほどなァ。神母坂さんは、衣歩さんにクローンを産ませる計画を乗っ取ることで、望みを叶えようとしとった。せやから、初めから秀臣さんのお兄さんも、ターゲットに含まれとったわけか」

 田花さんは、腑に落ちた様子だった。

「ええ。軍司さんの企みを利用する為には、彼を亡き者にする必要がありました。

 また、神母坂さんはコンサバトリーで亡くなりましたが、おそらく当初の予定では屋敷内に残り、『衣歩さんは不運にも逃げ遅れてしまった』と思わせるつもりだったのでしょう。例えば、引火性の劇薬が多数保管されていた薬品室にでも籠もれば、我々も容易には助け出せませんし、誰かが救出に乗り出す前に死ぬことも可能でした」

 しかし、実際には僕たちの目の前に現れ、軍司さんを奇襲しなければならなくなってしまった。おそらく、全ての犯行を終え、緋村の言ったとおりの死に方をする為に薬品室に入ったところ、隣りから軍司さんの声が聞こえ、ターゲットがまだ生きていることを知ったのだろう。

 そして、あの時彼女が黒山羊の剥製を裂いて頭に被っていたのは、言うまでもなく()()()()()だった。こちらも幻獣の見立て同様、単なる狂気の発露ではなく、そうしなければならない理由があったのだ。

 ──いや、どちらにせよ、狂気が介在していたことには変わりない。

 緋村も以前言っていたことだが、狂っていなければ、こんな悪魔のような所業が行えたはずがない。

「い、神母坂様は、何故先生の計画を知ることができたのですか? 確かに、先生には人間のクローンに関するお噂が付き纏っていました。とは言え、香音流様の精子が保管されていることや、衣歩様を騙していたことまでわかるものなのでしょうか……?」

「軍司さんは、以前神母坂さんのお祖母さんの元を訪れ、漠然と今後の運勢を占ってもらったことがあると仰っていました。また、その際彼女の方言がキツかった為、神母坂さんに通訳を務めてもらった、とも。……もしかしたら、軍司さんの企みに関する情報も、神母坂さんのお祖母さんの元にあったのかも知れません。もちろん、答えそのものと言ったものではなかったでしょうが、それでもヒントくらいにはなったのかと。──この辺りに関しては、想像で補うしかありません」

「その話は、わたくしも伺ったことがございます。確か、神母坂様のお祖母様に『あなたの成そうとすることは、必ずうまくいく』と、背中を押してもらったと仰っていました」

 しかし、的中したのはもう一つの予言の方だった。

 ──誰かの助けを必要とする時は、躊躇なくその手を借りなさい。さもなくば、苦しみの中で死を迎えるだろう。

 もしあの時、軍司さんが緋村の助けを拒んでいなければ……廊下に出る前に異変に気付くことができたかも知れない。そうなれば、彼は火達磨にならず済んだのではないか……。

 無論、緋村や僕諸共業火に抱かれていた、と言う可能性もあるが……。

「予言と言えば、鮎子さんが衣歩ちゃんに語ったお告げも、何か意味があったんか? 今回の事件の内容を示唆しとったっちゅうことは、なんとなくわかるんやが……」

「そちらの予言には、主に二つの意味があったのだと思います。──一つ目は、衣歩さんが遺書を認めるキッカケを作ること。衣歩さんが遺書を残そうと考える理由を拵える必要があったのです。

 神母坂さんの中で、彼女はあくまでも流浪園の火災と言う不慮の事故で亡くなる、と言う設定でした。二十歳(ハタチ)の僕が言うのもナンですが、衣歩さんはまだ若い。それに、誉歴さんのように不治の病いにかかっていたと言うわけでもありません。そんな彼女が死期を悟ると言うのは不自然ですから、『不吉な予言を聞かされ、念の為遺書を認めることにした』と言う、少々苦しい理由付けを行ったのでしょう」

 彼女の行動は全て、自身の望みを叶える為に向けられたものだった。迷宮が一本道であるように。

「そしてもう一つ。神母坂さんにとって、おそらくとても重要なことがありました」

 そこで、緋村は祭壇の前に立てかけられた大きな荷物へ、視線を投じる。

「東條さん。あの鞄の中身は、()()()()()()()()ですね?」

「え、ええ。衣歩ちゃんの遺書に、『もし本当に自分の身に何かがあった場合、香音流くんの絵を本邸に飾ってほしい』と書いてあったので──」

 携えて来たのだ、と続ける前に、若き画商はハッとした表情で、それを呑み込む。彼にもわかったのだろう。その遺言の意味が。

「それは神母坂さんが望んだことなんですよ。つまり、彼女は香音流さんの遺作を、どうしてもこのお宅に飾りたかった。そこで、衣歩さんが()()()()()()()()()()()()()()()()()、『最後の悲劇を免れる為に、カインの絵を飾れ』と言う託宣を、口にしたのです」

 そもそも、彼の作品がまだ一点だけこの世に残っていること──そして、それが東條さんのオフィスにて保管されていること──を、本物の衣歩さんは知らなかった。衣歩さんが香音流さんの唯一の遺作を所望する理由だけではなく、()()()()()()()()()()()としても、この予言は機能していたのだろう。

 そう付け足すと、緋村は一度言葉を切った。


 ※


 緋村が小休止する合間に、境木が久し振りに──彼は、周囲がその存在を忘れた頃に口を開くことがままある──、発言する。

「……とても周到な計画なのです。神母坂さんと言う方は、相当頭がよかったのですね」

 誰にでも言えるような素朴なコメントかと思ったのだが、それに続く指摘は、存外に鋭利(スルド)かった。

「……ですが、そうなると不思議なことがあるのです。彼女は完璧に犯行を全うし、当事者の目を欺くことに成功しました。しかし、それでも警察を騙すことができるとは、到底思えません。死の偽装など、島にいる間だけの一時しのぎにしかならないのです。結局のところ、警察の科学捜査の前では、意味を成さないのではありませんか?──ご遺体の身元など、DNA型や歯型の鑑定を行なっていけば、いつか必ず特定されてしまいます」

 確かに、そうだ。緋村とは違ったプロセスで、警察もいずれ真相へ辿り着く。それも、おそらくはそう遠くないうちに。

 あるいは、死体の身元に関しては、まだ報道されていないだけで、すでに特定に至っている可能性もある。

「ここまで複雑な計画を練り上たにも関わらず、こんな単純なことに気が回らないなんて……頭がいいのか悪いのか、よくわからないのです」

 困惑の表れか、わずかに眉根を寄せる。

 すると、今度は元産婦人科医が、彼に同意を示した。

「境木くんの言うとおりだな。それに、たとえ奇跡的に警察の目を欺くことができたとしても、両親がともに亡くなっている状態で、代理母出産を請け負うクリニックがあるとは思えない。藍児くんを取り上げた私が言うのも、おかしな話だがね。しかし、自分のことを棚に上げるようだが、あの時とは状況が違いすぎる。

 そもそも、卵子の年齢を調べれば、それが衣歩さんの物ではないことくらい、簡単にわかってしまうはずだ。卵子の元となる原子卵胞は、産まれた時点で卵巣の中に宿されている。つまり、卵子の年齢は()()()()()()()()()()()()()()わけだが……神母坂さんは、衣歩さんよりも、幾らか歳上なんだろう? なら、幾ら保険証を偽造し、彼女の名前を騙ったところで、無意味だと思うのだがね」

 専門家が言うのだから、間違いないのだろう──いや、素人の僕にしてみても、この点に関しては大いに疑問であった。代理母出産を計画の核としていながら、この致命的な破綻に気が付かないものだろうか? 境木の言葉を借りるのなら、「頭がいいのか悪いのか、よくわからない」

「……どちらの意見も、至極当然の指摘だと思います。そして、おそらく神母坂さん自身も、そうした計画の瑕疵(かし)には、気が付いていたのでしょう」

「だったら、どうして」

「彼女にとって重要だったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()だった。だからこそ、どれほど計画が破綻していようと、立ち止まることができなかったんです」

「つまり……うまくいくかどうかは、二の次やったんか?」

 もどかしげに顔をしかめ、渋沢さんが尋ねた。

「身も蓋もない言い方をすれば、そうなります。──では何故、そんな風に考えてしまったのか。思うに、彼女の受け継いだユタの素養が、()()してしまった結果なのかと」

「暴走……」今度は境木が不思議そうに、鸚鵡返した。

「ああ。──先ほども言いましたが、神母坂さんは亡くなったお祖母様の保管していた顧客の情報を、受け継いでいたと思われます。これにより、彼女は誉歴さんや榎園家──そしてその関係者たちに対してのみ、巫女として振舞うことが可能となった。と、同時に、自信を得たのでしょう。『ユタとしての才能が、ようやく開花した』『今まで誰にも相手にされなかった自分の予言は、単なる癖ではなく本物の力になったのだ』と。……あるいは、他人を意のままに操ることに、えも言えぬ快感を覚えたのかも知れません。──が、いずれにせよ、ここから彼女の暴走は始まりました」

 神母坂さんからしてみれば、カミダーリィに苦しめられて来た二十年近い年月がようやく報われた、と言う想いもあったのかも知れない。だからこそ、思いがけず目醒めた力に、呑み込まれてしまったのではあるまいか。

「神母坂さんは、決して満たされることのない心を、何かで満たそうとした。そして、その『何か』に当て嵌ったのが、今回の事件を企図し、実行することでした。うまくいくかどうかは、この際関係ない。とにかく、捨てきれなかった香音流さんへの想いを、何らかの形で昇華することさえできれば、それでいい。彼女はその方法を()()()()()()()()()んです。……他ならぬ、()()()()()()

 謂わば、託宣だったのか。彼女は自身に目醒めたユタの託宣に、従ったのだ。サラ・ウィンチェスターが霊と交信し、邸宅の増築を繰り返したように……誉歴氏が妻の霊魂を鎮めるべく、流浪園を建てたように……。

 ──盲信に取り憑かれてしまう人の気持ちも、少なからず理解できるんです。

 僕はこの宴が始まって何度目かの死者の声を、幻聴()いた気がした。まるで、降霊会だ。

 そして、その霊媒となっているのは、言うまでもなく……。

「誉歴さんと言う支持者を得た彼女は、自らのユタとしての天稟(てんぴん)を、誰よりも強烈に信じ込んでいた。言ってみれば、神母坂さんは託宣を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()わけです。……だからこそ、どれほど勝算のない賭けだとしても、それによって心が満たされるのなら、実行に移す価値があると考えてしまった。彼女の妄信は、理屈を超越することができたのです」

 探偵は、死者の言葉を代弁する。やはり、この男もまた、ある意味ではシャーマンに違いない。

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