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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第五章:喪色の宴
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14:そんな遠大な絵図を

「では、具体的にどのようにして、その望みを叶えようとしていたのか……。それを説明するには、ここでもう一つ、非常に突飛な話をしなければなりません」

「これ以上、まだ何かあるんか?」

 呆れたように、渋沢さんが尋ねた。すでにお腹いっぱいだ、と言いたげだ。

「ええ。彼女の動機を明かす上で、欠かせない物が一つだけ。──それは、軍司さんの企図していたある計画です。実に突拍子もないことですが……彼は密かに、香音流さんのクローンを生み出す準備を進めていました」

 予想していたことではあるが、誰もが彼の言葉に困惑した様子だった。こんな浮世離れした話、おいそれと受け入れられるわけがない。

 が、緋村は歯牙にもかけず──想定内の反応だったのだろう──、語り続ける。

「軍司さんは、人知れず香音流さんの見舞いに訪れていました。そしてその際、彼の希いを託された。幸恵さんが病室の前で聞いた『モトオサン』と言う言葉は、本当は『お父さん』だったんです」

「香音流くんも、軍司先生がお父さんやと気付いとったんですね?」

「そうです。このことは誉歴さんからの絶縁状に記されていただけでなく、もっと前から察するものがあったようです。──自分の遺伝上の父が生殖補助医療の権威だと知った彼は、軍司さんにあることを頼みました。それが、クローンです。

 この依頼を引き受けた軍司さんは、ただ香音流さんの望みを叶えようと決意しただけではなく、とても恐ろしいことを考えました。香音流さんのクローンを、衣歩さんに産ませようとしていたのです」

 ──イヴがカインを産むのは、実に自然なことだと思わないか?

 標本室で聞いた軍神の言葉が、彼の邪悪な笑みが、脳裏に蘇る。

 軍司さん曰く、香音流さんは愛されることを渇望していたと言う。孤独の中で死を迎えたカインが、今度こそ望んでいた愛を得られるように……彼はこれまで誰も思い付かなかったであろう「クローンの使い方」を、考案したのだ。

「衣歩さんは、明京流さんの凍結精子を用い、体外受精を行う予定でした。軍司さんは、これを利用しようと考えていた。つまり、明京流さんとの受精卵だと偽って、香音流さんの体細胞クローンの胚を、彼女の体に移植しようとしたわけです」

「……率直に言って、信じられないな」もう一人の元産婦人科医が、軽くかぶりを振った。「しかし、傲慢で執念深いあの男らしい発想だとは思うよ。兄は、目的を果たす為には手段を選ばないタイプの人間だったからね。だからこそ、かつて千都留さんにあんなことをしたんだ」

 軍神の持つもう一つの(かお)を知悉している故だろう、彼だけはすぐに理解してくれた。

「だからって、そんなの異常すぎますよ。永らく医療に携わっていた人間の考えることじゃない。だいたい、もしその企みが成功してしまったら、衣歩ちゃんはどうなるんですか? 彼女が苦しむことくらい、想像できないはずがない──そんなことを、先生が望むだなんて」

「むしろ、それも目的の一つだったんですよ。軍司さんは、衣歩さんへの()()も兼ねて彼女を裏切った。何の復讐かと言うと、四年前に香音流さんが受けた辱めに対する復讐です。四年前、婚約祝いと称して香音流さんを流浪園に招いたのは、明京流さんの発案だったそうですが……軍司さんからしてみれば、衣歩さんも一緒になって、香音流さんを侮辱したように思えたのでしょう」

 そう説明されても尚、東條さんは釈然としない様子だった。

「香音流くんの為に復讐するなんて人間、一人もいないと思っていたんですがね。僕の考えが間違っていたと言うことですか……。実の父親だから、先生は彼の為に悪魔になる決意をしていたと?──やっぱり、受け入れ難いですね」

「当然の反応ですね。しかし、実際に軍司さん自身が、そう認めてくださいました。僕だけではなく、若庭もそれを聞いています」

 緋村のパスを受け取るつもりで、僕は強く頷く。彼の推理をアシストできる場面は、おそらくここが最後だろう。

「緋村の話したとおりです。それに、香音流さんのクローンを実現する準備も、相当進んでいたようでした。『この手に掴みかけていると言っても過言ではない』と、軍司さんも仰っていましたから」

 僕の念押しが通じたのかは定かではないが、東條さんは、ひとまず矛を収めてくれた。

「軍司さんは、衣歩さんを騙していました。四年前、明京流さんが亡くなる前に採取していた精子も、本当はすでに処分されていたそうです。そして、代わりに香音流さんの精子が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……軍司さんは、クローンがうまくいかなかった時のことを考慮し、保険をかけたんです。最低でも、明京流さんではなく、香音流さんの子供を産ませる為に。──そして、神母坂さんは、この点に目を付けました」

「そ、それじゃあ、あの遺書は……!」

 幸恵さんが瞠若し、息を呑む。

「そう……衣歩さんが書いたとされる遺書も、本当は神母坂さんが用意した物でした」

 だからこそ、筆跡を誤魔化す為に、パソコンを使って作成したのだ。

「神母坂さんの望みは、香音流さんとの子供を、この世に残すこと。そして、その望みを果たす為に、彼女は軍司さんの企みと、衣歩さんの希いを利用しようと考えた。すなわち──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな遠大な絵図を、彼女は描いていたのです!

 ……今回の犯行は、何もかもそれを成立させる為の布石。全ての罪を春也さんに擦り付け、衣歩さんとして死ぬことで、みなさんに自身の計画を完成させてもらおうとしたわけです」

 緋村が言い終えると共に、幾度目かの沈黙が座に降り立つ。どんな反応を示すのが適切か、どのような感想を述べるべきなのか、誰にも──ただ一人、この儀式を楽しんでいた田花さんでさえ──わからなかったのだろう。

 昨日、一足先に推理を聴かせてもらっていた僕にしてみても、それは同様であった。

 彼女の動機は、あまりにも複雑でいながら、度し難いほどに純粋だ。

 全ては、かつて愛した青年との子供を、産み落とす為。歪んでしまった恋心を満たす為に、神母坂さんは、流浪園に関わる様々な人たちの希いを、想いを、悪意を、そして命さえも──最後には自らの命までもを──呑み込んだ。そうして僕たちの目の前に現れたのが、この事件と言う、巨大な迷宮だったのだ。

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