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流浪園殺人事件  作者: 若庭葉
第五章:喪色の宴
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12:切実な想い

「結局のところ、誉歴さんはどうして遺産の相続人に、瀬戸さんを付け加えたんでしょう? 先ほどの秀臣さんのお話やと、瀬戸さんの養育費を援助したり、彼にプレゼントを贈ったりしていたそうやないですか。それやのに、遺産まで譲ろうと考えたのは……やっぱりホンマの親子やったから、と言うことなんですか?」

「無論、それもあったでしょう。しかし、もう一つ、幸恵さんに語った決意を覆さざるを得ないような理由が、できてしまってんです」

「なんなんですか、それは……」

 もったい付けるような言い回しへの苛立ちと、真実を知ることへの不安が入り混じったような、複雑な表情が浮かぶ。

「瀬戸くんの性同一性障害ですよ。誉歴さんは、彼もまた自分と同じ悩みを抱えていることを知ってしまった。だからこそ、急遽相続人に彼を指名したんです。もし瀬戸くんが女性に生まれ変わることを望んだ時、相続した遺産を()()()()()()()()()()()()()。……瀬戸くんの取り分に流浪園が含まれていたのも、自分と瀬戸くんとを重ね合わせてしまったからなのでしょう」

 これは昨日、緋村が教えてくれたことだが、性同一性障害には、体の性別に関わらず、若干の遺伝的関与があると考えられているそうだ。無論、誉歴氏と瀬戸の場合にもこの統計が当て嵌まるとは言いきれないが、何か二人には近しいものがあったのだろう。瀬戸家を訪れた渋沢さんたちの話によると、瀬戸は生みの親からの贈り物を、どれも大切にしていたと言う。

 父子(おやこ)の趣味は、似ていた。

 会ったことはなくとも、どこか心の深いところでは繋がっていた──誉歴氏もそう感じていたからこそ、財産だけではなく流浪園を、彼に与えようと考えたのかも知れない。

「誉歴さんは、何故このこと──瀬戸くんの性同一性障害を感知できたのか。それは、()()()()()()()()()()()()()です。……そして、誉歴さんは彼女のアドヴァイスに従い、瀬戸くんを相続人に加えた遺書を認めた」

「そう言えば、晩年の誉歴さんは、鮎子さんのことを誰よりも信頼しとったわ。まるで、彼女のお祖母さんの、代わりにするように……。せやから、言いなりになってしまったっちゅうことか」

 楡さんの言葉に、緋村は頷いて返す。

「ええ。……無論、ただ口頭で伝えただけでは、信じ込ませるのは難しい。そこで、神母坂さんは証拠を用意しました。東條さんのオフィスにあったのと同じ雑誌に載っていた井岡の作品を、誉歴さんに見せたのです。

 あのコラージュ画──『薔薇の下』の中心にいる少女の正体は、実は女装した瀬戸くんでした。そして、素材に使われた彼の写真には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを見せながら、神母坂さんは、『あなたの息子もあなたと同じ悩みを抱えているようです』とでも言ったのでしょう」

 まるで、悪魔の耳打ちだ。

 誉歴氏は彼女の意図したとおりに操られ、遺書の内容を書き換えてしまった。

「鮎子さんは、瀬戸さんが産まれた経緯や、誉歴さんの秘密まで、知っていたってことですか……」東條さんが呟く。「けど、どうしてそんなことまでわかったんです? まさか、それも『夢の中のお告げ』とやらが教えてくれた、なんてことはないだろうに」

「もちろんです。神母坂さんがここまで何もかもを知り得たのは、おそらく、()()()()()()()かと」

「どう言う意味ですか?」

「神母坂さんのお祖母様はユタであり、みなさんも知ってのとおり、誉歴さんはその常連客だった。となれば、当然彼女の元には、誉歴さん──いや、榎園家に関する様々な情報が、残されていたと考えられる。数年前にお祖母様が亡くなった際、神母坂さんは()()()()()()()()()()()のではないか、と言うことです」

 緋村の言うとおりであれば、それが彼女にとっての大きな転機だったに違いない。

 そして、この事件の計画が──想像を絶するほど強大な悪意が、胎動を始めた瞬間でもある。

「誉歴さんは、私らや家族にさえひた隠しにしとった秘密まで、ユタに打ち明けとったんか」

「あるいは、引き出されてしまったのかも知れませね。占いを成立させるには、相手の情報をいかにして得るかが、重要ですから」

「ああ、君が以前話しとった、コールド・リーディングとウォーム・リーディングって奴か」

「ええ。……コールド・リーディングは相手との会話や仕草、表情などからその場で情報を引き出す技術。対して、ウォーム・リーディングは事前調査を意味します。こうした手法は、おそらくユタの占いにも用いられる。……しかし、神母坂さんはお母様の意向でユタの道に進むことが許されず、修行によってカミダーリィを克服することさえ叶わなかった」

 彼女はユタの素養を持ちながら、ユタにはなれなかった。

 そう思われていた。

「数年前、お祖母様が亡くなったことにより、彼女の保管していた顧客の情報が、神母坂さんに引き継がれました。これにより、彼女は誉歴さんや榎園家に対してのみ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだと推察します。だからこそ、神母坂さんはお祖母様に成り代わる形で、誉歴さんの信頼を勝ち得ることができた。誉歴さんの新たなユタが、誕生したのです」

 人知れず、覚醒(めざ)めていたのだ。一部の人間に対してのみ有効な、(かんなぎ)として。

「それから、こちらのお宅の金庫の暗証番号も、こうした情報から割り出したのだと思います。確か、誉歴さんはユタのお告げに従い金庫の番号を変更されたんでしたね? ならば、新たに設定し直した数字を特定することは、そう難しくはなかったはずです。……あるいは、誉歴さんから聞き出すことも、神母坂さんであれば可能だったのかも知れません。

 いずれにせよ、先ほど話に上がった書類が金庫の中にしまわれたのは、織部さんが遺言書を取り出したあとであることは、間違いありません。おそらく、流浪園を訪れる日の前夜、ここに泊まりに来た時に、仕込んだのでしょう」


 ※


「誉歴様が、遺書を書き換えた理由はわかりました。しかし、それでは瀬戸様の方はどうなるのでしょう? 先ほど幸恵様がお尋ねになった際、あとで説明すると仰っていましたが……」

「先に誉歴さんと瀬戸くんの関係を明かしておきたかったので、あと回しにさせていただきました。──瀬戸くんと密かに接触した神母坂さんは、彼が誉歴さんと同様に性同一性障害を抱えていることを知りました。おそらく、『薔薇の下』のモデルが彼であることに──薬指の特徴や、彼が阪芸生であると言う情報から──気付いた彼女は、その時点で予想していたのだと思います。……そして、実際に会ってみて、それは確信へと変わった。

 と、同時に、彼が誉歴さんに並々ならぬ関心を抱いていることを見抜いたのでしょう。大学に進む直前、ご両親は『本当の父親は榎園誉歴氏である』と言うことだけは、瀬戸くんに伝えていたそうです。自分の遺伝上の父親がどのような人物なのか、気になって当然ですね。瀬戸くんは誉歴さんからの贈り物を、どれも気に入っていたそうですから、余計に」

 自身のルーツに惹き寄せられるのは、酷く人間らしい心理と言えよう。

「神母坂さんと面会した際、瀬戸くんは『誉歴さんの病気は治る見込みがなく、余命宣告を受けていること』を、伝えられたのだと思います。そして、さらに神母坂さんは、瀬戸くんにこんな提案をした。『誉歴さんに残された時間は少ない。せめて、彼が亡くなる前に、()()()()()()()()()()()()』と。……瀬戸くんはこの提案を呑み、整形手術を受けました。()()()()()()()()()()()

「ど、どうして神母坂さんに……? 誉歴さんの養女(むすめ)は、衣歩ちゃんやのに」

「神母坂さんは、瀬戸くんに対しても()()()()()()()()()()()んですよ。つまり、瀬戸くんの中では、神母坂さんこそが『榎園家の養女』だった。だからこそ、彼は神母坂さんに生まれ変わることを望んだのです」

 心の性と体の性との間に生じた齟齬(ズレ)

 そして、会ったことのない実の父親を慕う気持ち。

 この二つの要素が合わさり、瀬戸の中にある切実な想いが生まれた──いや、産み付けられてしまった。


 ──父に残された最後の時間を、彼の娘として共に過ごしたい。


 彼女は青年の純真さを残酷なほど巧みに利用し、自らの身代わりに仕立て上げてしまったのだ。

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