四章・ナスベリの教え(5)
深夜、泣き疲れて眠ってしまったスズランを一人ベッドに残し、カタバミは窓から外を眺めていた。
ここに来てから四日……果たしていつまでいることになるのだろうか? さっき娘にはああ言ったけれど、いつまでも夫だけに店を任せておくわけにはいかない。そろそろ自分だけでも戻らないとならないだろう。
でもスズランをここに残していくこともできない。特に今のように傷付いている状態で母親が傍から離れてしまったら、どんなに心細く思うことか。やっぱり夫には悪いけれど、もうしばらく我儘を許してもらうしかない。
手紙でも書こう。そう思って彼女が机に向かおうとすると、誰かがドアを小さくノックした。中の人間がすでに眠っていると知ってる者の気遣いだ。
多分あいつだな。そう思って開くと予想通りの顔が立っていた。以前我が家に修理依頼を受けてやって来た時と同じピンク色のツナギを着ている。
「ナスベリ……」
「開ける前に確認くらいしなよ、不用心だなあ」
「悪かったわね、ろくに鍵もかけない田舎者で」
「私だって元はそうだよ」
言いながらナスベリは手招きした。ちょっと来い、そう言っているようだと察して一度ベッドの方へ振り返る。
あの子をここに残して行って大丈夫だろうか? もし目を覚ました時に自分がいないと気が付いたら?
不安だったけれど、その瞬間頭の中で“行け”という声が聴こえた気がした。
なんだろう? この感覚は以前にもどこかで……?
「スズちゃんのことで大事な話がある」
「……わかった」
彼女は直感を信じることにした。頷いて廊下に出ると、閉ざしたドアの向こうに対して静かに囁きかける。
「スズ、お母さん、ちょっと行ってくるね」
「こっちへ」
そして幼馴染に先導され、ほどなくして辿り着いた場所は社員寮の屋上だった。最初の日ここへ到着した時にナスベリが立っていた場所。
ナスベリがメガネを外す。途端、彼女はビーナスベリー工房の副社長兼支社長ではなくカタバミのケンカ友達だった頃の“氷兇の魔女”になった。自己暗示によって口調と人格がガラリと変わる。
「あれを見な」
「えっ……なに、あれ?」
今夜は夜霧が漂っている。その霧の向こう側、この社員寮からも支社の母屋からも遠く離れた位置にもう一つ大きな何かが建っていることに気付いた。建物なのかはわからない。大きな球体のように見えるからだ。
「実験場だ。オサカみたいな都市部じゃ周りに被害が出るかもしれねえんで絶対できない危険な実験をするための施設。あの中にスズランを放り込んでみようと思う」
「は? なんでよ」
「アタイなりに考えてみた。アイツは別に不器用ってわけじゃねえ。むしろ、飲み込みは早いし頭も回る。本当なら水球生成くらい簡単にこなせるはずの才能の持ち主だ」
「だ、だったらなんであんなことに?」
「ビビッてんだよ。自分の魔力があんまり強すぎるもんだから無意識にセーブをかけようとしていて、適切に出力しようとする意識とぶつかっちまってんだ。もっと早く気付いてやれりゃ良かったな。今日までオメーに見学させてたのはアイツに発破かけるためだったんだけど、アイツが自分自身の力に怯えてるってんなら逆効果だ」
なるほど……カタバミもやっと合点がいった。スズランは賢いし手先だって器用な子だ。料理をしたり服を作ったり薬を調合したり、魔法以外のことならなんだって上手に出来る。なのにどうして魔法だけがと思っていたが、そういうことなら理解できた。
正確に言えばスズランが恐れているのは自分の魔力ではなく、それが原因で周囲の人間を傷付けてしまうことだろう。特に自分やカズラや隣の一家……家族と家族同然に親しい人間を暴発に巻き込みたくないのだ。
「優しい子だから……」
「そう、だからその優しさを利用させてもらう」
「え?」
「手伝ってもらうぜカタバミ。オメーにしかできねえ役目だ」
そう言ってナスベリは、久しぶりに不敵な笑みを見せた。
「ん……?」
その時、目を覚ました私は何故か見知らぬ空間に一人で横たわっていました。
「なに、ここ……?」
とても大きな球体の中に見えます。これだけ巨大なのに中身が空っぽの建造物なんて他に見たことがありません。どうしてこんな場所に? 経緯を思い出そうとしても何も頭に浮かんで来ない……さっきまで何をしていたんでしたっけ?
「お母さんと一緒にナスベリさんのところに来て……」
ビーナスベリー工房の支社に来たところまでは覚えているのですが、そこから先の記憶が曖昧です。何か辛いことがあったような気もするのですが、夢だったんでしょうか?
そういえばこの格好も妙ですわ。私、あの着ぐるみを着ていません。代わりに村にいる時と同じ服装です。すっかりあの着ぐるみに慣れていたので懐かしく思えますね。
その時、懐かしむ私の頭上で声が鳴り響きました。
『起きたねスズちゃん』
「ナスベリさん?」
肉声ではないですね。どこにも姿が見当たりませんし、独特なノイズも混じっています。おそらく遠隔で声を届けることが可能な道具でしょう。長距離通信が可能になったという話は聞きませんから、本人もすぐ近くにはいるのでしょうが。
『実験の最中に寝ちゃうから驚いたよ。よっぽど疲れてたんだね』
「実験?」
『まだ寝ぼけてる? ほら、魔力制御の訓練も兼ねてここでうちの会社の実験を手伝ってもらってたじゃない』
そう……でしたかしら? 言われてみると、なんだかそんな気もしてきました。
『起きて早々申し訳ないけど、もう少しデータが欲しいからもう一回やってもらっていいかな? 思いっ切り魔力を放出してみて』
『頑張ってスズ!!』
母の声援も聴こえました。まだよく思い出せませんけれど、二人が言うならきっとその通りなのでしょう。私はここで何か実験を手伝っていて、その最中に疲れが原因で眠ってしまっていたのですわ。
「わかりました」
頷いた私は、言われた通り全力で魔力を放出しました。体育館の時と同じように球形のこの謎の建造物全体が鳴動します。
あれ? 体育館って、なんでしたっけ?
私が疑問符を浮かべた瞬間、それは起こりました。
『きゃあっ!?』
『なっ、カタバミ!?』
「お母さま!?」
母の悲鳴とナスベリさんの声。ナスベリさんは酷く動揺しながら続けて叫びます。
『まずい、スズちゃん! カタバミが、今ので──施設に、損しょ──』
「ナ、ナスベリさん!? 何があったんですかナスベリさん!?」
『カタバ──助けに──何か、空に──』
それきり声は途切れました。続きは聴こえてきません。代わりにこの球体に次々何かがぶつかっているような音が響き渡りました。轟音が反響して頭が割れそうです。いったい外では何が起こっていますの?
でも一つだけ確信があります。お母さまが危険な目に遭っていること!
助けなきゃ!! 私はすぐに出口に向かって走りました。それらしき巨大な扉は最初から視界に入っています。
けれど開きません。というかどうやって開けたらいいのか全くわかりません。そもそも私の力で開閉できるのかも不明です。
「ああもうっ!!」
後でナスベリさんや社長には怒られるでしょうが緊急事態です。私は短縮呪文を唱えました。
「阻む者ども全て貫け」「焦熱の光!」
圧縮魔法と圧縮魔法を組み合わせた重奏魔法。眩く輝く白い光が一本の剣と化して巨大な扉に突き刺さります。
ところが──
「なっ!?」
この私の全力の一撃を受けてもそれには僅かな亀裂が走っただけ。非常識な頑丈さじゃないですか、この扉!?
「阻む者ども全て貫け」「轟く雷光!」
「眼前の敵を薙ぎ払え」「鋭き水爪!」
「我が意に従い変じよ」「地の眷属!」
属性を変えたらどうかと思って放った雷撃も水の刃も通じません。それなら扉そのものを変形させようと試みた魔法も手応え無し。この扉、単なる金属でなく護符による加護が付与されているようです。さらに立て続けに攻撃すると多少は最初の傷が広がりましたが、一向に風穴は開きません。どれだけ分厚いんですの?
そんなことをしている間にも施設全体を叩く轟音は鳴り響いていました。その音が私の精神を急速に追い詰めて行きます。
母が、母が危ないのに。
まさか、もう来たと言うんですの?
これが“崩壊”の始まりだと?
ふざけないで、まだ早い。
まだ、私は──
脳裏に、災禍に巻き込まれて無残な姿と化した母のイメージが浮かびました。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
瞬間、私は再び全身から魔力を放出します。その量は今まで自分で“全力”だと思っていた出力量の比ではありませんでした。球体内部の空間が膨張して分厚い金属の壁が悲鳴を上げ始めます。
邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔ッ!!
「そこをどけ!」
私が再び扉に触れると、亀裂の中に凝縮された魔力が流入して無理矢理それを押し拡げました。両手も突き入れ、こじ開けるように左右に振り抜いてやります。
次の瞬間、私の魔力は扉を強引に引き裂き、真っ二つに切断しました。余波が施設内を駆け巡って内壁までもズタズタに切り刻みます。もはや砂の壁となんら変わりません。
剥落した破片が背後で轟音を立てて落下。その音を聴きながら急いで外へと飛び出して行く私。けれどもそこには予想外の光景が待っていました。




